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8 バイブルシェアリング

ドキュメント内 宣教協議会報告書.indd (ページ 136-170)

わたしたちは何者で 何をすべき存在であるのか  ~神との関わりの中で問いかけに応える~

 

司祭 マリア・グレース 笹森田鶴 レジメ

信仰が底辺に流れ続けている。

天地創造が過去起ったように、神の知恵による創造の業は今も継続されている。出エジプト の出来事を引き起こし、さらに今もこの宇宙のすべてを造り続ける創造の業として、また将 来も継続している神の業としてつながっているという信仰が前提としてある。神の時のはじ めから、神は救いの出来事を起こすために、神の秩序を形成した。それは、神の創造の業は、

神が宇宙のすべてのものと関わり合っていること、いこうとしていることのしるしでもある。

そして、神こそが創造主であり、被造物は神ではないこと、世界は神によってのみ命を与え られることを示された。

二つの天地物語は、神の業の奥深さ、幅広さを表現するために、互いに補完しあう形で、し かも当然ながら、矛盾をはらみながら並列されている。出エジプトの物語のように二つの資 料をひとつの物語に編集するのではなく、あくまでも二つの別の視点で紡がれた物語を併記 していることに意味があるのではないか。この並列の意味を思い巡らしたい。

1.創世記1:1-2:4a

紀元前500年頃のバビロン捕囚期もしくは捕囚以降 祭司資料・祭司的編集資料(P)

2.創世記2:4b-25

紀元前950年頃のダビデ ・ ソロモンの統一王国の時代に編纂されたもの  ヤハウェスト資料(J)

Ⅲ 天地創造の物語1

創世記1章は、神の秩序形成への賛美とも言える。神のみが主権をもち、世界は深い大水に よって覆われ、混沌-荒れてむなしく暗黒の世界-であった。それがひとつ深淵を秩序付け、

空と海と分けられた。そのように、神は混沌からもこの世界をお造りくださった。

また神は、神の像―王として-に似せて人間を造られた。そして人間以外の命も造り、祝福 された。

神の命令;

治める(ラーダー   ) 王に関して用いられる言葉。

すべての人間が王として、神の代理として、神の意志を代行する。

他の被造物より人間が明らかに区別され、被造物でありながらもその中での優位性を保持す る。

そして人間は世界の中で、植物・動物と共存して生きる様子が描かれている。

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「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という言葉によって、将来に亘っての、一回に終わることの ない継続的な神の働きを示された。そして神の秩序が一つずつ実現していくことを、神は「良 し」とされた。

バビロン捕囚という国家の破綻のただ中にあって、イスラエルの民の絶望と敵による抑圧の 苦しさのただ中で、混沌からも神はその知恵-言葉-によって秩序を形成され、今も形成し 続けておられるという信仰を確立していく。そこでは神の似姿に造られた人間が他の被造物 よりも優れた立場で、神の業を遂行していくことこそ、人間の使命であることが強調されて いる。 

→洪水物語と虹の約束へと続く物語 破局と再創造 しかし、二度としないという約束。

 約束は被造物全体と結ばれる。

Ⅳ 天地創造の物語2

創世記2章では、はじめに世界は荒野であり、耕す条件(雨や耕す人)もなかったことが記 される。人間(アーダーム)は土を耕す者として、土(アダーマー)のちりから造られた。

これは人間が大地の一部であり、死ぬとちりにかえるもの(3:19)と言う表現と相まって、

自然の循環の中に存在することを示す。野の獣も空の鳥も土から造られる。

ただし、人間には神の息(霊、風)が吹き入れられ、動物への命名権や特別なパートナーシッ プが与えられていることから、動物よりも優位にある。さらに見ることと、食べることの自 由と制限が加えられる。→神との約束

「人をエデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。」(2:15)

→人間は農耕に従事するものとなる。

人間は本来、エデンの園で果樹園を耕し、大地を守る使命が神によって与えられている。

神の命令;

 耕す(アーバド   ):①働く、仕事をする ②奉仕する ③神に仕える、礼拝する

しかし、人間はその自由と使命を逸脱し、神に取って代わろうとした。それが神との関係の 破れとなり、園から追放される。

本来人間は、ふさわしい助け手と共に、神のために大地に仕えて働くもの。ひいてはそれが 神に仕えることとなるという人間理解が前提にある、パレスチナの農民の生活を基盤にした 物語。

安定した農耕文化・生活様式の中で、神より賜る恵みの中で生活し、労働することの喜びが 強調されている。

また、ある程度の安定した生活を得た時、イスラエルの歴史に起った出来事が、実はイスラ エルのみに限定されるものではなく、すべての被造物全体に神が働いておられ、すべての被

とっての天地創造である。イスラエルの民への救い、そして全世界への救いの出来事は、あ の天地を造られた神のなさったことであり、神の主権は世界に拡がる可能性をもつという認 識が拡大していった。

Ⅴ 最初の天地創造物語から多様さを抱えた人間の旅―被造物の使命

モーセ五書の編纂は、捕囚期以後、紀元前4世紀前半と言われている。P 資料よりも後代に 創世記は編纂されている。P 資料の後に J 資料を配置した最初の物語を通して、編纂者は神 の救いの歴史の広がりを原初史において示そうとした。

1 章において、混沌の中においても神は大水を分けられ、世界を神の意志によって意味づけ、

2 章において、荒れ果てた大地においても、必要な水と耕す(仕える)人を配置し、天地を 豊かに実らせてくださるという確信を提示している。

また、神と人間が自然と対峙しようと、神が人間と自然に対峙しようが、人間が被造物であ ることには変わりなく、人間は神によって救われるということと、神が被造物を創造したと いうことや創造者によって天地は支えられているということは切り離せないものと受け止め られている。

しかし一方的に「治める」のではなく、また命名権があるので何をしても良いわけでもなく、

ただ人間は神によって造られ、他の被造物の命も神によって支えられる中で、神の命令の下 に生きる存在であることを二つの時代の物語はそれぞれに語っている。

人間は、この二つの物語での使命(大地を治め、同時に仕える)を両立させることが求められる。

→責任を果たすリーダーシップを取り、尚且つ被造物のひとつの存在であるという謙遜  さを兼ね備えているもの。

また、人間は知恵を与えられ、神の使命を果たすべき存在として命を神よりいただいた。

① 混沌の中から世界を造られた神の意志を現在の世界に取り戻す使命

② すべての被造物と調和の中で生き、大地の中で互いに豊かに支え合い、神の新しい世界・

新しい国の創造へと向かっていく使命

Ⅶ 創造の業の継続

あの天地創造は、今も行われているという連続の歴史観をイスラエルの民は持つ。神が現在 においても、世界をそのご意志によって造り続けていらっしゃることへの確信と期待(イザ ヤ 41:17-20,42:9,43:19)は、今も全世界へ祝福と救いを神がもたらしてくださっていること でもある。

その後に登場するすべての被造物も、神の秩序によって命が与えられるという意味を持つ。

さらに、「新しい天と新しい地」(イザヤ 65:17,66:2)についての預言は、未来に向かっても

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神のみ業が継続されることを示す。さらに新しい世界観を広げていく(イザヤ 11:6-9)。

イスラエルの民は、神の天地創造の業、また被造物全体への配慮と苦悩と希望の業を繰り返 し思い起こす。

 <ヨブ記 38:1-17 の神の言葉>  

  「なぜ」を繰り返しながら人間が被造物のひとつに過ぎないことをしるヨブ。

  一方、神はヨブの苦悩に共感しながらも、被造物との距離と区別を宣言する。

キリストによって、わたしたちにはさらに新しい天地のビジョンが与えられている。

キリストの言葉と行いに示されている神の国が新しい天地として与えられ、キリストの弟子 としてそこへ向かってわたしたちは旅立つ。宣教する共同体として、しなければならないこ とは、神が造り続けておられる新しい天地の創造の業に参与し続けること。この世での神の 国の実現というビジョンに向かって歩み続けること。すべての教会の営みや課題は、この一 点に向かっている。

「み国が来ますように み心が行われるとおり地にも行われますように」

教会の営みの中心である、礼拝や牧会(教会内部だけではなく、地域社会に対して)のすべては、

新しい創造への道、この地における神の国の実現につながらなければならない。

具体的な課題や現状に嘆きながらも、神は、常に被造物への配慮を賜り、新しい創造を行わ れる。そしてキリストは、天地が造られる前から神と共にいまし、見えない神の姿として(コ ロサイ 1:15)この地上に住まわれ、常に周囲の人々、ことに周縁に追いやられている人々へ の配慮をもって行動された。他者のために生き、他者のために自らを献げ尽くすことで成就 される何かをわたしたちの前に示してくださった。それが新しい創造であり、新しい歴史の 始まりである。

混沌の中から世界に秩序を造られた神の秩序を取り戻し、荒野となっても必要なものが与え られることを確信し、絶望の中にあっても救いは起るという歴史認識を共有する。

キリストが示された新しい天地を喜び、すべての被造物と共にうめき、共に産みの苦しみを 味わいながらも、神のこどもたちの栄光に輝く自由を希望として歩む。(ローマ 8:21 以下)

「我」と「汝」の関係だけに留まらず、創造されたすべてのものが、わたしたちの兄弟姉妹と して共にあるという感覚を回復していくことは、この日本の中で宣教に従事するわたしたち には重要なこととなっていくであろう。それは、パレスチナという厳しい自然の中で培われた、

神とこの世界との関係とそうかけ離れている訳ではない。日本は決して穏やかな自然とは言 えない。

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