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一         け    

第 14図

 

新羅 の軒丸瓦 (1:5) 皇龍寺(1〜5)新羅王京(6。7)

187

山崎信二

第15図

 

新羅 の軒丸瓦 (1:5) 皇龍寺(1・2)新羅王京(3・ 4・6〜8)芥皇寺(5。 9)

七世紀後半 の瓦か らみ た朝鮮 三国 と日本 との関係

Ⅱ類 に分類 で きる6970■。I類軒丸瓦 は文様 が立体 的で、直線顎 の素文軒平瓦 と組 む。Ⅱ類軒丸 瓦 は蓮弁 。子葉が線表現 で、顎部 に押 し引 きの2条の弧線 を施 こす段顎の素文軒平瓦 と組 む。

樫 原廃寺 の軒 瓦 は新 羅 との直接 的 な関係 にお いて充分 理解 で きる もの で あ り、 そ れ は次 の理 由による。

1)軒

九瓦文様 の類似性

先述 の仁 旺 洞 遺 跡 第28図

‑4の

軒 丸瓦 (第18図4)イよ中央 に稜 線 を もち、 間弁が独 立す る 点 で樫 原廃 寺 の軒 丸瓦 に類 似 す る。樫 原廃 寺 は重弁 で あ るの に対 し、仁 旺洞例 は中央 に 稜 線 を有す る単 弁 で あ るが、瓦 当の基 盤 面 ・基底 面が平坦 で、 そ の上 に隆起 した蓮 弁 ・

間弁 。中房が個 々に配 され るな どの要素 は共通 している。

1)軒

丸瓦 の瓦 当裏面 の叩 き文

樫 原廃寺 軒 九瓦I類 (第18図2)。 Ⅱ類 (第18図

3)に

1よ瓦 当裏面 に格 子叩 きを有す る。仁 旺洞遺跡 の軒丸瓦 には瓦 当裏面 の叩 きはないが、皇龍寺 の軒丸瓦 にお いて は、 Ⅲ期前 半 (590〜620)に は瓦 当裏面 に平行叩 き文、 Ⅲ期後半 (620〜633)では少数例 に平行 叩 き文が あ り、 Ⅳ期 (634〜660)の芥 皇寺 で は格 子 叩 き文が あ る。瓦 当裏面 の叩 き文 は、新 羅 と全

く共通す る要素 であ る。

)瓦

当 と丸瓦 の接 合

樫 原廃 寺 の軒 丸 瓦 は瓦 当裏面最 上 部 に接 合 用 の段 を作 り、丸瓦 と接合 してい る。新羅瓦 は古新羅段 階では丸瓦先端 は瓦当伯 にまで達す るものが多いが、皇龍寺図

245‑③

軒丸 瓦 (第14図1:Ⅲ 期前半

)な

ど接合用の段 を作 るもの も、少数だが存在 している。

)軒

平瓦顎部の文様

樫原廃寺

I類

軒九瓦 と直線顎の素文軒平瓦の組み合 わせの年代 は、重弧文軒平瓦が出現 してはいるが、畿内において もなお普遍的な波及 を示 していない時期である650年 頃、

即ち7世紀中葉 としてよい と思 う。

一方、樫原廃寺 Ⅱ類軒九瓦 と顎部 に押 し引 きの2条の弧線 を施 こす段顎の軒平瓦 は、押 し引 き重PJA文軒平瓦が広 く普及 した時期の ものであ り、670年代か ら680年代 と考 えて よ い と思 う。 この時期の新羅では、統一新羅の寺院である四天王寺 (679年創建)、 感恩寺 (6 82年創建

)が

造営 された。樫原廃寺軒平瓦の顎部 に型引 きの刻線 と軒丸瓦 と同一の瓦範 の文様 を押す ものは、顎部文様 を施 こす統一新羅瓦の影響 と考えてよいであろう。

v)樫

原廃寺 の平瓦・軒平瓦 は模骨桶巻作 りであるが、新羅で も仁旺洞遺跡で模骨桶巻 作 りが用い られたことが明 らかになった。

以上か らみると、粘土素材 としての糸切 り、丸瓦の行基葺、平瓦模骨桶巻作 り、軒丸瓦 文様、瓦当と丸瓦の接合、瓦当裏面の叩 き、軒平瓦 における顎部文様 な ど新羅瓦 と密接 な 関係があることは明 らかである。

山崎信二

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耳 コ 了 劃 古 j

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