意 向 :「広島土砂災害支援」
と明記ください
◆ 佐 賀
バ ザ ー
カトリック福岡教区報
(1)
2014年11月1日発行 第680号宮原良治司教認可 発 行 所 福岡司教区本部 福 岡 市 中 央 区 浄 水 通 6-28
発 行 人
カ ト リ ッ ク 福 岡 司 教 区 編 集 人 下 町 豊 重 T E L 0 9 2 - 5 2 2 - 4 0 5 9 F A X 0 9 2 - 5 2 3 - 2 1 5 2 振 替 口 座 01760-6-20729 カ ト リ ッ ク 福 岡 司 教 区
定価 一部 60 円
11月の意向【 一般】孤独な人【宣教】神学生と修道者の指導者【日本の教会】アジアの教会 教皇様の意向のために祈りましょう
地域を知る人と一緒に家庭訪問を始めた。いつの間にか住所不明になっている若者が多いのに驚く。「あの人は3か月前に引っ越しました。どこに行ったのか分かりません」。居場所が分かっていても、「今は個人情報保護の時代ですので言えません」とは、司祭に言わずに結婚した娘の嫁ぎ先を教えてくれない母親。それから、「ああ、あの人は息子と別れて、どこかに行きました」とは、未洗者に嫁いで、うまくいかなくなった所の姑の言葉。悲しい返事をもらうたびに落ち込んでしまう。「どこかに行ってしまったあの人の信仰は守られていたのだろうか?」「神様のこと、教会のことは忘れられていたのだろうか・・・?」「そもそも周りの人たちは姿を消したその人のことやその家族のことを心に掛けていたのだろうか?」▼信徒は結婚式前に「約束書」に署名する。それは、「私はカトリックの信仰を守っていきます」という一文も入っているものだ。新しい家庭に入って、約束したことが果たされていなければ、神様から咎められることになるかも知れない。たとえ、別居状態になったとしても、神様のこと、教会のことを思い出して、心を寄せてくれれば良いが・・・。約束書のもう一つは「子どもに対しては、洗礼を授け、信仰教育を施すことを努力する」というものだ。しかし、たとえ、約束を守って洗礼を授けても、信仰教育をしていなければ子どもの心はどこに・・・。若者よ、結婚していなくても、結婚していても、先祖から伝わってきた尊い信仰を守ってほしい。(S) ミッションスクールで学生時代を送った方には経験があるかも知れない。私の勤務する学校でも昼休みの後、校内放送で聖書や神さまの話を聞く時間がある。カトリック学校とはいえ信者ではない生徒が大多数を占めるため、この時間は彼らが宗教の授業以外で日常的にキリスト教に触れる貴重な機会となる。それだけに話をする教員にとっても、けっこうプレッシャーがかかる。しかもこ ちらは誰もいない放送室からマイクだけを相手にしゃべるという、さらに緊張する環境までおまけで付いている。ところで何回か話をするうちに気がついたことがある。それは、準備している時についつい聖書から「教訓」や「注意」ばかりを読み取ろうとしてしまう、ということだ。確かに聖書はそう読むこともできる。しかし教訓なら生徒は普段からいやというほど聞かされているし、イエスさまは先生と一緒で私たちを叱る存在なんだ、と思われてしまいそうである。それよりも、神さまやイエスさまについて、人生の大切な時期に触れる機会を持った子どもたちには「福 音」を伝えたい。それはとりもなおさず「神さまはあなたのことを、あなたが神さまに気づく前からずっと愛していますよ」ということだ。そしてそれを伝えている教員自身が、まずそのメッセージを喜びのうちに受け止めている、ということも。カトリック学校の暦は、これからクリスマスに向けて動き出していく。しかしクリスマスだけでなく、いつでも福音のうちにある喜びのメッセージを伝える学校であるために、自分にできることを探し続けていきたい。 上智福岡中学高等学校教諭
深 堀 伸 一
ター開設
賀会が行われた。 記念するミサと祝 20周年を 当センターは1994年に外国人移住労働者の司牧を行う目的で開設。その後、薬物依存症者の回復支援や野宿者への炊き出し・生活支援など、社会で小さくされている人々に寄り添った活動をしている。
福岡教区長ドミニコ宮原良治司教による主式で、コース・マルセル神父(美野島司牧センター)、オリビ 10月 センターにて、セン 福岡教区美野島司牧 11日(土)に
~美野島司牧センター 20 周年記念式典~
エ・シェガレ神父(パリ外国宣教会管区長)ら9人の司祭が、聖堂に入りきれないほどの参加者と共に感謝のミサを行った。
宮原司教は説教で、「教会は、社会から疎外された人々、小さくされた人々を優先的に福音の対象としています。当センターがこのような活動を続けてこられたのは神様の愛と皆様のお祈りとご協力のおかげです。当センターは皆さんと共にあります。福岡教区はこの活動が続くよう見守っていきたい」と語った。
ミサ後に講堂で行われた祝賀会ではマルセル神父の「センター歴史紹介」の後、宮原 司教の挨拶があり、田中重治神父(大楠教会)の乾杯の音頭で会食が始まった。ボランティアが心をこめて作ったカレーやサンドイッチなどを外で楽しみ、講堂ではセンター内の各団体の紹介を織り交ぜながら、琴の演奏、アンデス音楽、フラメンコが催され、楽しいひと時となった。ジュード・ピリスプッレ神父(古賀教会)の感謝の言葉をもって閉会の挨拶とした。
集った。この日は台風 で開かれ、多くの宗教者が 諸宗教者の集い」が真命山 10月5日、「平和を祈る
い、真剣な祈りを捧げた。 中、宗教者たちは盛装で集 接近であいにくの天候の 18号 2年毎に開かれるこの集いは今年で
11回目、すでに
のローソクが灯された。 贈られた花が飾られ、祈り 原一家殉教の地)住職から る。会場には禅定寺(小笠 20年を超えて続けられてい
にこやかに一同を迎えたフランコ師は挨拶でこう述べた。「私たち宗教者・宗 教を持つ者は、政治が与えることの出来ないものを世界にもたらす使命を果たしています。
りましょう」。 ために働く気持ちをもって祈 力と心を合わせて世界平和の は世界の状況を心に留めて、 も平和な国です。でも私たち ています。日本は幸いにとて 祈る重要性はますます高まっ さらに激しさを増し、平和を ると期待しましたが、争いは 21世紀は平和の時代にな 続いて、コンベンツァル修道会の園田善昭師、真命山の
集いのメッセージを伝えた。 い』という世界宗教者平和の の名による戦争は絶対しな Sr.マリアが世界の動きと、『神
その後、各宗教代表者によ る祈りがそれぞれの様式で捧げられ心を一つにした。般若心経には仏教系の参加者全員が唱和し、読経の声が堂内を包んだ。降りしきる雨の音をも圧して、熱く深い祈りが続いた。 カトリックからは3人の司祭、修道女が祈りを捧げた。真福八端が読まれ、主の祈りが唱えられ、最後に平和の祈りを全員が唱和した。 各代表が平和のために働く誓約書に署名を終えた後、フランコ師は、救いは宗教の世界のものだと説き、「私たちは手をつないで、この社会、家庭の中に救いを運ぶ努力をしましょう」と呼びかけた。
1994年4月、
頼した。そして 堂を司牧センターとして活用することを決め、M・コース神父にその司牧を依 永久次郎司教は、閉園していた美野島カトリック幼稚園の園舎と美野島教会聖 なく文化や日常生活の違いに困惑、困窮していることを知った当時の教区長松 ペルーから多くの日系人が移住して来ていた。教会に来る彼らが、言葉だけで 90年からの国策によってカトリック信徒が多いブラジルや 20年、宗教を超えて小さくされた人々の拠り所となっている。
10月
ル会修道院(福岡市西区) 15日(水)、カルメ みなさん、一般信徒たち 各地からのカルメリットの れた。 レット神父の司式でささげら 良治司教とイエズス会のカト 500周年記念のミサが宮原 で、アビラの聖テレジア生誕
い想いを話した。キリストとなった。 の一致へと人々を招く神の熱と共に過ごした秋の一日と 完璧な融合、そしてご自分へく招きつづける母聖テレジア キリストにおける神と人とのり開き、今もなお人々を温か げられた。ミサの中で司教は、なく豊かな出会いの次元を切 しい力強さを感じるミサが捧た。この日、神と人との限り ほどが参加して大テレジアら題された講話が聖堂で行われ 30人「聖テレサの観想と活動」と その後、カトレット神父の を共にいただいた。 シスターの心尽くしの栗ご飯 ミサ後、参加者みんなで、 致を語っている。 作を通じ生き生きと神との一 れる大テレジアも、その全著
アビラの聖テレジア生誕500周年記念ミサ
の神秘の絶頂をきわめたとさ10月 20日(月)から
が行われた。 にて、教区司祭の黙想会 (金)まで、福岡黙想の家 24日 指導司祭は大木章次郎神父(イエズス会・伊万里トラピスト修道院付)。
いつものように黙想会は聖堂でのロザリオと教会の祈りで始まった。講話室に移って、指導司祭の話がなされた。冒頭、「司祭の黙想会の目的は、司祭職の点検整備、言うならば、車検に当たる。 信仰と召命の大きな恵みをいただき、司祭職に就いた者がなすべきことである。これまでを振り返り、よく点検し、改善すべき所があれば行い、整備することが大事である。神の恵みに応えるべく、喜びをもって主の道を踏み出していけるようにしよう」と述べた。 司祭達は大木神父の熱意ある話に耳を傾け、司祭職のすばらしさを味わった。※黙想会の話の内容は次号
(
12月号)にお載せしたい。
『司祭職の車検を』
―教区司祭の黙想会―平和を祈る諸宗教者の集い