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 御幸森商店街  中川西     御呈森小

東大販朝鮮 第四初等学校O O

  生野西朝鮮会館,    中川 生野区

    ・蟹玉

生野区役所     大池橋

生野区の猪飼野地域

 (出典=金賛汀『異邦人は君が代丸に乗って』岩波書店1985年)

資料④ 在日・在阪朝鮮人数と済州島出身者

      在日・在阪朝鮮人と済州島出身者

①翻  ②

、ち済州

㍼o身者

②/①

③駄

③/①

 ④うち済州

㍼o身者

④/③ ④/②

1934年 P974年

537,695 U38,806

50,053 P01,378

9.3%

P5.9%

171,160 P78,720

31.8%

Q8.O%

37,938 U3,972

22.2%

R5.8%

75.8%

U3.1%

         (出所)1934年(①、③):田村紀之「内務省警保局罰査による朝鮮人人口(1)」r経          済と経済学」46号、1981年2月、59、82ページ。

         1934年(②、④):「桝田一二地理学論文集」87−8ページ。

         1974年:姜在彦「在日朝鮮人の65年」r靭1三千到8号、1976年11月、32ページ。

       (出典:杉原達『越境する民』新幹社1999年)

資料⑤ 朝鮮半島地図

(出典:大阪市外国人教育研究協議会編『朝鮮民族の歴史と日本』ブレーンセンター1985年)

一153一

資料⑥ p,146の資料③と同じ

資料⑦ 第二君が代丸の写真

前方へそり出した衝角をもつ第二君が代丸(原口利氏所蔵)

咄典ご杉原達『越境する民』新幹社正999年)

資料⑧ 済州島から来た人々が当時を振り返った言葉

「日本について、何が一番記憶に残っているかといいますと、兄がごちそうしてくれた「う どん」でした。初めてうどんというのを食べましたが、そのおいしかったこと。世の中に こんなおいしい物があるのかとびっくりしたものです。」

「朝鮮から知人が訪ねてくると、近所のうどん屋に連れて行って「肉うどん」を食べさせ るんです。それは当時としては立派なもてなしになるんですよ。親子どんぶりをごちそう すれば、もう最高のもてなしでした。当時、親子どんぶりの代金が一杯、たしか十五銭だ ったと思いますが、値段も値段ですが、世の中にこんなおいしい物があるのかと思いまし

た。」

(出典1金賛汀『異邦人は君が代丸に乗って』岩波書店ig85年)

資料⑨ 当時の大阪区裁判所判事の言葉

「朝鮮人が群:衆的騒擾性、付和雷同性をもち、かの万歳騒擾(1919年三・一独立運動)、

元山罷業の騒擾(1%9年、植民地期最大のゼネスト)または光弼学生騒擾(1929〜30年、

光州から起きた抗日学生運動)等は、彼等の此の性癖に帰するものがあると謂はれて居る。

 その群衆騒擾性付和雷同性は彼等の闘争心の強きこと、一般に信仰なく常に焦慮不安の 念を抱いて居ること、教育なきため分別理性に欠くるところがあり何等かの衝動を受くる

と之を抑へることが出来ないで各々他人を中心として妄動するに基づくものあらうが内地 に於ける朝鮮人には生活の脅威に対する焦慮不安が自暴自棄の観念を起こさしむると自然 に醸生されつつある民族意識に支配さるることによって些細な事に端を発し凶暴なる騒擾 を惹起するの虞がある」

     (三木今二『内地に於ける朝鮮人とその犯罪について』司法省調査課1933年度        (出典:杉原達『越境する民』薪幹社1999年)

資料⑩ 1949年の吉田茂首相のマッカーサーへの提言

 1949年夏、時の吉田茂首相は、在日朝鮮人の帰国と促進と一部残留について、GHQ のマッカーサー元帥に提言をおこなっている。その提言は「朝鮮人の中では犯罪分子は、

大きな割合を占めている」との認識に基づいており、彼らは、「日本の経済法令の常習的 違反者」、そして、「共産主義者並びにそのシンパで、最も悪辣な種類の政治犯罪を犯す 傾向が強い」故に、追放する必要があることが強調されている。

      (出典:杉原達『越境する民』新幹社1999年)

資料⑪ 当時のジャーナリスト井上吉次郎の言葉

「日鮮同祖論などは学者が如何に明快に証明しても、異民族観念の一般的に成立して居る 事実は動かせない。融和は必要だ。けれども必要と感じて融和に努めることは意識的努力 であって、異民族観念の明白に成立して居る確証である。これが人口の消化を極めて不良 ならしめる。懐中に散見する白衣の朝鮮婦人、雨に傘なく天気に傘持つやうな姿は生活の 破綻を示す。生活破綻者の行く道はただ一筋だ。而して、これは恐ろしい道である」

「生活の破綻は民族的色彩を生地に出し且其民族群の数の増加は益々内地社会への同化を 困難にして、大犬阪市の懐の中に実弟面会を抱くことになって、社会的不安が永久に去ら

ぬ」

      (井上吉次郎『大大阪と移入鮮人の問題』大阪毎目新聞1930年)

(出典;杉原達『越境する民』新幹社1999年)

一155一

(授業モデル作成に際し参照した文献)

大阪市外国人教育研究協議会編『朝鮮民族の歴史と目本』ブレーンセンター19躯年 金達寿『朝鮮』岩波書店1993年

中村栄孝『13、4世紀の東亜情勢とモンゴル襲来』岩波書店1963年 池内宏『元窟の新研究』東洋文庫1931年

榊原寿美雄『日本の敗戦』海鳥社1986年

金賛汀『異邦人は君が代丸に乗って』岩波書店1985年 金賛汀『関釜連絡船』朝日新聞社1988年

大阪民主新報編『大阪の史跡を訪ねて』ナンバー出版1973年 小熊英二『単一民族神話の起源』新曜社1996年

杉原達『越境する民』新幹回1999年

終 章 多文化主義にまつわる論争

アメリカに見られる多文化主義論争

 本研究では、冒頭で示しているとおり、鍵概念として多文化主義を中心に据えて論じて きた。近年、この多文化主義に関しては、アメリカ国内で大きな論争となっている。本章 では、その論争を概観し、それらの論争の中で本研究は、どのように位置づけられるのか を確認しまとめとしたい。

 アメリカでは、1960年代以降、人種、エスニシティによる文化的差異や多様性の尊重 を求める多文化主義と旧来の白人男性中心の伝統的・愛国主義的価値観 に根ざした文化 と社会を維持しようとする保守派との論争があった。概観すれば、60年代に黒人の公民 権運動、ヴェトナム反戦運動、女性の性差別撤廃運動、などが昂揚し、70年代には、こ れらの運動の成果として「アファーマティブアクション」が具体的政策として成立する。

この「アファーマティブアクション」は、マイノリティの大学入学を保障したのであるが、

その結果教育内容にも議論が及ぶこととなる。その際、中心となったのは、歴史教育であ る。西洋の価値を重視した旧来の歴史に対し、マイノリティの歴史をどう位置づけるかの 論争ηが生じた。歴史の政治性が表出する。さらに議論は拡大し、公教育でどのように歴 史を教育するかが問題となった。この時期が80年代の保守政権撃の時期と重なり、議論 は加熱した。その後90年代にかけて、この論争は続き、『合衆国史のための全国基準掌4』

は議論の主戦場となる。1994年版基準の議会での否決と1996年版基準への改訂である。

この90年代の論争を林氏は次のようにまとめている。

「社会学者のミルトン・ゴードン(Mllton M. Gordon)の分類を援用すれば、「全国基準」

のガイドラインは、公教育という「公的空間」での社会的営みに「私的空間」でのみ容認 される各人種・民族集団の文化を持ち込むものとして理解されているのである。(中略)

すでに中立的領域であるべき「公的空間」で、個別のマイノリティに対して便宜を供与す るアファーマティブアクションや二言語教育の推進に対する保守派のいらだちが存在する

と言えよう。」

(岡部牧夫 林義勝ほか シリーズ「歴史学の現在」『歴史における「修正主義」』青木 書店2000年p.164)

一157一

 林氏も指摘するように、「全国基準」にまつわる論争は、60年代以降、底流にあり続け た保守派のいらだちが表面化したものである。その結果、保守派は、連邦議会での決議案 まで獲得している。この経緯を確認した上で、林氏は、この論争過程で確認しなければな

らない点として、次のようにまとめている。

「彼ら(政治家やジャーナリズムに関わる人々)が抱いている伝統的な歴史認識やそれに 基づく公的記憶と、歴史研究者が提示している最新の学問的成果の間には大きな齪酷が存 在することが明らかとなった。アメリカ史研究者ジョン・ボドナー(Jhon Bodonar)は、

国家が創り出そうとする歴史観と個人や集団、地方が創り出す歴史観の間には違いがあり、

その両者の交わる地点から公的記憶が誕生すると述べている。」

      (前掲書P。171)

 問題は歴史認識に収敷する。さらに教育に敷術して述べれば、国民国家と個ないし地方 の問題に収敏する。ここに至って、本研究が敢えて「地域」を取り上げ、国民国家を相対 化する視点を強調した理由も明らかとなる。いわば、アメリカで展開したこれらの議論を 乗り越える視点を提示したつもりである。本研究では、いわば「公的空間」とは、極めて 抽象的空間であり、閉塞的な「学校知」が拡大再生産される要因であると考える。一方、

「私的空間」とは、生徒の「日常」を占める空間であり、本来、ここにのみ生徒は生きて いる。長年、日本においては、この「私的空間」と「公的空間」が相当部分重なり合って いるはずだと認識されてきた。その前提で、学校教育は成立していた。しかし、1990年 代に始まる外国人の流入は、「公的空間」が要請する価値と「私的空間」で目常的に突き つけられる価値の齪賠を目に見える形で提供している。

 この齪酷を歴典教育は、どのように受け止め、どう展開すべきかを示すことが本研究の 目的であった。林氏が周知のこととする次の点を確認することから、本研究は始めている。

「近代国家にとっては歴史教育がナショナル・アイデンティティを形成し、国民的統合を 促進する機能を果たすことは言うまでもない。」

       (前掲書p.159)

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