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多文化時代の世界史教育 : 地域から見た世界史カリキュラムの開発

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(1)多文化時代の世界史教育 一地域から見た世界史カリキュラムの開発一. 教科・領域教育専攻. 社会系コース 山. 本. 清. 之. 1 問題の所在. 第3章. 「大阪から見た世界史」の教材開発. 本研究の問題意識・動機となった点は、教. 終 章 多文化主義にまつわる論争. 育現場の多文化化である。. 筆者自身も次のような名前の印刷されたク. 皿 研究の概要. ラスで「世界史」を教えたことがある。シデ. 序章では「なぜ、学ぶのか」を中心に据え、. ィキ・ナズール、グェン・バン・ミー、チョ. その目的を霊長類の進化過程に求めた。つま. ウ・フェン、キム・ヤンスン、彼らは、外国. り、霊長類の特徴としての群れ社会、そこか. 籍である。そして、この他に「大阪」の特性. ら生じる群れとしての規範維持と個の葛藤は、. として日本名を名乗る在日の朝鮮半島出身者. ヒトにとっての宿命的二律背反を招いている. が4名。このときの教師としてのとまどい、. との考え方に依拠し、その上で教育行為の目. すなわち教壇に立つものとして「世界史を通. 的を措定した。このヒトとしての原理的側面. じて彼らに何を教えることができるのか」「既. を高校生に考えさせる方策として、「世界史」. 存の世界史で果たしてよいのか」との疑問を. の冒頭で霊長類学(サル学)の知見を導入す. 持ったのである。. ることを提起した。また、教育の根元的理念. 同時にこの思考を進めることは、現在、一. から、生徒にとっての他者が大きく変容しつ. 般的に歴史教育に提起されている問題群(①. つあると考え、その変容に応じた「世界史」. 自由主義史観を代表とする歴史認識にまつわ. 教育を構想することが重要とした。. る問題、②生徒の実存と学校教育の乖離など). 第1章ではまず、多文化社会の意味を検討. に対する一つの突破口を示すことになるので. した。これは、現在日本で進行しつつある多. はと考えた。. 文化状況をどのように解釈すべきかとの視点 から考察した。. H 論文構成. 次に多文化社会と歴史認識について検討し た。多文化時代には、ダントが示している歴. 序 章. 史的相対主義の視点が必要であり、本研究で. 第1章 多文化社会と世界史教育の現状. はそれを歴史的多元主義と解し、歴史教育の. 第2章 「地域から見た世界史」の意義と方. 本来的姿勢とは、その多元性を理解すること. 法. であることを導き出した。.

(2) さらに現状の「世界史」教育における陥穽. る割合からすると「大阪」が全国でもっとも. を確認した。ここでは、①普遍性を追究する. 高いこと、などを確認した。このことは、大. のあまり、差異が表出されていない②差異化. 阪市立校園の小中高に在籍する児童生徒の多. すなわち多文化化が生じている地域社会の問. 様化からもうかがうことができた。この生徒. 題性が表出できていない、の2点を確認した。. の日常を「世界史」的に理解することを教材. また、先行研究から次のような問題点を確. 化の視点とした。年間カリキュラムの中心に. 認した。①多文化化が生じている地域社会を. 多文化都市「大阪」を理解することを置き、. 一般的な差異化で論じることに限界があるの. 朝鮮半島、台湾、中国、ベトナム、フィリピ. ではないかとの問題点を確認した。以上の点. ン、インド、イラン、ブラジル、アメリカの. を超克する視点として「それぞれの地域から. 地域に絞って、「世界史」的視点からそれぞ. 見た世界史」を措定した。. れの地域が理解できるよう工夫した「世界史」. 第2章では、まず方法としての地域を検討. カリキュラムを構想した。また、それぞれの. した。歴史教育上の地域及び歴史学において. 地域を理解する際、異文化体験を含めた「調. 地域がどう捉えられているかを確認した。な. べ学習」を展開し、具象的「知」としての「大. かでも濱下武志氏は、歴史学における地域概. 阪」に見られる異文化と抽象的「知」として. 念を「国家との上位下位の関係においてでは. の「世界史」の循環が生じるよう工夫した。. なく、むしろ丁地域」に重なり合いながら「国. それぞれの単元のねらいとして共通するもの. 家」が位置し、グローバルな問題も議論され、. は、歴史は多元的なものであることを日常を. さらに「地方」もそこに含められるような「地. 通じて理解することである。生徒の日常に依. 域」である」と規定している。本研究におい. 拠することで、いわゆる「学校知」としての. ては、この濱下氏の地域概念を基本に地域を. 歴史ではなく、生徒の実存と直接関わる歴史. 可変的な「場」と捉えることとした。次に歴. 的思考力を身に付けることを目指した。. 史教育者協議会の方法としての地域を確認し、. 終章では、本研究の基底をなす、「多文化. 本研究が位置づける地域と歴教協の地域との. 主義」的思考方法にまつわる論争を概観した。. 差異を明らかにした。次に「地域から見た世. 主にA・Cシュレジンガーの『アメリカの分. 界史」について、次の3点からその意義を説. 裂』を中心に「多文化主義」に対する批判的. いた。1,国民国家を相対化する意義、2,. 言説を検討した。. 近現代史を相対化する意義、3,「世界史」 と地域を循環させる意義である。. 第3章では、「大阪から見た世界史」を構 想した。まず、「大阪」の多文化状況と教育 現場の現状を確認した。そこから、「大阪」. VI今後の研究課題 本研究で提示した授業モデルを実際に行い、. 「大阪」の日常を生きる生徒にさらに有益な 視点を付加することが求められる。. の特徴として眠目の朝鮮半島出身者が多いこ と、一方で急速に多様化が進んでいること、. 主任指導教官. 原田智仁. そして、府県別人口に外国人登録者数が占め. 指導教官. 原田智仁.

(3) 一地域から見た世界史カリキュラムの開発一.

(4) 目. 次. 序章. ひ.1. はじめに. 目的を示さない教育 教育のはじまり. 教育の基本的枠組み 教育の目的とサル学の導入 歴史教育と多文化状況について. 第1章 多文化社会と世界史教育の現状. 第1節 多文化社会の意味. P.21 P.21. 「日本」は本当に不寛容な社会なのか 「日本」における多文化社会とは、何を意味するのか 多文化状況の中で教育に求められているものは何か. 第2節 多文化社会と歴史認識. P.29. 現代の高校生と歴史認識 多文化主義と歴史的多元主義 多文化主義の課題 多文化時代に求められる歴史認識とは. 第3節 現行の世界史教育における陥穽. P43. 「差異性」に関わる陥穽. 近現代史における陥穽 「地域性」に関わる陥穽. 多文化教育と世界史教育研究に関わる陥穽 第2章. 「地域」から見た世界史の方法と意義. 第1節 方法としての「地域」. P.58. P58. 生徒の日常を構成する「地域」を取り上げる 歴史教育と「地域」. 歴史学における「地域」の持つ意味 近年の歴史学と「地域」. 第2節 歴史教育者協議会の方法としての「地域」. P65. 歴史教育者協議会の「地域」と本研究の「地域」との違い 児童生徒が行動上「変わる」ことについて 歴教協の求める高校生の世界認識について 第3節. 「地域」から「世界史」を見ることの意義. 国民国家を相対化する意義 国民国家が問われているもの. P,75.

(5) 「近現代史」を相対化する意義 「世界史」と「地域」を循環させる意義. 第3章. 「大阪」から見た「世界史」の授業開発. 第1節. 「大阪」の「多文化状況」と教育現場. P.84. P84. 「日本」全体の多文化状況について 「大阪」の多文化状況について. 大阪市立校園に見る多文化状況 第2節. 「大阪」に見る多文化状況. P96. 多文化状況を授業化する視点 授業に活用する多文化状況場面 第3節. 「大阪」から見た「世界史」授業. p.100. 多文化都市・「大阪」から見た「世界史」カリキュラム 「大阪から見た世界史」の授業計画試案. 終章 多文化主義にまつわる論争. P.157. アメリカに見られる多文化主義論争 『アメリカの分裂』について. 2001年的世界状況と『アメリカの分裂』最終章 終わりに. P.171.

(6) 序 章. はじめに. 本論に入る前に本研究に至った経緯とその動機を明らかにし、問題とその仮説を明示し ておきたい。. 研究の動機と視点. まず、その根本的動機は、筆者自身が教壇に立っていた「大阪」の公立高校での経験に ある。「大阪」は、周知のように在日の朝鮮半島出身者が多く居住する地域であり、近年 では東京と同様にアジアを中心とした外国籍の人々が、合法、非合法を問わず、多数居住 する地域でもある業1。. バブル経済崩壊以降、やや鈍化を示しているものの定住する外国人の数は、増え続けて. いる。その多くは、経済格差をその要因とする出稼ぎ的労働に従事しており、2年∼3年 を日本で働き、祖国に帰るという形態をとっている。しかし、当然ながら、日本滞在中に 家族を呼び寄せ、本格的定住を目指す人々も増加し始めている。. このことによって、現在、多くの公立小学校には、外国籍の児童が在籍し始めており、 目本語指導から始まる彼らの受け入れが、重要な課題となりつつある。同様の事例は、中 高でも生じ始めており、やはり、その受け入れ体制が問われつつあるη。. この状況を教育の現場としてどう捉えるのかが、疑問の始まりであった。実際、現場で は予想以上の動揺が見られる。高等学校の場合、いわゆる外国籍の生徒と同時に帰国子女 や申国の残留孤児の子弟など、日本以外で一定の生育期問を過ごした生徒が入学してくる ケースが増加している。この際、例えば彼らに「校則」をどのように理解させるのか、各 現場は迷い、内心で動揺しているのである。. 2001年度、大阪府教育委員会は、高等学校の受験に際して、これらの条件で受験する 子どもたちに対し、受験要項を特別に配じ3彼らに不利益が生じないようなシステムをと り始めており、異文化を背負った生徒でも高校進学がより容易になる方策を模索している。. 教育委員会レベルでは、多文化化している現実を受容せざるを得ないところまで事態は 進行している。しかし、現段階の印象を述べるならば、現実の生徒の多様化・多国籍化に まだ教育システムが追いついていない。それは、教育システムとしての対応の遅れもある. 一1一.

(7) が、それ以上に手をっけられていないのが教科内容についての検討である。. この点は、各都道府県の教育委員会が立ち後れているだけではなく、文部科学省自身に も立ち後れが見られる。. 「国際理解教育」を標榜し、その教材開発は一定程度なされているものの、各教科の内 容は、依然として日本国民のみを対象としたものにとどまっている*4。. 確かに、日本国における公教育である故、目本国民を対象に措定するのは当然のことで あろうが、現実の教室には、現在そしておそらく将来も目本国民とならない生徒が相当数 授業を受けており、その比率が増加しているのである。. この状況下で、今までのような「世界史」の在り方でいいのかとの問いかけが、本研究 の第一の視点である。. またこの視点は、「世界史」教育論にも関わる内容を含んでいる。つまり、「世界史」 を教育することは、前述したような現在の社会状況にあってどのような意味を持ち、生徒. にとって二二史」を学ぶことは何を意味するのかを考えること、これが、本研究の第二 の視点である。この視点は、現在、学校が陥っている状況、すなわち学校で学ぶ内容が生 徒の存在とどのように結びつくのかを問うものでもある。. 今、教室で起きていること. 現在、多文化化の波は、予想以上の速度で教室の様子を変えつつある。. 経験を基に具体的に述べると、ある年の2年生の1クラスに、シディキ・ナズール、グ ェン・バン・ミー、キム・ヤンスン、チョウ・フェンと発音する名前の生徒が在籍してい た。この名前の音を聞いて、その国籍が想像できる日本人は何人いるだろうか。シディキ はアフガニスタン出身であり、グェンはベトナムである。キムは本名、発音とも母国語を. 明らかにしている在目の朝鮮半島出身者3世である。チョウは中国籍である。さらに、こ のクラスには、日本名を名乗る在日の朝鮮半島出身者があと数・名いた。この集団に対して. 私は、「世界史」を講義したのである。このときの教師としてのとまどいと疑問が本研究 の一つのきっかけとなっている。. つまり、彼ら外国籍生徒に対して、今まで通りの「世界史」で果たして良いのかとの疑 問であり、さらにこの教室状況を日本人生徒は、どう認識しているのかとのとまどいであ った。これらの疑問に対する答えを授業の中身で語ることこそが本来必要なのではないか. 一2・.

(8) と考えたのである。. なぜなら、1年間教授する内容は、紛れもなく歴史であり、この教室状況を生みだして いる原因こそ歴史に求められるに違いないからである。. これまで当然と見なされていた日本人に必要な「世界史」だけでは説明できない。 教育の目的の一つが、将来、社会を構成する人間に必要な認識を付与することであるな ら、この教室を構成している生徒自身に教室自体を認識する視点が身に付かなければなら ない。. そのためには、どのように「世界史」を変えることが必要なのか。この点を考えてみた いのである。. 現在、公教育は、大きな岐路に立っているといわれる。「教育改革」という言葉が簡単 に飛び交う時代である。不登校、学級崩壊、キレル生徒などの問題が新聞等で取り上げら れ、教育に携わる人間すべてに大きな問いかけがなされている。. これに対して文部科学省は、「生きる力」「総合的な学習の時間」といった新しい方針 を提示し、大きく舵を切ろうとしている。現場教師としても、こういつた危機感は十分に 感じる。より、正直に述懐すれば、筆者自身、「一体何を教えればいいのか」「一体何の. ために教えるのか」との問いに答えられるだけのものはない。しかし一方で、1991年社 会主義「ソ連」が崩壊して以降、世界的に思想的閉塞状況が生じている現在において、現 実社会に巣立ってゆく高校生に対峙するとき、教壇に立つものとして何かしら大切なこと を語らねばならないとの衝動も持ち合わせている。だからこそ、どのような語り口でどの ような「世界史」を語ることが、今の時代に必要なのか、真摯に検討してみたい。. 歴史教育について. 今、歴史教育はさまざまな意味で注目を浴びている。いわゆる「自由主義史観」を中心 とする歴史認識にまつわる言説が新聞紙上をにぎわす時代でもある*5。2000年度の末には、. 「新しい歴史教科書をつくる会」編の歴史教科書が文部科学省の検定を通過しており、そ の活動は、意外と拡大する様相を呈した。. 彼らが求める歴史観は、これまで公教育が示してきたものとは違う。多くの歴史家や歴 史教師が彼らの投げかけた歴史観に反発を感じ、批判書も多く出されている。 その一方でこういつた歴史観を待ち望んでいた人々がいるのも事実である。この状況を. 一3一.

(9) どのように見ればいいのか。確かに、「自由主義史観」と称される歴史観は、危ういもの であり、彼らの主張する歴史観をそのまま受容することはできない。また、それを中学生 にそのまま教授することが歴史教育として正しい行為であるとも思えない。しかし、一方 で「それだけで済まして良いのか」との疑問が残る。. こういつた歴史観が主張されてしまう要因を生み出してきたのは、実は我々戦後の歴史 教師であるように感じられてならないからである。. 現場教師の多くは、こういつた歴史観の存在に早くから気付いていたし、それらから生 じる問題点にも気付いていた。しかし、残念ながら我々は、それらと向き合うことを避け てきたのである。. 一例として、縄文土器の形成年代などの「臼本史」と「世界史」の問にある微妙な誤差 が挙げられる。. それを今から1万2000年前とする説は、多くの教科書や資料集で採用されている年代 である、多くの教師はその年代で縄文時代を説明している。しかし、同じ教室で「世界 史」が語られるとき、西アジアで始まった土器製作を今から約9000年前と語り、人類最 初の農耕の始まりを説明するのである。. この誤差については、社会科の教師であれば、誰もが気付いており、不合理なものを感 じていたはずである。. しかし、それについて、何らかの説明を加えようという姿勢は、「目本史」、「世界史」. どちらの教科書にも見られない。またおそらく、教師の側にもこれらの問題を殊更取り上 げて授業を展開する事例はほとんどない。実は、この誤差については、「日本」の考古学 会において、戦前から問題となってきており、皇国史観とも関係しながら論争が生じた経 緯があるη。つまり、縄文土器をめぐる形成年代については、歴史観が影響を与えながら. 論じられてきたのである。こういつた背景を知りながら、戦後の「社会科教育」は、単純 なこの誤差について説明してこなかった。ここに「自由主義史観」を招来してしまう間隙 があったように思える。. また、今回の「自由主義史観」をきっかけに浮上してきた、いわゆる司馬史観囎に関し ても、多くの現場教師はその存在に気付いていたし、問題性にも気付いていた。 高校生ともなれば、歴史小説好きの生徒が教室に一人や二人はいる。今の時代は、パソ コンのゲームソフトをきっかけに歴史小説を読み始めるという高校生が多い。. そして、彼らの多くは、自分が読んだ明治時代と教室で教師が説明する明治時代との問. 一4一.

(10) に大きな落差を感じている。中には、そのことについて教師に質問する生徒もいる。 しかし、我々教師は、そういった質問に正面から答えてこなかった。せいぜい、それは、 「小説だから」との逃げ口.ヒで質問を切り上げてきたのではないか。さらに教師の側の本. 音として、「おそらく、生徒にとって歴史小説で展開される歴史の方が教室で展開される 歴史より、はるかにリアリティがあるだろう」ことにも気付いていた。. しかし、ここでも我々は、この問題について深く検討することもなく、強引に生徒を教 室の中だけで通用する歴史の世界に縛り付けてきたのである。このことがやはり「自由主 義史観」を呼び寄せた一つの要因とも考えられる。. 今、歴史教育は、真価を問われている。戦後社会科の創設以来、基盤としてきた「民主 主義」「市民」「合理性」「科学性」といった言葉の意味が問われているのである。. これらの言葉によって意義づけられてきた社会科、なかでも歴史教育は直接に返答を迫 られている。そのためには、前述した「自由主義史観」を引き寄せたと思われる間隙を如 何に埋めてゆくのか、そのための方法論を明確に示す必要がある。. 目的を示さない教育. 「教育改革」が、政府の重要施策となるほどに教育に対する関心が高まっている。今回 の学習指導要領の改訂においても「総合的な学習の時間」の導入や学校週5日制に伴う「教 科内容の削減」など大きな変化が認められる。「世界史」においても学習指導要領の改訂. が行われた。なかでも、「世界史B」の新しい内容として「(1)世界史への扉」が付加 された。これは、文部省(当時)が発行した解説書にもあるように、生徒が自ら学び自ら 考えるカの育成を重視し、「主題学習」の充実を図ったものである。その具体的内容は、 生徒の「日常」から「世界史」を考える項目や「日本の歴史」と「世界の歴史」とのつな がりを考える項目からなっている。. これらは、いわば生徒の関心・意欲を引き出すことを目的に設定されたものであるが、 現在の教育が置かれている問題状況は、これらの改革で解決するようなものではない。そ もそも生徒たちは、「なぜ、「世界史」を学ぶのか」との疑問を持っている。確かに新学 習指導要領には、明確に「世界史」を教育する目標が述べられている。. 「世界の歴史の大きな枠組みと流れを、我が国の歴史と関連づけながら理解させ、文化の. 一5一.

(11) 多様性と現代世界の特質を広い視野から考察させることによって、歴史的思考力を培い、 国際社会に主体的に生きる日本人としての自覚と資質を養う。」. (新学習指導要領:「世界史B」の目標). しかし、これは、学習指導要領の文言であり、教師に向けて述べられたものである。現 在の「教育改革」論議の問題点は、文部科学省を筆頭に、教育に関わる大人たちが、子ど もたちに向かって、「なぜ、学ぶのか」を示していない点であろう。教師や保護者に対す る教育言説は多くあるものの、本来当事者であるはずの子供に向けた明確なメッセージが 全く抜け落ちたまま論議がなされている。. 「なぜ、学ぶのか」この問いかけは、目本経済が成長途上にある時代は、それが教育的 であるかどうかは別にして、単純に「学ぶことは、経済的豊かさにつながる」と考えられ てきた。ところが、現在の日本社会にあって学ぶ目的は、非常に見えにくいものとなって いる。もう、そこに経済的豊かさがあるとは、生徒たちは信じていない。彼らは、完全に 見抜いている。学歴や大学進学が、彼らの期待する経済的豊かさを何も保証しないことを 知っている。実は、高校段階の授業を成立させてきた最大の要因は、けっして、社会科教 育学が開発してきた授業論や教育学が論じてきた学習論ではなく、目的としての大学進学 であった。その目的の背景には、漠然とした期待として生涯にわたる経済的安定があり、 その期待が授業を成立させてきた。実際、受験シーズンが終わったあとの授業が成立しな い状況は、多くの学校で見られた。ところが、現在のように少子化が進み、大学進学が容 易になり、さらには、大学進学だけでは経済的豊かさが保証されない時代となると、彼ら の中に疑問として「なぜ、学ぶのか」が生じているのである。. 実は、この問いかけは教育が本来の機能を果たしているところでは、生じることのない 疑問である。元来、学ぶことは喜びであり、それは知ることの喜びである。絵を描くこと に喜びを感じている人に対して、なぜ絵を描くのですか、と問うてみたところで意味はな い。その疑問に対して「自己表現である」と、後付の理由が述べられることがあるとして も、実際には、「絵を描くことに喜びを感じる」からである。それがたとえ創作上の苦悩 を備えていようとも、彼にとって、それは喜びなのである。本来、学ぶ行為も同じもので ある。しかし、残念ながら、現代の日本の教育はその状況にない。. この状況を変えようとするのが、今回の学習指導要領の改訂であり、現在、各所で行わ れている「教育改革」論議であるはずである。しかし、そこには、「なぜ、子どもは学ば. 一6一.

(12) なければならないのか」と問う視点がない。これは、教育とは「そもそもいかなる行為を 意味しているのか」の認識が欠落していることを意味する。教育を基礎付ける思想とは、 どのようなものであったのかを確認する必要がある。その上で、我々は、子どもたちに対 して、明確なメッセージを発信する必要があるのではないか。. その確認が曖昧である故、実用的な「知」の在り方にのみ嫉小化した議論が成立するの である。その結果が、「理数系の教育内容削減」に色濃く現れているように感じられてな らない。改めて、「なぜ、学ぶのか」そして「教育とは、何を意味するのか」を確認しな ければならない。. 教育のはじまり. 我々人類は、類人猿から離脱して以降、進化上の武器りとして、「集団」を形成・維持 してきた。そして、「集団を形成・維持」する過程で大脳皮質を極端に肥大化させ、「集 団」を複雑にし、あらゆる環境の変化に対応することで進化の海を泳いできたのである。. この「集団」、すなわち「群れ」を形成することが、人類にとっての宿命的二律背反の 状況を伴ってきた。. つまり、本来、生命体として奔放に躍動すべきところを、「集団」の「規律」なり「規 範」で抑制し「群れ」を維持していかなければ、「種」が保存できないとの背反状況を招 いたのである。この「群れ」を形成する生命体とは、人類以外にも多くある。基本的には、 それらすべての「種」において、同様の状況が生まれている。しかし人類以外の生命体は、. その「群れ」形成や維持において、本能行動がその大半を占めている。しかし、これらの 「種」に比して、極端に大脳皮質が肥大化した我々人類は、「群れ」形成や維持において、. 意識下の行動でそれを行ってきた。このため、「集団」に生じる「規律」や「規範」は、 大脳皮質で生み出され、大脳皮質で認識、意識される事象であった。. これが、人類のみが経験する宿命的な「辛さ」をもたらすこととなる。 これらの「規範」や「規律」、また生命体にとって必要な情報を伝えようと試みるとき、. 教育行為が発生する。ボノボ10の子が、「群れ」の中の遊びから「群れ」としてのルール や餌の取り方を学ぶように人間もまた学んできたに違いない。おそらく、当初成立した「集 団」に関わる「規範」とは、単純に「相互に協働して仲良く暮らす」であったに違いない。. その萌芽は、サルたちが見せる分配行動1’にも見て取れる。基本集団である家族を構成す. 一7一.

(13) る基礎槻範」を考えてみても、「集団」構成の「規範」は、上記のようなものであった ことが想像される。. これらの「規範」を中心にいわば教育理念らしきものが成立し、それぞれの「地域」で 遵守され、伝えられてきたものと考えられる。. しかし、多くの「集団」は、分裂と統合・拡大を繰り返す中で支配層と被支配層に分化 し、これと共に教育理念においても、支配層に都合の良いものが取捨選択され、単に「仲 良く協働して暮らす」といういわば「良き生活者」としての伝統的「規範」に、支配、被 支配の関係を正当化するイデオロギーが加えられたのである。そして、後者の「規範」が、. 伝統的「規範」よりも重視されることとなり、いわば差別的社会を肯定する「規範」が第 一義的に優先されることとなったのである。. この状況を打破すべく登場したのが近代教育である。近代教育はすべての子どもを平等 に扱い、相互に対等な関係を構築することで差別的社会を打破するという理想を掲げて登 場した。理想が実現する折には、彼らの構成する民主主義社会が到来するはずであったが、. 現実の近代社会は、市場原理に基づく資本主義社会が成立し、際限のない分業化社会が到 来することとなった。. ここで、近代教育は、理想を掲げながらも現実の社会の要請を押しとどめることはでき なかった。フィールドは、差別的社会から資本主義社会へと変化したものの、教育の果た す役割は、やはり、当該社会の要請する歯車としての人間を訓育することを優先すること となり、本来の生命体としての価値を後景に押しやったまま、理想を語り続けたのである。. 理想(観念)が人間をつくるのではなく、現実(日常生活)が人間をつくるのである。 差別的社会では、差別的人問がつくられるという悪しき循環を断ち切るには、理想のため の「理想教育」ではなく、理想(差別的社会の克服)を現実化するための「現実(生活者) 教育」が必要である。. そのためには、改めて教育の目的を確認しなければならない。それは、個々の子どもに 生きる希望と喜びを与えられるものであり、彼らの現実から思考されたものでなければな らない。集約すれば、いかなる教育も「生命体として自然と共生して生きる人聞の育成」 であり、「集団生活者として他者と仲良く、協働しながら生きていく自律的人格の育成」 との根本理念を確認する必要がある。. 一8一.

(14) 教育の基本的枠組み. 教育とは、教授者と被教授者が存在しなければ成立しない行為である。 一方で、学習行為は、その動機に外因宰12と内因*13があるが、いずれにしても、生命体とし. ての本質的エネルギーに突き上げられて、より長く、より安全に、そしてより安定して生 きていくために行うものである。つまり、本来的に学習とは、生命体としてのエネルギー がその要因となっているのである。その意味では、外力は刺激を与えるだけである。 学習行為の要因が上記のものであるとすると、教育行為との関係はどのようになるのか。. 教育行為は、社会(集団)の道具であるという考え方が広まりつつあるが、本来の学習 行為からすると、そこに生命体としてのエネルギーの発露が保障されなければ、その行為 は成立しないはずである。教育行為における、被教授者の生命体としての存在意義が再認 識されなければならない。特に近代の市場原理に基づく社会にあって、人問は「市場社会」. を構成する存在と見なされており、生命体としての存在意義が後景に追いやられている。. 教育行為における被教授者に生命体としての存在意義を如何に取り戻すかが問われてい る。教育は、けっして社会(集団)の道具ではなく、生命体としてのエネルギーに突き上 げられた学習行為を導き出す行為である。. その目的は、各個体が「生きようとする意志」に基づき、「自然と共生して生きようと する人格の育成」なのであり、「集団」を構成する「種」の宿命として「他者と仲良く協 働しながら生きていく自律的人格の育成」なのだと確認しなければならない。. 教育の目的とサル学の導入. では、この教育の目的をどのように教科内容に取り込めばよいのであろうか。ここまで 述べてきた教育の本質的枠組みを高校生にも説明しなければならない時代ではないか。そ れは、冒頭で述べた「なぜ、学ぶのか」に対する一つの回答としてである。. 現在、公教育は、多様な問題を抱えながら苦悶している。生徒自身も学校に対して、意 味を見いだせないでいる。素朴な疑問として「なぜ、学校へ来なければならないのか」と 問う生徒に対して説明する必要がある。. とくに近年では、高校での退学者の増加が問題になっていることを考え合わせると、こ の部分の説明を公教育は、真摯に考えなければならない。単純に「学生は、勉強すること. 一9一.

(15) が仕事である」や「大学進学には、必要だから」などの稚拙な理由に逃げ込むことで解決 できる状況ではない。生徒は、より根元的な部分で「学ぶこと」への疑問を感じている。 高校の現場教師として、その疑聞の原因を述べれば、生徒の本音として、「学ばなくと も生きていける」という確信が見え隠れしている。また、一方で教師の側にも「確かに今 の時代、多くを望まないのなら、学ばなくても生きていけるのではないか」との本音があ る。この微妙な本音の部分の一致が、退学者を大量に生んでいる最大の原因である。. この一致は、容易に解消できるものではない。圧倒的な物質的豊かさを、市揚原理に基 づく資本主義社会で実現した現代にあって、本質的理由である「生きるために学ぶ」こと は、見えにくいものとなっている。しかし、だからこそ、前項で述べたような本来の教育 の目的を分かりやすく説明しなければならない時代である。. 新学習指導要領では「生きる力」によって教育を再構築する視点が示されているが、そ の捉え方としていわゆる実用的な「知」の在り方に傾倒している側面が多く見られる。確 かに低学齢の児童には、具象的な「知」の在り方を示すことは有用であろうが、高校生段 階には、原理としての教育の意味を再確認する必要が生じている。 高等学校では、「なぜ学ぶのか」を真摯に検討する必要がある。 確かに建前的な答えは、すでに用意されている。いわく、「市民的資質を養うため」「社. 会を構成する一入として必要な知識を得るため」「国家を構成する国民の一人として必要 な資質を養うため」など、予想される答えは数多くある。しかし、これら、大人の用意す る建前的な答えが生徒にとって納得されていないのが、現在の状況である。生徒の本音と して、「なぜ市民にならねばならないのか」「なぜ社会を構成する一人にならねばならな いのか」「なぜ国民であらねばならないのか」などの疑問が本音の部分で示されている。 これらの疑問を論理的にナンセンスであると切り捨ててしまっては、既存の枠組みから 脱することはできない。. 前項までに確認した「生命体としての人間」を示し、人間そのものを対象化する授業内 容で、本来の教育の持つ意味や目的を説明する必要がある。いわば、ホモサピエンスとし て人間を捉え、その「種」としての本質や進化上の特徴を示すことで、「集団と個」の問 題や教えることと学ぶことの関係を前項までに述べた原理的側面に則して語ることができ るのではないか。その具体的指針となるものとして、「霊長類学」、いわゆる「サル学」 の知見が想定される。. 人間をマクロ的に捉える視点を彼らに示すことで「なぜ、学ぶのか」に対する一つの答. 一10一.

(16) えとしたい。そもそも人間にとって学ぶことは、どのような意味を持っており、その特徴 は、何に由来するのか。その存在は、地球上の生命進化の過程でどのような位置におかれ るのか、そういったことを説明する中で「なぜ、学ぶのか」に対する答えを生徒自らが感 じ取れるように授業を展開する必要がある。. 科目としての「世界史」で考えてみると、ほとんどの教科書で、その冒頭の項目として 「人類の進化」や「人類の誕生」が設置されている。その直前に霊長類全体の進化過程を 挿入することで人間の「種」としての原理的側面を説明し、「なぜ、学ぶのか」に対して、 授業の中で一定の答えを示すことができる。. 霊長類の最大の特徴は、前述したように「群れ社会」を形成することである。そこに進 化の秘密があることは、「サル学」の知見からも明らかである。どの「種」よりも複雑な 「群れ」を形成し、その中で豊かなネットワークを構築することで霊長類は進化してきた。. さらに両手が歩行行動から自由になった類人猿は、飛躍的に情報量が増大し、他の「種」 に比して圧倒的に長い成育期問が必要とされてきたのである。 こういつた「サル学」の知見に基づいて、人類の進化を見直すとき、人闘が対象化され、. 「生命体としての人間」と「集団を構成する人間」の背反状況を具体的に語ることができ る。その中で「生きるために学ぶ」ことが、本来の「学び」であることに生徒自らが気づ くことを期待したい。. 人類がどのように「種」としての繁栄を実現したのかを考え始めるとき、彼ら生徒は、 人類の「群れ」としての社会を考えることになる。その社会を構成する「市民」とは、ど のような存在なのか、そういったことに疑問が生じ始める。このとき歴史学をその基礎に おく「世界史」の科目としての存在理由が明らかになる。. 彼ら生徒自身もホモサピエンスとしての特徴を充分に備えた人間であり、大きくは霊長 類を形成する生命体の一種であるために「群れ」なければ生存できない。「世界史」を学 ぶことは、過去に遡って我々「ヒト」が形成してきた「群れ」の変遷を確認することであ り、それらを学ぶことは、現在の「群れ」(彼ら高校生が将来参画するであろう現在の社 会)に対する認識を形成することになる。この認識を生み出す契機として「霊長類学(サ ル学)」は、多くの示唆を秘めた学問体系である。. この学問体系は人間を再認識する視点も提供する。例えば、人類の登場に関して「教科 書」では、400万年前と記し人類史を始めているが、「サル学」の知見を導入することで 違った光を照射することもできる。すなわち、現在の分子遺伝学家14からの推定によれば、. 一董1一.

(17) 類人猿の中で最も早く分岐したのがオランウータンで約1600万年前、次にゴリラが分か れたのが約900万年前、最後にチンパンジーが分かれたのが約500万年前としている串至5。. それ以後のどこかで人類が分岐し、登場したことになる。さらにチンパンジーの遺伝. 子とヒトの遺伝子をDNAレベルで比較したなら、1パーセントしか違わないこど16を考 え合わせると、我々「ヒト」を考えるとき、どうしても「サル」を考えなければならなく なる。「サル」と何が違い、その違いから生じる人間性とは何であるのか、そういったこ とを考えるとき、「霊長類学(サル学)」は非常に刺激的な「知」としての体系を持って いる。このことを人類の歴史を始める冒頭で取り上げておくことは、若いホモサヒ。エンス. にとって非常に重要な内容ではないか。「サル学」のパイオニアの一人である河合雅雄氏 の次の言葉は、社会認識をその目的におく 「社会科」にとって、「サル学」の重要性を示 している。. 「戦争が終わって、何で人問は、こんなバカげたことをするんだろうと思った。こんなこ とをする人間の人間性というものを、もう一度その大元にまで立ち返って、探ってみよう と思った。そのためには、サルまで立ち返って人間性の根源を調べてみにやならんと思っ た。」. (立花隆『サル学の現在』平凡社1992年p.4). 社会認識とは、究極的には人間認識に行き着く。人間をどのように捉えるのかと考え始 めるとき、近縁種を検討することは当然であり、それらとの比較によってのみ、人間が表 象される。. 歴史教育と多文化状況について. 「サル学」を導入することで、教育の目的や学ぶことの意味が表象されるが、いわゆる 社会認識の視点から現代社会を見直すとき、そこでは非常に大きな変容が始まっている。 この変容が高校生にとっても、非常に大きな社会認識上の課題となっている。. それは、多国籍化、多文化化の問題である。このことは、教育においても、問題性を孕 んでいる。. そもそも教育行為には、教育者の作為が明確に表出されたものと、その作為が見えにく. 一12一.

(18) いものがある累17。現代において、より重要なのは後者の問題である。すなわち、文化的環. 境から身に付いた諸価値の対立の問題である。各人は、それぞれの所属集団の言語に始ま る基本的規範に基づいて、「生きようとする意志」を示しているはずである。. ところが、20世紀の後半から生じている本格的な世界の一体イビ8は、相互に異なる「文 化規範」を持つもの同士が、同一の地域で暮らし、「他者として仲良く協働する」生活を 要請している。いわゆる多文化共生状況である。この状況は、ここまで述べてきた教育や 学習に新しい局面を提供するものであり、極めて21世紀的問題性を示している。つまり、 自己の所属する「集団」のみを意識したこれまでの教育や学習だけでは、今後の「共生」 状況を認識していく視点は得られない。. この問題を主題に置き、歴史教育・世界史教育において検討することが本研究の目的で ある。教育を前項までに述べた「生命体として自然と共生して生きる人間の育成」であり、. 「集団生活者として他者と仲良く、協働しながら生きていく自律的人格の育成」を求める 行為であるとした上で、異文化異価値を持つ人間が「共生」してゆく社会を実現するため には、歴史教育・世界史教育はどのような役割を果たすのか。. 「はじめに」で述べたように歴史教育は、様々な意味で注目を浴びている。自由主義史 観にまつわる歴史教育に対する注目がある。その賛否は別にして、一人の歴史教師として 結果責任を認めるのが、本研究の立場である。確かに自由主義史観的歴史解釈は、これま で学校の場で取り上げてきた歴史とは、その実証主義的視点からすると、相容れないもの が含まれている。しかし、これまで歴史の授業で行ってきた内容がどこか上滑りで、おそ らく教室内でしか通用しない歴史知識の注入にとどまっているのではないか、と現場教師 の多くは感じている。. これら学校内でしか通用しない知識をここで仮に「学校知」と称し、その対極にあるも のがいわゆる一般社会、世間で通用している知識である。これを仮に「世間知」とすると、. 自由主義史観は見事に「世間知」をすくい上げた形で歴史を表現した。それは、学校の歴 史の授業は、「面白くない」としながらも、書店では大量の歴史関連の書物が多く販売さ れており、多数の人々が歴史に対して興味を示していることにも通じる。この「学校知」 と「世間知」との乖離状況が、現在の歴史教育に投げかけられた本質的問いを生み出して. いる。つまり、学校で得られた「知と児童生徒は、どのように関わり合うのか。今、教 育において変革が求められているのは、この点についてである。新学習指導要領は次のよ うに明言している。. 一13一.

(19) 「学校の教育活動を進めるに当たっては、各学校において、生徒に生きるカをはぐくむこ. とを目指し、創意工夫を生かし特色ある教育活動を展開する中で、自ら学び自ら考えるカ の育成を図るとともに、基礎的・基本的な内容の確実な定着を図り、個性を生かす教育の 充実に努めなければならない。」(下線は筆者による). (平成11年3月告示「学習指導要領」第1章総則第1款1). 今回の改訂では、ここに示されているように「個」を重視する方向性が示されている。 「個」が重視される価値観は、いわば、「フランス革命」以後、近代社会が求めてきた価 値観である。これは、近代以前の社会が、「個」に対して社会全体の価値を優先していた ことの反省により生まれた価値観である。社会と「個」の関係が、圧倒的に社会が優先し たときには、「個」の価値を主張することは有効であったし、必要な事柄であった。しか し、ヨーロッパを中心として「個」の確立が一定程度成立した現代社会においては、この 優先図式を精査することが求められている。完全な「個」の独立が人間社会において不可 能であるこど19や「自己」の確認には、「他者」による承認が必要であること鵬を考え合 わせるならば、「全体」に対する「個」の優先を簡単に述べることはできない。. ここで改めて「全体」とは、何かを考えてみたい。「全体」とは、「個」が集まること で生じた結果であるが、それを「全体」と認識するとき、その「全体」は「過去」に属す る。なぜなら、人問は瞬間(現在)に「全体」を認識しているのではなく、「過去」に生 じた「個」の集まる様を認識し、そこに社会なり、「全体」を見るのである。ここにいた って、歴史の持つ意味が生じる。. つまり、「個」は歴史を通じて「全体」を認識する。同様のことを小谷注之氏は、次の ように述べている。. 「我々という存在は、歴史によって生み出され、歴史によって制約されると同時に支えら れて生きている存在、すなわち「歴史の中に他者とともにあるもの」としてとらえられね ばならない」. (小谷江之『歴史の方法について』東京大学出版会p.19). 確かに「全体」が「個」を抑圧し、疎外する前近代的状況は脱しなければならない。ま. 一14一.

(20) た「個」を抑圧する社会は警戒しなければならない。しかし、現在の歴史教育が置かれて いる状況は、単純に「個」を優先する形のみで突破できる状況ではない。. 歴史教育は、「何のために歴史を教えるのか」と問われている。歴史教育は、新学習指 導要領の内容さえもメタ的位置から{府轍することで「全体」と「個」を相対化し、「自己」. が歴史全体の中で「他者」とともにあることを基礎付ける有力な方法であることを主張し なければならない。. 歴史教育とは、単に歴史学を教育することではない。過去と自己との対話によって、一 つの真実を確認する作業であり、その経験を学ぶことである。. 一方で歴史にまつわる根元的議論がある。それは歴史認識の問題である。これにより、 歴史学そのものがある種の動揺を示している。歴史学にその基礎を置く歴史教育もその影 響を受けており、だからこそ「歴史を教えることの意味」が問われている。. 端的に述べれば、「歴史における真実は存在するのか」と問う問題である。この問題を 提起している一つが、アナール学派嘲であり、一つはポール・リクーノゾ22や、アーサー・. C・ダントご23らによる「物語り論」である。これらの問いかけは、既存の歴史学の根底 を揺さぶり、その社会科学としての地位を揺るがせている。. この歴史認識に関わる問題は、簡単に解決できる問題ではないが、一つの思考方法とし て多元的見方が浮上し始めているのは明らかである。これは、価値観が多様化しつつある 現代において、「共生」を前提とした思考を展開するとき、必然的に検討される見方であ る。絶対的普遍的価値による統一が、不可能になりつつある現代社会では、それぞれの価 値の多元性を承認しあい、対話し、そこに「共生」を見出すことこそ、より重要な作業と なりっつある。. この思想が、一定の具体性を持ち、政策として表面化しているのが多文化主義である。 多文化主義とは、ある現象を示すものから原理ないし価値を示すものまで、人によって意 味内容や受け止め方は、まちまちであり、アカデミズムの世界でも充分成熟した概念にな っていない側面がある。しかし、経済を筆頭に国民国家の枠組みが急速に崩壊し、情報伝 達手段が地球規模で進化している現代社会において、異なる価値観・文化を持つ者同士が 「共生」しなければならない現実が迫っている。それは、単なる一体化ではなく、1・ウ. ォーラーステインが解析して見せた『資本主義世界経済湘による世界のシステム化とし て形成されている。いわば、この「世界システム」が多文化状況を招いてきたともいえる。. しかし、近年、1・ウォーラーステインも指摘している栃ように、500年ほど前に構築さ. 一15一.

(21) れ始めたこのシステムも危機に瀕している。「資本主義世界経済」システムから生じた問 題群(環境問題など)が表面化し、一方でシステムのひとつのパーツとなり抑圧された人 々が、異議申し立てを行い始めている。特に後者の主張の背景にあるのが多文化主義であ る。おそらく、この多文化主義を軸とした対応が未来に大きな影響を与えると考えられる。 多文化主義とは、単なる「共生」を求める政策ではない。異なる価値観を持つ人々が「共. 生」することでそこに対話が生じ、よりダイナミズムを持つ思想が生まれると解する政策 であり、そのことによって、この危機を乗り越えようとする戦略的思想である。. 本研究の中心となる概念でもあり、今後の教育において、取り入れなければならない思 考形態と考えている。しかし、これまでの多文化主義と教育の関係をみてみると、アメリ カの「多文化主義教育」を紹介した研究、スキルとしての「多文化教育」を開発する研究 などが多い。その一方で、現実社会の多文化状況は、急速に進展しており、教育としてこ の状況をどのように受け止めるのかが、現実問題として浮上してきている。生徒の「目常」. を前提とした「多文化主義教育」とは、どのようなものであり、そのとき考えなければな らないのは、どのような問題群であるのか、そういったことを思考すべき時代に突入して いる。. 文部科学省も「国際理解教育」の視点から、異文化理解が、今後の教育において重要な 柱となると位置づけている。実際、文部科学省は、「総合的な学習の時間」の活動内容事 例として、「国際理解」を提示している。しかし、それが海外異文化紹介で終わる内容で あるなら、現実の多文化状況は理解できない。. 生徒の「日常」で生じている多文化状況を説明するものでなければならない。この「全 体」で生じている多文化状況を認識するために、「個」としての生徒に歴史教育はどのよ うな役割を果たすことになるのか。そのために世界史教育をどう捉え直す必要があるのか を以下の章で論じる。. 論文構成の概略. 「第1章」は、「多文化社会」と「歴史認識」についてどのように捉えるかを論じる。 これに関しては、「歴史的多元主義」を鍵概念として、歴史の多元性、多様性を認める立 場から論じた。そして、歴史教育では、その差異性に気付くことが重要な目的となるので はないかと考えている。. 一16一.

(22) 「第2章」は、歴史教育を生徒にとってリアリティのあるものとするために大胆に「地 域」との連結を試みる。この視点に立って歴史と向き合うとき、これまで前提とされてき た「国民国家」史の集合体としての「世界史」を越えることが可能なのではないかと考え ている。そして、その「地域」とは、多文化化、多価値化している社会であり、それらを. 理解する思考方法を示すことも今後の歴史教育に課せられた目的の一つであろうと考え る。. 「第3章」は、「地域」の例として「大阪」を取り上げ、この「地域から見える世界史」. とは、どのようなものであるかを論じ、具体的な授業モデルを提示する。 「終章」は、こうした多文化主義を取り込んだ思考方法の問題点を整理し、それらを了. 解した上で、やはり、現代社会において多文化主義的視点が、重要性を増していることを 指摘する。. これらの試みによって、現在、歴史教育が直面している問題に答えるのが本研究の目的 である。現在の混迷状況を抜け出すきっかけとなれば、幸いである。. *1 2000年の法務省統計資料によると、大阪府の外国人登録者数は208,072人、このうち、朝鮮半島国籍が76,3%を 占めている。. *2第3章で大阪の現状を報告する。. *3大阪府では平成13年度より、中国帰国生徒、外国人生徒を対象に一般の日本国籍生徒とは別の入学試験を実施し ている。科目は、「英語」「数学」「作文」からなり、「作文」では日本語以外の使用も認めている。現在は、「府立 門真なみはや高校」、「府立長吉高校」、の2校のみの実施であるが、今後、増加していく可能性がある。. *4新学習指導要領「世界史Aj「世界史B」の目標は、依然として次の文言で終わっている。 「…国際社会に主体的に生きる目本人としての自覚と資質を養う。」. *5 2001年4月4艮朝日薪聞の一面は、噺しい歴史教科書をつくる会」主導で作られた中学校の「歴史」「公民」 の教科書が文部科学省の検定に合格したことを伝えている。そこには、「自国中心の歴史観」「検定意見で大幅に修 正、神話や勅語詳述」の表題が示されている。「歴史観」「歴史認識」などが、一般の人々を巻き込んで語られてい る現実がある。. %多くは「教科書」の欄外で「約1万2000年前と約5000年前の2説ある」としているが、その注記は極めて小さく 扱われている. 一17一.

(23) *7この経過については、分かりやすくまとまったものとして山崎謙『よみがえる縄文の都』第3章「目本考古学の 欠陥を検証する」株式会社ディーエイチシー1995がある *8司馬遼太郎がその歴史小説を書く際に基盤としていた歴史観。歴史家の中村政則氏は、その史観について次のよう に述べている。. 「最:大の問題は、「明るい明治」と「暗い昭和」という単純な二項対立史観にある。1. (中村政則『近現代史をどう見るか一司馬史観を間う』岩波ブックレット427号1997年p3) *9「植物は、移動しないが大量の個体を生む」など、それぞれ現有種は、結果として何らかの進化上の特性を武器と して偶然の中から残存してきた種と考えられる。 *10チンパンジーの一種で「ピグミーチンパンジー」とも呼ばれる。. *ll自分の餌を他の個体が持っていくことを黙認するという行動。. *12環境からの働きかけが「学習」する原因となる場合、例えば、災害を経験することでその被害から逃れるために 予防的措置を講じる場合など *13「知る」こと自体が目的となる場合、例えば、数学の問題をその面白さ故に解こうとするときなど *14遺伝のメカニズムを分子のレベルで研究する分野. *15立花隆『サル学の現在』平凡社1992年置544 *16立花隆『サル学の現在』平凡社1992年p.512 *17言語(母国語)習得過程などは、「教育」者の作為は見えにくい。一方、近代「教育」などは、それが、「社会」 の道具であると称されるほど、作為が窺われる。 *18入の移動も含めて、一体化が進んだ世界. *19これは、サル学の成果から明らかである。サル学の創始者である今西錦司は、群れ社会の形成について次のよう に述べている。. 「本能からの解放がはじまり、もはや本能一本にたよっていたのでは生きられなくなったものが、身の拠り所と して群れをつくったのである。だから極端にいったら、群れの在り方とか、その組織がどうあるべきか、とか いったことにはなにも規定がないのである。そういうことはみな自分で決め、自分で作り出してゆかねばなら ない。それも合理的思考というようなことを通してではなく、自分に与えられた身体を使いながら、その身体 に許された範囲内の経験を積み重ねてゆく以外にない。しかも、この道はもう本能とは切れているのだから、 この経験を伝えるものとしては、社会的な場以外にはない」. (今西錦司 『私の霊長類学』講談社p.217 ) *20哲学者である鷲田清一は、自己を確認するということに関して次のように述べている。. 一18一.

(24) 「わたしは「なに」であるかと問うべきなのではなくて、むしろ、わたしは「だれ」か、つまりだれにとって の特定の他者でありえているかというふうに、問うべきなのだと。なにがリアルなシナリオであるかは、他者 とのかかわりのなかでしか見えてこないと。」. (鷲田清一 『じぶん・この不思議な存在』講談社現代薪書p.104) *21ここでいう「アナール学派」とは、1929年に雑誌「社会経済史年報」から始まった新しい「歴史認識」を示した 学派を指す。以後現在に至るまでそれ自身、曲折を経てきてはいるが、そこに示されている「歴史」と対峙する 方法は、既存の「歴史学」を十分に動揺させるものであった。「アナール学派」から既存の「歴史学」に対する 問いかけを初期「アナール学派」を率いたフェルナン・ブローデルの言葉から引用すると次のようなものである。. 「(麗存の歴史学が示す)こうした出来事は、それがどんなに目をみはるようなものであっても、流れゆく時の 歴史全体ではなく、たかだかその表面を見せているに過ぎません。歴史とは出来事の物語につきるわけではない のです。歴史は特定の人間、特定の個入の尺度ばかりでなく、多くの人々の、「すべての」人々の、彼らの集合 体が成す諸現実の尺度でもあるからです。」. (フェルナン・ブローデル「世界の尺度としての歴史」雑誌『環』voll藤原書店2000年) *22ポール・リクールとは、物語と時間の関係を明解にした哲学者であるが、その著書の中でダントの「物語り論」 にも言及しており、歴史叙述における時間性も解析している。彼はその著書の冒頭で次のように述べ咄来事」 と「歴史」の関孫を注視することを主張している。. 「物語られる出来事は、どのようにして、一つの全体として理解されることを要求する歴史の中に構成されるの かを研究すること(が重要である)」. (ポール・リクール 『時間と物語』 新曜社 1989p5) と述べている。彼によればそれが歴史叙述であれ、フィクション物語であれ、そこにおける時間と物語の関係は、 まさに物語における時間の統合形象化であるとしている。また、彼はフランスの「アナール学派」などが示す科 学的歴史学の限界を示すと同時にその物語構造も精緻に分析している。. *23このアーサー・C・ダントによって著された『物語としての歴史』は、やはり既存の歴史学を大きく揺さぶって いる。野家啓一は、ダントの物語り論を次のように評価し、歴史認識に関する一つの方法論にまで昇華している。 「赤道や目付変更線は、直接に知覚することはできませんが、地理学の理論によってその「実在」を保証された 「理論的存在」と言うことができます。この「理論」を「物語り」と呼び換えるならば、われわれは歴史的出来 事の存在論へと足を踏み入れることになります。」. (野家啓一編新・哲学講義8『歴史と終末論』岩波書店1998p,6g). 一19一.

(25) *241.ウかうーステイン『資本主義世界経済』名古屋大学出版会1987年 *251.ウかうーステイン『ユートピスティクス』藤原書店1999年. 一20一.

(26) 第1章 多文化社会と世界史教育の現状. 第で節 多文化社会の意味. 「日本」は本当に不寛容な社会なのか. 「日本」は、地理的に島国であるため、閉鎖的で協調性の乏しい社会であると指摘され ることが多い。歴史的にも江戸時代の鎖国のイメージが強いのか、どこか閉じられた社会 であったとする見方が強い。また、近代史における歴史認識問題の場面でも、アジアの近 隣諸国からは、開かれた歴史認識を持つよう指摘される。近年生じている外国人の不法労. 働者問題においても、アメリカなどに比べると、その閉鎖性が問題であると識者の問では 指摘され続けている。. 確かにこれらの言説を見る限り、「日本」は、相当閉鎖的な国柄のように捉えられてい る。しかし、本当にそうなのであろうか。けっして、理想的寛容さを示す社会が現出して いるとは考えられないが、殊更に閉鎖性を強調するより、日本社会の特質や現実的側面を 再認識し、その可能性を検討する方がより前向きな思考につながる。. 例えば、ヨーロッパで生じている移民労働者問題と比較して、それほど大きな騒乱が生 じていないことは、冷静に吟味する必要がある。つまり、フランスやドイツでみられる民. 衆を巻き込んだ外国人排斥運動は生じていない。また、民族主義に基づいた極右政党が政 治の場で影響力を行使するといったヨーロッパ各国で生じている動きも生じていない。こ. れらは、ヨーロッパ文化圏と東アジア文化圏との比較であるため、民族問題に対する国民 国家としての対応を単純に比べることはできない。しかし、それでもその閉鎖性を論じる ことより、目本社会の持つ開放性につながる条件を検討することの方が重要ではないか。. 現在の世界状況は、明らかに19世紀以来の国民国家概念を変容させつつある。その変 容とは、一つは国民国家内部における多文化状況であり、一つが多様化した価値観を包含 する国民国家同士のゆるやかな連合である。この潮流は、冷戦構造が崩壊して以降、進行. 速度を速めている。19世紀に西ヨーロッパに成立した国民国家概念が、その西ヨーロッ パで変容しっっある。詳細は、第二章以下で論ずるが、国民国家としてある種の典型を演 じてきたイギリス、フランス、ドイツが多元的価値の存在を認め、多文化主義的方向に重. 点を移しつつあるのは明らかである。その背景にあるのは、これらの国々が国民国家を標. 一21一.

(27) 榜しながら、常に多民族国家としての系譜を維持してきたことにある。現代社会にあって 価値の多様性は、けっしてマイナスには作用しないことを政府及び国民が理解し始めてい る。この点に関して、「目本」は明治以降、見事なまでに19世紀的国民国家を形成してき たため、価値の多様性が、成立しにくい状況にあると指摘されてきた。しかし、現在の「日. 本」で生じている状況を見ると簡単にその結論に対して首肯できない。確かにこのまま、. 「日本」が19世紀的国民国家に執着し続け、閉鎖的な方向を模索するとするなら、多文 化化してゆく世界状況にあって、孤立することは避けられない。また、マスメディアに取 り上げられる事例察1を羅列すれば、現代の目本社会は、極めて閉鎖的で異文化を許容する 姿勢に欠ける社会であるように映る。. しかし、一方で大都市圏ですでに始まっている多文化状況を冷静に見てみると、いわゆ るニューカマーηに関しては、限りなく単一民族神話㌣が浸透してきた国民国家にしては、. 意外と静かな共存(後述する真の共生ではないが)が始まりつつある。これは、より重視 しても良い。. イギリス、フランス、ドイツなどは、近代国民国家として成立する以前から、それぞれ. の域内において、多文化状況がすでに存在した塩このことが現代の多様な価値観を認め ることに関して、有効に働きつつある。一方、「日本」は、歴史的に見ても、ヨーロッパ. のこれらの国々に比して、近代以前に異文化共存を経験していないことから、今後多様化 する世界状況にあって、孤立化し閉鎖的になるのではないかと指摘されている。その「日. 本」において、現実には静かな共存が始まっている。これは何を意味しているのかを検討 してみたい。. 一つには、流入してきている人口がまだ少ないことや、ニューカマーに関しては定住の 歴史が浅いことなどが考えられる。しかし、少し違う見方があり得るのではないか。. そもそも現代の目本社会は、目本人が考えているほど、不寛容な社会ではないのではな いか。例えば、常に指摘されている宗教性の希薄さ、世界でもまれな経済的物質的均質化 社会、政治性の希薄さなどの側面は、柔軟な社会の特質となりうる。. 実際、ニューカマーとして来目した人々の中で肯定的に目本社会を捉える人々は、上記 の特質から生じた日本社会とそこに生きる日本人を受容した上で、この「地域」を肯定的 に捉え生活しているケースもある。彼らにとって、多くの日本人が自分たちを一定レベル で受け入れていると認識している。. 当然、居住地域によって、その差はあろうが、「外国人に親切な日本人」としての側面. 一22一.

(28) があることは確かなようである。実はそこには、西洋文化に対する劣等感やアジアに対す る優越感など、詳細に見なければならない点もある。しかし、この点を肯定的に捉え、今 後予想される多文化共生の社会を考えることが、本研究の主旨である。宗教的な寛容さ、 経済的平等、政治性の希薄さ、これらは、移住してくる人々にとっては、好都合な条件で ある。おそらく、実際に移住を考える外国人にとって日本人が懸命に訴える日本祉会の閉 鎖性の問題以上に、日本語のポピュラリティのなさが、より重要な障害である。しかし、 この言語の問題は、日本社会が英語化することで、そのポピュラリティを補足してきてい る。. 「日本」を訪れた外国人の多くが持つ感想の一つに、「日本人は、全員英語が話せると. 思っていた」がある。これは、日本人が外国人相手に持つ感想、「外国人は、みんな英語 が話せると思っていた」の裏返しである。ここで重要なのは、英語が実際話せるかどうか ではなく、「目本」は、すでに英語が一定通じる「地域」であると国際的に認知されてい る点であり、この認知が目本語のポピュラリティのなさをすでに補足している。現在すで. に、日本語と英語の混合によって相当の意志疎通は図られている。おそらく、10年後20 年後を考えた場合、「目本列島の英語圏化」は、相当進行しており、コミュニケーション 手段として英語の果たす役割は、目本語の世界への拡大以上に有効となっているに違いな い。このように言語の障害が、将来的に限りなく低くなることを考えると、前述した日本. 社会の柔軟性が好条件となり、日本列島は、少なくともアジアからの移住が増大する可能 性があり、また、その経済力から導き出されるアメリカ・ヨーロッパとの密接な関係は、. やはり相当数の移住者を迎える要因となる。当然、現在のように単純労働を目的とする移 住を制限し続ければ、流入のスピードは鈍化するに違いない。しかし、一方で、若年層の 人口が減少していることを考えると、労働者人口が不足する時代が必ず来る。今、ここで 確認しておきたいのは、法的な整備・不整備の問題ではなく、大きな時代の流れとして、 日本列島は、多文化状況がより進行する「地域」である点である。. このことは、世界状況の中においても極めて特異な状況を生み出す。この「地域」で生 じる多文化社会は、ヨーロッパや中国で生じている、いわば伝統的な多文化社会とは、違 った側面を見せる可能性がある。それがどのようなものになるかは、未だ明確ではないが、. 少なくとも近代以前から多民族ないし地方分権的性格を持ってきた伝統的多文化社会と は、次の点においてその相貌を変えて出現するだろう。. ヨーロッパなどに典型的に現れている多文化を認める方向性は、核となる民族を想定し. 一23一.

fig 3 国籍(出身地)別外国人登録者数の推移 歴鱈囲徴切 平磁2年 i1990) 日域3年i199D 平叙4年i1992) 平成5年 ソ993) 平域6年i1994) 平燐7年i1995) 平成8年i1996) 平祓9年撃R7) 乎威10年i1993) 平譲11年i1999) 盤   致 107 317 121 89 121644 3207醐 13  01 量3623τ1 1415136 148 707 ,512116 1556113 韓5・襲鮮 687940 6305 688144 68 276 67

参照

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