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B中の記号①…イベリア半島からの移民 ②…奴隷 貿易による強制移民 ③北西ヨーロッパからの移民
図C国際労働力移動の主な流れ1820−1940
地球規模での人間の移動を生み出した。一九世紀は「移民の世
ともいえる。一九世紀を通じてヨーロッパから五〇〇〇万人くらいの人々が,アメリ 南アメリカなどの世界各地に移住・拡散し,世界のヨーロッ 奴隷貿易が廃止された後,鉱山・プランテーション・鉄道建設 インド人などが世界各地に運ばれ,華僑や印僑の社会イギリスで奴隷解放条令が出されたのを皮切りに,以後一八六三年にアメ リカ合衆国で奴隷解放宣言が出されるまで,欧米諸国は次々に奴隷貿易を廃止した。その
ために黒人奴隷に変わる安価な労働力として,中国人やインド人が世界の各地で使役され
るようになった。西インド諸爵の砂糖プランテーション,マレー半島の錫鉱LL ,南アフリ カの金鉱山などに,黒人奴隷に代わる労働力として,中国とインドから未熟練労働者が強 制的に移住させられようになったのである。その貿易を中国では,「苦力(Coolie)貿易」あ るいは「猪仔貿易」と呼んだ。一八一九年にイギリスがシンガポールをジョホール王から買収した後,総督ラッフルズ は東南アジアのイギリス植民地を開発するために,中国から多くの労働者を集めた。記録
によると,一八二〇年から一八三〇年にかけて毎年シンガポールに運ばれた苦力は,六〇〇〇人から八○○○人に及んでいる。ラテン・アメリカの農場や鉱山にもクーリーが運ば
れた一/一八四七年には,すでにペルーに一二万人,キューバに一五万人の中国人労働者が 一128一移住していた。また,一八四八年には,多くのクーリーが福建省の厘門港とシンガポール
からオーストラリアに運び出された。一八五〇年には,四〇〇〇名の中国人労働者が広州,香港,七二からアメリカ合衆国のカリフォルニアに運ばれ,大陸横断鉄道の建設に使役さ れた。太平洋沿岸を起点とする大陸横断鉄道の建設に従事した労働者の八割は,中国人労
働者だったという。最も多い時期に中国人労働者の数は,一万三〇〇〇人に及んだ。一八五六年から三年間西インド諸島の砂糖プランテーションに運ばれた中国人クーリー は約一万人に達した。二〇世紀初めになると,南アフリカの金鉱でも中国人クーリーが使
役され,その数は七万人余りに達している。〔宮崎正勝『世界史の海へ』小学館,1997年,pp.248−249〕
E1924年の「移民法」
1924年にアメリカが移民制限法を制定されると大型客船はそれまで下層甲板に満載して いた移民たちを当てに出来なくなり,商売や観光目的の上流階級に頼らなければならなく なった。一方で『常により大型を目指す』競争はとどまるところを知らず,5万トン超級 の大型客船がイタリア,フランス,ドイツ,イギリス各国で建造された。速力も年々高速
化し,イタリア最大の大西洋客船『レックス』はジブラルタル海峡からニューヨークまで4日と13時間58分,平均速力28.92ノットで航破し,ブルーリボンを獲得している。
1929年の大恐慌の影響でイギリス・フランスの何百隻という船が航路を離れて係船され,
有名だった豪華客船の何隻もがスクラップにされている。
大恐慌からの回復とともにイギリスでは8万トン超の豪華客船「クイーン・メアリー」が 国家経済復活の象徴として浸水した。大型客船は経済の好・不況に大きく左右され,現代
においてもその傾向は顕著である。アティリオ・クカーリ・エンツォ・アンジェルッチ『船の歴史事典』原書房,1985年,p.132
資料(5)現代の移民
今日,…これら国境を越える移動民(transnational migrants)の中には,移民,難民・亡命者,
聖地巡礼者,伝道者,出稼ぎ労働者,多国籍企業派遣職員,交易業者,国連開発事業派遣 職員,NGO職員,訪問研究者・留学生,政治家,軍人,スポーツ選手,ジャーナリスト
等々(およびそれらに同伴する家族を含む)が含まれる。国連人口部によれば,世界で国境を越えて移動する人々は1960年には7900万人であっ たが,2005年には1億9100万人に達し,現在地球上で自国以外に住んでいると推計され る人口は実に世界の全人口の30人に1人の割合になっている。
カールズ(Stephen Castles)とミラー(Mark J.Miller)は,このような国際間の移動民が顕著な 現代を「移民の時代」と呼んだ。彼らは,その著書『国際移民の時代』(1992年)の中で,
現代の移民の世界的傾向として,①「移民のグロ■一一一一バル化」(Globalization of migration),②
「移民の加速化」(Acceleration of migration),③「移民の多様化」(Defferentiation of migration)
④「移民の女性化」(Feminisation of migration)の4点を挙げている。
中でも特に,①「移民のグローバル化」の増大は,必然的に一国家内の民族構成の多様
性や複雑性を生みだし,それが近代国家の構成原理とされてきた「国民国家」の虚構を露
の人類的課題である。
②「移民の加速化」の動きは,近年日本においても顕著になってきている。法務省の発 表によると,我が国の外国人登録者数は2005年には初めて200万人を超え,2006年末現在 約208万人で,総人口のL63%に達している。特にここ数年は,世界中から平均して約6〜7 万人の人々が日本に移住し新たな生活を始めたことになる。また,ここIO数年間に,就
労や勉学を目的に約30万人の日系人とその家族が来日している。もう一つ注目すべきは,③「移民の多様化」である。1980年には,日本における外国人
登録者の約85%が韓国・朝鮮人であった。しかし1994年には,その数はほぼ50%に減り,2006年末現在の韓国・朝鮮籍の人口は59万8219人で全体の29%までに縮小してきてい る。このことは反対に,韓国・朝鮮以外の国からのニューカマーの増加と移民の多様化を 意味している。また,④「移民の女性化」についても,国際間の移動のほぼ半数を女性が 占めており,日本においても同様の傾向が見られる。〔森茂岳雄・中山京子『日系移民学
習の理論と実践一グローバル教育と多文化教育をつなぐ一』明石書店,2008年,pp 16−17〕資料(6)「タイタニック号建造の背景」
企業合同を構築した世代の中でも最も偉大な人物であるモルガンは,貨物輸送の独占を もくろんでいた。すなわち貨物や旅客がヨーロッパから離れたその瞬間から新大陸の目的 地に到達するまでの輸送量や運賃を支配しようというわけだ。アメリカの鉄道王たち,特 にモルガンは,すでにアメリカの鉄道を独占しており,いまだ果たせぬ夢は北大西洋航路 の支配だけだった。…ブルース=イズメイは父の死後,ホワイト=スター汽船を継いで取 締役となったが,彼も父同様,徹底的にモルガンの進出に抵抗した。しかし,…一九〇二
年,現在ではインターナショナル=マーカンタイル=マリン社(IMM)として知られるモルガ ンの海運連合がホワイト=スター汽船の経営権を取得した。〔ダニエル=A=バトラー,前掲書,pp.26−27〕
資料(7)「モルガン財閥」
①国内外の金融界で大きな位置を占めるようになったモルガンは,だれよりも私企業への 融資と国家財政に対する影響力を行使した。長い間,彼の会社は鉄道証券や国債の流通業 務にたずさわった。1895年,彼は金保有高をふやすためにクリーブランド大統領が発行す る債券を購入するシンジケートを組織し,93年以来の恐慌にゆれていたアメリカ経済を 安定させるのに一役買った。1900年までに,モルガンはアメリカの6大鉄道会社のひとつ
を支配下においた。1901年,モルガンはUSスチール社を創設,鉄鋼をはじめ,鉄道,石炭,機械など多く のアメリカ企業への支配権を獲得し,ファースト=ナショナル=バンクと共同で金融支配
を強めた。経済不況におちいっていた12年,モルガンは下院委員会による査察をうけた。彼はいかなる意味でも金融支配はおこなっていないと証言したが,委員会の調査の結果,
USスチール社を中心とするモルガン財閥は,粗鋼生産の53%,鉄道路線の34%,機械生
産の60%を支配する,アメリカ屈指の巨大金融資本である実態が明らかになった。〔Microsoft(R)Encarta(R)2007.(C)1993−2006 Microsoft Corporation. A且i rights reserved.〕
②ピアポント(J.P.モルガン)は…ホワイトハウスに着くと…黙ったまま,クリーブランド
大統領,オルニー司法長官,カーライル財務長官の議論に耳を傾けていた。内心はいらい
一130一らして,火をつけない葉巻の吸い口を噛み続けていたから,ズボンの上にタバコの葉の粉 がぼろぼろと落ちて溜まった。大統領は,議会の非難を受けないで済むように,まだ金貨 債券の公募発行に固執していた。ウォール街の国庫に残っている金貨は九百万ドルしかな い,と係官が財務長官に報告したとき,ピアポントはやおら口を開き,政府の支払いを求
めて呈示される寸前にある額面一千万ドルの為替手形があるのを知っている,と述べた。そして,「この一万ドルの手形が実際に是示され,金貨との引き換えを求められたら,政
府はそれに応じられず,三時前にすべては一巻の終わりとなるでしょう」と付け加えた。すると,大統領は答えて,「それじゃ,どんな提案をしたいのかね,モルガンさん?」と言
った。ピアポントは,大胆不敵な計画を開陳した。…彼自身がアメリカの一種の中央銀行
の役割を果たして…いまや世界一の権力を握る銀行家にのし上がった…。〔ロン=チャーナウ『モルガン家 金融帝国の盛衰』日本経済新聞社,1993年,p.106−107〕
③USスチールの絶大な企業規模を不気味で不自然に感じる人々は多かった。同社の年間 の収支が二,三の国を除く世界各国政府の予算規模を上回ると指摘した人もあり,エール 大学総長で著名な経済学者のアーサー=ハドリーは,連邦政府による大規模規制の必要を 訴えた。だが,そうした批判の声にお構いなしに,ウォール街は記録的な出来高を謳歌し
・株式発行で大富豪になる鉄鋼関係者が何十人も出てきて,突然の成金の輩出に,一般大 衆は肝をつぶした。
〔ロン=チャーナウ,前掲書,p.119〕
資料(8)「モルガンお雪」
暮れから,巻は日英同盟の噂で持ち切りだった。七つの海を支配する世界一の強大国と 対等の同盟関係を結ぶということは,庶民に国際的な自負と感覚をめざめさせた。西洋人
に対しても,一般に,これまでのたんなる生理的反発とは異なる感情が育っていた。明治三十五年の一月二十四日,モルガンは期待に胸をおどらせて横浜に上陸した。二ヵ 月あまりのことだが,日本を離れ故国に帰っている間も,ユキに対する恋慕は強まり固ま
るばかりであったのである。…「旦那と別れるいうても,お金を払わななりまへん」
「お金?いいですとも。いくらいりますか」
そんなことははじめから承知しているとばかりに,モルガンは膝を乗り出した。
「四万円どす」