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「異質な行動様式が自明な」はずの「都市部」でさえ、行政末端としての校下町内会に

よって、その異質性を集中させ、交換させ、相互連関させるという、都市が本来もつべき

<都市形式>を発現させえないでいる。 「町会の自主性を活かした地域主導型すなわち住 民参加型」が示す住民の「自治力」は町会の範囲に限られ、都市全体に拡げられることが

ない。というよりも、 「脱共同体的な社会関係」が認められないそれは、都市ではなく、

村落共同体の環節的結合を思わせる体のものである。すなわち、バルトのいう<エロス的 活動>、 <他者との出会いの場>を歓楽街の裏表に限局する晴着を犯し、盛り場の猿雑を

もってしか<都市的なるもの>を知らないのである。

[6]周辺都市・金沢

東京を頂点とする求心的垂直的地域構造のもとでは、周辺部‑裏日本にあって、とくに 過去の繁栄に比べで■斜陽都市●‑ (高橋潤二郎)ともいうべき金沢にとって、地域経済の発 展とはいきおいその質を問わないものとなりやすい。 60年代初めには、臨海コンビナート の誘致が構想され、新産都市にも立候補の手を挙げている。工場誘致という外来型開発を 軸に考えられてきたのである。そして、 70年代になっても、 「金沢開発論の展開はいつも

ワン・パターンである」 [中村、 1986C、 20貢] 。 「従来の金沢開発論は、中枢管理機能

の強化を金沢の問題としてきた。そのため、北陸北陸本線の高架化による金沢市の束西の 一体化、駅西開発、駅前から武蔵ケ辻、香林坊に至るメーンストリートにおける都市再開 発の促進などがすすめられてきた。ここから、金沢市の60万都市構悲(1970年)がうちだ

された。 」 [同、 21貢] 。

一方で文化環境の保全が主張されながら(金沢市伝統環境保存条例(1968)は、歴史的 景観をもつ市町村が制定した独自の保存条例としてははじめてのものだった。 89年に新し い「都市景観条例」に改正) 、公共ディベロッパー方式の都市開発型都市経営によって、

中枢都市機能の強化を目指す都市再開発計画が進められてきた。

『金沢市60万都市構想』は、 25年先つまり1995年の人口を60万人に想定したものであ るが、それをすぎた現在人口43万人である。現在の金沢を規定し続けているこの構想の鍵 は、鮮明な土地利用の機能的特化にある。その用途純化は、機能と現実の空間を一対一に 対応させている。それによると、 「片町・香林坊を中心とした一心型都市形態から多核的 都市形態への転換」 [内藤、 1976、 57貢]を図り、いわゆる駅西・臨港地域に「現在の金 沢市街地と全く異なった新都市の出現が要請されることとなる」 [同、 56頁] 。

内藤環の主張には、金沢を一気に近代都市にしようとする焦りがみえる。 「再開発方式

により一挙に空間の転換を図って・新しい街づくりを進めることは極めて困難な事業の一 つである」 [同・ 63貢] 。そして、その焦りはこうも言わせる。 「市民参加による都市再 開発は、企画の段階に於ては、住民の意思集約、行政サイドに於ける全市的立場における 専門的計画との調和からの遅延があり、それは技術的テンポの早い今日、立案の意義やメ リットを失い計画達成の根本に波及する場合もある」 [同、 63貢] 、と。たしかに、金沢 は繁文縛礼の都市と言われる。同氏には、地域伝統文化の礼式だけではなく、都市を造っ ていく上での合意形成に煩雑すぎるきめ細かさを要求するものと映るようだ。行政末端機 構ともなっている町内会が他方では圧力団体ともなるように。他方、 「ワンパターンの開 発論」と批判を向けた中村氏は,文化と産業が本質的な結びつきをもって考えられていな い折衷論として従来の開発論を批判し、周知のように「地域のよさから出発する開発構想 を志向する」という「内発的発展論」を撞唱する[中札1986d、 97] 。

金沢の伝統の存在形態は、前者には<障害>となるものとして、後者には<可能性>を 喚起しうるものとして映じる●。両者の所論のあいだに、 <エロス的活動>、 <他者との出 会いの場>としての、金沢の古層に潜勢する<都市形式>が発動する機制を創りださなけ れば、その<障害>を転じて市民の自発的発意となすことも、他面では<金沢方式>でし かない「地域のよさ」を能動的なものに転化することもできない、という私見を差し挟み たい。町内会に象徴される<有縁>の世界から身を引き離した結接関係である<都市的な 場>を、具体的な都市空間の意匠としてうち立てることなしに、伝統の創造はないのでは

ないか。

参考文献

網野善彦[1978/1987] 『無線・公界・楽』増補版、平凡社。

網野善彦[1996] 『日本中世都市の世界』筑摩書房。

伊藤悟[1997] 『都市の時空間構造‑一都市のコスモロジー』古今書院。

金沢大学文学部社会学研究室[1983] 『金沢市民の意識構造一一「金沢人」の実像を探 る』社会調査実習報告書第8号。

小林昭[1986] 「都市・金沢の課題‑‑21世紀に向けて」柴田徳衛編『21世紀への大都 市像一一現状と課題』東京大学出版会。

高橋紘士監修・住友生命総合研究所編集[1998] 『地域介護カー介護サービスの現状と課 題』 、中央法規。

田中善男[1977] 「城下町の成立・変容一一寺内町から城下町」田中・島村・山岸共著

『伝統都市の空間論・金沢一一歴史・建築・色彩』弘絢社。

内藤吉雄【1976] 「都市再開発と住民一一金沢市の事例」 『都市問題』第67巻第3号・

(

1976 ・ 3。 53‑63。

中村剛治郎[1986a] 「地方都市の内発的発展を求めて一一モデル都市・金沢の実証的経 済分析」 、柴田徳衛編『21世紀への大都市像一一現状と課題』東京大学出版会。

中村剛治郎[1986b] 「日本経済の構造転換と金沢の都市ビジョン(1) 」横浜国立大学経

済学会『エコノミア』 no.90、 1986・9. 9‑33

中村剛治郎[1986C] 「日本経済の構造転換と金沢の都市ビジョン(2・完) 」横浜国立大

一・学経済学会『エコノミア』 no.91、 1986・12. 19‑63

中村剛治郎[1986d] 『新しい金沢像を求めて一一転換期の都市経済戦略』金沢経済同友

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