前章では、演奏を続けてきたMBAコース参加者10名を対象とした事例分析を通して、
音楽経験の意味づけについて考察してきた。本章では、前章での考察結果をふまえ、
「MBAコース参加者における音楽経験の意味づけ」において、職業行動に対する音楽経 験の影響が具体的にどのように解釈されているのかについて、考察していく。
具体的には、音楽経験が意味づけられた発話箇所における職業行動との関連を分析し、語 り手における、職業行動に対する音楽経験の影響に対する解釈を明らかにしていきたい。以 下より分析手順について記述する。
第1節 分析の手順
前章での分析結果をふまえ、次の手順にて分析を進める。
<手順1> 第3章で抽出した、これまでの音楽経験と現在の自己とにつながりが見出さ れ語られている発話箇所、すなわち音楽経験が意味づけられている語りの箇所に着目し、職 業行動にまつわる話題の有無を確認する。
<手順 2> 職業行動にまつわる話題が確認された発話箇所を対象とし、同じ発話箇所か ら第 3 章にて読み取った音楽経験の意味づけの内容を参照しながら、発話箇所の語りを丁 寧に読み込み、音楽経験による職業行動への影響についてどのように解釈されているのか を読み取る。
<総合考察> この手続きを 10 人の事例に対し行ない、音楽経験による職業行動への影 響について、総合的な考察を述べる。
前章においては、職業行動への影響は【働く側面】における音楽経験の意味づけにおいて 確認されている。しかし語り全体において、職業行動にまつわる話題が【働く側面】におい てのみ音楽経験と結びつけられて展開されるのか否かについては確認していない。また【内 的基盤を生成する側面】における意味づけからは【働く側面】をはじめ生活に則した自己の 側面に通じる考え方が導かれる場合があることも指摘している。よって、本分析においては、
まず、音楽経験が意味づけられた発話箇所全てを対象とし、職業行動にまつわる話題の有無 について確認した。
本章の分析手順は主に、石川麻衣・宮崎美砂子(2008)『高齢者のライフストーリーから捉 えた健康づくりの構造―独居女性高齢者の健康づくりの意味づけを通して―』、砂賀道子・
二渡玉江(2008)『乳がん体験者の自己概念の変化と乳房再建の意味づけ』、中村雅也(2015)『視
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覚障害教師の障害の経験と意味づけ―生徒とのかかわりを中心に』を参考としている。
【表4-1 分析手順において参考とした先行研究】
研究者名 ①研究目的 ②分析方法
石川・宮崎(2008) ①高齢者が語るライフストーリーにより意味づけられた健康づくりを構造的に明らか にする。
②ライフストーリーの中から,健康づくりの行為、感情、思考が語られている部分を取 り出し、ライフストーリーの中で健康づくりがどのように意味づけられているかをカ テゴリとして抽出。さらに各カテゴリにおいて健康づくりがどのように形成・変化して いるかという視点から、高齢者の健康づくりについて構造化。
砂賀・二渡(2008) ①自己概念の変化プロセスと乳房再建への意味づけを明らかにする。
②自己概念の変化を、個人の生活史上で体験した出来事や、その経験についての語りか ら分析するというライフストーリーの手法を参考に分析し、乳がん体験者の自己概念 の変化のプロセスと乳房再建との意味づけを明らかにしていく。具体的には、2名を対 象者とし、乳房再建に伴う思い,自己の価値観の変化に関連した文脈を抜出し、意味が 類似したものを集めてテーマを表す。テーマごとに、再建との意味づけを解釈。
中村(2015) ①視覚障害のある教師が、教育実践において、障害をどのように経験し、意味づけてい るのかを明らかにする。
②インタビューのトランスクリプトから、生徒とのかかわりについての語りを抽出し、
KJ法を援用しカテゴリを導出。カテゴリごとに、教育実践における障害の経験につい ての語りと、生徒指導や教科指導、障害者教師が学校にいることの効果についての語り をそれぞれ抜出し、考察。
砂賀・二渡(2008)は、乳がん経験者の語りをもとに、乳がん経験を通じた自己概念の変容 プロセスを導出した上で、そのプロセスごとに乳房再建の意味づけがどのようになされて いるのかを明らかにした。また中村(2015)は、視覚障害のある教師の語りを通じて、視覚障 害を伴った後の教育活動経験の特徴と、その営みに見る教育的意義を捉えようとした。これ ら二つ研究事例に共通するのは、病気や障害の経験を通じた自己変化、形成された価値観や 考え方が、その後の人生や生活にどう影響をもたらしているのかを捉えようとする視点で ある。一方、石川・宮崎(2008)は、高齢者のライフストーリーを通じて、健康づくりにまつ わる習慣・価値観・考え方が、人生のどのような流れや経験から生成されているのか、その
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意味づけの構造を明らかにすることを試みた。石川・宮崎(2008)は、あるテーマに関する「い ま・ここ」130の自己に関する解釈と、「いま・ここ」の自己を生成するにいたった背景を個 人の人生経験から読みといている。
上記3事例に共通するのは、経験的な語りを通じて、関心の対象にある経験を通して形成 されていく自己を質的に解釈していることと、質的に解釈された自己が、生活における特定 のテーマや課題に対する意味づけにどう結びつき、関わっているのかに、着目している点で ある。この3事例のみならず、看護・医療・介護・グリーフケアの研究領域では、経験して きた自己と今現在の生活との関係やつながりに着目した先行研究が数多く蓄積されている。
本研究では、こうした看護・医療・介護・グリーフケアの領域での議論を参考にした。そ の理由は、本研究が、語りの解釈を通じて、語り手にとっての音楽経験の意味づけと、その 中において解釈されている職業行動にもたらされる影響に着目している点、すなわち、自己 における音楽経験の意味づけにおいて、職業行動という生活の営みに対する音楽経験によ る影響がどのように捉えられているかを明らかにしようとしている点で、上述の先行研究 との共通性が見出されることにある。
第2節 分析の結果と考察
本節では、AからJまでの事例分析における結果について、①分析のプロセス、②結果と 考察の順で、記述する。
(1)Aの事例
Aの事例において第3章で抽出されていたのは4か所の発話であった。以下より、それぞ れの発話箇所のうち職業行動にまつわる話題が確認されたものを対象に分析する。具体的 には、前章にて同じ発話箇所から読み取った、語り手が音楽経験を意味づけた内容を参照し ながら、語りの文脈を丁寧に解釈し、音楽経験による職業行動への分析と考察を行なう。
①分析のプロセス
①:前章で抽出した、音楽経験が意味づけられている発話箇所 から、職業行動にまつわる語りの有無を確認する。語りの該当 部分は、太字斜字で表記、職業行動を端的示す単語は下線。
②:前章にて、同じ発話箇所にお いて導かれた、音楽経験の意味づ けの内容を参照し、職業行動への 影響がどのように解釈されている かを読みこむ。
③:②から導かれた、音 楽経験による職業行動へ の影響を、簡潔な文章に 記述する。
A-1「「中学校の時に(全国大会で金賞を受賞した吹奏楽 部の演奏が録音された)レコードを聴いていた時に、ア
A-1.憧れの吹奏楽部に入り、
そこでの生活をやりきること
130 ライフストーリー論において、一般的に、語りの現場の語り手の視点を意味する用 語。
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ナウンスで演奏が始まるんですけど、指揮TNってずっ と聴いてたわけですよ。実際に(高校の吹奏楽部に)入っ た時に(TN先生の指導を受けて)、『これはリアルなん だ!』という感動。だから幸せだと思いますよ、ぼく は。自分の思ったところに行けて、そういう環境の中で できたっていうのは。だから、やり切ったって言う満足 感の方がやれなかったという残念感よりも大きくて、ま ぁ、自分的には一つの区切りを付けた」
ができた自分は、幸せ
A-2「演奏会でいろんな曲を演奏して、挨拶をする時にや っぱり、大歓声とか拍手を受ける時の気持ち良さとあと 誇らしさっていうのはあの当時でしか味わえなかった。
なんか胸張って堂々と立てる。で、アンコールかかるじ ゃないですか。で、アンコールかかって、アンコール曲や って、で、最後にまたありがとうございましたって言っ て、また、みんなでその、聴いている人達にむかってお礼 を言うんですけど、それで、ばーって終わって、幕がさが って、それから地獄なんですけど。そこからすぐに移動 があるんで、楽器を片づけて、掃除をしなければいけな いんですよ。で、ステージの掃除だけじゃなくて、客席の 掃除も。その一瞬だけなんです。満足は。幕がしまったら やらなければいけない。それはねぇ、今はもう、俺、この ためにやってるんだな、というのがあったんです」
A-2.全国トップの吹奏楽部メ ンバーとしてステージに立っ た時、人生に二度とない気持ち 良さを味わった
A-3「それはその後も、あの厳しい練習に一応3年間、
耐えたんだから、少々のことは耐えられんだろう、とい うのはずっとありました。だから起業する時もそれはあ ったと思います。起業する時に、今から思えば怖いもの 知らずで、その勢いだけでやったんだけど、その勢いと いうのは自分の自信、持っていた自信、そういうものを 持っていたのでやってこれた、というのはあったなぁと 思う。音楽的なこととはちょっと離れてるけど」
A-3.高校の吹奏楽部での練習 生活に屈しなかったことで、試 練に耐えられる自信になった
高校時代の吹奏楽部で の試練に耐えた自信が あったから、起業に挑 戦できた
「私はトップレベルだったよと。全然、個人のスキルか らしたらトップレベルじゃないんですけどね(笑)」
A-4. 高校の吹奏楽部活動を通 じて、音楽的才能の限界を認識 する
②結果と考察
A の事例において第 3 章で抽出されていた4か所の発話のうち、職業行動にまつわる話 題が確認されたのは A-3 の発話であった。職業行動にまつわる話題が確認されなかった発 話は薄字の表記としている。
A-3の発話を分析対象に選出し、前章で同じ発話箇所から読み取った音楽経験の意味づけ の内容を参照しながら、語りの展開を丁寧に読み込み、分析を進めた。結果、音楽経験によ る職業行動への影響は「高校時代の吹奏楽部での試練に耐えた自信があったから、起業に挑 戦できた」であった。A-3の発話部分に着目すると、下線で記したとおり、意味づけについ ての語りが、職業行動にまつわる話題へと自然に展開していることが確認される。具体的に は、起業に挑戦し今にいたる背景と、高校時代の吹奏楽部での試練に耐えた経験による自信 とが、結びつけられて語られており、高校時代の吹奏楽部での経験を通じて育まれた自信が あったからこそ起業に挑戦できたという、ストーリーの展開がなされているのである。