①台湾総督府の台湾人合祀要望と挫折
靖国神社への台湾人戦死者合祀の可否が浮上したのは,佐久間総督期に入った 1908 年 であり,前述の招魂祭が開始された年でもあった。しかしその後,本国との交渉過程で 台湾人合祀問題は頓挫し,最終的には 1910 年に台湾人を合祀対象から排除することで決 着した。
この間の交渉過程について台湾総督府が作成した一連の資料群が『台湾総督府公文類 纂』に残されている。その資料「靖国神社合祀者ニ関スル件」107)は,「土匪及生蕃討伐ニ 従事シ死没シタル警察官吏」を靖国神社へ合祀するか否かを検討し,そのなかに巡査補 と隘勇が含まれていた。同資料については,檜山論文108)が詳細に検討しているので,本 報告では檜山論文に依拠しつつ巡査補合祀に関する経過概要をとらえ,重要な部分に関 しては「台湾総督府公文類纂」を引用しながら,台湾総督府の意図と動向を確認する。
まず,台湾総督府は,警察官吏の靖国神社合祀を希望し,その理由として「従来台湾ニ
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於テ土匪討伐及生蕃防禦等ニ従事シ死没シタル警察官吏
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」に対して靖国合祀という「最
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大名誉タル国家ノ祭祀ヲ受ケシメ得サルハ頗ル遺憾
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」とし,とりわけ「軍隊ニ参加連合 シテ同一戦線ニ斃レタル者モ尠カラサル」のに,靖国神社合祀という「名誉」が,「軍人 独リ此名誉ヲ蒙リ警察官吏ニ其ノ栄ヲ同フセシメサルハ国家カ忠魂ヲ待ツノ途ニアラサ ルヘシ」と主張する。警察官の合祀については,西南戦争の際に「戦死シタル警視庁員 ヲ靖国神社ニ合祀セラレタルノ前例」があるので問題なしとし,「土匪及生蕃討伐ニ従事 シテ斃レタル警察官吏及将来生蕃討伐ニ従事シテ死没シタル是等ノ者」に対して,「軍人 ト均シク靖国神社ニ合祀」すれば,「現ニ頑強ナル蕃族ト対峙シ日夜間断ナキ戦闘状態ニ 服務スル彼等」を「鼓舞シ対蕃上至大ノ効果アルノミナラス台湾統治ノ上ニ於テモ尠カ ラサル影響アリ」とする。そして,「殊ニ生蕃討伐
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」は「一時ノ出来事ニ対スル警察事務 ニアラス」「純然タル戦闘行為
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」と述べ,警察官吏でも戦闘行為による死亡者として,軍 人同様に靖国神社への合祀を希望していた109)。
ところで,台湾人戦死者に関しては,檜山論文が指摘するように,台湾総督府が希望 する合祀対象者は,起案当初の 1908 年と,希望を本国へ再提出した 1910 年では異なっ ていた。すなわち,1908 年案では警察官と隘勇も合祀対象としていたが,1910 年案では 隘勇は対象から削除されている。また,1908 年案では靖国合祀の目的に,「新附ノ民ヲシ テ国家ノ恩恵ニ遺漏ナキヲ感得」させる効果を期待していたが,1910 年案ではこの文言 も削除されている110)。その理由は,檜山論文が指摘するように,陸軍省の強硬な反対に あったためである。すなわち,
「靖国神社合祀者中巡査補ニ付テハ曩ニ隘勇戦死者ノ合祀ニ付陸軍省ニ異議アリ同
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様ノ理由ニテ今回ノ巡査補モ削除シ度
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ト云フ実際土
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人
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ニ対シテハ其効力薄シ
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ト云フ ニアリ削除支ナキヤ返電アリタシ」111)
といい,陸軍省は「土人」は靖国神社に合祀したところで「其効力薄シ」との理由から,
巡査補も隘勇もともに合祀対象から除外せよと要求していた。これに対し台湾総督府は,
「靖国神社合祀者中巡査補削除ノ件異議ナシ」とし112),陸軍省の反対に屈して台湾人の合 祀を断念した。台湾内限りで自己の管轄範囲内の招魂祭とは異なり,本国の陸海軍省が 管轄する靖国神社の合祀者に関して,台湾総督府の介入できる余地はなかったのである。
②軍部による「濫祀」忌避
軍部と台湾総督府では,そもそも台湾における「土匪討伐及生蕃防禦」を戦闘行為と みなすか否か,また,内地人であっても警察官を戦死者とみなして合祀するか否か,と いう基本的な方針において大きな懸隔があった。これらの基本部分の懸隔は,さらに台 湾人戦死者に対する対応の相違とも複雑に重なってゆく。
前述の『台湾総督府公文類纂』所収の「靖国神社合祀者ニ関スル件」には,警察官吏 合祀の可否につき内務大臣が陸海軍大臣と協議した際に作成された文書があるが,これ によれば陸海軍大臣は「軍人ヲ合祀スルト同様ノ情況アル場合ニ於テハ直接生蕃又ハ土
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匪ノ兵刃ニ斃レ戦死同様ノ取扱ヲ要スルモノニ限リ其ノ都度詮議
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合祀ノ儀ヲ決定スルコ ト」とだけ記しており113),これ以上の情報は得られない。
しかし,防衛省防衛研究所所蔵の海軍省『公文備考』には「戦没警察官吏合祀ノ件」114)
と題する文書があり,これは前述の内務大臣と陸海軍大臣との協議の渦中の文書で,軍 部関係者の意図を知り得る貴重な資料となっている。この文書中の海軍省から陸軍省へ の通牒115)では,海軍省の意思は,「本件警察官吏ヲ靖国神社ニ合祀ノ儀ハ之ヲ認メス
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但シ戦時事変ニ当リ直接之ニ従事シ戦没者若ハ戦闘負傷ノ為メ死亡シタル警察官吏ニ対
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シテハ其ノ都度詮議
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スルコト」と述べており,基本方針として警察官吏の合祀を認めな いこと,例外事項として,戦時事変に直接従事して戦没するか,戦闘負傷後に死亡した 場合に限り,そのつど詮議するという厳しいものであった。その理由としては,「靖国神 社ニ合祀セラルヘキ者ノ資格」は,今や「稍ニ濫祀ニ流レタル昔日ノ好マシカラサル傾 向ヲ絶ツニ至」っており,それにもかかわらず,「警察官吏ノ合祀ヲ許スニ於テハ自然他 ノ同様ナル場合ニモ適用セラルル」ようになり,「漸次其範囲ヲ拡大シテ究極スル所ヲ知 ラス遂ニ一般公務ニ起因シタル死没者ヲモ悉ク合祀スルノ已ムナキニ至ラン」と危惧を 述べ,「果シテ然ラハ是レ平時ニ於ケル常務上ノ死亡者ト国家ノ大事タル戦役ニ斃レタル
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者トニ同様ノ特典ヲ與フルモノ
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ニシテ軽重顛倒是ヨリ甚シキハナシ」という。海軍省は,
平時の常務上の死亡者と,戦役における志望者を厳密に区分し,合祀者範囲拡大を防ぐ ことを主張していたのである。さらに陸軍省に対して同意見と見受けられるとして,「両 省ノ意見ヲ綜合シテ内務大臣ヘ回答案起草」することを申し入れていた。
警察官吏合祀を忌避する海軍省の態度は,警察官合祀という先例がすでに西南戦争期 からある以上−台湾総督府もまたこの先例を引用していた−,一見すると論理破綻して 見える。しかし海軍省は,その先例こそを批判の対象とし,合祀範囲の厳密化を必須と 考えていた。
この海軍省の通牒には,陸海軍省関係者の多数の意見が書かれた付箋が付せられてい るが,そこからは,なぜ警察官吏の合祀に反対するのか,危惧されていた事態は何かが浮 かび上がる。彼等の主張とは,台湾や韓国における「討伐」・「防御」や「公務」による職 務上の死亡という新たなカテゴリーの死者が生じているが,それらは,従前の「戦役」・
「事変」などにおける「戦闘」・「戦争」において軍人が「身命ヲ賭」して「戦死」したも のとは異なるという認識,そして後者こそが「軍神」であり,靖国神社合祀にふさわし い存在であるというものであった。その際には,
「満韓地方ノ草冦ノ為メニ死シタル者若ハ台湾隘勇ノ公務ニ斃レタル者ヲモ亦合祀
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セサルヘカラサルニ至リ或ハ恐ル其ノ弊ハ終ニ濫祀ニ傾キ此軍神祭祀ノ霊場ヲシテ
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再ヒ純潔ナルコトヲ得セシメサル
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」
と危惧していた。曖昧化し拡大化する合祀者の範囲に対して,軍部関係者の意見は一様に それらを「濫祀」として非難し,「将来ハ合祀者ノ資格ニ就テハ一層厳重」にすべきと希 望していた。この帝国日本の植民地拡大に伴う新たなカテゴリーの死者のなかに,「台湾 隘勇ノ公務ニ斃レタル者」が含まれていたことからは,「濫祀」の危惧の先には「軍神」
の多民族化への懸念が包含されており,そのことが「純潔」であるべき「軍神祭祀ノ霊 場」をけがすものという認識が横たわっていたといえよう。
③並存する二つの慰霊
軍部の反対により,この時期の台湾人戦死者の靖国神社合祀問題は消滅した。しかし 他方で,台湾内の招魂祭では,この後も巡査補や隘勇の台湾人戦死者を,従前同様に合 祀していた116)。
1911 年 5 月の『台日』は,東京の「靖国神社合祀祭」で「生蕃討伐隊戦死者」として 初めて警察官が合祀される様子を報じた。しかし同じ紙面には,台湾の第 4 回台北招魂 祭を報じる記事があり,記事中では「今日祭祀せらるゝ者は其内地人たると本島人たる
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とを問はず悉く国家の為め義勇公を奉じたる烈士
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」と呼んでいる117)。また,台湾人と内 地人双方の遺族が招待され,その接待にも台湾人と内地人の双方があたるという構造は 継続していた118)。
靖国神社と招魂祭という同時期に並存する二つの慰霊の存在は,軍部と台湾総督府と いう軍・官の亀裂を表すものでもあり,また,帝国日本と台湾という二つの「地域」の