1 善光寺周辺地域
(1)善光寺御開帳にみる歴史的風致
善 光 寺 の 創 建 に つ い て は、 平 安 時 代 末 期 に 記 さ れ た『 扶 桑 略 記 』 所 収 の「 善 光 寺 縁 起 」 に よ る と、 善 光 寺 如 来 は、 欽 明 天 皇13年(552) に 百 済 か ら 送 ら れ て き た 阿 弥 陀 三 尊 で、
推古天皇10年(602)に、信濃の国水内郡に遷したとされている。
「善光寺」の名が文献に登場するのは、仏教説話集の『僧妙達蘇生注記』が最初である。
これは天暦5年(951)の僧妙達の蘇生譚を記したものであり、「水内郡善光寺」という記 述がある。現存する写本の奥書には天治2年(1125)とあるが、それ以前の文献にも引用 されているため、天暦5年(951)からほど遠くない時期に成立した文献と見られている。
善光寺が中央の貴族社会や仏教界でその名が知られるようになるのは、天台宗寺門派の 本 山 で あ る 園 城 寺 の 末 寺 と な っ た こ と が 一 つ の 契 機 で あ っ た と 考 え ら れ て お り、11世 紀 後 半 か ら12世 紀 前 半 の 頃 と さ れ て い る。 末 寺 に な る と 本 寺 の 僧 の 中 か ら 別 当 が 選 任 さ れ る が、『 後 二 条 師 道 記 』 の 永 長 元 年(1096) 3 月 の 条 に は、 興 福 寺、 西 大 寺、 法 隆 寺 に お け る 別 当 の 名 が 記 さ れ る と と も に、 頼 救 阿 闍 梨 が 善 光 寺 別 当 に な る こ と が 記 さ れ て お り、
「善光寺別当」に関する初見記事である。
善光寺信仰は、平安時代末期以降の浄土信仰の広がりとともに急速に全国的な広がりを み せ、 阿 弥 陀 信 仰 の 霊 地 と し て 善 光 寺 の 名 声 が
知れわたることとなる。さらに、鎌倉時代以降は、
全 国 各 地 に 善 光 寺 が 造 ら れ、 信 州 善 光 寺 の 本 尊 を模した模刻像も各地に造られた。
現 在 の 本 堂( 国 宝 ) は、 宝 永4年(1707) に 再 建 さ れ た も の で、 間 口 が 7 間 で あ る の に 対 し、
奥 行 が16間 と 奥 に 長 く、 建 坪 も 国 宝 建 造 物 の 中 で 東 日 本 最 大 の 大 き さ を 有 し て い る。 そ の 平 面 は、 外 陣、 内 陣、 内 々 陣 が 設 け ら れ、 屋 根 は 総 檜皮葺で撞木造という独特な形式をなしている。
三 門( 重 要 文 化 財: 山 門 と も 書 く ) は、 寛 延 3 年(1750) の 建 立 で、 本 堂 の 正 面 に 位 置 し、
間 口 5 間、 奥 行 2 間 の 木 造 2 階 建、 入 母 屋 造 の 2 重 門 で、 中 央 3 間 が 通 路 に な っ て い る。 ま た、
大 正 年 間 の 葺 き 替 え 工 事 で 檜 皮 葺 き と な っ て い た も の が、 平 成 の 大 修 理 で、 サ ワ ラ 板 を 用 い た 栩葺きに復原されている。
経 蔵( 重 要 文 化 財 ) は、 宝 暦 9 年(1759) の 建立で、本堂の西側に位置し、五間四方の建物で、
屋 根 は 宝 形 造 の 檜 皮 葺 と な っ て い る。 内 部 は 石
善光寺三門(重要文化財・寛延3年(1750))
Ⓒ善光寺
善光寺本堂(国宝・宝永 4 年(1707))
Ⓒ善光寺
敷 で、 中 央 に 一 切 経 が 収 め ら れ た 八 角 形 の 輪 蔵 がある。
仁 王 門 は、 宝 暦 2 年(1752) に 再 建 さ れ た も の の、 弘 化 4 年(1847) の 善 光 寺 大 地 震 及 び 明 治24年(1891) の 大 火 に よ っ て 焼 失 し た。 現 在 の 仁 王 門 は、 大 正 7 年(1918) に 再 建 さ れ た も の で あ る。 間 口 3 間、 奥 行 2 間 の 平 面 形 を な し、
屋 根 は、 切 妻 造 銅 板 葺 で 正 面 に 唐 破 風 を も っ た 八脚門である。
本堂の南東にある鐘楼は、嘉永6年(1853)に 再建された。 屋根は入母屋造檜皮葺で、6本の角 柱 が 二 重 扇 垂 木 の 深 い 軒 を も っ た 屋 根 を 支 え て い る。 梵 鐘 は、 寛 文7年(1667) に 伊 藤 文 兵 衛 金 正 が 鋳 造 し た も の で、 高 さ180cm、 口 径116cm と い う 大 梵 鐘 で あ り、 重 要 美 術 品 に 認 定 さ れ て いる。
こ の よ う に、 善 光 寺 境 内 に は、 数 多 く の 歴 史 的 建 造 物 が あ る。 ま た、 善 光 寺 は、 古 く か ら 庶 民に開かれた寺として、宗派を問わず全ての人々 を 受 け 入 れ て き た こ と で 全 国 的 に 著 名 で あ る。
現 在 も、 法 要 を は じ め と し た 寺 務 は、 天 台 宗 と 浄 土 宗 の 二 宗 派 の 僧 侶 が 共 同 で 執 り 行 っ て い る。
な お、 善 光 寺 一 山 の 本 坊 と し て、 天 台 宗 の 大 勧 進 と 浄 土 宗 の 大 本 願 が あ る と と も に、 計39の 院 坊(25院・14坊 ) が あ り、 善 光 寺 一 山 と し て の 独 特 の 景 観 を 今 に 伝 え て い る。 ま た、 善 光 寺 の 門 前 は、 明 治24年(1891) の 大 火 に よ っ て、 多 く の 建 物 を 焼 失 す る に 至 っ た が、 大 勧 進・ 大 本 願 の 敷 地 内 や 院 坊 の 中 に は、 焼 失 を 免 れ た 建 物 もいくつかある。
大勧進敷地内では、表大門(寛政元年(1789))、赤門(寛政年間(1789-1801))、行在所(寛 政11年(1799))などが、寛政年間に建てられた建物として現在も残っている。なお、大 勧 進 の 本 堂 に あ た る 萬 善 堂 は、 明 治35年(1902) 建 立 の 木 造 平 屋 建、 箱 棟 を 載 せ た 入 母 屋造瓦葺、正面に向拝を設けた建築である。
また、大本願では、光明閣が、明治24年(1891)の大火を被っていない建造物である。
これは、歴代天皇の霊を奉っている建物で、木造平屋建、屋根形は善光寺本堂と同じ撞木 善光寺仁王門(大正7年(1918)) Ⓒ善光寺 善光寺経蔵(重要文化財・宝暦9年(1759))
Ⓒ善光寺
鐘楼(嘉永 6 年(1853)) Ⓒ善光寺
造 を な し、 瓦 で 葺 か れ て い る。 現 在 は、 特 別 な 法要などの際に使用されている。
こ う し た 歴 史 的 建 造 物 が ひ し め く 善 光 寺 で、
数 え 年 で7年 に 一 度 ご と 丑 の 年 と 未 の 年 に 催 さ れるのが、善光寺の御開帳である。
善光寺の御開帳には、他国に出て行う「出開帳」
と 善 光 寺 で 実 施 さ れ る「 居 開 帳 」 が あ る。 居 開 帳 を 実 施 す る 目 的 は い く つ か あ り、 念 仏 堂 で 行 わ れ た 不 断 念 仏 の 節 目 を 記 念 す る も の、 出 開 帳 を 終 え た 如 来 を 慰 労 す る も の、 堂 塔 の 造 営 や 修 築を記念するものなどがある。そして、この「居 開 帳 」 が、 現 在 ま で 行 わ れ て い る 善 光 寺 御 開 帳 で あ る。 さ ら に、 近 年 の 御 開 帳 は、 長 野 商 工 会 議 所 が 善 光 寺 に 対 し て 開 帳 の 申 し 入 れ を 行 う 形 に な っ て お り、 善 光 寺 信 仰 に 加 え、 商 工 観 光 の 要素も大きくなってきている。
明 ら か な 記 録 の 残 る 最 初 の 居 開 帳 は、 享 保15
如来堂御遷座参詣群集之図(『永井家文書』 長野市指定文化財)嘉永元年(1848)制作 光明閣(明治 24 年以前(1891)) 萬善堂(明治 35 年(1902)) Ⓒ大勧進
年(1730) で、 善 光 寺 宿 問 屋『 小 野 家 日 記 』 に よ れ ば、「 如 来 御 入 仏 以 後 の 群 衆 な り 」 と 記されている。また、居開帳の様子が分かる史料としては、弘化4年(1847)の善光寺大 地 震 に お け る 居 開 帳 の 絵 図(『 永 井 家 文 書 』・ 長 野 市 指 定 文 化 財 ) が あ る。 こ れ を み る と、
善 光 寺 の 居 開 帳 が い か に 華 や か な も の で あ っ た の か が 理 解 で き る。 さ ら に、 江 戸 時 代 の 居開帳は、享保15年(1730)から幕末にかけて計15回行われるものの、現在のように定 期的ではなく不定期であった。現在のように、数え年で7年に一度ごと定期的に御開帳が 実施されるようになったのは明治15年(1882)以降で、太平洋戦争による混乱期を除き、
現在まで途絶えることなく行われている。
善光寺の御開帳は、仏都長野市の最大の祭りでもある。期間中は、全国から多数の参詣 者が集まる。一般に、御開帳とは、通常閉鎖されている仏殿の扉を開き、参詣者に参拝さ せるものである。しかし、善光寺の本尊である一光三尊阿弥陀如来像は、古くから秘仏と されているため、御開帳のときに人々の目にすることができるのは、本尊と同じ姿の前立 本尊(重要文化財)である。
善 光 寺 御 開 帳 は、 新 緑 の 季 節 で あ る4月 上 旬 か ら5月 下旬頃の約2ヶ月にわたって催される。平成21年(2009)
の御開帳は、4 月 5 日から 5 月 31 日までの期間に行われた。
御 開 帳 は、 初 日 の お 朝 事 を も っ て 始 ま る が、 御 開 帳 に 欠 か す こ と の で き な い 回 向 柱 の 奉 納 は、 お 朝 事 よ り も 前 に 行 わ れ る た め、 こ れ ら 回 向 柱 奉 納 に 関 わ る 営 み す べ て を 含 め て 善 光 寺 の 御 開 帳 が 行 わ れ て い る。 そ し て、 こ の 回 向 柱 が 御 開 帳 に お い て も つ 意 味 は 次 の よ う な も の で あ る。
そ も そ も、 前 立 本 尊 は、 秘 仏 で あ る 本 尊 の 代 わ り に 人 々 に 公 開 さ れ る も の で あ る が、 こ れ は 本 堂 奥 の 内 々 陣 に 安 置 さ れ る た め、 一 般 の 参 拝 者 た ち は 触 れ る こ と が で き な い。 そ の た め、「 善 の 綱 」 と 呼 ば れ る 綱 が、 前 立 本 尊 か ら 伸 び て 本 堂 前 の 回 向 柱 に 繋 が れ る
こ と で 回 向 柱 と 前 立 本 尊 が 一 体 化 し、 回 向 柱 も 善 光 寺 如 来 の 命 を 宿 す こ と と な る。 そ し て、 人 々 は、
こ の 回 向 柱 に 触 れ る こ と で 前 立 本 尊 と 繋 が る こ と が で き、 御 仏 の 慈 悲 を 受 け る こ と が で き る。 な お、
世 尊 院 釈 迦 堂 前 の 回 向 柱 は、 本 尊 の 右 手 と 回 向 柱 が 結 ば れ て 一 体 化 する。
回 向 柱 は、 松 代 藩 真 田 家 が、 現 本堂前の回向柱
Ⓒ善光寺
前立本尊(重要文化財) Ⓒ善光寺
在 の 善 光 寺 本 堂 建 立 の 普 請 奉 行 に 当 た っ た 縁 か ら、 毎 回、 松 代 地 区 か ら 寄 進 さ れ る。 平 成21年
(2009) の 御 開 帳 で は、 松 代 地 区 内 に 適 当 な 用 材 が な か っ た た め、 旧 松 代 藩 領 の 小 川 村 の 山 中 か ら 切 り 出 さ れ、 松 代 地 区 内 の 製 材 工 場 で 化 粧 が 施 さ れ た。 そ の 後、 回 向 柱 は、 旧 松 代 藩 文 武 学 校文学所前庭に展示された。
平 成21年(2009) の 御 開 帳 で は、「 御 開 帳 大 回 向 柱 受 入 式 」 が 3 月29日 に 行 わ れ た。 真 田 十万石の大名行列を先頭に、700人余りの人々が 回 向 柱 に 繋 が れ た 善 の 綱 を 引 き な が ら、 松 代 町 内を練り歩く。
旧 文 武 学 校 を 出 発 し た 一 行 は、 旧 白 井 家 表 門
( 弘 化3年(1846)) や 真
さ な だ か げ ゆ
田 勘 解 由 邸 の 前 を 通 っ て 旧 北 国 街 道 松 代 道 に 出 る。 行 列 は、 松 代 道 を 東 に 向 か っ て 進 み、 八 田 邸 の あ る 角 ま で く る と、
さ ら に 旧 北 国 街 道 松 代 道 に 沿 っ て 北 上 す る。 こ の 通 り は、 切 妻 平 入 の 歴 史 的 な 町 屋 建 築 が 連 続 し て お り、 か ど や 商 店 店 舗 や 松 下 家 住 宅 主 屋 な ど 登 録 有 形 文 化 財 と な っ て い る も の も 多 い。 ま た、 旧 北 国 街 道 松 代 道 沿 い で は な い も の の、 連 続 す る 町 屋 の 奥 に は、 享 和 元 年(1801) に 建 て 替 え ら れ た 旧 松 代 藩 鐘 楼 を み る こ と が で き る。
最 後 に、 中 町 の 交 差 点 を 左 折 し て 長 野 電 鉄 旧 屋 代 線 の 旧 松 代 駅 に 到 着 す る。 な お、 旧 松 代 駅 の 木造駅舎は、旧屋代線開通当初の大正 11 年(1922)
に建築された歴史的建造物である。
『 長 野 商 工 会 百 年 史 』 に は、 こ の よ う に 旧 松 代 藩 に 伝 わ る 十 万 石 行 列 を 加 え て 回 向 柱 を 受 け 入 れ る よ う に な っ た の は、 昭 和30年(1955) か ら で あ る こ と が 記 さ れ て い る。 回 向 柱 は、 松 代 駅 前 で 一 旦 ト ラ ッ ク に 載 せ ら れ、 長 野 市 内 の 八 十 二 銀 行 本 店 ま で 運 ば れ た 後、 午 後 か ら 回 向 柱 の 奉 納 行 列 が 善 光 寺 に 向 け て 再 開 さ れ る。 午 後 の 奉 納 行 列 は、 八 十 二 銀 行 本 店 を 出 発 し た 後、
善 光 寺 の 表 参 道 で あ る 中 央 通 り へ と 向 か う。 中
旧文武学校(安政元年(1854))
「御開帳回向柱奉納行列」(松代町内)Ⓒ善光寺
旧松代駅駅舎(大正 11 年(1922))
「御開帳回向柱奉納行列」(中央通り)Ⓒ善光寺