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針江地区湖岸域の所有・利用形態と景観の継承・淘汰

ドキュメント内 景観の関係性の研究 (ページ 47-79)

1 本 章 の 目 的 と 構 成

本章では,重要文化的景観「針江・霜 降の水辺景観」を構成する三領域の一つ,

①針江大川河口及び,周辺湖岸葭群落一

帯(図2-1)に焦点を当て,湖岸域の所有・

利用形態と,景観の継承・淘汰との関係 性を分析する。

具体的には,まず第2節において,地 域の水体系について概観する。そして,

針江大川及び,その河口と周辺湖岸葭群 落一帯を含む湖岸域の役割と,そこでの 生業活動を整理する。

第3節では,針江地区湖岸域の生業活 動と開発の歴史から,所有・利用形態の 変化と,景観の継承・淘汰との関係を考察する。第3節では,第一章と同様,中世二史料,明治絵 図,昭和40年,平成27年の5時点のベースマップを用い,4つの時代区分に沿って考察を進める。

時代区分毎に,①周辺地域での生業活動と人的改変,②針江地区湖岸域の所有と利用の変化,③針 江地区湖岸域の景観の変化,の3項目から分析を行う。

①周辺地域での生業活動と人的改変では,先行研究や文献史料をもとに,マクロな視点から,安 曇川沖積平野湖岸域での生業活動と,琵琶湖や沿岸域への人的改変の変化を,②針江地区湖岸域の 所有と利用の変化では,先行研究や文献史料から,針江地区湖岸域の資源利用法とその主体,開発 と所有権,税制等政策の変化を,③針江地区湖岸域の景観の変化では,ベースマップの分布変化等 から,針江地区湖岸域の土地利用の変遷を整理する。

第4節では,第3節で得られた各時代区分の変化①②③を整理し,ダイアグラムを用いて,特に 針江地区湖岸域内陸沿岸部での所有・利用形態と,景観の継承・淘汰との連関関係を考察する。

第5節では,第4節で考察した領域の,高度経済成長期以降の変化の詳細を追う。具体的には,

湖岸域内陸沿岸部の分譲住宅地を事例に,当該地域での建物数の変化と社会的動向を照会し,住宅 購買促進と開発停滞の要因を考察する。当該地域での建築物の年代毎の建築物数の集計には,ゼン リン発行の昭和56(1981)年から平成28(2016)年までの住宅地図を,その他,人口や世帯数の 変化には,高島市統計等,文献史料を用いた。

2-1 第二章の研究対象地の範囲

2 針 江 地 区 湖 岸 域 の 役 割 と そ の 生 業 活 動

現在,新旭地域の水辺景観としては,主 に針江・霜降地区の居住域の「カバタ」と,

湖岸の葭群落の二つの領域が認知されてい る。これらは,別々の景観として独立して 存在するのではなく,集落から水田,湖岸 一帯に至る一連の水の繋がりの中で存在し,

三領域が統合的に文化的景観を形成してい る。これら水体系への意識は,水道が普及 する昭和30・40年代まで,生業活動と深く 関係していたという1)(図2-2)。

本章で着目する湖岸の葭群落は,針江大 川等の集落を流れる河川や,「中島」と呼ば れる内湖と,分かちがたい関係を持つ一連 の水域である。そこで,これらの領域を総 じて,「湖岸域」と呼ぶ。本節ではまず,地 域の水体系における針江地区湖岸域の役割 について概観し,さまざまな生業活動が展 開した湖岸域の役割の変化を整理する。

2 −1. 針 江 地 区 に 存 在 す る 水 体 系 に お け る 湖 岸 域 の 役 割

琵琶湖は,日本最大の淡水湖である。琵琶湖に流入する河川は,一級河川だけで120本近く,小 さな小溝まで含めると400本以上にのぼるが,出口は南端の瀬田川だけである。瀬田川は,京都を 経て大阪で淀川となり,大阪湾に注ぐ。すべての上支流を合わせた淀川の流域面積は8,240 ㎢であ るが,関東の利根川の半分足らずに過ぎない。琵琶湖が水がめと例えられるのは,この貯水型の特 性所以である。

現在の琵琶湖の周囲は約235km,面積は約 670 ㎢である。しかし,琵琶湖は沈降し,周囲の山 地は隆起を続けていて,これらの数字は年々変化している。他にも,琵琶湖の水位変動に関わる構 造的な地盤要因として,地殻変動や活断層の活動等が存在する2)

そうした水位変動から,琵琶湖には多くの内湖が存在する。これらの内湖は,もともと琵琶湖の 一部であったが,湖岸部の沿岸流による土砂が堆積して,琵琶湖から区切られるか,あるいは半ば 区切られて内湖になったものである。これら内湖は沖積平野の発達する地域に多く,殆ど水深 2m 以下という浅瀬である。その大きさや広がりは琵琶湖の水位に変動し,常に変化する。琵琶湖の多

2-2 上水道普及による水意識の変化(嘉田(2002))

くの内湖は,歴史時代に入ってから生成・拡大したものが多いが,一方で,陸化・縮小していった ものもあった。琵琶湖岸の沖積平野における地形変化には,河川の河口との位置関係,堆積力の差 異が関係した。歴史時代の短期間に,沖積平野に発生した地形変化には,琵琶湖の水位変動のみな らず,河川活動の変化も大きな要因であったという3)。構造的な地盤変動と河川活動は,平均水深 40mを越える琵琶湖に,変化する多様な浅瀬を形成した。河川の琵琶湖河口付近には,デルタの成 長,内湖の消長,湖岸の沈水といった,継時的な地形変化があったのである。

針江地区には,明治まで独立を維持していた,針江集落と小池集落の2つの集落が存在する。針 江大川は,針江集落の中心部から北東へ流れ出る。小池川は小池集落の南側に沿って北上する。2 本の河川は針江地区の北東部で合流し,内湖「中島」に流れ込んだ後,琵琶湖へ放流される。これ ら河川は低い部分を流れるため,専ら針江地区居住域や南域の水田の排水を受ける。「中島」も同

様の排水を受ける。

一方,明治前期の作成とみられる針江 村の絵図に描かれたように(図 2-3),か つて,針江地区北部には,「西浦」と呼ば れる別の内湖が存在した。「西浦」には,

針江地区の北域の農業排水が流れ込んだ。

かつて針江地区では,集落の東端と北端 の 2 箇所に内湖が存在し,集落や水田か らの排水はすべて,これらの内湖に一旦 集められ,琵琶湖へと注ぎ出る構造だっ たのである。

琵琶湖と水田の中間領域であった内湖 には,双方への調水・浄水機能があった。

琵琶湖の水位が上昇すると,琵琶湖の水 は水深の浅い内湖に真っ先に入り,あふ れて拡大する。一つ目の遊水池としての 機能である。他方,水田からの農業排水 は,内湖をふさぐ浜堤によって一旦貯留 され,浄化された上澄みだけが,限られた水路を通って琵琶湖へと流れ出す。農業排水の浄化機能 という,もう一つの機能である。更に,沿岸部の浜堤に群生した抽水植物は,排水中のリンや窒素 を吸収して,二重にフィルターの役割を果たしていた。こうして針江地区では,琵琶湖と居住域・

水田の双方に対して,湖岸域が調水・浄水を行っていたのである。

2 −2. 「 利 用 し な が ら 手 入 れ す る 」 シ ス テ ム に お け る 針 江 地 区 湖 岸 域 で の 生 業 活 動

2-3 二つの内湖と河川(針江村地籍図(明治初期と推定))

針江地区湖岸域での日々の生業活動には,活用することで,自ずと環境が保全される仕組みがあ った。「利用しながら手入れする」システムである。その過程では,生活のあらゆる場面で,環境 から得られる資源が活用されていた。(図2-4)

以下に,地域の水体系システムで重要な役割を果たした湖岸域の生業活動を,領域別に整理する。

① 河 川 で の 生 業 活 動

河川での生業として,河道を利用した水運があった。湖に近い針江地区北部の水田への移動,浅 瀬の魞や水田での漁業や水鳥の狩猟等,日々の水上交通は,各家庭が保有する田舟で行われていた。

琵琶湖を経由する物資も又,内湖「中島」で丸子船から田舟に積み替えられ,集落域を横断する河 川を遡って集落に運ばれた4)

川底に生える藻の肥料利用もある。川藻は内湖に生える水草とは種類が異なり,川藻には内湖の 水草とは別の利用法があった。畑の肥料として用いられた5)

② 内 湖 で の 生 業 活 動

内湖の資源利用として,まず,底泥や水草の利用がある。底泥は水田造成の客土として用いられ た。田舟で底泥をすくい上げ,盛土をすることで新田開発を行っていたのである。そして,内湖底 に生える水草も,肥料として水田に入れられた。そのため,内湖は常に浚渫され,水草や泥で埋積 されることがなかったという。

内湖沿岸に植生した抽水植物群落の利用もある。針江地区北端にかつて存在した内湖「西浦」に は,マコモとガマが群生していた。マコモは,稲作が伝来するまでは,穀物として食された歴史を 持つ。湖西地方では水田肥料として利用されている6)

又,水草類や抽水植物群落に生息,遡上する魚の捕獲もあった。内湖沿岸は,コイ科魚類の産卵 場所に適していた。普段は琵琶湖の沖合に生息する魚類も,産卵場所に遡上する。魞は,琵琶湖特 有の伝統的漁法で,その起源は古く,13 世紀の文書の記録をはじめ,中世では既に広く設置され ていたとされる7)。魞は遠浅で,魚の回遊や産卵が可能な湖岸が適するため,内湖では,遡上する

2-4 重要文化的景観「針江・霜降の水辺景観」に関連する地域の水体系(高島市(2010))

ドキュメント内 景観の関係性の研究 (ページ 47-79)