ここまでのわれわれの結論は、したがって、国内物価水準の安定と外国為替レートの安 定性が相容れない場合には、物価安定のほうが通常は望ましいということだ。そしてこの ジレンマが熾烈な場合には、為替レートを犠牲にしても物価安定を維持することが、あり がたいとも言えるが、最も抵抗の少ない道筋となる、ということだ。
金本位制の復活(そのレートは戦前の水準だろうと他のレートであろうと)は、明らか に国内物価の完全な安定性は与えてくれない。他の国がすべて金本位制に戻れば、外国為 替レートの完全な安定性を与えてくれるだけだ。 だから復帰が望ましいかどうかは、全 体として、二つの理想の間で実用的な妥協として最高のものを与えてくれるかどうかにか かってくる。
もっと科学的な基準に反対して黄金を支持する人々は、その主張を二重の論拠に置いて いる。実務的に黄金がそれなりに安定した価値の基準を提供したし、今後もそうしてくれ るという論拠、そして実務的に管理当局が十分な知恵を持っていないことも多いので、管 理通貨は遅かれ早かれ残念な結果になるという論拠だ。保守主義と懐疑論が手を携えてい る̶̶これはしばしば起こることだ。迷信もそこに加わるかもしれない。というのも黄金 は未だに、その匂いと色彩という栄誉を享受しているからだ。
一九世紀の変動する世界において、黄金が価値の安定性を保ったというかなりの成功 は、確かにめざましいものだ。これについては第一章で賞賛した。オーストラリアとカリ フォルニアの発見後に、それは危険なまでに価値低下を見せ、そして南アフリカでの採掘 以前には、それは危険なほど価値が上がり始めた。しかしいずれの場合にもそれは自己矯 正して評判を保った。
*7ホートレー『通貨と信用』第xvii章。
だが将来の条件は過去の条件とはちがう。戦前にバランスらしきものを維持した特別な 条件が続くと期待できる根拠は十分にはない。というのも、一九世紀の間に黄金が見せた よい振る舞いの根底にある説明とはどんなものだろうか?
まず、たまたま他の方面での発展とおおむね同じスピードで、金鉱が発見されていった というものがある̶̶この対応関係はすべて偶然によるものではない。というのも当時の 進歩は、世界の地表面をだんだん解放して活用していったのが特徴だったので、もっと僻 地にある金鉱脈もそれに応じて発見されるようになったことも不自然ではない。だが歴史 のこの段階はいまやほとんど終わりかけている。重要な金鉱脈の発見以来、すでに四半世 紀がたっている。物質的な進歩は、いまでは科学技術知識の成長に依存する部分が大き く、それを黄金採掘に適用するのも間欠的になりそうだ。黄金抽出手法に大きな進歩が生 まれるまで何年もかかるかもしれない。そして天才化学者が、過去の夢や忘れ去られたイ ンチキを実現し、非金属を貴金属に変えるという幽玄なる手法や、海水から黄金を抽出す るというあぶくのような手法を実現させないとも限らない。黄金は、希少すぎるか安すぎ るかのどちらかになってしまう。いずれの場合でも、偶然の出来事が続いてこの金属の価 値を安定に保ってくれると期待するのは、あまりに虫が良すぎる。
だが、安定化をこれまで支援してきた別種の影響があった。黄金の価値は、ある一つの 人間集団の政策や意志決定に依存するものではない。そして供給のそこそこの割合は、市 場を氾濫させることなく、芸術やアジアにおける抱え込みへと向かった。だから黄金の限 界価値は、その金属が他のモノに対して持つ安定した心理的推定に左右されることになっ たのだった。黄金には「内在的価値」があり、「管理」通貨の危険から逃れているという のはこういう意味だ。黄金の価値を決める・
独・ 立・
し・ た・
各・ 種・
の影響は、それ自体として安定化 をもたらす影響となった。黄金の備蓄量が、世界の多くの紙幣発行銀行が維持する負債に 対して持つ割合は、恣意的で変わりやすいものだが、これも計算不能な要素を導入するど ころか、安定性の一要因となった。黄金が豊富で中央銀行のほうに流れてくると、黄金準 備高の比率が少し上がるのを容認することで吸収できたし、それが比較的希少になると、
中央銀行が自分たちの黄金準備高を実用的な目的に使う意図はまったくなかったという事 実のため、そうした銀行のほとんどは黄金準備高比率が減るのを平然と見守れたのだ。南 アフリカの黄金がボーア戦争終わりから1914年までに示した流れの大半は、ヨーロッパ などの国々の中央黄金準備高に流れ込んで、物価には最小限の影響しか与えなかった。
だが戦争が大きな変化をもたらした。黄金自体が「管理」通貨になったのだ。東洋のみ ならず、西洋も黄金を貯め込むようになった。だがアメリカの動機はインドの動機とはち がう。いまやほとんどの国が金本位制を廃止したので、この金属の供給は、その主要利用 者たちが実際に使うニーズだけに手持ち量を抑えたなら、ほとんど不要となってしまう。
アメリカは黄金をその「自然」価値にまで低下させることができなかった。そんなことを すれば、結果として自国通貨の基準が価値低下してしまうからだ。だからアメリカは、ラ ンド(南アフリカ)の鉱夫たちががんばって地上に運び上げた黄金を、ワシントンの金庫 に埋めるという高価な政策を執らざるを得なくなっている。その結果、いまの黄金は「人 工的」な価値を持たされており、その価値の将来動向はほぼ完全に、アメリカの連邦準備 理事会の政策次第となっているのだ。黄金の価値はいまや、自然による偶然の贈り物の結 果と、無数の当局や個人による独立した活動の結果などではない。他の国々が次第に金本 位制に戻ってきたとしても、この状況が大きく変わることはない。金兌換基準に何か変奏 を導入し、人々のポケットから黄金がおそらく永遠に消え去るという傾向のため、金本位
制諸国の中央銀行が厳密に・ 必・
要・ と・
す・
る黄金準備高が、提供される供給量に比べてかなり不 足するということになりそうだ。だから黄金の実際の価値は、最も強力な中央銀行三つか 四つの政策に依存することになる。こうした中央銀行が独立して行動するにしても、協調 して活動するにしても同じだ。逆に、もし準備高として保有する黄金や流通している黄金 の利用に関する戦前の慣習を復活させたとしよう̶̶これは私見ではずっと可能性の低い 代案だ̶̶するとカッセル教授が予測したように、黄金の深刻な不足が生じ、したがって その価値はだんだん上昇するだろう。
また、アメリカの造幣局がこれ以上は黄金を受け取らないことにして、アメリカが黄金 の部分的な非金銭化を進める可能性も無視できない。黄金の輸入を無制限に受け入れると いうアメリカの今の政策は、伝統を維持して移行期における信頼/安心を強化するという 意図での一時的手段としてなら、正当化できるかもしれない。だがこれが永続的な仕組み だと考えると、愚かしい支出だという以外の判断は下しようがない。連邦準備理事会が、
黄金の流入、流出に関係なくドルの価値を一定に保ちたいなら、とても高価で要りもしな い黄金を造幣局で買い取り続けるのは何のためだろうか? もしアメリカの造幣局が黄金 の買い入れをやめることにしても、黄金の実勢価格以外はすべてが、以前とまったく変わ りなく続くことだろう。
黄金の価値の将来安定性に対する信頼は、したがってアメリカが要りもしない黄金を受 け入れ続けるほど愚かであり続けるか、そして受け入れる場合にはそれを固定価格に維持 するほど賢明であり続けるかどうかに依存している。この二重の出来事は、アメリカ国民 が何一つ理解せず、連邦準備理事会がすべてを理解しているというコラボレーションを通 じてなら実現できるかもしれない。だがこのポジションは危うい。そして、自分たちの将 来の通貨基準をどうするか選べる立場の国にとっては、あまり魅力的なものではない。
この黄金の安定性見通しに関する議論は、何も制約のない完全な金本位制回復を支持す る第2の主要議論をあらかじめ予想することで部分的に答が出ている。その第2の主要 議論とは、金本位制が危険な「管理」通貨を避ける唯一の手段だ、というものだ。
これまでのわれわれの体験から見て、慎重な人々が財務大臣や国立銀行とは独立の価値 基準を所望するのは自然なことだ。現在の物事の状態は、政治家たちの無知と気まぐれ が、経済分野に破滅的な結果をもたらす機会をたっぷり提供してしまった。政治家や銀行 家の経済学や金融に関する一般的な教育水準は、イノベーションを実施したり安全に運用 したりできるとはとても思えない代物だと思われている。それどころか、為替レートを安 定化させる主要な目的は、まさに財務大臣たちを縛り付けることだと思われているのだ。
これらは金本位制放棄をためらう根拠としてはもっともなものだ。だがこの見方が根拠 としている経験は、政治家や銀行家の能力について、決して公平なものとはいえない。わ れわれが経験を有する非金属の通貨基準は、冷静に実施された科学実験にはほど遠いもの だからだ。それは戦争やインフレ課税の結果として、仕方なしに採用された最後のよりど ころでしかなく、その時点で国の財務は崩壊しているか、状況が手に負えなくなっている かだったからだ。当然そうした状況にあって、金本位制放棄は惨劇を伴ったり、惨劇の序 曲だったりしただろう。だがそこから平常時に何が実現できるかについて論じることはで きない。価値基準の規制管理が、これほどの社会的必要性もないのに成功裏に実施される 他の多くの活動に比べ、本質的に特に難しいとは思えない。
もし本当に神意が黄金を見守っていたり、自然が出来合いの価値基準を提供してくれた