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遺    構

ドキュメント内 十一条大路 (ページ 45-53)

I  区

2  遺    構

 

本薬 師寺 の遺 構

中門S B130

中門 と中門基 壇 に関連 す る遺構 に は、調 査 区西半 部 で検 出 した10の礎 石 据 え

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付 け痕 跡 と礎 石 抜 き取 り痕 跡 、 お よび基 壇 外 周 を め ぐる石組 溝 、 石 敷 遺 構 な ど が あ る。基 壇 の築 成 上等 は削平 されて全 く遺 存 せ ず、上記 の遺構 はす べて先述 の整地上 (暗褐 色 砂 質 土

)の

上 面 で検 出 した (Fig。26・ PL.11)。

基 壇 外周 の石 敷遺 構

 

中門 の南北両面 に二重 にめ ぐる玉石敷S X 131・ 132・ 133・

134と、 これ らの玉 石 敷 に は さ まれ て 矩 形 に折 れ 曲 が る石 組 溝 S D 135。 186な どを検 出 した。 石 組 溝S D 135・ 1361ま中門 の雨 落 溝 で あ り、 そ の 内 側 の玉 石 敷 S X 1310 133は 中門基壇 の外 周 をめ ぐる犬 走 りに相 当す る。 また外 側 の玉 石 敷 S X 132・ 134は、 中 門周 辺 の化 粧 石敷 と中 門 の南 北 に延 び る参 道 の舗 装 石 敷 で あ る。

S X 131は 、 中 門南面 に直径20〜25 cmの玉 石 を帯 状 に敷 き詰 め た石 敷 遺 構 で あ る。 と りわ け北 縁 が一 直線 に面 を揃 え る ことか ら、 S X 1311よ中 門 の基 壇 外 装 を行 った後 に外 装 石材 の南 に接 して敷 か れ た可 能 性 が高 く、 中門基 壇 外 周 を め ぐる犬走 りと考 え た。 ただ し後述 す るよ うに、 基 壇 外 装 の痕 跡 は S X 131の 北 に接 す る東 西 方 向 の耕 作溝 によ つて完 全 に失 われ て い る。 この耕 作 溝埋 土 に

は粉末状 の凝 灰岩 片 を含 む ため、一 時期、凝 灰岩製 の基壇 外装 が行 われて いた 可 能 性 もあ る。S X 131は 中門南辺 部 分 で よ く残 って い るが 、 東 南 隅 部 か ら南 面 東 回廊S C 140と の取 り付 き部 に至 る東面 部分 の遺 存 が 良好 で な い。 お そ ら

くS C 140の 基 壇 南 端 をなす玉 石 列 S X 148の 西 端 が、 S X 131の 東 南 入 隅 部 に あ た る もの と考 えて大過 なか ろ う。

S X 131の 南 に は中門 の南 面 雨 落 溝 S D 135が め ぐる。 S D 135は 底 面 に直 径 20〜25cmの玉 石 を敷 き、側石 1石で護岸 した深 さ約25cmの 石組溝 で あ る。 南 の 側 石 は残 りが よ いが、北 の側 石 を含 めたS D 135の 北 半 部 か らS X 131の 南 端 部 にか けて は、 中世 以 降 の耕作溝S D 156に よ って失 わ れ て い る。 した が つて、

S X 131と S D 135の 正 確 な幅 は、 と もに明 らか で な い。 遺 存 した底 石 は約0.5%

の西下 が りの勾配 を持 つ。

S X 133は 北 面 犬 走 りの玉石 敷 で あ る。南 端 部 分 は水 田耕 作 溝 に削 平 され て失 わ れ て お り、東北 隅 か らS C 140と取 り付 く入 隅部 にか けて の部分 も玉 石 の抜 取 り痕 跡 が部 分 的 に遺 存 す るの みで、S X 133の 正 確 な幅 につ いて は不 明で あ る。

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S X 133に 接 す る耕 作 溝 の埋土 か らも、南面 と同様 に粉 末 状 の凝 灰 岩 片 が小 量 出土 し、 中門基 壇 外 装 に凝灰岩 を用 いた時期 が あ った こ とを暗 に示 して い る。

S X 133の北 を め ぐる北面 雨落溝S D136の遺 存 状況 は きわ めて良 好 で あ る。

北 側石列 の うち中門 の ほぼ中央 間 にあ た る延 長 約4。

2m分

と、 調 査 区 西 端 部 の 両 側石列 (延長 約1.2m)、 お よ び東北 隅部 の内側石列 (延長 約

3m)が

後 代 の 撹 乱坑S X 137に よ って抜 き取 られて い る以 外 は ほ ぼ完 全 に遺 存 す る。 北 面 す る部分 の雨落溝 の規 模 は幅が約60cm、 深 さが約 25cmで 、底面 に は直 径 約20〜25 cmの玉 石 を2〜

3石

敷 き詰 め、底石 とほぼ同規 格 の側石 を1石立 て並 べ て護岸 す る。S C 140と 取 り付 く東 面部分 の雨落溝 の幅 は、 北 面 か ら東 面 へ と折 れ 曲 が る入 隅 に1石だ け遺 存 した内側石 によ って、北 面 と同 幅 の60cmに復 元 す る こ とが可能 で あ る。 東 面部分 はS C 140の北 面 雨 落溝S D 160と の取 り付 き部 か ら 北 に向か って約2.8%の勾 配 で下 が り、北面 部 分 は西 に 向 か って約0.8%の下 り 勾 配 で調査 区外 に達 す る

S D 135と S D 136の 底 石上 面 には小礫 が薄 く堆 積 し、後 に雨落溝 底 に礫 を敷 き足 して化粧 しなお した時期 のあ る ことが うか が え る。

上 記 の犬走 りや雨落溝 の さ らに外周 を取 り巻 くのが、S X 132、 S X 134な ど の石敷遺構 で あ る。S X 132は 南面 雨 落溝S D 135の 南 に広 が る玉石 敷 で、 中門 か ら南大 門 に連絡 す る参道 の一部 をなす。 s x 132の 東 端 は、 南面 東 回廊

SC

140の西 か ら2列 日の柱 筋 に ほぼ面 を揃 え る。 ま た、 調 査 区南 端 に設 け た拡 張 区 で は石敷 が き らに南 に延 び る様相 を呈 す る。 特 別史跡 指定 地南端 の農業用水 路 改修 に伴 う調 査 で は、削平 が著 しく全面 にわ た って石 敷 を検 出す る ことはで きなか ったが、 S x 132東 端 の南 へ の延長線上 に石列 を検 出す ることがで きた。

したが って、s x 1321よ 中門 とそ の両 わ きの南面 回廊 1間分 づ つ を含 め た約26.5

m(90尺 )の

幅 で南 大 門 まで延 びて いた可能性 が あ る。

S X 134は 、 中門 の北 面 雨落溝S D 136を北 か らコの字形 に取 り囲 む、 幅 1.2m

(4尺 )の

玉 石敷 で あ る。 また、S X 134の うち中門 中央 間 にあたる部 分 は中世 以 降 の撹乱土 坑S K 137に よ って大半 が失 われて い るが、S K 137の 東 南 端 付 近 に、S X 134の 北 縁 を なす玉 石列 と直交 して北 へ延 び る玉 石S X 150が 、

 2石

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Fig 26 本薬師寺1992‑1・ 1993‑1次調査遺構図 (1:200)

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け抜 き取 られず に遺存 して い る。 この玉石 によ って、 S X 134の 北 に は中 門 と 中軸 線 を合 わせ て幅約4.43m(15尺

)の

参道 が、 金堂 に連 続 して い た こ とが 推 定 で きた。S X 134の 石 の敷 き方 に は顕 著 な特徴 が あ り、 外 縁 を な す 玉 石 列 以 外 に中央 部 に平 行 す る も う と条 の玉石列 が認 め られ る。 これ は S X 134の 造 営 方 法 に関 して2つの異 な った解釈 の可能性 を示 す もので あ る。 ひ とつ は、石敷 の特徴 を単 な る工程 によ って生 じた もの と見 る解 釈 で あ る。 つ ま り S X 134の 外 側 を玉 石列 で縁 取 り、 中央 にい ま一 列 の玉石列 を設 けた後 に両者 の間隙 を玉 石 敷 で順 次埋 めて い くとい う石敷 の工程 を想定 す るわ けで あ る。 第二 の解 釈 は 石敷 の特 徴 が積 極 的 に造 成 時期 の差 を示 す もの と理解 す る方 向で あ る。 この場 合 に は、 中央 の玉 石列 が 当初 の石敷 の外縁 を示 し、外周 の石敷 は後 の改修 によ っ て付加 され た もの とな る。 しか しなが ら今次調 査 の結果 か らはいずれ と も決 し 難 い。 この問題 の解 決 は、 今後 の調査 で中門 と金堂 とを連絡 す る参道 の石敷 に 拡 幅 な どの改修 痕 跡 が検 出 され るか否 か にかか って い る といえ るだ ろ う。

S X 134の玉 石 間隙 に は随所 に小礫 を詰 め込 んで補 修 した痕 跡 が認 め られ、

雨落 溝 の底 石 上面 に礫 を敷 き足 して化粧 しなおす の と同時期 の仕事 と考 え られ る。 この よ うな玉石敷 は南大 門か ら中門 を経 て金堂 へ と至 る参道 と中門外周部 にのみ存在 し、 回廊基壇 の周 囲 に はな い。 したが って、伽藍 中軸線 を強調 して 中門 の み南北 両 面 を石敷 によ って荘厳 す る意 匠が採 られ た もの と考 え て よ い。

中門 と基 壇

 

先 述 の よ うにS X 131、 133の南 端 が耕 作 溝 によ って 破 壊 され て い るた め、犬走 りの正確 な幅 は不 明 で あ る。 ただ、 南 面 雨 落 溝 S D 135の 幅 を北 面 雨落 溝S D 136と 同様 に

60cm(2尺 )と

仮 定 す れ ば、 南面 犬 走 り S X 131の 幅 は

1.2m(4尺 )に

復 元 で き る。 北面 犬 走 りS X 133の 幅 も同 じ く

1,2m(4尺 )で

あ った と仮定 す れば、S X 131の北 端 か らS X 133の南 端 まで の距 離 、 す な わ ち 約8.9m(30尺)が中門基 壇 の復 元南 北 長 とい うことにな る。S X 131、 133の東 面 部分 の幅 は、 中門北 面 雨 落溝 の東北 隅部 か ら南 に折 れ曲が る東側 石列 の南北 引 き通 し線 と、S C 140基壇 南端 を画 す る玉 石列S X 148の西 端 部 との東 西 距 離 か ら雨落溝 の幅 (60om)を 差 し引 けば、約

1.2m(4尺 )に

復 元 で き る。 した が っ て、 中門基壇 の復元東西長 は、 中軸線 で折 り返 して約16.3m(55尺

)と

な る。

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中 門 の基 壇 土 は、 冒 頭 で述 べ た よ うに完 全 に削 平 さ れ て 遺 存 しな い 。 ま た 、 地 下 水 位 が 高 く地 盤 が そ れ ほ ど堅 牢 で な い に もか か わ らず 、 基 壇 造 成 に際 して 掘 込 地 業 等 の地 盤 安 定 工 事 を行 った形 跡 もな い。 西 北 隅 部 の3箇所 を 除 く計 9 箇 所 の礎 石 据 え 付 け痕 跡 と抜 き取 り痕 跡 は、 い ず れ も寺 域 造 成 に伴 う整 地 上

(暗褐 色 砂 質 土

)の

上 面 で 検 出 した。 と りわ け棟 通 り中 央 間 の 東 西 両 側 の 礎 石 据 え付 け 。抜 き取 り痕 跡 が 明 瞭 で 、 遺 存 状 況 も良 好 で あ る。 これ らの痕 跡 か ら 復 元 され る中 門 の 平 面 規 模 は、 桁 行 3間 〔総 長13.9m(47尺 )、 柱 間 寸 法 は 中 央 間 が

5m(17尺

)、両 脇 間 が4.43m(15尺)〕 、梁 間2間 〔総 長6.5m(22尺)、 柱 間 寸 法 3.25m(11尺 )等間 〕 で あ る。 この場 合 、 側 柱 心 か ら雨 落 溝 心 ま で の距 離 は平 側 、 妻 側 と もに約

9尺

と等 し くな る。 ま た、 前 述 の基 壇 の復 元 寸 法 を も と に試 算 し た側 柱 心 か らの 基 壇 の 出 も、 平 側 、 妻 側 と もに等 し くて

1.2m(4尺 )と

な る。

中 門 の 基 壇 外 装 は耕 作 溝 に よ って 完 全 に失 わ れ て お り、 意 匠 、 構 造 等 の詳 細 は不 明 で あ る。 た だ し、 先 述 の よ うに基 壇 想 定 位 置 に 隣 接 す る耕 作 溝 の埋 土 か ら粉 末 状 の凝 灰 岩 片 が 出土 して お り、 あ る時 期 に凝 灰 岩 切 石 を用 い た基 壇 外 装 が行 わ れ て い た可 能 性 が あ る。 ま た、 雨 落 溝 が基 壇 外 周 を 途 切 れ る こ とな く直 線 的 に め ぐる た め、 少 な くと も基 壇 の外 側 に張 り出 す 形 式 の 階 段 は 考 え 難 い 。 基 壇 を 内 側 に欠 き込 ん で 階 段 を設 けて い た と して も、 平 側 基 壇 の 出 の復 元 寸 法

は約

1.2m(4尺 )と

きわ め て 短 い か ら、 石 階 の 段 数 は最 大 で も葛 石 を 含 め て

3段を越 え る こ と は あ り得 な い。

中 門 の 基 壇 高 の復 元 に あ る程 度 の根 拠 とな るの が、 調 査 区 西 北 隅 部 の撹 乱 土 坑 に投 棄 され て い た 中 門 所 用 と推 定 され る大 き な 礎 石S X 138で あ る。 こ の 礎 石 は直 径 約 1〜1.2mの花 南岩 製 で、 ほ ぼ 反 転 して 本 来 の 上 面 を な す 平 坦 部 が 下 に な った状 態 で検 出 した。 柱 の 当 た る上 面 は叩 い て 平 坦 に造 るが、 柱 座 や 地 覆 座 な どの造 り出 しは な い。 平 坦 部 の大 き さ は100cm× 120cmの 不 整 円 形 で 、 石 の厚 み は最 大 約 75cmを 測 る。 い ま仮 に、 この礎 石 が最 も遺 存 の良 好 な棟 通 り中 央 間 西 側 の礎 石 抜 き取 り痕 跡 に存 在 した もの と仮 定 す れ ば 、 基 壇 高 は お よ そ60 cm弱 に復 元 す る こ とが 可 能 で あ る。 この基 壇 高 は、 先 に述 べ た平 側 基 壇 の 出 か

ら導 き出 され る石 階 の段 数 と も矛 盾 しな い。

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南面 東 回廊 S C 140

中門東 方 に連 続 す る南 面 東 回廊S C 140を 3間分 検 出 した。 単 廊 で、 柱 間寸 法 は桁 行 3.7m(12.5尺)等間、梁 間3.7m(12.5尺 )であ る。 検 出 した計

8箇

所 の柱 位 置 の うち、 南 側 柱 通 の2箇所 に は礎 石 が 当初 の位 置 に座 った ま まの状 態 で遺 存 す る。 これ らの礎 石 は いず れ も上面 の平坦 な花 南岩 で、 金 堂、東塔 の礎 石 の よ うに柱座 や地 覆 座 な どの造 り出 しはな い。残 る

6箇

所 の柱 位 置 の うち、3箇 所 で は礎 石 据 え付 け痕 跡 と礎 石 抜 き取 り痕 跡 を と もに検 出 し、 それ以外 の3箇 所 で は礎 石 抜 き取 り痕 跡 のみ を検 出 した。 また、北 側 柱 通 西端 の礎石据 え付 け 痕 跡 に は中央 の凹 み を取 りま くよ うに

4個

の根石 が遺 存 す る。 これ以 外 に も、

回廊 基 壇 中央 部 や調 査 区東端 で検 出 した後代 の上坑 か らは、 回廊 の礎 石 に用 い られ て い た もの と考 え られ る直径約

lmの

大 きな花 南岩

4石

が 出土 した

(SX

146・ 147・ 149)。 これ らに も造 り出 しな どの人為 的 な加 工 痕 跡 は認 め られない。

回廊 基 壇 は、 S X 148が 示 す よ うに玉石 と石 を立 て並 べ て 基 壇 外 装 と して い た もの と考 え られ る。 そ の外周 に犬走 りの石敷 はな く、基 壇 外装 の玉石列 が直 接 雨 落溝 の内側 石 列 を か ね る形式 で あ る。 雨落溝 の石材 は大 半 が中世以 降 の耕 作 溝S D 141・ 142に よ って抜 き取 られて い るが、 回扉 が 中門 に取 り付 く北 面 入 隅部 に底 石 と外 側 石 列 が わず か に遺 存 し、入 隅部 か ら東 に向 か って基壇外 装石 の抜 き取 り痕跡 で あ るS D 143が約 6.5mに わた って連 続 す る。 これ に よ って 、 S C 140の北 面 雨 落 溝 の幅 は中門雨落 溝 と同幅 の

60cm(2尺 )で

あ った こ とが

判 明 した。 またS D 143と S X 148と の南北距離 か ら、 回廊 の基壇 幅 を

7.lm(24

)、 側 柱心 か らの基 壇 の出 を5,75尺に復元 す る ことが で き る。 S D 143の 埋 土 に も微量 の粉末 状 凝灰岩 片 を含 むか ら、 中門基壇 と と もに回廊基壇 に も凝灰岩 が用 い られ た時期 が想定 で きる。 また、南面 の基 壇 外 装 石 の うちS X 148よ り 東 方 の部 分 はS D 141に よ って失 われて い るが、S D 141の 埋 土 か らは回 廊 の も の と思 われ る壁土 の一 部 が出土 した。壁土 には寸 渉 (す さ

)の

よ うな稟状 の植 物 繊 維 と、表 層 仕 上 げ と見 られ る白土 が混 じる。

 

本 薬 師寺 造 営 に先 行 す る遺 構

本 薬 師寺 の造 営 に先 行 す る遺 構 に は、西三坊 々間路S F 2740と そ の東 西 両 側

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