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卜 ⑩

ドキュメント内 十一条大路 (ページ 55-59)

6304E l

薬師寺32 3   93(107)

重弧文 4

6641G

H

K

88 (93)

6647 C b

G

  I

2(6)

4 7

13(17)

6663 1

6701A 2   108(121)

軒 瓦 合 計 201(223)

面戸瓦 叉斗瓦 隅切 瓦

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Hの

セ ッ トで あ る こ とが ほぼ確 実 に な った。 金 堂 出土 瓦 と中 門・ 南 面 回廊 出土 瓦 を比 較 す る と、 軒 丸 瓦・ 軒 平 瓦 と も金 堂 の ほ うが疱 傷 が少 な い。

さて 、 平 城 京 薬 師 寺 の 主 要 な 軒 瓦 の 組 み 合 わ せ は、 軒 丸 瓦6276Aと 軒 平 瓦 6641Gで あ る こ とが わ か って お り、 本 薬 師 寺 と は軒 平 瓦 の型 式 が 異 な る。6641

Hと 6641Gを 比 較 す る と、

Hの

ほ うが紋 様 が整 い、

Gは

枝 葉 の巻 きが 狂 っ た り 線 が か細 い点 で後 出 的 で あ る。

Hを

モ デ ル に して

Gを

作 絶 した可 能 性 が考 え ら れ る。 一 方 、 今 回 の調 査 で 出土 した軒 丸 瓦6276Aに は抱 が 強 く磨 滅 した もの が 含 まれ る。『 薬 師 寺 発 掘 調 査 報 告 』 で は、「 瓦 当 籠 が 強 く磨 耗 した もの が本 薬 師 寺 の発 掘 で 出土 す れ ば、6276Aはす べ て本 薬 師 寺 用 と して製 作 され 、 そ の 後 、 平 城 薬 師 寺 へ 運 ば れ 、 再 利 用 され た こ とが 明 らか に な る。」 と した が 、 本 薬 師 寺 へ 奈 良 時 代 に平 城 薬 師 寺 か ら瓦 が供 給 され て い る ことが 明 らか にな った現在 、

この磨 滅 した6276Aも この流 れ に乗 って い る可 能 性 が あ り、 必 ず し も本 薬 師 寺 か ら平 城 薬 師 寺 へ の瓦 の移 動 を示 さ な い で あ ろ う。 この疱 の強 く磨 滅 した 6276

Aは

抱 割 れ を起 こ した6641Gと胎 土・ 焼 成 が近 似 す る。

道 具 瓦 で は戻 斗 瓦 が 多 量 に 出土 した。 す べ て切 り戻 斗 瓦 で あ る。 通 常 の平 瓦 が 凹 面 に ナ デ調 整 を お こな い側 縁 に面 取 りを加 え るの に対 し、 英 斗 瓦 は凹 面 を 調 整 せ ず 側 縁 を面 取 り しな い。 面 戸 瓦 も切 り面 戸 瓦 で あ る。 大 半 が 蟹 面 戸 瓦 と 鰹 面 戸 瓦 だ が 、 少 量 の上 り面 戸 瓦 が あ る。

そ の 他

 

農 業 用 水 路 改 修 に伴 う

1993‑1次

調 査 で は、 中 門 の西 南 隅 方 向 に 当 た る現 有 水 路 の掘 形 埋 土 か ら、 上 面 の一 部 が方 形 に整 形 され た痕 跡 の あ る花 向 岩 製 の礎 石 が 出土 した(Fig.29)。 こ の 礎 石

は一 辺 約55〜60cm、 高 さ約36cmで、 整 形 痕 の上 面 に は柱 座 と壁 地 覆 座 とが一 体 と な った方 形 の造 り出 しの痕 跡 が あ る。 た だ し、 造 り出 しの上 面 は削平 されて いて、

元 の高 さ は不 明 で あ る。 既 述 の ご と く中 門 や 回 廊 の礎 石 は造 り出 し等 の加 工 痕 跡

を伴 わ な い花 南 岩 で あ るか ら、 この 礎 石 Fig 29 1993‑1次調査出土の礎石

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は少 な くと も中 門 や 回 廊 所 用 の もので はあ り得 な い。 や や小 規 模 で あ る こ とか ら裳 階 の もの で あ る可 能 性 もあ るが 、 堂 塔 名 は不 明 で あ る。

ま とめ

今 回 の調 査 の結 果 、 本 薬 師 寺 中 門 の遺 構 は きわ め て 遺 存 状 況 が 良 好 で あ る こ とを確 認 した。 そ して、 門基 壇 の外 周 を石 敷 の犬 走 りや石 組 雨 落 溝 、 そ して さ らに化 粧 石 敷 な どが め ぐ り、 仏 門 と して の偉 容 を いや が うえ に も高 め る意 匠 で あ った こ とが 明 らか とな った。 この よ うな基 壇 外 周 意 匠 の格 式 の高 さを考 慮 す れ ば、 重 層 門 で あ った可 能 性 も充 分 に考 え られ る。 た だ し、 今 回 の調 査 で は、

中 門 の梁 間 柱 間 寸 法 が11尺等 間 と比 較 的 短 い こ とが判 明 した ほか 、 側 柱 と雨 落 溝 との心 々 間 距 離 も平 側 、 妻 側 と もに9尺と短 く、 二 重 門 と考 え るに はや や難 点 が あ る とい わ ざ るを得 な い。 あ る い は二 層 目 に の み入 母 屋 の屋 根 が付 く楼 門 で あ った可 能 性 も否 定 で きな い。 この問題 はい ま ひ とつ の仏 門 で あ る南 大 門 の 意 匠・ 構 造 と も深 く関 わ って お り、 今 後 の調 査 を待 って さ らに詳 細 な検 討 が必 要 とな ろ う。

最 後 に平 城 薬 師 寺 との関 係 につ い て付 言 して お く。 薬 師 寺 の伽 藍 配 置 に関 し て は、 平 城 遷 都 に際 して主 要 伽 藍 が移 築 され た のか否 か とい う問題 が長 く議 論 の対 象 とな って きた。 今 回 の調 査 で は残 念 な が らこの問題 を解 決 す る決 定 的 な 資 料 を得 た と は い い難 い。 しか し、 あ え て い え ば次 の よ うな点 か ら、 平 城 遷 都

に伴 う中 門 の移 築 は可 能 性 と して低 い といえ る。

① 本 薬 師寺 中門 と平 城薬 師寺 中門 は規 模 の上 で大 き く相 違 す る(Fig.30・ 31)。 特 に平城薬 師寺 中門 の平側軒 の出が10尺以 上 に復原 で きるの に対 し、本薬 師寺 中 門 で は

9尺

しか な い。軒 の出の変更 は部材等 の細部 にわた って不都合を きたす。

② 奈 良 時代 の瓦 が 出土 して い るた め、平城遷都後 に も平城薬 師寺 か ら瓦 の供給 が あ り、瓦 の差 し替 え等 の維 持管理 の行 われて いた ことが推定 で きる。

③ 本薬 師寺 の単 廊 と平 城薬 師寺 で完成 した複廊 とで は寸法が大 き く異 なるため、

全面 的 な新築工事 とな った可能性 が高 い。

以 上 は中門 に関す る所 見 で あ り、金堂・ 塔 な どを含 めた移築・ 非移築論 の決 着 は今 後 の調 査 の進 展 に期待 したい。

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Fig.30 本薬師寺中門模式図 (単位 :小 尺)

Fig.31 平城薬師寺中門模式図 (単位 :小尺)

箇所 調

○ 調査区外の推定箇所

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ドキュメント内 十一条大路 (ページ 55-59)

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