ダビデとイスラエル王国 ( B C1 0 0 0 年頃)
モーセに次ぐ旧約聖書の立役者はダピデでしょう。ダピデは約束の地カナン にイスラエノレの王国を築き、エルサレムをその首都とし、モーセの石板のはいっ た『契約の橿』をここに導きいれた人です。エジプト脱出以来イスラエルの祖 国への帰還はここにいたって完成します。モーセはあまりに偉大で近寄り難い ところがありますが、ダピデは王であると同時に竪琴の名手でもあり、神を称 える多くの美しい賛歌を作った詩人でもあり、人間的な欠点まで含めて旧約・新 約の民の敬愛を一身に集めている人物です。この人の子孫からイスラエルの民 を救う救世主が生まれることを1000年の長きにわたって人々は信じつづけまし た。そして1000年経ってイエス・キリストによる救世の業が達成されたことを 信じる人々が出たとき、キリスト教徒と呼ばれるこの人々はまずまっ先に、イ エスが正当なダピデの育であることを系橋上確認することから宣教を開始した のでした。
しかしそーセの死からダピデまでには、 2∞年以上の歳月が流れています。エ ルサレムの都はローマと閉じく一朝一夕にして成ったものではありません。ま ずその聞のことを手短にまとめておきましょう。
‑ 力 ナ ン 定 住
『契約の慣』を12人の祭司にかつがせて、ヨルダン川を歩いて渡ったヨシュ
E 旧約聖書の世界
アとその一行が、川を渡り終えて最初にしたことは、男子に割礼をほどこすこ とでした。
モーセ、アロンのみならず、エジプトを出てきたとき成年に達していた人々 は、荒れ野での40年の街径のうちにことごとく死に絶えていました。神は、そ の教えに従わなかった人々を、約束の地にいれなかったのです。割礼に関して は、エジプトで子供だった人々(ョ、ンュアもそのひとり)はこれを受けていま したが、脱出後荒れ野で生まれた者はひとりも受けていませんでした。荒れ野 で死んだ人々に代わって父祖の地にはいる新しい世代が神の加護と祝福を受け
られるよう、ョ、ンュアはこうして準備をととのえたのでした。
しかし、カナンの地は彼らをすんなりとは受け入れませんでした。 400年を 超える聞には、そこに多くの民がすでに定住していました。エジプトから帰っ た者たちは、そうしたカナン人と、あるときは平和裡に交渉して、あるときは 激しい戦闘を交えて、自分たちの土地を獲得しなくてはなりませんでした。彼 らは自分では帰還者だと思っていましたが、先住者から見れば進入者、侵略者 でした。この点も現代のパレスティナ問題に通じるものがあります。
ともあれヨシュアは宗教上の指導者であると同時に軍事の天才でなければな らず、イスラエルの民はろくに武器ももたずに勝利をおさめる比類のない戦士 でなくてはなりませんでした。そして荒れ野で心身を鍛え、父祖の志を継いだ 強く雄々しい新人類は、大変な戦上手で、みごとにその責任を果たしたのです。
苦しい戦いのなかには嬉しい驚きもありました。ヨセフの時代に、エジプトへ 下らなかった人々の子孫との再会です。彼らは「契約Jと「律法」を受け入れ、
再会はシケムで盛大に祝われました。しかし歴史を共有しないこの親戚同士が ほんとうに融合するにはかなりの時聞を必要としたようですが。
外来者であるイスラエル人の手には、はじめのうち山の上の痩せた土地しか はいりませんでしたが、しだいに彼らの定住を許す土地は増えて行きました。ひ とたび戦争となると、神を後ろ盾とするヨシュア軍の戦いぶりはすさまじく、つ いにそーセが主に導かれてヨノレダンの対岸の山から見下ろしたほぽ全領域が彼 らのものとなりました。
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これらの土地はくじ引きによってイスラエルの
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部族に分け与えられ、そ れぞれの名を持つ州のようなものになります。ルベン、シメオン、レピ、ユダ、イサカル、ズプルン、ダン、ナフタリ、ガド、アシェル、ヨセフ、ベンヤミン。
このうちアロン以来祭司の職能を持たされたレピ族には領土がなくて放牧地の 権利だけが与えられました。ヨセフの代わりにその子マナセとエフライムの名 が取られ、レどとヨセフの分はこの二者のものとなりました。
この大業を成し遂げたあと、 110歳で世を去るまえ、ヨシュアは全部族の指 導者をシケムに集め、アプラハムにはじまるイスラエルの歴史から説き起こし て、エジプト脱出の経験を諮り、皆に主との「契約Jを新たにするよう、求め ました。なかでもヨシュアが強調したのは、「十戒」の第1と第2の旋すなわち
「主のみを神とすること」および「偶像崇拝の禁1.I:Jでした。部族が州にわかれ、
先住の異教の民に混じって生活するようになると、必ずこの戒律が破られる事 態が起こるであろうことを、このすぐれた指導者は懸念し、憂慮、していたのだ と思われます。ヤーウェの求める人間改造は新人類にとっても難しいものでし た。これからのち、「選ばれた民の歴史Jにはたえずこの戒律違反と神の怒りが 付きまとい、せっかく手にいれた約束の地を喪失する原因をなして行くことに なります。前に旧約の歴史は失敗の歴史だ、と言ったのはこのことです。
きぱきっかさ
・ 土 師 か ら 王 制 へ ( B C 1 2 0 0
,....1 0 5 0 )
ヨシュアのような指導者はこれからしばらく現れません。州ごとに自治が認 められ、それを治めるのは王のような権力の集中した為政者ではなくて議会だっ たのです。これを、ギリシアのデモクラシーをさかのぼること400年、人類最 初の民主制と見る見方があります。アメリカ建国の歴史と比較して、ジェファー ソン大統領時代の政治体制に似ている、という人もいます。聖書をそらんじへ ブライ語にも精通していた移住当時の清教徒たちは、士師時代のイスラエルの 政体をモデルとしてアメリカを作ったのだ、と。ただし、この世界最初の議会 は立法機関ではなく、司法機関でした。
E 旧 約 聖 書のt世界
ヨシュアが恐れていたとおり、 12部族の民はたえず異教の人々と接していた ために、「律法」を守ることにはいつも困難が伴いました。とりわけ第1と第2 の錠に反する「偶像崇拝Jには新世代も、というより世代が新しくなればなる ほど、陥りやすかったのです。だから一番必要なのは「法Jの番人つまり「裁 き手Jの存在でした。
部族ごとに自治が行われますので、裁判も部族ごとに長老会議によって行わ れました。しかし、12部族はひとつのイスラエルの各州にすぎませんので、長 老たちの議会の上に、その権限を上回る連邦議会のようなものがあって、おの おのの部族の代表がこれを構成しました。この連邦議会の長が「土師(さばき っかさ)Jと呼ばれる者で、これは神が選んだ最高裁判所の長官であり、同時に 行政長官もかねているイスラエルの指導者です。どうしてこれに日本で「士師J
という文字があてられたのか、私は知りませんが、この時代はたえず近隣の先 住者とのあいだにはげしい戦争があり、指導者は同時に戦いの最高司令官でも ある必要があったので、戦士を束ね、主の教えを伝える者としてこの二字がと
られたのではなし、かと思います。
士師たちのなかには、女に怪力の秘密を握られて奴隷となったサムソンのよ うに、逸話の知られた者もいますが、ここにくわしく述べている暇はなさそう なので、多くのなかからひとりだけ、戦いの指揮においても、またその戦いを 叙した躍動感あふれる詩の作者としても、比類ない能力を発揮した女性士師デ ボラの名のみあげておきましょう。男性の圧倒的優位に貫かれる旧約聖書の世 界には珍しく凍然と咲き誇っているフェニミズムの花でもありますので。
土師制度には致命的な弱点がありました。それは州ごとに主権が分散してい るため、強大な中央集権国家をつくることができないという点でした。また民 主主義は平和な時代にその価値を十分発揮しますが、部族ごとの議会が態度を 一致させないと戦闘にはいれない体制は、戦争には不利でした。そのため、民 族統合の象徴である「聖櫨Jが敵ベリシテ軍の手に奪われるという最悪の事態 が起こったとき、なんとかこれは取り戻したものの、イスラエルの民は、自分 たちも王を持ちたい、王を先頭に立てて戦えば、もっと士気もあがるのではな
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