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資金源 と仏郎機

第 1章   天主即上帝論の原型

第 2節   資金源 と仏郎機

沈潅 は以上の よ うな南京礼部や南京都察院の調査結果 を受 けつつ、「参遠夷三疏」で ヴァニ ョ ーニについて さらに踏み込んだ発言 をす ることになる。

臣、近 くまた細か に聞海 士民 に詢 うに、彼 の原籍 を識 る者 云 うには、仏狼機 人 に係 る、 と。

それ王豊粛 、原名 は巴里狼営、先年その党類 とともに詐 りて天主教 を行 うと称 して、呂宋 国 王 を欺 き、その地 を奪い、改 めて大西洋 と号す。 しか らばす なわち間丹のあい近 き一狡夷 の み。なんぞ八万里の邊なるあ らんや。臣、いまだあえてただちに この説 をもつて拠 とな さず

とい え ども、 しかれ ども芥 に伏戎 して、患 をなす こと測 りがた し。49

この箇所 は宣教師が侵略者 と認識 され る史料 としてい くつかの先行研 究で引用 され てきたが、

今一度 この史料 の持つ意味 を解釈 してみたい50。 沈潅が福建省沿岸 の士民に諮 問 して得た証言 は、

ヴァニ ョーニが仏郎機 人であ ることである。この証言 に基づ けば、次の二点が指摘 で きることに な る。一点 目は、仏郎機 はル ソン島侵略 を行 つた侵略者 であつて、ヴァニ ョーニが仏郎機 人な ら ば彼 の中国にお ける活動の 目的が中国侵略 にあることは明 白である。二点 目は地理上の指摘であ る。当時、ポル トガル人はマカオに、スペイ ン人はル ソン島に拠点 を置いていたため、両者 を含 めた表現 である仏郎機 は、マカオ とル ソン島に拠点 を持つ ことになる。ヴァニ ョーニが仏郎機 と すれ ば この二つ の地域が彼 の所属す る地域 と見 な され る。そ うす る と「しか らばす なわち間尊の あい近 き一狡夷 のみ」とい うよ うに、福建省 と広東省 か ら近い ことになつて しま うのである。こ うなる と、リッチ以来宣教師が 自らの所属国の位 置 を示す常套表現 として用いた 「人万里」等 の 距離 は全 く根拠 がな くなるこ とになるのであった。

まず一点 目の指摘 が宣教師 に とって宣教活動 の最大の障害である侵 略者疑惑 の部分 を直撃す る内容 であるこ とは、これ まで論証 して きた内容 に照 らせ ば明 らかである。 しか も「仏郎機 」が ポル トガル人 とスペイ ン人 を区別す るこ とな く指す 呼称 であつたた めにル ソン島侵 略事件 まで 取 り上げ られ ることになったのである。二点 目の指摘 もまた重要である。リッチは 自らの所属国 が 中国か ら途方 もない距離 にあることを「山海輿地図」で証明 してみせ 、中国人か らの侵略者疑 惑 を解 かせ ることに成功 した。 しか し、そ こに疑問符が打たれ ると、「八万里」 とい う表現が侵 略行為 をカムフラー ジュす るための手段 として中国人の 目に映 り、か えつて不信感 を煽 る結果 を 招 くのであった。

以上の よ うに沈潅 は福建省 の士民の証言 をもとに ヴァニ ョーニを仏郎機 とみ な し、侵略者 と位 置づ ける議論 を展開 した。しか し注意すべ きことは、彼 は この証言 をす ぐに断定す ることはせず に、も しこれ が真実であつた場合 に考 え られ る事柄 を仮説 として提示 してい るにす ぎない。これ を 「宣教師即仏郎機説」と呼ぶ ことに しよ う。これ はあ くまで仮説 なのであつて、これ を挙げて ただちに宣教師侵略者論 の形成 とい うことはできない。す なわ ち、宣教師侵略者論 の形成 にお け る南京教案 の位 置づ けは、宣教師即仏郎機説 が提示 され た ところまでで止 めなけれ ばな らない。

さて、「参遠夷三疏」が上奏 され た後の展開をここで見てお きたい。

1616(万

44)年

12月 の宣教師追放令 の詔 の中に「旨あ り。王豊粛等、教 を立て衆 を惑わ し、謀 を蓄 うること測 りがた

し。広東撫按 に逓送 し、督 して西帰せ しむべ し。51」 とぁるよ うに、宣教師即仏郎機説 は朝廷 に 対 して強い印象 を与 えた内容 であつた とい える。

もちろん、この状況 を宣教師た ちは座視 していた訳ではない。宣教師追放令 の詔 が降 され る と、

宣教師た ちは恩赦 を願 い出 る上奏文 を起草す る。繰 り返 して述べ るが、宣教師たちに とつて宣教 師即仏郎機説 は、宣教活動 の最大の障害である侵略者疑惑 を直撃す る内容であつた。ゆえに上奏 文 のなかで これ に対す る弁明 を してい るのである。当時朝廷で暦書の改正 に従事 していたデ ィア ス0デ・パ ン トー ジャ (1571‐1618、 鹿迪我

)た

ちは次の よ うにい う。

西洋 国陪臣鹿迪我等、奏す らく、臣、先臣利璃費等十余人 とともに海 を渉 ること九万里、上 国 に観光 し、かた じけな くも大官 を食む こと一十七載 な り。近 く見 るに南北、参奏 して駆逐 を行 うべ し、と。念 うに臣等、学道 に焚修 し、天主 を尊奉す。なんぞ邪謀 あ りて甘ん じて悪 業 に墜 ちんや。聖明憐察 を乞 う。風 を候 ちて便 ち帰国せ ん とす るに、も し海嶼 に寄居すれ ば い よい よ猜疑 を滋 さん。あわせて南京等処の諸陪臣、一体に寛仮 し、以て天朝蒙養 の恩 を全

くせん ことを。52

ここでい う「海嶼」 とはマカオを指 してい る53。 マカオはポル トガル人 (仏郎機

)の

寄留地で あるため、追放命令 の通 りにマカオヘ追放 された とすれ ば、中国人の 目には宣教師が仏郎機 の本 国へ と帰 国 した と映 るであろ う。そ うなれ ば宣教師即仏郎機説 は事実 であつた ことが証明 され る こ とにな る。パ ン トー ジャた ちはそれ を 「猜疑」とい う表現 を用いて打 ち消そ うとし、マカオヘ の追放 が猜疑 を増大 させ る結果 を招 くと主張 して、追放令の撤回を願 い出てい るのである。ここ か ら宣教師た ちがポル トガル人 との繋が りを隠蔽す る方針 に則 して抵抗す る姿が見受 け られ る。

そ してなに よ り彼 らが侵略者疑惑 を リッチ とい う中国宣教 の 中心人物 が死去 した後 も変 わ るこ とな く克服すべ き課題 としていた ことも同時に確認 で きるので ある。

4章 

侵 略 者 疑 惑 と徐 光 啓

1節  

宣教 師弁護論

徐光啓 は、周知 の よ うに リッチた ちイエズス会宣教師 の宣教活動 を強力 に支援 し、彼 が『 幾何 原本』を始 め とした ヨー ロッパ科学 を翻訳 した ことは宣教師の評判 を高 め、また彼個人 として も パ ウロとい う洗礼名 を得てキ リス ト教信仰 の道 を歩むな ど、中国のキ リス ト教宣教 において中心 的 な役割 を果 た した人物 であ る54。 この よ うな徐光啓 が宣教活動へ の献身的な貢献 については、

す でに先行研 究 において明 らかに されてい る事柄 である。しか し一方で彼 は宣教師即侵略者論 の 形成 とい う宣教師 に とつて宣教活動の障害 とな る要因において も、決定的な役割 を演 じた人物 で もあつたのであ る。以下、徐光啓 と侵略者疑惑 を論点 とし、南京教案か ら考察 を始 めていきたい。

1616(万

44)年

5月 、沈潅 は 「参遠夷疏」を上奏 し、そのなかで ヴァニ ョーニの宣教資金 について疑間 を提示 したのは、す でに見た とお りである。そ して この宣教資金 の補給 こそが、宣 教師がポル トガル商人 との関わ りを断 ち切れ なかつた唯一の点であつた。

この点 をめ ぐって奉教士大夫たちは宣教師の弁護論 を展開す る。まず楊廷街の例 を見てみ よ う。

楊廷綺 は一般 の士大夫 向けの小冊子 として著 した『 具鶯不並鳴説』において宣教師への弁護論 を 展 開す るが、そ こで宣教師の資金源 について 「西士、み な 自ら、その力 を食 し、非礼の銭 、一文 として受 けず。また教人、非分の財 を貪 らず、また非分 の財 を妄想す るを得ず55」 と述べ、宣教 師が資金 を 自ら調達 してお り、非合法な金銭 は一切受 け取 つてお らず 、また宣教師が不相応 な資 金 を貪 らず、また妄 りに求 めた りしていない と主張 してい るのであ り、宣教師の資金 について潔 自であることを一般士大夫た ちに訴 えるのであった56。 この よ うに資金補給 の潔 白性 を主張す る なかで、マカオや仏郎機 の名 を一切伏せ る弁護論 は、楊廷綺 ら奉教士大夫 も資金源 を追及 され る こ とが宣教師 に とつて宣教活動上の障害であることを理解 してい ることを窺 わせ る。

さて、徐光啓 は沈潅が 「参遠夷疏」を上奏 した2ヶ月後である 7月 に、宣教師 を弁護す るため

「弁学章疏」を上奏す る57。 徐光啓 は宣教師の宣教資金 について、次の よ う弁護論 を展開す る58。

諸 陪臣 (宣教師たち

)の

やや もすれ ば猜疑せ らるる所以 は、ただ盤 費の一節 た り。あるいは 金銀 を焼煉す るを疑い、あるいは洋商の接済 を疑 え ども、み な非 らぎるな り。諸陪臣、すで に出家 し、生産 を営 まず、お のずか ら捐施 に取給す。お よそ今 の衣食 は、みな西国の捐施 の 人、展転 して託寄す るも、まま風波・盗賊 に遇 い、おお く至 るを獲ず。諸 陪臣、またはなは だ これ に苦 しむ。……今 の計 をなす に、光禄寺の銭糧 を恩賜す るは旧に照 らして給発す るを 除 くのほか、その余 は諸陪臣に明令 して捐助 を量受せ しめ、以て衣食 を給 し、足用の外 、義 としてあえて受 け ざる者 は、その便 に従 うを聴す。広海 の洋商、諭す に用度 のすでに足 るを 以てすれ ば、西来の金銀 を寄送す るをえず。なお関津 は厳査・阻回 を行い、か くの ごとくし て音耗断絶すれ ば、 こ とごとく猜疑 を釈 かん ことを。59

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