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情報労連平和行動
-戦 跡-
愛媛県・三机(みつくえ)湾 須賀(すが)公園 (西宇和郡伊方町三机)
真珠湾攻撃に参加した特殊潜航艇「甲標的」
訓練基地(第一特別基地隊)が設営された地。
公園となり戦争で犠牲になった人を偲ぶ九軍 神碑などが置かれている。
・日本電信電話公社四国電気通信局慰霊碑(今治市南大門町)
昭和20年4月の米軍空襲で、当時の今治郵便局電話交換室で作業中に、亡 くなった女性職員10人の冥福を祈るために建てられた。
・楢本神社(西条市)
神風特攻隊の先陣となった部隊と人が祀られている。戦艦大和や三笠の主砲 弾も。傍らの記念館には弾丸や練習機「赤とんぼ」のプロペラなどが展示され ている。
・掩体壕(えんたいごう)
(松山市南吉田町)
戦時中に航空機を敵の空爆から守るために地元も人々の勤労奉仕で旧日本軍 が造った軍用機格納庫のこと。
旧海軍松山航空基地があった松山空港東側の南吉田町内には、コンクリート 製24基、土製39基が作られ、現在3基が残っている。
-戦 跡-
香川県・日本海軍詫間海軍航空隊跡(三豊市詫間町)
第二次世界大戦の戦時下の1943年6月から終戦まで、大型飛行艇隊を有 する海軍の有数の基地が置かれていた場所。この基地から50数人の隊員が神 風特攻隊として出撃し 南方の戦地に散った。
昭和19年10月から詫間補給所の施設を利用して修理工場を建設し、基幹 技術者に徴用工員・増川女子挺身隊員・女子年少工・観音寺商業と善通寺高女 の動員学徒等を加えた約800人の陣容で、各種飛行機の修理に精根を尽くし、
被弾破損した飛行機を一刻も早く飛 ばそうと、必死の思いで業務に邁進 した若い力が二式飛行艇を決戦の空 へ飛ばし続けた。
-戦 跡-
徳島県・那賀川橋りょう 鉄道橋(阿南市横見町)
徳島駅を出発した牟岐駅行き列車(客車 4 両、貨車 1 両)は警戒警報が発令 されたことから最寄駅に停車したが、駅長の判断で同駅を発車し、那賀川橋梁 に差し掛かったさい、米軍機が襲来、爆撃と機銃掃射により車両は大破脱線・
立往生するも、同機は執拗に攻撃を繰り返した。
死者は近所の横井製材の土場に安置され、その夜に西光寺にて仮通夜が執り 行なわれた。死者は32人、負傷者は50人超とされ、これらは銃創や爆傷、
破傷風併発などが原因であった。
証言では、川に飛び込む人々や鉄橋上に逃げ惑う人々を米軍機は容赦なく攻 撃したという。
「当時の惨事を風化させてはならな い」ことから、2005年に、堤防下 に「平和の碑」を建立、平和への誓い を新たにした。
-戦 跡-
高知県・震洋隊殉國慰霊塔(香南市夜須町)
終戦翌日の8月16日、須崎市の第二十三突撃隊司令から「本土上陸の目的 をもって敵機動部隊が土佐沖を航行中、直ちに出撃してこれを撃滅すべし」と の戦闘命令が発令された。
手結基地「震洋」隊は直ちに準備にかかり、「震洋」試運転中に突然一艇から 発火し、22艇が次々と爆発し搭乗員、整備員等111人が爆死した。
これを発見した見張所は「敵機動部隊、高知平野東部手結岬方面を砲撃中。
目下付近の海軍特攻部隊は続々出撃、戦果拡大中」と打電。これを受けた陸軍 四国防衛軍は大本営に「敵艦船とわが海軍部隊が交戦中」と報告した。四国在 の各部隊は一斉に戦闘配置につき、第二十三突撃隊本部から須崎と浦戸の基地 回天隊にも「回天戦用意」が発令された。
翌17日朝、誤報であることが判明し各隊の戦闘用意は解除されたが、終戦後 の混乱期であったため、この事件は世間に大きく取り上げられることも無かった。
昭和31年に地元の夜須町有志が立ち上がり、奉賛会を結成するとともに、「震 洋隊殉國慰霊塔」を建立、毎年8月16日に慰霊祭が執り行なわれている。