• 検索結果がありません。

貴州反排苗族文化生活保護区での聞き取り

この村に入るときは、まず橋を渡りこの橋を渡ることで相手の領域にはいり 歓迎される(写真 20)。橋を渡って村にはいるという行為が重要である。橋を 渡ると歓迎の酒を振舞われるのである。ここでは、観光化のために民族衣装を 着た人々の歓迎の舞踊が行われた(写真 21)。この舞踊は歌垣であって、男女 の掛け合いのものであった。沖縄の歌垣との共通点がある。現在は週に二回く らいこれらの踊りの授業が学校で行われているとのことであった。

この保護区の人口は約 1600 人、世帯数は 340 戸であったので、一世帯の家 族数は、やく 5 人であろうか。一家族に一家屋ということであって、昔は大家 族であったとの話しから考えるとかなり人数の減少がある。また、若者のほと んどは、出稼ぎに行き、一番出稼ぎに行っている場所は広州とのことであった。

小学校は集落の近くにあり、中学校までこの近辺で教育をうけることができる。

しかし、中学以上の高等教育はこの村を出て行かなければならないということ であった。したがって、人口減少をまぬがれないとのことであった。このとき

写真 20 台排苗族文化生態保護区入り口の橋

聞き取りに協力してくれた Wang Pan Sei さんによると、この村の多くの先祖 は明末に黄河流域から追われてきたとのことであった。

家屋は、村全体の人々が相互扶助で建てる(写真 22)。昔は建物の部材は、

集落近辺のものを使用し、屋根を葺く瓦も集落で焼いていたとのことであった。

建物は三階建てで、一階部分は家禽、倉庫に使用する。二階部分は人がすむ。

三階部分も人が住むとのことであった。山岳地で雪が降るため米の収穫は1年 に一回だけである。先祖の墓は村が見渡せる場所にあり、現在は漢族と一緒の 墓となり墓の方角などあまり意味をもたなかった。

苗族は三つの魂があり、一つは墓を守る魂、一つは家族を守る魂、一つは天 国へ導く魂で家の周りにいると信じている。

この村の調査では、若者の流出に伴う人口減少と保護区とよばれているよう に少数民族としての観光化が顕著であった。これは外国人観光客がたくさん来 ているということよりも自国の中国人観光客が多いのが特徴である。今後、こ れら観光客が少数民族の多様な文化の理解者になることが必要である。

写真 21 歓迎の踊り

おわりに

インドネシア共和国南スラウェシ州タナ・トラジャ県のトラジャ族の集落、

ヌサ・テンガラ・バラット州スンバ島、ヌサ・テンガラ・ティモール州フロー レス島の伝統的集落を説明した。その上で中国貴州との比較を試みた。インド ネシアにおけるスンバ、フローレス島の伝統的集落は、現在その集落の存在自 体が孤立し始めているのが現実である。トラジャにおける集落の形態は、スン バ、フローレスと比較すると集落規模が大きくないので、そのまとまりのなか で農業を生業として暮らしていける。タナ・トラジャ県のマカレ、ランテパオ など町部においては近代化が進み伝統的家屋に住まないことも特別なことでは なくなってきている。しかしながら、トラジャの集落は意味を持って存在する 理由として、トラジャの人々の紐帯を強める儀礼は近代化が進んでも執り行わ れていることがあげられる。この儀礼に現在でも人々が価値を置いている点で、

急激に集落が孤立する自体にはなりにくいと考えている。

このようなインドネシアの集落に比較すると肇興は規模が大変大きい町並み 写真 22 苗族集落と家屋

である。また、インドネシアのような 集落全体が農業をなりわいとするとい うことではなく、町並みはそこに住む 人々がさまざまな商業を営んで暮らし ている(21)。集落の形態はまったく異な るため、この比較をするためには、肇 興の鼓楼を中心とするある一族の関係 する地区に絞り込んで、そこでの生業、

就業形態、家系調査などする必要があ ろう。そのような一つ一つの調査過程で インドネシアの集落との慣習、儀礼、民 俗資料などの詳細な比較が可能になる。

今回の調査では、今後の調査へのス タートが出来たと考える。したがって

今後も調査を継続する必要がある。しかし、今回の調査でも顕著であった観光 化と過疎化、若者の出稼ぎの傾向は急激であるため早めに調査をすることが求 められている(22)

脚注

1、 1990 年代に始まったトラジャへの観光開発の動向、トラジャ族の伝統社会について は参考文献(14、「インドネシア観光開発と伝統社会」)に論じた。

2、 修復に至るまでの経緯は次のような概略としてまとめられる。細田はトラジャに初 めて行った 1990 年に、100 年以上の年代のトンコナンに人々が住んでいること、そ のトンコナンを中心とする人々の生活の場所である集落の景観に興味をもった。一 方、無住となり倒壊していくトンコナンもあった。このトンコナンは修復し、現地 保存したほうがいいと考え、修復の話を文化庁に持ち込んだ。この要請をうけ、文 化庁と外郭団体を中心として調査をすることが可能になった。この調査結果が修復 に結びついたのである。

3、 修復のための最初の調査は、(財)文化財建造物保存技術協会などの支援で行われた。

この最初の調査では、鳥越憲三郎も歴史学者として調査メンバーとして参加した。

調査の途中、その方針などの違いから分裂した。バヌア・タンベンの修復を行った 文化庁に対しても批判的であった。その後、鳥越憲三郎・若林弘子は『倭族トラジャ』

を著した。当時から鳥越・若林は倭族の視点から調査を行っていた。

4、 バヌア・タンベン= Banua Tamben は、Banua は家、Tamben は井桁組を意味する トラジャ語である。高床下の柱建ての部分が井桁に組んである建物のことである。

5、 アリン・アリンという茅の一種で葺いていた家屋もあったが、現在はほとんどない。

これは後述するスンバ、フローレスの伝統的集落では家屋の屋根葺き材として現在 も使用している。

写真 23 市場の女性、背負い帯と刺繍

6、 トタン葺きは竹葺きに比べて部材の価格も安く、人件費もかからない理由による。

7、 トラジャ県内の地域差、地域的特徴については、参考文献(10)に詳しく論じた。

8、 タナ・トラジャでの調査は元県知事アンディ・ロロ氏、前知事タルシル・コドラッ ト氏の協力を得ることができた。県知事の協力は、どこに行っても調査を自由に行 えるなど絶大なものであった。

9、 調査した限りでは、トラジャの大工たちは、こちらの質問にいやな顔もせずに実直 に答えてくれた。トンコナンに興味をもっていることに共感してくれた面も大きい。

10、 バヌア・タンベンの修復後、細田はほぼその調査をトラジャ人と一緒に一人で行った。

その後、岩手県前沢町(現在奥州市前沢区)の牛の博物館との関係ができて、博物 館友の会を中心とする修復支援委員会をたちあげた。この委員会と全国の支援者の 寄付、大成建設自然・歴史環境基金助成、キーコーヒーなど企業からの協力などで 資金調達を行い修復をした。

11、 著者にとってはサンガランギ郡ケテ・ケス村に住むトラジャの文化・社会・歴史に 造詣の深いティンティン・サロンガロ氏だった。サロンガロ氏の住むケテ・ケス村は、

トラジャ的景観が美しくインドネシア共和国が世界遺産 Tentative List に上げてい る場所である。トラジャに来る観光客はほとんどこの村を訪れる。

12、 トラジャではトンコナンには一つ一つ名前がついている。例えば、トンコナン・サ レバユ、トンコナン・テンコバト、トンコナン・パパ・バトゥのように。

13、 トラジャ社会の制度的側面は参考文献(9)(11)に論じた。

14、 伝統的な水田耕作については、参考文献(9)に論じた。

15、 バヌア(家)ビランダ(オランダ)、オランダ人の家と呼んだ当時のなごりの呼称で ある。オランダ人宣教師がトラジャに布教に来たときから建てられたので、こう呼 ばれた。トンコナンに比較すると、簡単に建てられること、値段が安価なことである。

しかしトンコナンに比べると明るいというので若い世代はこれに住みたがる傾向が 16、 スンバ島伝統的集落と記述するのは、スンバ島は、他の島々からの移住者が多く、ある。

港湾を中心に町となり都市化がすすんでいる。このため、本論が展開するような集 落は少なくなっている。近代化に伴い本論のような生活をする人々も減少している。

したがってこれらの人々の生活を区別するために伝統的集落とした。

17、 調査した Kampun Wata Baka では、主人である 75 歳の男性は、現在 2 人の妻を持ち、

子供はこの間に 9 人いた。この現在の妻の前に 2 人の妻がいたがいずれも死亡した。

現在の 2 人の妻は同じ家に住んでいる。

18、 フローレス島もスンバ島と状況は同じである。フローレス島への移住者も多く、そ れは町部を中心に都市化がすすんでいる。フローレス島の場合は、スンバ島に比べ 就業機会が少ないので、若者は他島へ出稼ぎにでる。

19、 この聖なる空間の意味が理解できず、石の上に座ったヨーロッパ人観光客は、鉈を もった村人に追い払われたというような話はよく聞いた。

20、 このような土盛饅頭型の墓は、済州島にも顕著にみられた。

21、 商業地区には、民族衣装を着た少数民族の女性たちが来て買物をしていた。

22、 本論で使用した写真は、写真 1 と 19 以外すべて細田が撮影したものである。

参考文献

1、 鎌澤久也〔1993〕『雲南西南中国の人びと』平河出版社 2、 鎌澤久也〔1996〕『南詔往郷西南中国の人びと』平河出版社

3、 茶谷正洋・八木孝二・盛和春・山口浩司〔1981〕『インドネシア・スラウェシ島サダ ン・トラジャの集落と住居の形態』-住宅の構法と集落の形態に関する研究―住宅 建築研究所

4、 鳥越憲三郎・若林弘子〔1995〕『倭族トラジャ』大修館書店

関連したドキュメント