続いて、退職世代と現職世代の貧困認識がどのような構図になっているのか、それぞれみていき たい。まず、退職世代であるA氏・B氏・C氏の場合である。
▲ その頃どうだったんだろうな。そういえば、授業料未納をひっぱって、授業料未納を掲示に書きだして、
やったことがあったかな。そして、期日を間に合わないで納めた人を、後で墨で消すっていうのが、あっ たような気もするが、どうだっただろう。今言うね、新聞で言う、それなりに私も〔貧困の記事を〕見 ますよ。でもそんなに、あんまり知らないな。……家庭訪問をしたけども、貧しさよりも、一頃某高校 は退学者が多い時代があってね。入学した生徒の半分くらいは消えて行っちゃうようなクラスがあった ような気がする。しかし貧しさと言うのが新聞で出たような気はしないな。貧乏の話、ちょっと弱いかな。
ピンと〔こない〕ですね〔A氏〕。
▲ 〔貧困は〕はい、ありました。これは、古ければ古いほど貧困は多かった。今の時代よりも。某中学校に行っ
た頃は、あの頃学校に出る金といったら教科書代と、あるいは何か実習をするものは実習の材料代とか、
それからPTAの会費とか、義務教育だからそんなにたくさんはお金は出ないのよね。それでもビン集 めをする生徒が多かった。某中学校にいるときの校長の提唱で、毎日ビン一本学校に持ってくる。〔月に〕
24 〜 25 日ぐらい学校に出るわけよね。24 〜 25 本ぐらいビンを持ってくることになる。で、ビンを 買い取る業者を1ヶ月に1回呼んで、ビンをとってもらう。誰がいつ何本ビンを持ってきたというのが 記録されているから、お金あげるわけですよ。ビン代。今度はお金あげた日に農協さんが来るわけです。
で、個人個人の通帳を作って貯金をする。それを貯めて修学旅行の費用にするとか、高等学校に行って 授業料にするとかいうのがありましたね。〔1980 年代〕そういう子どもについては、役所を通して民生 委員に連絡をとって、生活保護が該当するかどうか、というようなこともありましたね。役所と連携して。
何名かそれを、親が生活保護を受けてなんとか高等学校に行ったという子どももいます。それから、そ ういうものに該当しないで、高等学校に行けなかった子どももだいぶいますよ。それから、私が勤務す る以前の時代では〔貧困な人たちが〕もっとたくさんいたよ。とにかく〔高校進学者は〕少なかったで す〔B氏〕。
▲ 〔2000 年代に勤務した学校が〕荒れた。荒れた時期が多くて。割と大きな某地域の市営住宅があるんで すよ。ダーッと。あの子たちが来るんですよね。団地からも来る。貧しさもね、ハンパじゃない貧しさ。
不登校で、1軒の家に何人も、おじさんからおばさんからみんな住んで、生活が苦しそうな感じの子も いましたね。ちょっと格差があったような気がする。そういう、市営住宅のおうちの子なんかも、お母 さんが働きに出てね、なかなかおうちの子どもを見れないとか。そこはやっぱりものすごい貧困の子も いましたね。……その時思ったの。私自身が福祉につなぐことをわかってない。教師が。大変な時に、「こ こに相談したら」っていう、そういうことを知識を少しでも持っていたら、あの子もう少し救われたんじゃ ないかなと思って。指導の中身でなんとかしようというのばっかりあって。〔教育実践の。〕そうそうそう。
「この子なんとか学校に来させよう」とか。この子をイキイキとさせることで救っていると思ってたんだ けど、根本的には何も解決できなかった。あ、そうか、福祉につなげる、児童相談所とか民生委員とか、
そういうこととの連携の大事さっていうのをあそこで学んだ。それから、〔2000 年代後半〕某小学校の ときは民生委員の方とか、一緒に行くようにしたり、民生委員の方とお話したり、退職して民生委員になっ た先生もいらっしゃるから。相談して、おうちに行ったりすることをするようになったんだけど。やっ ぱ教師はちょっとその辺がね。貧困対策の中に、プラットフォーム、沖縄に出てくるんだけど、そのプラッ トフォームっていうのは、子どもたちをどこにつなげていくかっていう。こういうことは今の教師には できないなと思って。忙しくて……〔3人に1人が貧困というデータについて〕ほとんどの教師は実感 しない。服だって安く買えるしね。みるからに貧困という格好してくる子はいなくて……実感としては 10 人に1人。クラスに3人いるかな、みたいな。おうちがすごい汚れて、ゴミがあちこち散らばっていて、
そういう見るからにこの家は大変だな、というのは3人ぐらいかな。だから3人に1人というのはちょっ と〔C氏〕。
A氏にとって子どもの貧困問題は「あまり知らない」「ピンとこない」問題であり、むしろ中退 問題のみが印象に残っている。そこには、中退が貧困と関連している可能性についての認識をうか がうことはできない。また、B氏においても子どもの貧困問題は比較的過去に顕著なものだったと 受けとめられている。A氏・B氏両者とも、沖縄戦による壊滅的な打撃を受けた後の戦後窮乏・復 興期の学校生活を体験していることが、現在の相対的貧困に対する認識にまさる戦後初期的・絶対 的貧困像の印象の強さに影響を与えているものだろう。またC氏は、教育実践の力で子どもの諸困 難を乗り切る姿勢を長く貫いてきたが、後に考えを改め「福祉につなぐ」必要性を実感することに なる10)。退職世代にとっての子どもの貧困問題は、他の同時代的な教育問題群と比べいまだ顕在化 せざるものだったと言ってよいだろう。
他方、現職世代の子どもの貧困認識はこれとかなり異なっている。ここでは、かれら教師たちの
目を通してあらわれる子どもの貧困の実態を見ていくことにする。
① 昼食費が捻出できない
給食のない高校段階になると、お金がなくてお昼ご飯が食べられない若者たちが目立ちはじめる。
皆がみな「弁当箱パッと見て、色とりどりの野菜とか」〔D氏〕が入った食事にありつけるわけで はもちろんない。ここで重要なことは、お金がないことが居場所の喪失につながることである(阿 部 2011:118)。ランチタイムに食事をすることが「当たり前」の雰囲気の中、食事を用意できな い場合はそこに居づらくなる、そのような若者たちが図書館などに放逐されてしまう、という問題 が出ていることが指摘されている。
▲ やっぱり弁当見て、買い弁……200 円ぐらいとかで買えるんですよね。お母さんのいない子で、お昼は もう食べない。お金がないから。お昼は節約のために食べてないんだとか、あるいはほしくないという 言い方をして、教室から離れてみんなが食べてるその時間は図書館行ったりとか〔D氏〕。
▲ これだけしか食べてないなとか、食事やお弁当を見たりする。何か気が付けば担任に伝えている〔F氏〕。
▲ 図書館係をしている先生が、しょっちゅうお昼ごはん〔の時間〕になったら図書館に来る生徒がいるっ てことで、最初は本が好きかなって思って見てたんだけど、よくよく話とか聞いてみると、この、食事 代金がないっていうことで。だからお昼は食べずに図書館にいるっていう子がいたっていうお話してま したね。〔1人で?〕個別なので、喋ることができたのかな、集団……でも何名かいつも図書館にはいたっ て言ってたので〔G氏〕。
② 通学費が捻出できない
通学のためのバス賃が捻出できない問題が指摘されていた。E氏によって紹介された事例では、
片道 1,000 円ほどかかるバス賃を「自分のアルバイト料で出している」のだが、足りなくなると通 学ができなくなる。「すごい真面目な子で勉強も出来るんだけど、月に1回2回必ず休むんですよ」。
また、G氏によれば、遠距離の通学路を徒歩で通うことで節約しているケースがあった。「バス賃 がなくて、朝も1時間、帰りも1時間かけて歩いて」。
③ 医療費が捻出できない
虫歯の治療ができないことも子どもの貧困問題のあらわれとしてよく指摘される。「う歯〔虫歯〕
の罹患率は所得の連続的勾配にしたがって悪化する、言い換えると所得格差が健康状態の社会的格 差になっている」(武内 2016:71)。D氏は「よく〔貧困と虫歯の〕相関関係があるって言われるじゃ ないですか、最後に〔歯科医に〕行くっていう。〔生活が厳しい子が〕クラスで一番虫歯が多いですね」
と述べている。また、「特にとてもこんなところが違うんだって気づいたのは、虫歯が、去年某小 学校は6年生2人だけが虫歯で、あと全員〔虫歯がない〕。で、この二人も虫歯なしになったので〔治 療状況に学校差=地域差が大きい〕」〔I氏〕とも言われている。