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によれば、 復一は 「金壱千五百円ノ負債ヲ生ジ、 [ 三 井 菅 家 が ] 非 常 ノ 督 促[ ニ ] 及 ビ、 既 ニ 成 規 ノ 手 続ニ及バント」する訴訟寸前の事態に追い込まれた。 復 一 の 謝 恩 状

(事後の明治三十五年五月十一日に書き置かれた書面)

は「 証 書 」 を「 確[ カ ニ ] 落 手 」 し た と 述べる。

         書画幅提供謝恩状

   右竹村藤兵衛氏斡旋ニ因リ御所蔵画幅前後貳拾点 蒙御恩贈、西村乕四郎関係スル所三井方償金千五 百 円 速 ニ 相 片 付、 証 書 拙 者 方

確 落 手 仕 候 間、 後 日之為謝帖如斯御座候也

87 【資料解説】山本章夫筆山本亡羊伝「先人言行録」について(松田)

       明治廿五年壬辰七月

        山本復一   ○

          山本章夫殿

  章夫が復一の負債弁済のため、所蔵の書画類を手放 したのはこれが最初ではなかった。大正十一年十月の 章夫二十年祭記念の略伝編集の際、規矩三が編集者の 門 人 真 下 正 太 郎 に 提 出 し た 資 料 綴 り

句読点を加えて引用する。 しているので、全文を掲げる。片仮名交じりを改め、 にちがいない。関西鉄道一件も規矩三の立場から回想 返却のために父章夫と共に苦労した規矩三自身の文章 ヲ救フ」と題する左記の一章がある。伯父復一の借財 に は、 「 同 族 ノ 急

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    同族の急を救ふ

  同族復一、関西鉄道株金〈利子〉千五百円不払込の 為、 三 井

(債権者)

よ り 督 促 甚 し く 将 に 所 有 権 を 失 は んとするに際し、金子の融通方を託され、遂に章夫所 蔵の書画幅名品三十点を出し、三井家の管理者西村乕 四郎なる者に渡し、事済となれり。其の事に関し竹村 藤兵衛度々相談に及しも、結局前記御手元より之を弁 償し、復一の急を救たり。夫に対し復一より一札を受 取り置くも、三井よりの本書は不見当とて交付せず。 右書画幅、今日の時価にすれば莫大なるものあり。   此外、復一方の借財数々嵩み、為に金子の巧面を申 来るもの数々あり。積んで数百千金に至る。章夫手元 余 優

(ママ)

あるなしと雖ども、見捨難きを以て、終に廿三年 十月之を一掃せんことを企て、東上して所蔵の書画幅 数百点を東京角筈華龍園に展観し、希望者を俟ち割愛 し、之を以て整理に当んとす。時非にして不如意。僅 に其急を救ことを得。章夫手元に於ては徒に費用を消 し、十数幅を減せしに終る。   章夫自身は明治二十三年、書画売却時の思いを七絶 「 将 鬻 蔵 幅 詩 以 志 別 」

(将に蔵幅を鬻がんとして詩もて別れを志 しるす)

に 託 し て い る。 「 多 年 蒐 集 費 経 営。 挙 付 他 人 易 愴 情。 清 濁 在 心 誰 得 測。 奔 車 三 駕 赴 東 京。 」

(多年蒐集して経営に費やす。挙げて他人に付し愴情を易 おさむ。清濁心に在り誰か得て測らん。奔車に三たび駕し東京に赴く)

(対竹斎詩集) 。

  以上のごとく、章夫は本家当主復一の負債救済のた め、明治二十年に本家の土地家屋を買い取り、明治二 十三年十月と二十五年七月にやむなく長年収集の書画 類を処分して、明治二十六年七月の亡羊四十年祭を迎 えた。孝子の務めとして「先人言行録」浄書稿本をま

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とめ、四十年祭を斎行し終わるや、再生読書室の当主 として、また亡羊五子とその子孫からなる一族の長と して経営努力しつつ、浄書稿への加筆を重ねていった のである。

(三)増補稿の変容

  最 後 に、 増 補 稿 の 成 り 立 ち を 概 観 し よ う。 「 ナ カ ザ ワ」製罫紙に書かれた増補稿は、おそらく明治二十六 年内に浄書稿の余白がなくなり、別に随時、自伝的回 想も含めて短冊形の紙片に書き溜めていたものを明治 三十五年前後に、短期間に中字で書き写して本文とし、 その後さらに細字で書き入れたと思われる。実際、浄 書稿の末尾にそのような紙片が二枚添付されている。 また、明治三十五、六年頃、亡羊の贈位申請準備のた め、復一と章夫が共同編集した「山本氏家譜」の本文 は、復一がまず清書段階の増補稿の第[

[ 1 ]段から第

までを転写し、そのあとは[ 妻 の 職 を 得、 今 予 夫 に 先 立 つ、 そ の 職 を 失 へ り と。 」 12 ] 段 の「 先 妣 臨 終 の 時、 妻 は 夫 の 終 り を 見 て こ そ

筆している。   得 肖像画の題詩」までの亡羊関係記事を抜粋し、加 78 ]段「立身行道断然自

([

  増補稿は全文、章夫の筆になるが、最終段階で本文

1]段~[

  一 回 目 の 追 加 編 集 で は、 亡 羊 遺 事 の 補 遺

  追加編集が行われた。 行録」の編集を一旦終えたあと、さらに二度にわたる び「亡羊先生著書目録」を付して山本亡羊伝「先人言 章夫、正夫の著書目録、亡羊の「強勉斎随筆抄」およ

96]段)

の あ と に、 錫 夫

(榕室)

、 秀 夫、

97段~ 111

段)

と 亡 羊 資 料「 松 隠 中 山 元 鵬 所 撰 亡 羊 山 本 先 生 寿 序 」 お よ び 章 夫 の 撰 に な る「 先 兄 榕 室 行 実 」「 弦 堂 先 生 髪 塚 碑 陰 記 」「 楓 庭 居 士 碑 陰 記 」「 祭 十 二 郎 文 」、 津 藩 儒 斎 藤 拙 堂 の 撰 に な る「 亡 羊 先 生 墓 表 」、 弦 堂 秀 夫 の親友神山鳳陽の撰文「弦堂山本君墓碣銘」が追加さ れた。これらは「亡羊先生著書目録」で終わる本編の 補遺編とみなすことができる。しかし、その末尾に付 録とは見なしがたい章夫の「新註七経総序」と門人真 下 正 太 郎 の「 山 本 章 夫 小 伝 」 が 挿 入 さ れ て い る。 「 新 註 七 経 総 序 」 は「 明 治 辛 丑 十 月   七 十 五 翁 山 本 章 夫 書」の署名があり、明治三十四年十月に「論孟詩三書 注 解 」

(論語・孟子・詩経の注解書)

が 脱 稿 し た と き に 書かれたことが分かる。一回目の追加編集はこの時点 でなされたと推定される。このあと、規矩三と真下正

89 【資料解説】山本章夫筆山本亡羊伝「先人言行録」について(松田)

太郎は三書の出版準備を開始し、章夫の著書『論語補 注』乾坤二冊

(明治三十六年六月二十五日)

と『詩経新 注』上中下三冊

(明治三十六年十一月二十日)

が読書室 から刊行されることになる。

  二回目の追加編集では[

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