博士論文概要 論文題目
阮朝フエ王宮・勤成殿における髹飾技術の復原的考察 齋藤潮美
本論文は,ヴィエトナム社会主義共和国の中部,トゥアティエンフエ省の省都フエに,ヴィ エトナム最後の統一王朝・阮朝(1802-1945)によって造営された,阮朝王宮・勤成殿に おける髹飾技術の復原的考察を目的とする.
勤成殿は,阮朝王朝期(以下王朝期)には歴代皇帝や官吏が政務を執る「常朝正殿」と して 1804 年に創建された.阮朝終焉後の 1947 年に勤成殿は戦禍を被り,木造架構と屋 根が焼失し,現在は基壇のみが残る.
現存する阮朝王宮を中心とした歴史的建造物群(以下歴建群)は,1993 年にユネスコ世 界遺産に登録された.阮朝は,先行研究によると中国をモデルとした集権的官僚制国家を 樹立したとされ,東アジアにおける中国を中心とした冊封体制における最後の王朝である が,阮朝末期にはフランスの植民地となった(以下仏領期).
現存する歴建群には,建築装飾,祭祀用具,美術工芸品等に多くの髹飾技術がある.髹 飾技術とは,漆などを塗抹することや,蒔絵などの加飾を施した装飾法を指す.漆とは,
ウルシ科ウルシ属から滲出する液で,そのまま放置すると被膜を形成して,塗料となるも のを指す.ヴィエトナム産漆は,ヴィエトナム北部地域に多く生育分布するアンナンウル シから採取される.東・東南アジアの各地で産出する漆は,先史時代より用いられ,高度 に発達したこの地域独自の文化を形成した.ヴィエトナムの古代以降の髹飾技術は,中国,
日本,フランスの影響を受けて発達したと考えられる.
阮朝終焉後にヴィエトナム戦争が勃発した際,フエは激戦区の 1 つとなった.阮朝王宮 建築は,戦禍や社会情勢の変化に伴い建物が失われ,基壇のみを残す遺構,図面資料等が 残存しない遺構例がある.先行する勤成殿の復原的研究として,早稲田大学中川武研究室(以 下中川研)と古都フエ遺跡保存センター(以下 HMCC)の国際共同学術ヴィエトナム現地 調査(以下現地調査)による,現存基壇,文献史料,古写真等の部分的な研究成果を援用した,
阮朝勤成殿の平面・断面と架構に関する復原計画案が提示されている.
阮朝王宮建築は多くが木造であり,高温多湿で過酷な自然環境に加え,生物被害により,
現存遺構の塗膜は劣化が著しく進行し,近年以前の髹飾修理(以下修理)状況確認が難し くなりつつある.現在確認できる塗膜の一部は,王朝期から王朝終焉後にも遺構への修理 が行われたと推察できるが,その具体的な状況資料は乏しく,HMCC による近年のものを 除き,修理年代,技法,用材などがあきらかではない.HMCC は修理を行う一方で,太和 殿内に古材を保存している.その取り組みは,勤成殿の髹飾技術の復原的考察や今後の歴
建群髹飾技術の保存修理においても重要な意義を持つもので,学術的な第一級の資料価値 を有する.
フエの宮殿建築は,柱と梁を用いた軸組構法を用いる.柱は,屋根荷重を直接的に受け る構造材であるとともに,高い装飾性が求められる.宮殿建築の髹飾技術における装飾の 中心が柱にあり,柱における装飾の意味を考えることによって,宮殿建築の室内空間と髹 飾技術との関係が明らかになることが期待される.
以上のような背景のもと,本論文では歴建群の建築髹飾技術に関する文献的研究と,現 存遺構の柱における技法,文様の種類・形態・構成と配置に関する現地調査結果から実証 的に導かれた髹飾技術について,勤成殿の礎石痕跡等の復原調査と古写真分析から得られ る髹飾技術との検討を通じて,勤成殿の柱における髹飾技術の復原的考察を試みる.勤成 殿の柱における髹飾技術の設計方法や空間理念を復原的に明らかにすることを通じて,歴 建群の伝統的木造建築髹飾技術保全を目的とする基礎的な研究資料を作成し,基盤的な研 究となることを目指した.
本論文は,序論 3 章,本論 4 章,結論から構成される.
序論では研究の目的と方法および従来の研究等について述べている.
本論第 1 章では,王朝期に漢字,字喃の表記法を用いて編纂された漢喃史料にみられる 髹飾技術に関する語句を抽出・分類し,漢喃史料等ではフエ阮朝王宮の建築髹飾の特徴を どのように考え,記述しているのかについて,中国,日本の技法も参照し,復原的に考察 を試みた.その結果,赤色系統と金銀を用いて龍文などを描く材料・表現に関する記述は,
漢喃史料にみる髹飾技術の特徴であること,特に修理や保存行為を重視する姿勢が認めら れることから,建築の保存,維持,管理を王朝主体で行ったことを推論している.
第 2 章では,太和殿の柱における技法と文様の種類・形態・構成・配置について,現地 調査の成果に基づき分析し,その特徴の抽出にあたり,古材と修理材を対象に調査図を作 成し,写真記録も併用した.太和殿柱における髹飾技術の特徴について,建物平面との関 係を分析した結果,龍文を主体に描くこと,龍文頭部の中心に「王」または十干の第九位,
五行では水,方位では北という意味の「壬」に類似する形状があること,龍文の腹部や尾 部が螺旋状に回転する重複性を持つこと,文様構成が正中間の建物中心軸を境に一部細部 を除いて全体として対称的に配置されるシステムがあること(以下配置システム),その中 で,ほぼ文様の構図は踏襲されていること,龍文による荘厳は皇帝の権威を象徴すること などを明示した.
第 3 章では,現存遺構における柱髹飾技術の比較を行った.阮朝宮殿建築の髹飾設計技 術は各建物の配置や建築様式と密接に関係することが予測される.勤成殿と同じ架構形式 の 14 遺構と同じ宮区の 3 遺構と皇城中心軸上の 1 遺構を対象とし,建築と髹飾技術に関 する概要を整理した.古式文様の残存状況が良好な遺構は,記録図と写真記録を併用し,
龍文の特徴を抽出した.現存遺構の全体的な特徴は,柱に髹飾文様が描かれる遺構と描か
れない遺構があること,髹飾の色彩は 3 つの系統(金・赤・黒茶)があり,遺構ごとに異なっ た.古式文様の調査図作成から特徴を抽出した結果,龍文頭部の中心に「王」,「壬」に似 る形状が確認できたのは,太和殿と凝禧殿であった.現存する皇城中心軸に位置する遺構は,
柱髹飾文様の設計方法が「正中間=皇城中心軸」を強く意識し,特に太和殿柱における髹 飾技術は,龍文や髹飾の色彩配置を建築装飾概念の中心として,阮朝宮殿建築の空間秩序 形成に重要な役割を果たした可能性について論述した.
第 4 章では,勤成殿における柱髹飾技術の復原的考察を試みた.先行研究では勤成殿基 壇礎石の実測調査と礎石上面各種類の痕跡の配置と古写真の撮影内容との比較から,かつ ての木造架構が「黒漆塗」であった時期が推定されている.本論文では古写真の撮影箇所 や画像が鮮明でないなど限られた条件下の分析だが,現時点ではかつての勤成殿の髹飾仕 上げ色が「黒漆塗」だったとは断定しがたいことを述べている.
文献史料・古写真・現存遺構の分析などから勤成殿と太和殿は類似する性格を有する一 方で,以下のような違いがあることを述べた.即ち先行研究ではフエ王宮の造営にあたり ヴィエトナムにおける風水と陰陽五行説の関係性が指摘され,皇城内は,中国・紫禁城に おける「陰陽道」に類似する傾向がみられる.外朝区の中心をなす太和殿は「陽」に,紫 禁城の中心をなす勤成殿は「陰」として,南半が公的な空間,北半が私的な空間へと分節 され,太和殿は「陽中の陽」,勤成殿は「陰中の陽」に属するとされる.勤成殿は「常朝正 殿」,太和殿は「大朝正殿」と記述され,勤成殿は阮朝末期には「迎賓祝祭の機能」を有し,
機能が拡大された.したがって太和殿髹飾概念の格式は,勤成殿のそれと同等あるいはそ れ以上であり,勤成殿以南の皇城中心軸を意識した建築様式規定における髹飾技術計画の 中で,大宮門,午門・五鳳樓と外国使節の引見などに用いた太和殿では,より外部を意識 した建築装飾技法を計画したと考えられる.したがって勤成殿は太和殿よりもどちらかと いえば内向きを基準として考えるべきこと,たとえば勤成殿古写真で確認できた扉の位置 には,現状太和殿では髹飾文様が描かれていないがかつては描かれていた可能性が強いこ とが逆に指摘できることを述べた.
勤成殿では柱に龍文を主体に描き,龍文が螺旋状に重複する文様構成と金や赤系統の髹 飾色彩を用い,髹飾技法・色彩・文様形態の構成が建物中心軸を境に対称的に配置するシ ステム,「正中間=皇城中心軸」を強く意識した髹飾設計が行われた可能性を復原的に提案 した.
以上の各章で導き出した復原的考察の総括的な要約を行い,結論とした.