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―近世日本、中国、朝鮮における肖像画をめぐって―

第一節 《誠忠義士肖像》の揃物について

江戸時代後期に活躍した浮世絵師歌川国芳は、先行研究によって自身の作品へ洋書挿絵 を転用したもの、あるいは極端な陰影表現を採り入れた作品が指摘されており、洋風画表 現に多大な関心を持った絵師の一人といえる。とりわけ、《誠忠義士肖像》(大判、嘉永5年・

1852)(以下、個々の作品を指す場合は人物名のみに略称)の揃物は、迫真性に富む人物の顔 貌表現を特徴とし、国芳の西洋画法への意識が強く表れた作品といってよい。岩切友里子 氏は、本揃物について「題名に『肖像』とある通り、人物の写実的描写を追求した揃物」

と指摘している。1)さらに、鈴木重三氏は本揃物の特徴である写実的描写に加えて、「眼晴 の描写で、黒目中に白点を抜き、光の反射を的確に表出した造型感覚が特記される」2)と評 しており、本揃物は従来から顔貌にみられる迫真的な描写が注目されてきた。国芳をはじ め、多くの浮世師が「忠臣蔵」を題材とする作品を手掛けているものの、《誠忠義士肖像》

の揃物にみられるような人物表現を見出すことはできない。題目に付された、「肖像」の意 味には「人物の容姿、姿態などをうつしとった絵、写真、彫刻」とあるものの、国芳が本 揃物を制作する際に、義士たちを対看写照によって描くことはありえない。さらに辞書で

「写実」の意味を確認すると「事物の実際のまま絵や文章にうつすこと」、一方で「写実的」

は「事実をありのままに描写したさま」とある3)

近年の研究によって、本揃物のいくつかの作品は、洋書挿絵の図様が転用されていたこ とが明らかになっている。しかし、国芳が洋書挿絵にみられる陰影表現をいかに消化した のか、という点については言及されていない。このことからも、国芳は《誠忠義士肖像》

の揃物にみられる写実的描法をいかに形成していたのか、という疑問が生じてくる。

そこで、第五章では《誠忠義士肖像》の揃物と同時代の肖像画を比較検証することで、

国芳が意図した「写実」の意味を見出すことを目的としたい。はじめに《誠忠義士肖像》

の揃物にみられる表現を考察し、国芳が意図する写実的表現を確認していく。そして、他 の浮世絵師が描く人物の顔貌表現をみていくことで、《誠忠義士肖像》の揃物にみられる描 写の特異性を浮き彫りにする。次に西洋画法を採り入れた同時代の肖像画を提示し、その 特徴を明らかにしていきたい。同様に日本のみならず、18‐19世紀の中国や朝鮮で制作さ れた作品も比較対象に含むことにする。以上のことから、国芳における「写実」の意味を

1)岩切友里子「作品解説76 誠忠義士肖像 潮田政之丞高教」 (『没後150年歌川国芳展』、日

本経済新聞社、2011)、260頁を参照。

2)鈴木重三 解説「162~166 誠忠義士肖像」(『国芳』、株式会社平凡社、1992)、203頁から 引用。

3)「肖像」については、日本国語大辞典第二版編集委員会、小学館国語辞典編集部『日本国語大 辞典第二版』第7巻(株式会社小学館、2000)、184頁。「写実」、「写実的」については、同書第 6巻、1123‐24頁を参照。

明らかにし、彼の画業において《誠忠義士肖像》の揃物がどのように位置付けられるのか に言及する。

第二節 作品考察―《誠忠義士肖像》の揃物を中心に a)揃物の概要、および先行研究

本揃物は嘉永5年(1852)に刊行され、現在12図が確認されている。くわえて、岩切氏に よって「小野寺幸衛門当秀」の版下絵が1図、ライデン民族学博物館に「誠忠義士伝」の 題で「矢間喜兵衛」、「不破数右衛門」の草稿2図の存在が指摘されている。4)鈴木氏は現存 数の少なさに加えて、「未開版の図のあるところを見ると、このシリーズは、さほどの評価 を得ず、版元が続刊を中止したように受け取られる」と示唆している。5)

本揃物は、討入時の赤穂義士の半身像を描いたもので、背景の藍による地潰しが画面の 緊張感を演出している点が特徴として挙げられる。なお先に述べた通り、勝原良太氏によ って、国芳はいくつかの作品に洋書挿絵から図様を転用していたことが明らかにされてい る。6)このように国芳は、本揃物において西洋画法を積極的に採り入れて、従来の錦絵作品 にみられない、新たな表現を模索していたといえよう。しかし、作品の中には彩色の濃淡 で顔貌の立体感を表そうとする描写がみられる一方で、従来の浮世絵作品にみられる線描 を用いた表現を採っているものも確認できる。また、人物が身につける衣服や事物には陰 影表現が用いられていない。では、いくつか個々に作品を採り上げて考察していく。7)

b)作品考察―顔貌表現を中心に―

まず、《大星由良之助良雄》(図5‐1)をみると、斜め前方を見据えた由良之助の半身像が 描かれている。由良之助の顔貌に注目すると、国芳は人物が斜めを向いたことによって生 じた皺、さらには下顎に付いた贅肉を細緻に捉えている。顔貌の陰影表現をみると、額や 鼻にハイライトを施すとともに、それらに比べて目元や左耳の辺りには濃い彩色を確認で きる。顔貌に用いられる線描は細く、その使用が極力控えられており、これらの表現から は、彩色で立体感を表そうとする国芳の意図を容易に見出すことができる。

4)前掲書1を参照。

5)前掲書2、204頁から引用。

6)勝原良太「国芳の洋風版画と蘭書『東西海陸紀行』の図像」(『国際日本研究センター紀要』

第34号、角川学芸出版、2007)を参照。なお、国芳はニューホフの『東西海陸紀行』(アムステ ルダム、1682年刊行)の銅版挿絵から図像を転用しているという。勝原氏は《潮田政之丞高教》、

《吉田沢右ヱ門包貞》、《富之森祐右ヱ門正固》、《矢間喜兵衛》(草稿)は、それぞれ「Een Brasuliaen」

(ブラジルの人)、「Een Malabaarse Man en Vrouw」(マサッカルの毒矢を吹く男)、「Bougis of Bokjes」(バウヒスまたはポキエス)、「Een Malabaarse Man en Vrou」(マラバールの夫婦)の 図像が転用されたものと指摘している。なお、『東西海陸紀行』からの図像転用は、《忠誠義士肖 像》を含め国芳の作品14作品(15か所)に確認されている。

7)本揃物にみられる義士の名前は、初版時は実名に近い名で表記し、後刷は名前を実名に変更し たものが確認されている。博覧亭・岩切友里子編《江戸の英雄》(財団法人平木浮世絵財団、2010)、

120頁を参照。

《横川勘平宗則》(図5‐2)をみると、水に濡れた勘平が服の水分を絞り取る姿が描かれ ている。力を入れて服の水を絞っているにもかかわらず、前をじっと見つめる勘平の表情 から、周囲では激しい戦闘が繰り広げられていることが想起される。濡れた髪や服から絞 り取られた水分を薄墨で表している点がおもしろい。また、藍による地潰しとともに、皮 膚に纏わりつく髪、顔や首から滴る水分が異様な雰囲気を強調しているといえよう。衣服 に薄墨が施されている部分と、そうでない部分との差異を示す彩色の濃淡を確認できる。

顔貌にみられる陰影だけでなく、濡れた髪や滴る水分、人物の動作の瞬間を細緻に捉よう とする国芳の執着が垣間見える。

《潮田又之丞髙教》(図5‐3)は、先に指摘した通り、ニューホフの『東西海陸紀行』の 挿絵から人物のポーズを転用したものである。しかし、又之丞の顔貌表現をみると、国芳 は弓を放つことで生じた頬の筋肉の凹凸に、彩色で濃淡を施すことによって一瞬の動きを 捉えている。国芳の陰影表現は、典拠とされるニューホフの図像にみられるそれよりも細 緻に描かれているといってよい。また、画面左下部に配された政之丞の大きく開いた右手 は、ニューホフの挿絵には見られず、国芳が改変を加えた点といえる。従来の浮世絵作品 にみられる誇張した描写はみられず、違和感なく表しているといえよう。同じく、勝原氏 によって洋書挿絵の転用が明らかにされている《富之森祐右ヱ門正固》と《吉田沢右ヱ門 包貞》の顔貌にみられる陰影表現は典拠となるものと異なっている。国芳は祐右ヱ門の顔 貌を描く際に頬骨や頬の皺に彩色の濃淡だけでなく、線描をひいて立体感を加味している といってよい。つまり、本揃物は、『東西海陸紀行』の挿絵を典拠としながらも、独自の表 現を模索する国芳の制作態度を指摘できるのである。

一方で、《中村勘助正辰》と《堀部矢兵衛金丸》の2図は執拗なまでに、顔貌に線描で皺 が描き込まれている。《中村勘助正辰》(図5‐4)は、火鉢を受け止める場面が描かれており、

胡粉を散らすことで、空中に飛散する煤の瞬間を捉えようとする国芳の意図が垣間見える。

一瞬の動きを捉える姿勢は、顔貌表現にも見出すことができ、眉間の皺や唇を噛みしめる 表情を描き出すことで画面の緊張感を演出している。彩色による陰影表現を施しているも のの、顔貌に多用された線描が印象的な作品といってよい。なお、国芳は《誠忠義士傳》(大 判、嘉永期・1848‐53)の揃物にみられる「富森祐右衛門」(図5‐5)においても火鉢を受け 止める場面を描いているが、その顔貌に線描を用いた執拗な皺の描写は見られず、従来の 武者絵と同様の描法を採っている。同じく、「中村勘助」は、薪を受け止める場面が描かれ ているが、その人物の表情に細緻な描写はみられない。もう一図の《堀部矢兵衛金丸》(図 5‐6)は、敵の槍をかわした場面を描いている。先の作品同様、顔貌には線描による皺が施 されており、彩色の陰影よりも強調されて用いられている。国芳は額、まぶた、口元の緩 んだ筋肉を線描で細緻に捉えているといえよう。左手に皺を多く描き、義士の中で歳年長 であった矢兵衛の容姿を上手く表現している。本揃物において国芳が描く場面は何れも一 見すると動きがなく、静謐な印象を受ける作品であるが、《堀部矢兵衛金丸》のように人物 の動きの瞬間を捉える場面が多いと指摘できよう。さらに、人物の顔貌表現は彩色の濃淡