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―ワイドスクリーン作品を中心に―

第一節 国芳の「ワイドスクリーン」

国芳の武者絵の中で、特異な画面構成を持つ大判三枚続、今日では「ワイドスクリーン」

と称される作品群が存在する。(以下、「ワイド版」と略称)その名称を初めて用いた鈴木重 三氏は、「その手段としてまず意表をつく巨大な物体で画面を連続させ、意外性を強調して、

観賞者を瞠目させようと図っている」と指摘する。さらに、そこに配された巨大生物とは 対象的に「周辺の人物は、つとめて小さく、しかも巨大物体の動きに即して、有機的に関 連する対応動作を取ら」せることで、国芳の運動表現に新たな展開がみられることを仄め かす。1)氏は、先の作品群に該当するものとして、《鬼若丸の鯉退治》、《相馬の古内裏》、《宮 本武蔵の鯨退治》、《讃岐院眷族をして為朝をすくふ図》の4作品を挙げている。一方、菅 原真弓氏は、鈴木氏の見解を汲みつつ、広義的にみれば《弁慶梵鐘引き上げ》、《大物浦平 家の亡霊》、《通俗三国志之内 玄 徳 馬 躍 壇 渓 跳 図げんとくうまをおどらせてだんけいをとぶず

》の3作品も、先の作品群に含むこと ができるという。氏は、「煩雑な事物を極力省略した画面構成」を採ることで、「画面の左 右に連続する物語の時間空間が広がっていく」と指摘し、本作品群の共通する事柄として、

「①文学、戯曲、あるいは説話など、周知の題材を選択する、②全体を同じ色調で統一す る、③登場人物(物語を説明する事物)が少ない、④西洋の事物を描き込んだり、または西洋 画法を取り入れた画面構成を行っている」の4点を挙げている。2)

しかし、先の計7点の内、前者4点と、後者3点の表現には差異を確認できる。先述し た両氏による、国芳がワイド版において「運動表現」、および「画面構成」において新たな 表現を模索していた、という見解には概ね理解できる。ところが、国芳は前者では運動表 現、後者では画面構成に重きを置いていた印象を受け、やはり二つの作品群は異なる意図 を持って制作されていたと考える。また、国芳の作品には、上記の他にもワイド版と類似 する表現を確認できる作品が散見され、それらは、天保期の役者絵や美人画にも見出せる。

同時期には人物を極端に大きく描いた武者絵も確認でき、ワイド版発生の契機は様々な要 因が考えられるといってよい。ワイド版の特徴ともいえる画面の中心事物の巨大化、ワイ ド画面構成の採用などは、様々な要因を示唆できるのではないか。従来の研究では、北斎 の読本挿絵を中心に図様の典拠や同題材作品との比較に重きが置かれていた。前章でも述 べてきたように、国芳は作品制作の際に既存、同時代作品を参考にしており、北斎に限ら ず幅広く検証する必要がある。

第四章では、国芳のワイドスクリーン作品に焦点をあて、彼の制作意図を作品から考察

1)鈴木重三「国芳―多彩奇抜な画業―」(『浮世絵八華七 国芳』、株式会社平凡社、1985)、127

‐28頁から引用。

2)菅原真弓「第六章 武者絵から歴史画へ―歌川国芳における画面拡大の意味」(『浮世絵版画 の十九世紀』、株式会社ブリュッケ、2009)、195‐225頁を参照。

するとともに、「ワイドスクリーン」型の画面構成に影響を受けた作品を確認できる五雲亭 貞秀や豊原国周などの作品を採り上げ、国芳から後代の絵師への展開をみていくことにす る。結論として、国芳のワイド版は「巨大事物」の配置、「画面の広域化」などの特徴に加 えて、事物の運動表現を利用して観者の視線を誘導し、一つの画面に時間の流れを形成す ることで、より臨場感に富む場面を形成していたことを述べていきたい。

第二節 ワイド版の黎明期

鈴木氏、菅原氏の見解を参考に、ワイド版、およびそれに準ずる作品を列記したものが

【表4‐1】になる。作画期は、天保から嘉永年間(1830‐53)となり、先述の通りその分野

も多岐にわたる。なお、岩切友里子氏は、ワイド版にみられる特徴と類似した作品として、

勝川春亭の《無題(土蜘蛛退治)》(文化期・1804‐17中頃)、《宇治川合戦三枚続》(文化後期) などを挙げている。とりわけ、後者は画面奥から手前へと掛る大橋の構図が面白く、線描 を多用した宇治川の流れの描写によって、劇的な画面になっている。氏は、春亭の武者絵 は、国芳のワイド版制作の契機の一つであった可能性を仄めかす。3)たしかに、国芳の作品 の中には、春亭と同趣向を採る場面や画面構成を確認できるものがある。しかし、国芳は 弘化‐嘉永期の作品において、より画面を整理することで「運動表現」、および「画面構成」

に新機軸を打ち出しているといってよい。では、【表4‐1】を参考に、ワイド版の成立過程 を考察していくことにする。

a)「巨大事物」―空間性の描出

まず、最上限の作品である《二代目岩井粂四郎のかつしかのお十、三代目尾上菊五郎の 木下川与右衛門、四代目板東三津五郎の渡し守浮世又平》(大判三枚続、天保3年・1832、

図4‐1)は、「天竺徳兵衛韓噺」の「鯉つかみ」の場面が描かれたものである。画面中央に

大きく配された鯉の姿が印象的であるが、役者を極端に小さく描くことはなされていない。

「役者絵」ということもあり、役者を引き立てることに重きを置いていたのかも知れない。

鯉が体をくねらせることで生じた波飛沫の描写は、画面の運動感を増している。鈴木氏は、

本作品にみられる鯉の図様に対して「後の武者絵における奇想構成へ発展する」ことを示 唆する。4)同場面を採る、豊国や国貞の作品をみても、鯉を三枚に亘って描くものは確認で きない。国芳は役者絵の分野では、先の二人に敵わなかったことが伝記に記されているが、

その現状を打開しようとしていたのかもしれない。5) 美人画の三枚続である《夜の桜》(大

3)岩切友里子「勝川春亭考」(日本浮世絵協会 会誌編集委員会『浮世絵芸術』120号、日本浮世 絵協会、1996)を参照。

4)鈴木重三 作品解説「299 鯉つかみ」(『国芳』、株式会社平凡社、1992)、221頁から引用。

5)『新増補浮世絵類考』(竜田舎秋錦編、慶応4年・1868)には、「役者絵似顔を国芳に画かゝせ

板刻すといへども、師豊国又は国貞あるが故に人みな国芳を嫌ふ」とある。国芳と国貞の両者好 適関係を誇張した感を否めないが、作画量からしても、同時期において国貞は役者絵の第一人者 であったと考えられる。仲田勝之助編校『浮世絵類考』(岩波文庫、1941)、195頁から引用。

判三枚続、弘化年間・1844‐48、図4‐2)は、画面左手から、墨の掠れを活かした、勢い のある線描を有する桜の枝が大判三枚に亘って配されている。墨と薄墨で濃淡を施した幹 の描写とは対象的に、美人像、桜の花弁は発色鮮やかな色で摺られている。画面右、およ び中央の女性の視線は、画面左の女性が手に持つ桜の花びらへ注がれる。同様に、画面右 の美人の後景に配された桜の枝は細く、さほど目立ったものではないが、画面左へと進む につれて、その異様な形が露わになる。異なる描法が採られることによって、美人と桜木 は各々、その存在感を顕著なものにしているといえよう。なお、本作品は一枚としても観 賞に耐えうるものであるが、三枚を並べた時に初めて、国芳の工夫が明確になる。

このように、巨大事物を大判三枚に亘って描出することは、国芳の画業の早い時期から 確認できる。しかし、巨大事物はあくまでも、画面の中心人物(役者、美人)を引き立てる効 果を果たしていたようだ。第三章で述べたように、文政‐天保初期の一枚絵の武者絵にみ られる視線の効果は、本作品群においても試行錯誤が重ねられている。巨大事物を大判三 枚に亘って配することで、観者の視線を誘導するとともに、画面により広域な「空間性」

を持たせていたことは明確といえよう。

b)中心人物のクローズアップ

一方、同時期に刊行された《真田與一能久・俣野五郎景久》(大判三枚続、天保6年・1835

頃、図4‐3)は、画面の中心となる人物そのものをクローズアップして、格闘場面を描いて

いる。刀に手を掛ける真田と必死に抵抗する俣野との視線が交錯していることで画面の臨 場感が増している。また、後方から両者を覗き込むように俣野の郎党を配することによっ て、画面の奥行が描出されている。背景の事物は極力省略されており、流水紋、岩場が散 見されるのみとなっている。細緻に描き込まれた甲冑の装飾、彫師の熟練した技術が窺え る毛割部分などは、大胆にデフォルメされた人物像と対象的に緻密な描き方でおもしろい。

一ノ谷合戦における平忠度の最期の場面を描く《薩摩守平忠度》(版下絵、天保6‐7年・

1835‐36頃)は、先述の作品と同様の趣向を採るものである。「校合摺」であるものの、手

彩色によって顔貌には濃淡がつけられている点、瞳に白点が抜かれている点など、国芳の 西洋画法への関心を見出せる。毛髪の繊細な線描に対して、顔貌や装飾品には肥痩をつけ た大胆な輪郭線を採ることで、対象を描き分けている。先の作品とともに、源平合戦に関 わる場面であることに加えて、中心人物(能久、忠度)の最期を描いている点で共通している。

これは、単に以前までの作品に散見される人物が取っ組み合う場面から、新たな場面を模 索していた、あるいは当時の出来事などに対して何らかの寓意を込めたもの、などの理由 を推測できるが詳らかでない。

なお、人物をクローズアップする描写は、北斎の読本挿絵にも散見される。例えば、文 化2年(1805)刊行『新編水滸画伝』巻二十六「武 松 酔 蒋 門 神 撃ぶしやうよふてしやうもんじんをうつ

」(図4‐4)をみると、武

松が敵将を投げ飛ばす瞬間が描かれている。北斎の読本挿絵は、画面を埋め尽くすように 事物を緻密に描いたものが多いが、本図のように人物に焦点をあてている場合、人物のみ