Ⅰ 昭和 63 年度の試掘・立会調査概要
本年度の試掘・立会調査は、37 件を実施している。このうち、試掘調査は 11 件、立会 調査 26 件で、試掘調査のうち、本年度中に発掘調査に移行したものが3件、次年度以降 に発掘調査を実施しているものが1件である。付表7- 38 は文化庁国庫補助事業として 継続しているもので、本年度も 747 件を実施している。これに関しては、『京都市内遺跡 試掘調査概報 昭和 63 年度』および『京都市内遺跡試掘調査概報 平成元年度』として 報告しており、本書では省略している。以下、本年度の原因者負担による試掘・立会調査 に関する概略を記述しておく。
平安京跡 右京一条二坊十三町(1)では安定したベース上に平安時代前期から中期の 遺構をはじめ、各時代の遺構遺物を検出しており、周辺調査の成果をあとづける結果となっ ている。右京三条四坊(2)では、無差小路西沿いに二条大路・押小路に関連する直接の 遺構は検出しえなかったが遺構痕跡を確認している。下層では古墳時代の流路などを検出 しており、周辺に6世紀代の竪穴住居などの遺構の存在がうかがわれる。右京七条二坊(3)
は、九町から十二町にかけての立会調査によって、西市推定範囲を中心に遺構の遺存状態 がよく北小路南側溝に推定できる東西溝も確認している。
その他の遺跡 白河街区では、尊勝寺と最勝寺推定地の2箇所で試掘調査を実施してい る。尊勝寺跡・岡崎遺跡(4)では、造営時の整地層が良好に遺存しているものの、東西 で遺構面に段差のあることが明らかとなり、東辺施設との関連が課題となった。最勝寺跡・
岡崎遺跡(5)では、弥生時代から古墳時代の溝などと共に、平安時代の整地層が周辺と 同様に認められ、東西溝なども検出しており、六勝寺関連の遺構の存在を確認している。
鳥羽離宮跡(6)・下鳥羽遺跡(7)に関しては、公共下水道工事に伴う広域の立会調 査として行ない、従来調査例の少なかった鳥羽離宮南西部域に平安時代後期から鎌倉時代 の遺物包含層や苑池の一部の可能性のある湿地状の堆積を確認し、鳥羽離宮に関連する施 設の存在する可能性が明らかになった。下鳥羽遺跡では弥生時代から古墳時代にかけての 遺物包含層を広範囲に確認している。
長岡京関係の調査は2箇所で実施した。左京一条四坊(8)は、原地形を含めて弥生時 代から古墳時代の東土川遺跡の立地する微高地の広がりが明らかとなり、周辺調査で検出
した遺構を関連付ける調査になっている。
二条三坊・三条三坊・四条二坊(9)は、南半部(現、菱川町集落周辺)に小畑川旧流 路群の乱流を確認している。その消長は、古墳時代から平安時代にわたり、平安時代中期 には流路が大きく変更されている。この流路群の北側では、粘土層上面で弥生時代以降の 遺構・遺物を検出している。
太秦地区では広域の立会調査(10 ~ 14)を継続しており、仁和寺院家跡では平安時代 の遺構・包含層の分布状態などから南院に関連する資料を加えている。また、太秦村ノ内 町で弥生時代中期、常盤西町で古墳時代前期の遺構遺物を検出し、同時期の遺跡の広がり を示している。平安時代の遺構・遺物は、京福電鉄常盤駅周辺や常盤村ノ内町、広隆寺旧 境内などで確認している。この他にも上ノ段町遺跡、常盤仲之町遺跡、西野町遺跡などで 古墳時代の遺跡範囲の広がりに新しい知見を加え、歴史時代の遺構・遺物の分布について も新たな資料を加えている。
六波羅政庁跡・法住寺殿跡(15)では、七条通本町から東大路の間に包含層や遺構が良 好な状態で遺存していることを確認している。特に三十三間堂付近では六波羅政庁・法住 寺殿関連の遺構群とみられる鎌倉時代の遺構が集中しており、周辺での調査結果を裏付け ている。
法性寺跡・正覚寺跡・月輪古墳・願成古墳(16)は昭和 61 年度からの継続調査で、本 年度は平安時代以降の遺構・遺物の分布範囲を軸にまとめている。 (原山充志)
Ⅱ 平安京跡
1 平安京右京一条二坊(図版1・54)
経過 調査地は中京区西ノ京円町 55- 1 の NTT 京都円町倉庫跡で、平安京右京一 条二坊十三町にあたる。当地に新たに建物 の建築が計画されたため、事前に試掘調査 を実施した。実際の調査は建物計画地の四 隅と中央部の計5箇所に試掘壙を設けてお こなった。
遺構 基本層序は、盛土(60 ~ 90cm)、
旧耕作土(15 ~ 40cm)のすぐ下が遺構面
となる。ただ、敷地の中央部では室町時代のものと思われる湿地状の堆積がみられる。
遺構面は、敷地の西端附近では黄褐色の泥土層で、北東隅の2トレと中央の3トレでは 淡緑灰色の若干砂質気味の粘土層、南東隅の1トレでは茶褐色の砂礫層である。
検出した主な遺構は、平安時代前期から中期の柱穴、鎌倉時代の柱穴、室町時代の湿地、
小溝、小穴などである。
遺物 出土した遺物は整理箱に 10 箱分で、ほとんどが土器・瓦類である。各時代の遺 物には、平安時代前期から中期の土師器、須恵器、黒色土器、緑釉陶器、灰釉陶器、平瓦、
銭貨(承和昌寳)、鎌倉時代の土師器、瓦器、輸入陶磁器、室町時代の土師器、輸入陶磁 器などがある。
平安時代の遺物は、ほとんど室町時代の湿地から出土している。緑釉陶器の大半は、近 江産のものである。他に、須恵器の円面硯が出土している。
小結 周辺の諸調査で、平安時代前期から中期の建物を含む多くの遺構が検出されてい るので、当地でも同時期の遺構の検出が期待されたが、西辺で柱穴を数箇所検出したのみ で、他に明確な遺構は検出できなかった。
しかし、各層・遺構から平安時代の遺物が比較的多く出土していること、湿地の底部の 標高と平安時代の柱穴を検出した標高がほぼ同じことから、当地でもさらに平安時代の遺 構が検出される可能性は高いと考えられる。 (木下保明)
図 131 調査位置図 (1:5000)
2 平安京右京三条四坊
(図版1・54)経過 右京区御池通の山ノ内浄水場東側から 太子道に至るまでの間に、葛野大路道路改良工 事が計画された。そこで、遺跡の有無を確認す るため試掘調査を実施した。この地域は平安京 でも西端に位置し、発掘調査例の少ない地域で ある。調査対象地は上記計画道路の南半部で、
御池通北から天神川を挟んで南北長 270 mの間 で、東西幅は 27 mある。平安京の条坊で言えば、
無差小路の西側に沿って、二条大路の中央から 三条坊門小路北辺に至る南北二町余りの範囲と なる。設定した調査区は、二条大路南側溝、同
路面、無差小路西築地、押小路の各推定地4箇所と、他に2箇所の計6箇所である。
遺構 古墳時代の遺構には流路が3条ある。流路を検出したのは1・4・5・6トレンチで、
いずれも北北東から南南西方向に流れる。4トレンチ北部で検出したSD 14 は、検出長 24 m、
幅4m以上、深さ 0.6 mで、埋土は砂礫層である。4~6トレンチにかけて検出したSD1は、
推定幅17m、深さ0.9mで、埋土の砂礫層には流木が多く認められた。平安時代の条坊遺構には、
第2トレンチの東西溝SD7、SD 13 がある。SD7は幅 1.1 m、深さ 0.4 m、SD 13 は幅 0.9 m、深さ 0.2 mである。両溝間の心々距離は 11.5 mである。この両溝の位置は、ほぼ押小 路の推定位置であるが、条坊復原モデルより全体に北へ5~7m偏っている。4トレンチに 予測された二条大路南側溝は、検出できなかった。ただし、路面推定位置には小石や摩滅し た瓦が、他地区より多いことが確認された。
遺物 出土遺物は、整理箱にして3箱で、古墳時代から江戸時代のものがある。古墳時代 の遺物は、流路から出土している。平安時代の遺物は少ないが、二条大路、押小路の推定位 置からの出土量は他地区より多く、特に二条大路部分からは瓦の出土が多い。時期的には 11 世紀代の遺物が主で、なかに9世紀代の土師器も若干出土している。
小結 当地域では遺構密度が低いことが判明した。平安時代には調査地の四坊一町は左衛 門府に比定されるが、建物遺構などは検出できなかった。2トレンチの2条の東西溝は、推 定押小路の南・北側溝より北に位置しており、検討を要する。また、二条大路南側溝は検出
図 132 調査位置図 (1:5000)
できなかったが、路面についてはその痕跡をうかがわせる礫、瓦の出土を確認した。古墳時 代の流路からは6世紀代の須恵器、土師器が出土し、付近に竪穴住居などの遺構が存在する 可能性がある。また流路内の砂礫層は、氾濫などにより一挙に埋まったものであろう。
(本 弥八郎)
図 133 遺構実測図(1:200)
SD1 SD14
SD13
SD7 X=-109,
835 X=-109, 825 X=-109, 815 X=-109,
785
X=-109, 795
X=-109, 805 X=-109,920
X=-109,910 Y=-25,344
Y=-25,344 Y=-25,344
H=34.50 m
H=34.50 m
H=34.00 m
4トレンチ 2トレンチ
図133 遺構実測図