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日々の制作で出たワックス原型を保存するために使用していたジップロックを積層させ透明 ボックスに入れたものである。ジップロックには、日付とタイトルや、軽いメモが書き込まれて いるが、一部では日記のようにもなっている。 ここでのジップロックという物質は、作品を守 る容器としての機能と作者の記憶の痕跡という二つの性格を持ち合わせることとなった。結果的 にこの袋は、当日の出来事を思い出す重要な物質となり、日々の記録となった。

透明ボックスと両サイドについた排水ゴムパッキンで人間の頭部を表現しているが、中の積層 した記憶の痕跡の一部が出ているのは、人間は自分の引き出したい記憶しか思い出さない生き物 であることを表現している。積層されていく記憶自体は純粋であり、消えてしまうわけではない が、それを引き出す人間に何らかの思惑があったとき記憶は歪んでしまうと私は考える。

記憶の相違は時として実体の不在より罪にもなるのではないだろうか。

図 94

図94「頭部・Ⅱ」(ボックスサイズ25×25×25cm)この作品は、日々の制作で使用され ているちぎられた母体となるワックス原型のある日の形態である。薄いパンケーキ状のワックス を少しずつちぎって作品をつくっているが、手の中で制作されたかたちよりも、こうして残され たかたちのほうが喪失を物語るのではないかと考えた。

この物体は日に日に減ってゆき、いつかは消えてしまう。それと同時に何か別のかたちとなっ て外に出てゆく。このように一方的に減ってゆくことから免れられないものが、人間のなかにも あるのではないだろうかと私は考えている。

ワックスを水平に設置したのは静かな印象の水平面にすることで、音もなく減ってゆくものを イメージしやすくなるのではないかと考えた結果であり、ボックスの両脇にある茶こしは、出て いくものや入ってくるものの中から何かをキャッチするためのフィルターの象徴である。

図 95

彫刻をみる場合、記憶を頼らずに見ることは可能なのだろうか。

私たちが記憶を思い返すとき、文字や記録という物理的なものだけが手助けになるわけではな い。音や、匂い、温度や感触などの目に見えないものでも記憶が蘇ることはある。

図95「頭部・Ⅲ」(ボックスサイズ15×15×15㎝)では、匂いや感触、イメージといった 直接的ではないモチーフを使って鑑賞者の中の漠然とした記憶を刺激することを試みたもので ある。 ボックスの中央に吊るされたものはガムのカタマリ、両脇から出ているのは水道の蛇口 と日常的に目にするものとなっている。

これらの「頭部」シリーズでは、一番感情的な部分と一番無意識な部分と実験的に容器に入れ ることで、一歩引いた客観性が作品に対して持てるようになった。作品から感情を抜いてバラン スをとる方法が見えてきたような収穫があった。