本章は、ガーダー・メイレンの内モンゴルの時間的枠組みで形成される複数の様相に焦 点を当てて、その分裂と葛藤から浮かび上がる「記憶の地形図トポグラフイ165」を描き出すものである。
ここではガーダー・メイレンの記憶の生成と変容の深層構造を探求するために、内モンゴ ルの異なる時代の政治的背景とコンテキストに関連させながら、ガーダー・メイレンを「集 合的記憶の根づいた場所」、つまり「記憶の場」として捉えたい。
「記憶の場」とは、物質的なものであれ、非物質的ものであれ、きわめて重要な含意を 帯びた実在である。それは人間の意志もしくは時間の作用によって、なんらかの社会的共 同体のメモリアルな遺産を象徴する要素となったものである166。別の言い方をすれば、「記 憶の場」とは、根底から変容し革新されつつある共同体が、技巧と意志とをもって、生み 出し、作り上げ、宣言し、また維持するものである167。
フランスの編集者であり、歴史家であるピエール・ノラは、1984 年から 1992 年にかけ て、約 120 名の歴史家を動員し、約 130 編(総論的なものを加えば 135 編)のエッセイを
『記憶の場』(全 7 巻、5600 頁以上)というシリーズに収めた。フランスにおいて集合的 記憶を表象する「場」のあたかも百科全書のような相貌を呈したこの『記憶の場』のスタ イルは、限定した範囲や体系を持たず、それは、絶えず新たな要素が加えられ、常に全体 の布置が組み替えられてゆくような歴史学のあり方を示している168。『記憶の場』に収めら れた論文の多くは、フランス人にとっては、誰にも馴染みのあるテーマを扱っており、あ る意味では実証史学以前の物語的な(エッセイ風の)叙述スタイルを持っている169。ノラ の言葉で言うなら、「記憶の場の歴史学」は次の通りである。
事件それ自体よりも、時を経て事件のイメージがどう作られていくか、その意味が消 滅したり、蘇ったりすることのほうに注目する。「実際に起こったこと」よりも、出来
165 板垣竜太「力道山」板垣竜太・鄭智泳・岩崎稔『東アジアの記憶の場』河出書房新社 、2011 年、193 頁。
166 ピエール・ノラ「『記憶の場』から『記憶の領域』へ」ピエール・ノラ編、谷川稔訳『記憶の場:フラ ンス国民意識の文化=社会史』(対立)岩波書店、2002-2003 年、18-19 頁。
167 ピエール・ノラ「記憶と歴史のはざまに」前掲書、37 頁。
168 工藤光一「『記憶の場』と現代フランスの歴史叙述」『クァドランテ』第 6 号(東京外国語大学海外事 情研究所、2004 年 3 月)、19 頁。
169 谷川稔「『記憶の場』の彼方に―日本語版をどう読むか―」『クァドランテ』第 5 号(東京外国語大学 海外事情研究所、2003 年 3 月)、11-12 頁。
54
事が絶えず再利用され、誤用されたりして、現在に引き継がれる。伝統よりも、伝統 が創られたり、衰退したりする仕方のほうに関心がある。ようするに、この歴史学は、
再生でもなければ、復元でもなく、再建でもなければ、表象ですらない。それは言葉 の能うかぎりの意味での「再記憶化」である。つまり、過去の想起としての記憶では なく、現在のなかにある過去の総体的構造としての記憶に関心を寄せる歴史学なので ある170。
谷川稔は、『記憶の場』の上梓を「個人的記憶と社会的記憶の交互」による「集合心性 史」、つまり「集合的記憶」の歴史の流れに位置づけ、その「領域を一気に拡大した史学史 上の大事件である」171と指摘している。それは「現在のなかにある過去を、時系列をはず して縦横に読み替えることをとおして「現在史を構築する」ことである172。つまり、「連続 性」より「断絶=非連続性」が強調され、「起源」より、「誕生」のほうが語られる歴史学 である173。
研究の対象と方法においても、従来の歴史学の寵児とされてきた手稿史料などの一次史 料から、二次史料ないしそれ以下の「状況証拠」とされる歌謡、文学作品、映像作品、絵 画、記念物なども分析の対象となりうる174。つまり、叙述スタイルや、方法論的にも「公 文書実証主義的」な近代歴史学の「時系列的で目的論的連続性」175、「閉鎖的・特権的」176 な特徴と対照的に、「記憶の場」の歴史学は、「縦横的」、「現在的」、「開放的」「自由的」で あると言えるだろう。
ここでの「場所lieux」とは、物理空間的な意味での三次元的な場所に還元されるもの ではない。この「場所」は記憶術論の伝統のなかでのlociであり、topoiである。近代
語の「topic」の語源がこの「topos」であるように、この「場所」は論点や判断が分節
化されてあらわれること、またそのように分節化されることで可能になる秩序という
170 ピエール・ノラ「『記憶の場』から『記憶の領域』へ」、27-28 頁。
171 谷川稔「社会史の万華鏡―『記憶の場』の読み方・読まれ方―」『思想』第 911 号、2000 年、4 頁を参 照。
172 谷川稔「『記憶の場』の彼方に―日本語版をどう読むか―」、16 頁。
173 ピエール・ノラ「記憶と歴史のはざまに」、45 頁。
174 谷川稔「『記憶の場』の彼方に―日本語版をどう読むか―」、12 頁。
175 ピエール・ノラ「『記憶の場』から『記憶の領域』へ」、21 頁。
176 谷川稔「『記憶の場』の彼方に―日本語版をどう読むか―」、12 頁。
55
意味を持っている。「記憶の場所」とは「集合的」にあるいは「社会的共同体」におい て共有された記憶の拠りである177。
ノラは「記憶の場」を構成するには、記憶と歴史の働きと相互作用は不可欠であり、ま た記憶の意志がなければならないと強調する。「歴史や時間や変化が介入しなければ、記憶 の場の歴史は単なる記念碑の歴史に終わってしまう。〔中略〕記憶の場が存在するのは、そ の意味が絶えず変わり、その枝が予期できないかたちで茂るなかで、変化に対して対応力 を持っているからである」178。
ノラの議論はアルヴァックスの「集合的記憶論」を継続し、歴史と記憶の背反的な関係 を強調しながら、二つの存在の決定的な非緩和的関係を指摘している179。ノラの提示した この「記憶の場」の概念は、フランスという国民国家の領域を超えて、ヨーロッパや、ア メリカなどの世界各地の研究者の関心を引き、日本でもそれに批判的な試みとして、日韓 共同作業による『東アジの記憶の場』が出版されている。
ノラの「記憶の場」論に即していえば、ガーダー・メイレンも内モンゴル人(とりわけ、
モンゴル人)であれば、「誰もが思い当たり、それぞれの記憶が喚起されるようなもの」180 となっており、それは一つの理念的「記憶の場」となっていると考えられる。なぜなら、
ガーダー・メイレンが「モンゴルの故郷を守るために戦った英雄」を想起させ、表現させ る「場所」だからである。ガーダー・メイレンという場の中には、彼の記憶を集約する要 素が放り込まれており、それは彼の記憶を表現し、保持させ続ける、非常に強烈な「場」
として存在しているのである。ここでは、ガーダー・メイレンを「記憶の場」として扱う に際して、「ガーダー・メイレン蜂起」がなぜ起こってしまったのか、どのように展開され たのかを分析するのではない。むしろ、彼はいかに「階級闘争のモデル」181として利用さ れ、「モンゴルの馬賊」、「祖国の裏切り者」として批判され、また、「環境保護のパイオニ
177 岩崎稔「東アジアの記憶の場」の可能性―ピエール・ノラへの批判的応答の試みとして―」『クァドラ ンテ』第 11 号、2009 年、50 頁。
178 同上、49 頁。
179 岩崎稔「ピエ-ル・ノラの《記憶の場所》1」『未来』第 380 号、1998 年、5 頁を参照。この論文では、
ノラの指摘した歴史と記憶の背反的な関係について詳しく論じられている。また、ノラ自身のよる「『記 憶の場』から『記憶の領域』へ」、ノラ「記憶と歴史のはざまに」を参照させたい。
180 岩崎稔「東アジアの記憶の場」の可能性―ピエール・ノラへの批判的応答の試みとして―」、50 頁。
181 石原邦子「内モンゴル民歌「ガダ・メーリン」に関する一考察―モンゴルの英雄はなぜ中国で歌われ たか」、30 頁。
56
ア」182として再利用されたかを吟味し、内モンゴルの社会的変動を伴って、共有され、構 築され、また、「再記憶化(ノラ)」される「記憶の拠り(岩崎)」、つまり「記憶の場」の あり方を解明することである。
内モンゴルにおいて、ガーダー・メイレンの記憶は教科書などの「公式的な記憶」の媒 介だけではなく、ウリゲルト・ドーを通じて「記憶の場」となったのである。現代内モン ゴルにおける「民族の英雄としてのガーダー・メイレン」の物語の始まりは、彼の戦いを 歌ったウリゲルト・ドー『ガーダー・メイレン』から由来する。現在、ガーダー・メイレ ンに関するウリゲルト・ドーは様々なヴァリエーションを持っており、また、同一の主題 を用いた宣伝活動、歌劇、映画脚本、交響詩、長編小説、映像作品、漫画・連環画などが 制作されている183。
ここで、内モンゴルの時間的、空間的枠組みによる変動的、かつ多様な「ガーダー・メ イレン像」を描き出すために、本章では四つの視点から、ガーダー・メイレンの記憶と忘 却のメカニズムを検証する。まず、1930 年代の中華民国時代において、「モンゴルの馬賊」
としてのガーダー・メイレン像と蒙漢関係(モンゴル人と漢人の関係)を、新聞記述の側 面から検討する。次に、1950 年代における反動的軍閥や、封建的王公と対抗した「民族の 英雄」となったと同時に、土地をめぐるモンゴル人と漢人の対立が忘却されたプロセスを 考察する。第三に、文化大革命時代における「祖国の裏切り者」としてのガーダー・メイ レン像を分析する。最後に、「改革開放」後の内モンゴルにおける「階級闘争のモデル」か ら「草原を開墾から守るために戦った英雄」まで変容するガーダー・メイレン像を検討す る。
第 1 節「馬賊」ガーダー・メイレンと蒙漢関係
「馬賊」という言葉は、清末頃から中国東北地域に現れ、略奪などを行っていた騎馬の 武装集団を指すが、それだけにとどまらない。さらに、20 世紀初期の満州各地では「盗賊 団」のイメージが強く「満州の馬賊」も現れた。東北軍閥の張作霖も馬賊出身で、当時の 混乱した状況に乗じて権力を握った有名な人物である。
182 蔡偉傑(Tsai Wei chien)「從蒙匪、英雄到環保先鋒:嘎達梅林在現代中國的表述與政治」、81 頁。
183 拙稿「中国・内モンゴルにおけるガーダー・メイレンの記憶とその変遷」『クァドランテ』第 17 号(東 京外国語大学海外事情研究所、2015 年 3 月)、304 頁。