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行政指導の役割に関するゲーム理論を用いた分析

6-1. 消防行政における行政指導の役割

3-3.の実証分析において、定期点検報告制度の導入により、火災発生件数、死傷者数にどれだ けの影響が出るかについて検証した。分析では、おおむね予想通りの結果となったが、3-1-1.で 示したように、定期点検報告の実施率は、平成20年3月末現在で48.5%という現状であり、制 度が完全に浸透しているとは言いがたい。この原因として、定期点検報告制度の周知が不十分で あるためというだけは、制度導入から 6 年以上が経過した現在ではあまり説得力を持たない。

やはり、管理権原者にとって定期点検報告を実施するインセンティブが乏しいということと、点 図5-2 抑止の効率的レベル

SMB SMC1

SMC0

100 D**

0 D* 犯罪削減率(%)

\

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検報告違反に対する罰則が抑止力を持っていないことが主な原因であると考えられる。3-1-2.で 示したように、定期点検報告義務違反に対する罰則としては、30 万円以下の罰金又は拘留があ るが、この行政刑罰を科すことなく、大半が行政指導をもって対応しているのが現状である。す なわち、定期点検報告制度の運用に当たり、消防機関は点検報告済防火対象物の点検基準を審査 し、点検項目に不備が認められる場合、査察により立入検査を行い(消防法第4条第1項)、法 令上の点検基準の徹底を図ることは、消防行政において重要な業務と位置付けられている73。そ の際に、点検基準を遵守しない、報告を行わないなどの法令違反がある管理権原者に対しては、

すぐに行政刑罰を科すことは稀であり、まずは、法令を遵守させるよう行政指導を行うことが常 態化している。北村(1997)は、消防機関において行政指導による対応が選択される理由とし て、①迅速な違反是正が行政コストをかけずに実現できること、②消防法が遡及適用をもつ性質 上、過剰規制(オーバー・レギュレーション)を引き起こしやすく、消防機関が行政指導を行い、

管理権原者を納得させる必要があること、③刑事告発前に、行政指導を頻繁に行うことで管理権 原者の悪質性を印象付けることができること、④違反対象物に対する行政指導を継続的にフォロ ーするための行政リソースが不足していること、⑤容易に是正可能な違反行為に対しては「比例 原則」から行政指導中心の対応にならざるをえないこと、などを挙げている74。この行政指導中 心の行政体制が、定期点検報告制度を履行させる上で管理権原者のインセンティブに何らかの影 響を与えたものと推定される。

6-2. 行政指導の役割に関するゲーム理論を用いた分析

6-2-1. ゲーム理論の有効性

そこで、管理権原者の定期点検報告における履行過程において行政指導がどのような影響を与 えているかをごく基本的なゲーム理論に基づいて分析する75。ゲーム理論は戦略的相互作用の状 況をその分析対象としている。戦略的状況とは、自分にとっての利害が、単に自分がどう行動す るかではなく、相手がどう行動するかに依存して決まる状況をいう。行政と管理権原者のとる行 動は、お互いに影響を及ぼしあい、行政がどのような行動をとるかは、管理権原者の行動に依存 し、一方で、管理権原者がどのような行動を取るのかは、行政の行動に依存しているという意味 で、点検報告義務の履行過程は、行政と管理権原者の相互作用とも言えるので、定期点検報告に おける履行過程は、ゲーム理論による分析に適していると考えられる76。具体的には、消防機関 が定期点検報告義務の違反を確実に発見するケースと発見する確率が変化するケースで管理権

73 東京消防庁は、「明らかに査察を実施した対象物の出火率が低い」という結論を、統計資料に基づいて出している。

その理由は、「査察を実施することにより、違反が発見され是正されて、対象物の火災危険が直接排除されること」、「立 入検査時の質問や指導を通じて、従業員全体に対する教育訓練や防火意識の向上が図られること」、「これらを通じて経 営者、防火管理者等の自主防火管理に対する意識づけが行われること」にあるとされている(東京消防庁予防部査察課

(編)『防火査察白書:世界都市東京の安全をめざして[平成5年版]』7頁以下、北村(1997)179頁参照) 74 北村(1997)192頁以下

75 このモデル分析は、平田(2009)115頁以下を基にしている。平田は、環境規制法執行の基本的特徴がどのように可 能か、行政と被規制者の相互作用に注目し、ゲーム理論による分析を行っている。

76 森田(1988)301頁以下、北村(1997)165頁以下参照

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原者の行動にどのような変化が生じるかをモデル化する。ここでは、ゲーム理論の分析に際して、

3つの仮定を置く。1つは、消防機関、管理権原者双方において一つの組織体を一人のプレーヤ ーとして扱うものとする。2つは、各プレーヤーは自己の利得最大化を目指し合理的に行動する ものとする。3つは、消防機関は、管理権原者の法令違反に対し、行政指導又は行政刑罰のいず れかを選択するものとする。

6-2-2. 行政刑罰重視の逐次手番ゲーム

まず、次の逐次手番型のゲーム 77で考える。最初に、管理権原者が定期点検報告義務を遵守 するか、違反するか、いずれかを決定する。遵守を選択した場合は、その時点でゲームは終了す る。管理権原者が法令違反を選択した場合、次に消防機関が、行政指導を行うか、行政刑罰を科 すかどちらかを選択する。

管理権原者の利得 Um は、もし消防機関が違反に対して行政指導を取れば、違反したほうが 利得が高いとする。しかし、もし消防機関が行政刑罰を科すならば、違反するより遵守したほう がよいとする(Cm>Am>Bm)。

一方、消防機関の利得Uaは、消防機関からの働きかけがなくても管理権原者が最初から進ん で点検報告を遵守している状態が最も望ましいので、Aaが最も大きい。管理権原者が違反した 場合は、消防機関は行政刑罰を科したほうが利得が高いと仮に定める(Aa>Ba>Ca)。ゲーム 構造においてルールや双方の利得といった情報を各プレーヤーがあらかじめ共有しているとす れば、サブゲーム完全ナッシュ均衡78は、図6-1【A】のように(遵守,刑罰)となる。管理権 原者は、自分が違反をすると消防機関が行政刑罰を科すことを見越して、行政刑罰を科されるく らいなら最初から遵守する方がよいため、均衡は(遵守,刑罰)の組み合わせとなる。

6-2-3. 行政指導重視の逐次手番ゲーム

次に、消防機関が行政刑罰を科すよりも行政指導を行った方が利得が高いとしたらどうであろ うか(Aa>Ca>Ba)。この場合のサブゲーム完全ナッシュ均衡は、図6-1【B】のように(違反,

指導)の組み合わせとなる。すなわち、ナッシュ均衡だけで捉えると(違反,指導)と(遵守,

刑罰)の二つであるが、(遵守,刑罰)は、実際に管理権原者が法令に違反すると、消防機関は 行政刑罰ではなく、行政指導を選択するため、実際に法令違反状況が起こると最適ではなくなる 行動戦略ということになる。こうした行動戦略は「信憑性のない脅し(incredible threat)」と 呼ばれ、逆向き推論法により排除されるため、結果的に、サブゲーム完全ナッシュ均衡は(違反,

指導)のみとなる。

77 逐次手番型のゲームとは、あるプレーヤーがまず意思決定をし、その後別のプレーヤーが意思決定をするといった、

時間を通じた意思決定が行われる場合を指す。平田(2009)115

78 サブゲーム完全ナッシュ均衡とは、当該ゲームのすべてのサブゲームにおいて、その戦略がナッシュ均衡になってい る均衡を指す(ギボンズ(1995)114頁以下)。サブゲーム完全ナッシュ均衡を求めるには、逆向き推論法(backward induction)が用いられる。平田(2009)116

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【A】:M;管理権原者 A;消防機関

【B】:M;管理権原者 A;消防機関

図6-1 逐次手番ゲームⅠ

図6-1の場合、管理権原者が違反をした場合、消防機関が行政刑罰を科すことに信憑性がある かどうかである。図6-1【A】 のように、サブゲーム完全ナッシュ均衡が(遵守,刑罰)という ことは、管理権原者にとって、消防機関が行政刑罰を科すことが「信憑性のある脅し(credible

threat)」となっており、この信憑性のある脅しを受けて、管理権原者が法令を遵守しているこ

とを表している。一方、図 6-1【B】 では、消防機関にとっての利得がAa>Ca>Ba であるこ とからもわかるように、消防機関にとって行政刑罰よりも行政指導を行う方がインセンティブが 高い。すなわち、行政刑罰を科すことに信憑性のない脅しとなるため、管理権原者は違反をし、

消防機関は行政指導を行うことがサブゲーム完全ナッシュ均衡となる。このモデルでは、プレー ヤーの利得はあらかじめ共有の情報として仮定されていたので、図6-1【B】 では管理権原者が 消防機関の行政刑罰という信憑性のない脅しには屈せず、違反を選択すると予想される。

6-2-4. 違反の発覚が不確実な場合の逐次手番ゲーム

図6-1では、管理権原者、消防機関双方が定期点検報告の履行過程において利得情報を完全に 共有し、管理権原者の違反行為を消防機関が「確実に発見することができる」ことを前提として いた。しかし、消防機関の人的・金銭的・時間的リソースには、自ずから限界があり、すべての 違反を発見することは不可能である。そこで、次に、違反の発覚が不確実であるケースを想定し てモデル化する。

まず、管理権原者が、定期点検報告義務を遵守するか違反するか、いずれかを決定する。管理 権原者が遵守を選択した場合、ゲームはここで終了する。管理権原者が違反を選択した場合、確

A 遵守 違反 M

A 遵守

違反 刑罰 指導

(Am,Aa)

(Bm,Ba)

(Cm,Ca)

M 刑罰

指導

(Am,Aa)

(Bm,Ba)

(Cm,Ca)

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