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7-1. 政策提言

(1) 行政指導中心の違反取締体制の見直しと民間委託の検討

6-2-4.で検討したように、定期点検報告の義務違反に対してソフトタイプ、すなわち行政指導 中心の違反取締体制では、管理権原者の法令遵守のインセンティブに与える影響は小さいと言わ

違反 if p<Um(CL)/Um(AG)

遵守 if p>Um(CL)/Um(AG)

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ざるをえない。今後、定期点検報告制度の実施率を高めるためには、行政指導を安易に使うので はなく、管理権原者の費用と便益までを考慮した上で、効率的な取締体制を模索すべきである。

その際には、本稿でも扱ったゲーム・モデルが分析のための有効なツールとなる。また、一方で 管理権原者の期待刑罰曲線を高めるために、違反の発覚確率を高めることも必要であろう。ただ し、現行の消防機関による調査権だけではリスクアセスメントの面で人的・金銭的・時間的リソ ースの限界があるのも事実である。そこで、調査権の一部外部委託を実施し、民間による抜き打 ちの調査を法定化することで、違反の発覚確率の向上につなげることが可能となる。財産権のプ ライバシーの課題は残るが、火災が起きた際の外部不経済の大きさを考慮すると、十分に検討す べきである。

(2) 消防法令違反に対する行政刑罰の非犯罪化への転換

本稿の 3-3.において定期点検報告制度の導入が火災予防のインセンティブにどのような影響

を与えるかについて実証分析を行った。その結果、多尐のばらつきはあるものの、制度導入と火 災発生件数の減尐には統計上有意な影響がみられることが明らかとなった。こうした点検制度の 効果を担保していくために消防法令上の罰則規定が設けられているが、前述のとおり必ずしも有 効に機能しているとは言いがたい。その要因としては、消防当局が違反した管理権原者に対して 行政刑罰を科すことによるコストが過大であることが挙げられ、行政刑罰による規制手法に対す る行政指導が相対的に重視されてきた一因ともなっている。福井(2007)は、このように違反 の是正を実効性のない刑罰で機械的に担保するという立法の慣行自体を抜本的に見直すべきと 主張する80。本稿でも、火災予防のインセンティブを高める機能として消防法令をいかにして遵 守してもらい、その制度的担保として行政刑罰をどのように執行していくかは重要な課題である と考える。その意味で、6-3で検討したように、即効性のある直罰的刑罰の導入について検討す べきである。具体的には、定期点検報告の義務違反に対して反則金、課徴金などといった非犯罪 化の方向に転換することで広く、確実に違反者に負担を課すことができると考える。

(3) 賠償責任保険の一部保険者負担及び賠償請求時の保険の適用除外

4-2.で検討したように、賠償責任保険に内在するモラルハザードを解消し、被保険者の損害防 止に係るインセンティブを高めることができなければ、法的コントロールの効果は不十分なもの となる。一般的に、法律に明示されていることのみをもって、被保険者が損害防止義務を遵守す るだろうという考え方は、安易であり、合理的ではない。被保険者が損害防止義務を履行したほ うが明らかにより大きな利益を得ることができるというインセンティブを新たに付加すること が望ましい。具体的には、法律において被保険者に対する損害防止義務を明記すると同時に、被 保険者が損害防止義務の履行に要した費用を一部保険者に負担させるよう義務付けることが考 えられる。保険者が損害防止費用を負担することで、被保険者の損害防止機能に努めるインセン ティブを高め、被保険者のモラルハザード対策にも効果があるだろう。

現行の不法行為法の損害賠償制度においては、私的自治の原則から加害者・被害者双方の賠償

80 福井(2007)152

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責任保険への加入は制限されていない。4-2.で検討したように、賠償責任保険は加害者の経済的 負担を広く分散させ、被害者の損害填補を図る意味で、社会的費用のうちの第二次費用の低減に 寄与していると考えられる。しかし、一方で賠償責任保険は加害者の加害意識を薄れさせ、事故 の再発抑止効果が低下してしまう可能性がある。このことから、消防法令上の点検基準を遵守し ない悪質な管理権原者に対して、事故が発生した場合は、高額の保険料を課す、賠償責任保険を 例外的に除外する、又は賠償責任保険から拠出することを認めない民事上の罰金を裁判所が命じ るといった制度設計を図ることが、火災予防のインセンティブに影響を与える上で有効であると 考える。

(4) 過失責任ルールから無過失責任ルールへの転換

4-5.では、過失責任ルールにおいては様々な問題点があることを検討した。現行の不法行為法 が過失責任ルールを前提として、制度設計されている以上、過失責任ルール自体を全面的に変更 することは合理的ではない。むしろ、過失責任ルールの問題点を修正するような方向で検討すべ きと考える。無過失責任ルールの導入はその一つである。無過失責任ルールを採用すべき理由と して、①無過失責任ルールは、最安価損害回避者を見つけ出し、その者に事故費用を負担させる のに適している、②無過失責任ルールの場合、最安価損害回避者は失火原因者や管理権原者であ る場合が多く、第二次費用の低減ないし所得分配といった公平性の観点から望ましい、③裁判所 が個別の事故について判断する必要がないため、第三次費用の低減につながる、などが挙げられ る。3-4.の実証分析から、定期点検報告制度の導入が管理権原者の火災予防インセンティブを高 め、火災事故の発生件数及び死傷者数の減尐につながったとすれば、定期点検報告内容に基づき、

点検基準が法令に遵守していたかどうかの点でカテゴリー化は容易である。したがって、管理権 原者を最安価損害回避者として無過失責任ルールを適用し、賠償責任保険によって分散できれば 第一次費用、第二次費用及び第三次費用のいずれも低減することが可能となる。

ただし、無過失責任ルールにおいても、4-7.で検討したように、火災予防のインセンティブの 面からは過失責任ルールの方が有効である場合があり、過失責任ルールと無過失責任ルールの間 にあるトレードオフの関係を十分に見極める必要がある。

(5) 懲罰的損害賠償制度の導入

懲罰的損害賠償制度については、4-8-1.において検討したとおり、わが国では法制化に至って おらず、不法行為法の有する損害填補機能と抑止・制裁的機能の両者のメルクマールをどのよう に調和させていくかでも学説上の見解が分かれる。本稿では、4-8-2.において、裁判所が「強制 の過誤」や管理権原者の将来の負担についての「割引率」といった要素を的確に捉える事ができ るならば、懲罰的損害賠償制度は管理権原者にとって外部性の内部化をもたらしうることを分析 した。確かに、現実には、不法行為責任システムは不完全であり、裁判所が「強制の過誤」を的 確に把握する保証はどこにもないため、管理権原者のインセンティブにどの程度のインパクトを 与えるかは未知数である。しかし、業務上過失致死傷罪の適用の問題や消防法令違反に対する行 政刑罰の執行の困難さなど、刑罰や行政的規制が抑止・制裁として十分に機能しない場合には、

不法行為の抑止・制裁的機能を認める意義は大きなものがあり、その意味で懲罰的損害賠償制度

40 の導入について検討すべきであると考える。

(6) 起訴便宜主義から起訴法定主義への転換

本稿では、5-3.のモデルにおいて、犯罪に対する処罰の不確実性の要因が期待刑罰を下方に押 し下げてしまい、利得が期待刑罰を上回った場合に犯罪行動に走ると予測分析を行った。刑罰の 観点から犯罪行動を抑止するためには、犯罪に対する処罰の不確実性の要因を解消する必要があ る。しかし、福井(2007)が指摘するように、わが国では検察官には有罪の証拠を把握してい ても起訴しないことができるという「起訴便宜主義」の広範な裁量が与えられており、これが犯 罪抑止の面から適切さを欠き、不公平な場合があるとするならば、処罰の不確実性の解消という 面からはマイナスである。火災による人的・物的損害の大きさを考えると、管理権原者に対する 業務上過失致死傷罪の起訴にあっては、法定化していく「起訴法定主義」への転換を検討してい くべきである81

(7) 失火責任法の重過失要件の見直し

現行の失火責任法の重過失要件は、4-9.で検討したように、被害者救済面ばかりが強調されて いるために、潜在的加害者の予防インセンティブを歪めている可能性がある。さらに、賠償責任 保険の加入について不確定要素が働き、結果として賠償責任保険の機能が果たせず、社会的費用 の増加を招くなど、現行法を解釈だけで対応するには限界があることから、廃止を含めて検討す べきと考える。

7-2. 今後の課題

定期点検報告制度の効果を分析する手法については、3-3-6.で検討したように、点検報告済防 火対象物と火災の因果関係を明確にしたデータを採用すべきところ、火災原因が点検報告違反に 起因したものかどうかという観点から集計されたデータが存在しないため、実証結果が必ずしも ロバストとは言えないものとなってしまった。今後は、点検報告済防火対象物と火災の因果関係 について詳細なデータの積み上げが必要になる。特に、点検報告済防火対象物が火災抑止にどの 程度影響を与えているかを定量的な観点から分析を続けていき、実際の政策に運用されることが 望まれる。

また、本稿では、定期点検報告制度の履行過程における行政指導の役割についてゲーム理論に よるモデル化を行ったが、プレーヤーとして消防機関と管理権原者の二者しか想定しなかったた め、理論的に多尐とも非現実的な面がある。今後は、市民やNPO団体による監視など第三者が 加わった場合のモデル化も試みながら、理論を精緻なものにするよう努めたい。

81 福井(2007)150

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