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に,若き日からの夢であった倫理学を先行させる。しかし倫理学 の体系化の問題にとりかかるやいなや,その存在論的基礎づけが不可欠

ドキュメント内 丸 山 珪 一 (ページ 44-61)

であることに気づく。『特殊性のカテゴリー』が『美学』の基礎づけとし て役立ったように。こうして倫理学のノートをとりながら,翌春にかけ て彼が仮に「人間行動の体系における倫理学の位置」と名づけていた簡

潔な社会存在論的序論を構想。

1963年78才

彼の妻,彼に対するその影響は「十月革命とのゑ比べられる」ケルトル ード*が死んだ。努力して自ら経済学をおさめ,音楽と文学にたいする深 い感受性をもっていたケルトルードは,自身のなかにリアリスティック な実際的な知恵と感覚,性格の発散するがごとぎあたたかさとを兼ねそ なえていた。そのユニークなパーソナリティは「啓蒙期のgrandedame の特性とケラーの短篇の民衆的ヒロインの結合」と言われ,ルカーチに 彼が以前さげすんでいた「平凡な生活」を評価するすべを教えた。『美学』

と着手したばかりの『倫理学』とを「40年以上に及ぶ生活と思想,仕事 と闘争をともにした感謝を表明するささやかな試み」として妻に捧げた。

彼自身の生か死かのハムレット的問題から机に戻ったのは半年後のこと であった。それ以後彼は厳格な規律に従い,禁欲的な生活に没頭した。

彼はヘビーウォーカーとしても名高かったが,好きな旅行もやめてし まった。(ユーゴの科学アカデミーが催した彼の80才祝賀集会にも行け

なかった。)

ケルトルードの愛読書であったレッシングの『ミンナ・フォン・バルン

ヘルム』について書く。『ミンナ』をモーツァルトの音楽に比して割、た

このエッセイは,ルカーチの全作品の中でもっとも美しいものの一つで

ある。翌年このエッセイは『同時代人jKひ吻庵誌に掲載されたが,ハン ガリー語での発表は57年以来で7年ぶりのことである。

この年4月4日,第二次大戦の解放記念日に,56年の事件の参加者への

中ソ論争について

カ フ カ 討 論

『小説の理論』新

恩赦がおこなわれた。前年の1月1日カーダールは「敵でないものは味 方」と言明。ハンカ・リー共産党は柔軟な新路線をとり,8月にはラーコ シ,ケレ等25人のスタ−リン主義者の党籍を剥奪したが,ルカーチヘの 公式の態度に変化は見られず,同年の『イデオロギー的及び文化的活動 における党文書jの中でルカーチの思想は「プロレタリア革命のマルク ス=レーニン的プログラムと対立する一般民主主義のプログラム」であ ると批判。63年12月のハンガリー共産党哲学者会議でもその幹事であ

るヴィルトwirthAd伽が同主旨の批判をおこない,ルカーチの弟子

たちを中心とした復権の要求はうけ入れられなかった。ルカーチの著述 を国内で公表させないが,国外では自由に印刷することを認めるという 二面的政策に終止符が打たれるのは翌年以後のことである。

とりわけ60年代になって顕在化してきた中ソの対立について『中ソ論争 について一理論的哲学的覚え割を書く。第20回大会後の「スターリ ン的方式との完全かつ徹底的な決裂」「核戦争のない生活の見通し」を評 価し,それに反対する中国共産党の思考方法の根底に思想体係としての

セクト主義があると断じている。

クリスマスの直前プラハのリームAntoninLiehmとのインタヴューに 応ずる(翌年1月18日付チェコスロヴァキア作家同盟週刊機関紙『文学 新剛〃""7'MyNりり に掲載)。インタヴューは,この5月チェコ科学 アカデミーの主催によりプラハ近郊リプリツェ城でおこなわれた国際 カフカ会議との関連でなされた。東ヨーロッパのカフカ討論は長い間言 わば地下でおこなわれてきたが,チェコスロヴァキアでの研究の進展と ならんで,前年には東ドイツでも『意味と形式』誌に,フィッシャーの カフカ論及びサルトルのモスクワ平和大会での発言(『文化の非武装化』)

が掲載され,ようやく表面にあらわれはじめた。会議にはフィッシャー,

ガロディー,カルストRomanKarst,ゴルトシュテュッカーEduard GoldstUckerなどが参加し,東ドイツからゼーガースを団長とする代表 団が出席した。とりわけ中心になったのはフィッシャーの議論だっ た。DDR代表団は,根なし草カフカに深く国民的なマンを対置したが,

明らかにルカーチのテーゼ(「カフカかマンか」)がその根底にある。し かしルカーチはこのインタヴューではカフカを「まじめにとりあつかわ れるべき重要な芸術家」と呼んでいる。ルカーチの「修正主議的」見解 を掲載した同紙は,のち党機関紙からその無責任ぶりを非難された。

43年ぶりに『小説の理論』の新版を出し,そのために新しく書かれた序

存在論にとりかか

ソ ル ジ ェ ニ ー ツ ィ ン論

平 和 共 存 に つ い て

80才の祝賀を受 ける

文のなかで,同書の世界観を「左翼的倫理と右翼的認識論の融合」と特 徴づけている。

1964年79才

必要なのが倫理学への存在論的序論でなく,存在論(とりわけ社会存在 論)そのものであることが最終的に明らかになり,ただちにとりかかる。

計画は,したがって,ふたたび変更され,まず存在論,そして倫理学,

それから−弟子たちの要望の強い−知的自伝が続くことになった。

このときから死にいたるまで,もっぱら『存在論』が彼の仕事になる。

著作集第5巻『世界文学におけるロシアリアリズム」及び第7巻『二つ の世紀のドイツ文学』が配本になり,前者には新しく「ソルジェニーツィ

ン「イワン・デニーソヴィッチの一日」』が収められている。「社会主義 リアリズムの中心問題は今日ではスターリン時代の批判的形成である」

という彼の観点からすれば,ソルジェニーツィンの小説は,これまでの この分野でのルカーチ自身の活動の「直接的継続」と見なされるべきも のである。

オーストリアの月刊文化雑誌『フォールム』Fb〃"に『文化的共存の 諸問題』を分載。平和共存をめく・る議論の混乱にかんが象,「国際的な 階級闘争の新しい一形態」としての共存のもっとも原理的な問題を考察

している。

1965年80才

ハンガリー科学アカデミーによってルカーチ80才の祝賀行事がおこな われ,モルナールMolnarErik,フリッシFrisslstvan,パチPach Zsigmondがそれぞれ祝いの言葉を述べた。またルカーチの弟子エルシ EOrsilstvanがハンガリー語に訳して出来あがったばかりの『美学』が 彼に手渡された。同時に『ヘリコン』Hな肋0〃誌に,アカデミーはルカー チの著作の完全なビブリオグラフィーを掲載した。『ハンガリー哲学評 論』誌はこれまでハンガリー語で読むことのできなかった『若きヘーケ ル』から「外化」の章を訳載した。

一方ドイツでは彼の著作集を刊行中のルフターハント社からベンゼラー FrankBenselerが編さんして『ルカーチ80才記念論集』が刊行され,

東西11ケ国から40名が寄稿した。ちなみに70才記念論集にも寄稿して いたのは,ファーナーKanradFarner,フィッシャー,ホルツHans

さ ま ざ ま の イ ン タ ヴ ュ ー

再入党

HeinzHoIz,リンゼイJackLinsay,マイヤー(63年西ドイツへ移住), シャフの6人である。なお記念論集の計画を援助していたイタリア共産 党のトリアッティPalmiroTogliattiは前年死去した。

著作集第6巻刊行。『歴史小説論』『バルザックとフランスリアリズム』『ファ ウスト研究』など「18世紀から19世紀への理念上,芸術上の移行」を内 容とする諸論稿を収めている。同巻の序文は,ハンガリーでは『ロマン 主義の問題jと題して発表された。

1966年81才

存在論の執筆に専念するこの数年,ルカーチは他方で,ドナウ川にのぞ む彼の自宅に多くの客を迎え,無数のインタヴューや対話をおこなう。

資本主義批判,スターリン主義批判とマルクス主義の革新,平和共存政 策の意義,/、ン力.リーの経済改革,サルトルの評価などテーマは多岐にわ たっているが,それらを貫ぬく中心的主張は「日常生活の民主主義、社 会主義」にあり,社会存在論はその哲学的基礎づけの試みにほかならな

い。

なかでももっとも重要な対話は,ピンクスTheoPinkusの計画で9月 におこなわれ,ローヴオルト社から『ケオルク・ルカーチとの対話』と 題して刊行された。ルカーチがその哲学的集大成にとりかかった時点で,

「かれの諸見解の根本となり,士台となる哲学的な核心にまずさしあた り最初の測深鉛をおろす」試みとして,三人のパートナー,ホルヅ,コ フラー,アーベントロートWolfgangAbendrothが存在論,イデオロ ギー,政治の諸問題について,それぞれルカーチと討論をおこなってい

1967年82才

秋,ルカーチは共産党〔正式には社会主義労働者党〕に再入党し,彼の

<完全な名誉回復>がおこなわれた。久しくルカーチ批判が鳴りをひそ め,事実上ルカーチの提言が文化政策にとり入れられていく中で,この ことはすでに予期されていた。入党にあたって「党は彼から何の言明も

求めず,彼もまた何ら言明を与えなかった」(『人民の言葉』M'szα"α紙,

11月26日付)。党機関紙『人民の自由』Mpszα加〔 gはそのクリスマス 号にルカーチとのインタヴューを掲載し,新経済機構及び文学の役割に

ついての彼の意見を紹介した。

ドキュメント内 丸 山 珪 一 (ページ 44-61)

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