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100.0 1

度農業白書付属統計表による。なお農業地域の具体的な範域については,この 報告書の33ページを参照。表中高欄下段の数字は百分比.以下これに準ずる.

 第51表と第52表から次のことがわかる◎

 α)中通り北部の場合農業生産物全収益に対して占める米類の比重は,全国 および福島県の他の地域に比して非常に低い。米類は,全国で総産出額の45. 2

%,福島県全体で46.5%,中通り南部で43.9%,浜通りで5◎.1%,会津で62.&

%も占めているのに対して.中通り北部ではわずかに28.2%を占めているにす

      82

第52表 昭和38年における全国農業総産繊鋭とその類別構成

 米 1衰    類

航2%

k4

i野   菜、果    実

10,4 畜  産、_物 U.9    計

、  19.5

@玉00。0 雑    穀 0.2

工芸作物

5ほ 惑乱出額(億円) 24,432 豆    類 2.1 その他作物

25

い も 類 3.4 ま・   ゆ 3.3

E

ぎない。

 (2)これに対して中通り北部では,全圏や富農心内の他の地域に比して,全 収益に占める果樹と養蚕の比重が高い。果樹は,全国で鉱産出額の6.9%,福 島察全体で5。6%,中通り南部で2.0%,浜通りで2.6%,会津:で1.9%しか占あ ていないのに対して,中通り北部では23.9%を占めている。

 養蚕は,全国で総産額に対して占めるまゆの比重は3.3%,福島県全体で全 収益に対して占める養蚕の比:重が7.6%,会津で1.6%,浜通りで6.4%,中通

り爾部で9.0%であるのに,中通り北部では12.6%である。

 (3)つまり中通り北部は,国国や福島県の億地域に比して,農業全体に対し て占める稲作の比重は相紺撫こ低く,それに代わって果樹・養蚕を軸とする燃 作の比率が根対的に高し・ことがわかる。

 このことは,第53表を見れば,なお一層はっきりするだろう◎第53表は,

1950年世界農業センサスの結果による福島県の郡別耕地面積の集計を上記の農 業地域別とほぼ重なるように,わたしがまとめ直したものである。なお連中東 北と都府県の数字は昭和40年の,また,青森以下の欄の数字は,昭和25年のも のである。いずれも日本統計年鑑によった。これを見ると,福島県は,耕地薦 積に対して占める田の比率が都府県平均よりも低く,青森・岩手を除く東北地 方や裏日本の諸県よりもはるか之低い(注)。そして,その低い福島県の中でも,

福島北部方言社会の範域である福島市と伊達・信夫の両論を合わせた地域は,

県内の億の三つの地域よりもずっと低いことがわかる。とりわけ伊達郡は,全 耕地面積に対して占める田の比率が39.3%と非常に低く,反対に樹園地と畑の 比率がそれぞ2L25. 2%,35.5%と非常に高い。福島北部方響社会は,福島県の 他の地域や東北地方δ裏揖本地方の諸県とはちがってデ椙対的にいって, 水田        83

築53表 頒・畑・樹園地別耕地面積

(単位:町歩)

市 島福

膠漆

夫達 信伊 部灘 北南

hソ り

通通 中中 津り梨北県  通島 

麿

会浜福東都 青岩宮秋山新憲石福都

森手躍田形聖血川井県

耕地面積計

2, 237

7, 784 100.0 13, 635 100.0 23, 637 100.0 73, 721 100.0 38, 834 100. e 35, 794 100.0 172, Oe6 100.0 877, 697 100. 0 4, 32e, 87e

100.0

123, 278 100.0 130, 204 100.0 138, 030 1eo.0 126, 162 100. 0 128. 872 100.0 219, 142 100.0 79, 478 100.0 61, 180 100.0 53, 308 100. 0 4, 353, 482

100.0

1, 023

4, 117

 52. 8

5, 355

 39. 3

10, 495  44一. 4 38, 780

 52.6

25, ill

 64. 7

23, 029

 64. 3

97, 416

 56. 6

568, 938

 64. 8

2, 740, 076

 63.4

67, 128

 54. 4

62, 052

 47.7

99, 770

 72. 3

1e4, 369

 82. 7

95, 813

 74.3

174, 062

 79. 5

73, 266

 92. 2

50, 128

 81.9

46, 223

 86. 7

2, 725, e41

 62. 6

樹園酬畑

372

1, 652 21.1 3, 444

25.2 5, 468 23。玉 9, 337 12. 7

1, 823 4.7 2, 269 6.3 18, 869

1Le

62, 967

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391, 259 9.0

32

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2, e42

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4, 836

 35.5

7, 721

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 34. 7

11, 899

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1e, 497

 29. 3

55, 720

 32.4

245, 792

 28. e

1, 189, 535

 27. 5

1, 345, 897 42, 336 34.3 63, 921 49.1 33, 897 24. 6 20, 275 16. 1

23ほ32

1Z9

38, 478

1Z6

5, 563

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lo, 3eo 16. 8 5, 972 11.2

30. 9

84

稲作よりも畑作,それも果樹園・桑園の上になりたった果樹と養蚕の地域なの である。このうち果樹は,昭和年代,とりわけ戦後にはいってから急速に伸び てきた,歴史の浅い農業なので,福島北部方言社会の村落階層制の歴史的な構 造の問題にはあまり関係がない。聞題になるのは,養i蚕業である。

  囲 岩手・青森両県では,全耕地面積に対して占める畑の比率が高い。しかし,こ  れらの地方の畑は,背からその多くがめぐまれない自然条件の下でヒエ・ソバ・大豆  などの自給食糧の生産にあてられてきており,農業技術も劣悪で,生産性も低い。編  島北部の畑作とは性格が全く異なる。

5. 福島北部方讐社会の養蚕業

 福島北部の養i蚕業は,戦後もも・りんごその他の果樹栽培にとって代わられ,

斜陽化してきてはいるが,近世以来この地方の最も伝統的な郷土産業であった。

  養蚕と生糸生産に適した土地は,山間傾斜地と自然堤防であった。土地が高くよく  乾いた山間地域は,湿気をきらう蚕に欝適であり,また,雑木のかわりに桑木を植え  ることができる。洪水の多い氾濫原は水に強い桑木以外の作物を栽培することができ  ない。

  福島県の信夫・伊達二郡は阿武隈川を中央にいだき,この川の東岸は阿武隈山脈に  つらなり,西融こは吾妻山系が追っている。したがって練達地方の大部分は氾濫原と  間間地域によってしめられている。このように養蚕・生糸生産に好適な自然条件にめ  ぐまれた信達地方は,関ケ原の合戦に敗れ,徳川幕府によって減封されたときの領主  上杉家の殖産事業とあいまって,近世初頭すでに生糸特産地として確立していた。(山  田舜「信達地方の養蚕業jr日本産業史大系3』)

 近世初頭以降江戸時代末期までのこの地方全体の養蚕業に関する統計資料を 手に入れることは,むずかしい。そこで『福島県史資料篇7』に収録されてい

る統計資料の中から,明治以後の福島県の養蚕業に関する最も古い年次のもの を集めてみると,次のようになる。福島北部,とりわけ伊達郡は,福島県の中 でも最も養i蚕業の発達していた地域であったことがわかるだろう。

 第54表は明治絡年の資料ではあるが,これによると,伊達郡は桑畑反別・養 蚕飼養戸数・収繭董ともに他の郡にぬきんでていたことがわかる。第55丁目明 治31年の数字ではあるが,伊達郡は座繰製糸の戸数でも他の郡にはぬきんでて いる。第56表は明治16年の数字であるが,伊達郡は生糸・玉糸・のし糸・潜糸       85

第54表 盟治16年における福島県の養蚕業

灘膀別1飼回数}轡1 醜馴飼翻数i囎

達夫下積瀬河川村川      白白 伊儒安安岩藤東田石

4, 370

2, 941 2, 403

 317  159  144

 37

1, 580

7 25

10, 552 6, 195 6, 877 2, 730 3, 500

 822  8e4

8, 203 2, 513

22, 613 13, 090 10, 485 7,057

1, 818 1, 6e8

 417

11,144

1, 991

麻沼沼津癖馬葉城計    会    北会    松 耶河大鑑南相双石県

 544

  21   19   35  315  429  108

13, 679 2, 573

 232

1, 970

  14

1, 719 2, 347

 903  713

52, 669

3・ ?zel

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 808i1

16, 409i 1, 77 8