(桔梗博至)
国際法は,現実世界の一つの現象であり,国家が国益に基づき行動する限り において成立し守られるものに過ぎないとの観点から,本書の全篇において,
国際法の規範性を過大評価すべきではないと主張する著者たちは,最終章で,
国家は条約加盟等の国際行動を積極的に推進する道義的義務を有するのかにつ いて論評し,否定的見解で結んでいる。具体的には,国際法学の主流派からは 最も道義的な行動を期待されるいわゆる自由民主主義体制の国家,中でも特に 米国に焦点を当て,同国は全人類の福利(global welfare)を目標とするいわゆ る世界主義的行動を推進する義務を負うかのについて,以下の通り,ネガティ
ブな視点からの主張を展開する。
まず,自由民主主義体制下で世界主義的行動をとることの困難性が述べられ る。すなわち,世界主義者は,「米国はICC規程や京都議定書など全世界的意 義を持つ条約に加入し,人権侵害阻止のためには他国に積極的に介入するなど
自国民の利益よりも全人類の利益を重視すべきだ」117)と主張するが,この批 判は全く見当違いであるとし,国家は慈善団体等と異なり,その構成メンバー の世界主義的心情は多様で,そのような思想を持たない人も大勢いるし,利他 的思想(altruism)の人であっても多くは近親性を優先するから,そのような 国家の主要目的は国民の福利の増進に向けられることになり,国民に支持され ない世界主義的行動は実施することができないと主張する。
しかし,民主主義の実際の手続過程においては,問題はそれ程単純ではなく,
例えばICC規程と京都議定書について,世論調査では米国有権者の多数が支持 したとされながら議会の両党議員は圧倒的多数で反対した事実を取り上げその 理由を検証している。理由の一つは,有権者の支持は真に世界主義の心情によ
るものではなく,世論調査の回答者は,質問の前には京都議定書やICCの内容 について聞いたことがないのがほとんどで質問内容も加入の代償(C・st)や他 国の不遵守については尋ねられないが,たまに「機構が成立したら資金を拠出 するか」と質問されると,途端に支持が激減すると言う状況であり,一方,議 員の方は,条約の内容,特にその代償について有権者よりよく知っており,条 約が成立しても他国がどれだけこれを遵守するかについて確信がもてない(こ こでも政治指導者は国家間の「集団的行動問題」すなわち「多数国間の囚人の ジレンマ」を克服できない状態にある)結果,再選を期する議員は,世論調査 よりも,国際行動のコストについて有権者に説明し得るデータを重視し,反対 行動をとったのだと言う。
もう一つの理由として,政治家は有権者を指導すべき立場にあると同時に,
強烈な世界主義的心情を持ち選挙にも強い指導者ですら,国家と国民の福利を 増進するという政治道徳的義務と他国民のため自国民に犠牲を強いることは許
The Limits of International Law
されないという信条にしばられることが強調されている。大統領もまた,広範 な裁量権を持つものの,もし連邦議会の意見とかけ離れた行動をとるならば,
議会の諸戦術により厳しい報復を受けることになり,世界主義的行動を一方的 に進めることはできないのだと言う。
次に,このような著者の主張に対しては,有権者を教育することにより世界 主義的国家に変えることができるのではないかという反論と,自由民主主義に 代わり国際正義の目的により適した世界政府の統治にすれば良いという反論が 想定されるとした上で,いずれも幻想に過ぎないとしてこれらを退けている。
すなわち,教育の効果に関しては,「冷戦後のグローバルな通信革命により,
人々は地球上の苦難の状況を日常的に知るようになったが,人々が利他的にな ったとは言い難く,繁栄国の対外援助率嫁冷戦後急激に降下している。世界を 知ることは,同情を拡げると同時に,外国との違いを多く知り,むしろ国内の 相互義務と連帯を求めるようになる」118)としてマスコミによる教育効果が逆
に作用していることを例証している。また,一般に国民が同質的で世界主義の 意識が高いと考えられているスウェーデンを例に挙げ,同国の高い対外援助率 は,自国の安全保障上の目的を反映したもので,かつ自国の政財界利益に還元 される条件の援助が多く,また国内産業への補助金行政は逆に最貧国の福利を 侵害しており,同国の対外援助等の行動を世界主義的行動と見ることはできな いと主張している。
また,世界政府に関しては,「それに伴う大規模な画一性が多くの個人の選 択を犠牲にし,いわゆる強国は自国の利益に奉仕しない組織には加わらない。
国内統治に見られる公共のための犠牲的精神とか集権的強制力も世界政府では 機能しない。国連も独自の警察力保持に失敗したままである。EUの例も極め
て異質の文化,歴史等を持つ人 々から成る世界政府への道筋を示すものではな い」119)と述べ,その有効性と実現可能性を否定している。
以上のように,著者は,世界主義者の米国対外政策批判に対しいろいろな角 度から刺激的なトーンで反論しているのであるが,あえて批判が許されるなら,
論評の大半が現状認識論の枠内にあり,将来へ向けた規範的主張がやや欠ける ようにも思われる。特に最近の米国の対外政策が独善的でいわゆる世界規模の 条約への参加を拒む例が目立つが,これを自由民主主義体制と国内憲法秩序に 基づく必然のものとして繰り返し擁護しているのは一方面過ぎるのではなかろ うか。「公正で相互に繁栄する世界の中においてこそ米国民の福利増大も推進 できる」120)という世界主義者の主張に同調している一面も見られるので,そ の点につきより掘り下げた議論が展開されても良かったのではないかと思われ
る。
しかし,翻って国際社会の現実を直視すれば,いたずらに国際法の規範性と それに基づく国家の道義的義務を強調することにより,世界の福利が一様に増 幅可能と考えるのは楽観的に過ぎよう。そのような考えを論駁した本章の主張 は,極めて示唆に富み,今後国際法の脆弱性を補い国際関係を規律する新たな 規範をどの方向で,如何に構築していくかの課題を改めて提起したものと評価 できるのではなかろうか。その他,ゲーム理論が随所で応用され,政治哲学的 類書からの引用が豊富で,また多くの国際的エピソードが紹介されているなど 読物としても興味をひく点が多いことも付記したい。
1) Jack LGoldsmith&Eric A.Posner, A Theory of Customary International Law ,(海6㎎01βω 1〜θ伽ωVol.66(1999)p.1113;Jack LGoldsmith&Eric A.Posner, Understanding the Resemblance Between Modem and Tradi廿onal Customaly Intemational Law ,肱g編αノb〃7〃αZ げ1% 召7ηα 勿παJLαωVol.40 (2000)p.639.
2)Mark AChinen, Game Theory and Customary Intema廿ona1][烈w:AResponse t6 Pro鉛ssors Goldsmith and Posner ,ルπ心証α%ノb%7%αZげ、肋 θ7πσ ゴ。πα1 LαωVoL23(2001)P.143.
3) Detlev F.Vagts, International Relations Looks at Customary International Law:A
Traditionahst sDef6nce ,E%7砂θo%ノ∂%7%α1げ1初θ7%厩∫o〃σZ五αωVoL 15 (2004)p.1031.
4) とりあえず筆者の把握したものとして,Edward TSwaine, Review Essay:Restoring(and
Risking)Interest in International Law ,A勉θκcαπノb%魏α♂(ガ1腕 θγπ厩 oηαZ LαωVol.100(2006)
p.259;Andrew T.Guzman, Book Review:The Promise of Intemational Law ,吻g謝αLαω Rω㈱V61.92(2006)p.533;Anhe van Aaken, To Do Away with Intemational正awP Some Limits to The L㎞its of Intemational Law ,E勿吻θαπノb%7忽(ゾ枷θ甥α ゼ。忽加ω, Vol.17 (2006)p.289;Oona A.Hathaway and Ariel N.Lavinbuk, Book Revlew:Rationalism and
The Limits of Intema廿onal Law
5)
6)
7)
8)
9)
Revisionism in Intemational Law ,施7槻短Lαω1〜召 伽Vol.119(2006)p.1404;日本語では,
書評ではないが,郭 舜による内容の一部紹介がある。「国際関係論の構成主義的転回と国 際法学」,『国際法外交雑誌』第105巻第2号(2006年),111頁。
Edward T.Swaine, Rational Custom , D励θ五αω∫o%7紹J Vol.52(2002)p。559;Andrew T.Guzman, Saving Customary International Law ,ハ飾磨gα〃ノ伽7%α1げZ螂θ甥α o%αJ Lαω Vol.27(2005)p.115;George No㎜an and Joel P.Trach㎞an, The Customary Intema廿onal Law Game ,14勉θ7ゴ6伽ノ碗7%α」げ動 θ7%α ゴ。%α」14ωVoL99(2005)p.541
本格的なものはジョージア大学のそれである。 Symposium:71勧E〃z∫云sげ1〃 θ7%α ∫o%σJ Lαω ,G60㎎勿ノ∂%7ηα」げ1漉θ7ηα 勿%αZ&Co勉加鵤 勿θ五αωVol.34(2006)p.253−483.ただし,
残念ながら本ジャーナルの入手が遅れたために,我々は本書評執筆に際してはこれを十分に 活用することができなかった。さらに, Symposium:Rational Choice and International Law ,力%魏α1げしθgαJ S %4∫θs Vol.31(2002)もGoldsmithとPosnerの影響によるものとされ・
る。
Jack LGoldsmith and Eric APosner,7擁θL吻ゴ孟εげZ窺θ甥α 20παJ Lαω(Oxford University Press,
2005) p。3.
Ibid.,p。4.
国際法遵守という選択肢が利益の最大化の選好(preference)の対象から除外される理由は,
国際法遵守が他の選択肢との対比,国家の国富の状態及びその他の要因によって可変的であ ること,そして,どれくらい指導者や市民が国際法の遵守を選ぶかは経験的な問題であるか
らだとされる。Ibid.,p.9−10,
10)』P970年代後半から台頭した国際レジーム論に代表される国際関係論における国際ルールの果 す役割の再評価は,主に多数国間条約に基づく国際制度(定期的な締約国団会議と国際組織 の両方)に向けられていた。国際レジームについてはStephen Krasner ed., Z窺θ7ηα ∫o紹1 Rθg∫〃zθ3(Cornell University press,1983)を参照。
11)著者たちは,自分たちが問題にしたいのは,国際法が実在する(real phenomenon)ことの
否定でなく,既存の国際法学が国際法の力と重要性を誇張していることだとする。
Goldsmith&Posner,∫砂質αnote 7., p.225.
12) Ibid,, p.15
13)それぞれブライアリー,フランク,そしてコーの主張である。Id.
14) Ibid., p.17
15)「集団行動の問題」とは,プレーヤーの行動が調整されていないために一ただ乗り問題など が発生し一本来到達できたはずの最善の状態に帰結しないことをいう。チキンゲームや囚人 のジレンマがその代表的な例である。Ia童n Mclean and Alistair Mcmillan,η1θCoηo細0ゆ短 D∫o o紹ηげR2」漉6s 2 d ed.(Oxford University Press,2003)p.89−90.著者たちによると,集
合行動問題が解決されるためにはプレーヤー同士で監視し合い,フリーライダーやフリーラ イダーを傍観する他のフ.レーヤーを処罰する約束ができていないといけないが(lbid.,86),
プレーヤーの数が増大するにつれて(すなわち,大人数間の囚人のジレンマ)ますます困難 になるのである。