• 検索結果がありません。

自由化と輸出産業化の時代(総生産台数1百万台から、一気に2百万台の時代へ)

ドキュメント内 Microsoft Word - 吉田 千之助_博士学位論文.doc (ページ 36-45)

第1章 タイ国自動車産業小史

3. 自由化と輸出産業化の時代(総生産台数1百万台から、一気に2百万台の時代へ)

2000年の総需要は石油価格高騰、農作物相場の下落、洪水、政治情勢への懸念等、様々な

マイナス要因は在るなかで26万2千台(前年比120.1%)と前年を大きく上回った。

さらに輸出が153千台と飛躍的に増加、その結果生産台数は406千台となり、1996年 のピークに比し、約8割迄回復した。

(1)2000年~2008年頃までの概観

2000年ごろになると、金融危機によって急減したタイの自動車市場も次第に回復し始め、

生産台数も急速に拡大し始めた。同時に各メーカーはタイを輸出基地化する動きが顕著になった。

このためにもっと重要なポイントは、部品メーカーの育成である。

政府も、タイの自動車組立・部品メーカーの国際競争力強化を目指し、2000年1月から当 時最低54%としていた乗用車の部品国産化率を撤廃する方針を導入した。ASEAN の域内の輸 入関税も次第に低下し、輸入品との競争が顕著になりつつある。

タイ政府が、1998年7月に設立したタイ地場部品サプライヤーのレベルアップのためのタ イ自動車産業振興機構(Thai Automotive Institute:TAI)も活動を始めた。こうして部品メー カーの生産性と品質の向上から自動車産業の集積を基盤にして、各社国際戦略車の開発が進んだ。

タイ日野自販のディーラーについて付言しておく。

傘下ディーラーで、金融危機により、倒産した企業は3社あったが、直接的影響を受けた企業 は1社、他の2社はもともとの放漫経営が主因であった。2000年以降、トラック需要が大き く伸びることはないが、経営は安定している。しかしここ10年、拠点数は驚くことにほぼ倍増 した。これは、特に北部・東北部、などを中心に全般にテリトリー内の無拠点地域への支店設置 が進んだことがあげられる。

これは販売競争の激化と、エコロジー対策としてのサービス力の強化の必要上、トラック業界 でもキメ細かいサービスが要求され、他社への市場防衛の見地から、支店設置が急速に進んだた めである。また一面では、90年代のトラック売り上げの急増は、トラック全体の国内保有台数 の増加とその保有水準の引き上げをもたらし、ディーラーにとって、補修部品とサービス売り上 げの増加に当然ながら結びつき、今日では重要な収益源に成長した。金融危機後の数年、車両売 り上げの激減の中で、こうした補修部品とサービス売り上げ(業界用語で言う部修)で食いつな いだ経験から、2000年以降の支店とサービス拠点の大幅増加に繋がったと言われている。そ して、現在のタイ日野自販のディーラー網における中核会社は、大きな嵐に遭遇したが、199 7年の危機前とほとんど変っていないのも、大きな特色である。

(2)2001年~2005年

2001年以降は経済の回復と合わせ、内需、輸出とも好調で自動車生産・販売とも大きく飛 躍した。内需は2001年30万台、2002年は41万台、2003年は53万台と毎年大台 超えを記録し、2004年63万台と初の60万台超えを記録し、更に、2005年には初の7 0万台を記録した。輸出も数年来の拡大基調に乗り順調に伸長、2001年18万台、2002 年18万台、2003年24万台、2004年33万台、2005年44万台と初の40万台超 えとなり、タイ国内と輸出を合わせた総生産台数は初めて100万台を突破した。

こうした背景として、2002年に作られた、タイ自動車マスタープランにより、当時のタク

シン首相による「アジアのデトロイト」を目指す政策が奏功し、2003年には国産化率は80%

に達している。

(3)2006年~2007年

2006年に入ると、前年から続いていた石油価格高騰・金利上昇の影響に、軍事クーデター による政局の混迷状態が発生。消費マインドを冷え込ませ、年間では68万2千台(前年比97%)

と、1999年以来初めての前年割れとなった。一方輸出は53万9千台で、生産台数は119 万台と前年比ほぼ横這いであった。

2007年も国内市場は低調な出足となり、年間では63万1千台(前年比93%)と2年連 続で前年を下回った。しかし輸出は69万台で初めて、国内市場を上回り、生産台数は、130 万台に達した。

(4)2008年~2010年

2008年に入り、これまでピックアップトラックが牽引してきたタイの自動車市場に変化が 現れた。政府の推し進める代替燃料推進策適用車両への優遇税制が開始され、ほぼ全てのメーカ ーがこれに対応。新車価格を引き下げて、乗用車需要を喚起した。また、折からの燃料価格高騰 が小型車には追い風となった。一方、市場の大半を占めるピックアップトラックはディーゼル油 価格高騰の影響が直撃し、需要が急減し、燃料価格が低下後も低調な需要が続き、この結果、2 008年国内市場は61万5千台(前年比97%)と3年連続の前年割れとなったが、乗用車の みで見ると前年比133%と成長を示し、市場の変化が顕われた。輸出は77万6千台と好調で、

生産は139万台に達した。各社の輸出重点策が奏功した。

2009年は2008年後半からの世界金融危機、国内の政治混乱により低調で、乗用車は前 年並みで推移するも、1トン・ピックアップトラックを含む商用車市場は前年割れとなる。結果、

2009年市場は54万9千台(前年比89%)と4年連続前年割れとなる。輸出も55万2千 台と急速に縮少し、国内総生産は99万9千台と、2005年以来の100万台を割る結果とな った。

2010年は3~5月に政治的混乱による市場への影響が懸念されるも、輸出ビジネスを中心 とした経済好調、内需拡大、あわせて各社新型車の投入により市場は活性化・拡大する。通年で は過去最高164万5千台の総生産を記録した。前年から始まったエコカー政策にあわせ、各社 エコカーの生産を開始し、更に輸出基地化が進む結果となった。

(5)輸出基地化政策のまとめ

タイがアジア最大の自動車輸出基地となった要因は、第一に、1980年代後半から始まった、

プレス、金型、板金、精密加工などの一連の技術移転が進み、日本並の品質を維持できるように なった。第二は、トヨタ、日野、ホンダ、三菱重工、いすゞといったタイに進出した日本メーカ ーの、1997年の通貨危機を契機としたタイの輸出基地化戦略の成功である。第三に、バーツ 安で輸出が有利になった面もあるが、輸出の為の現地の設計能力の向上と国産部品の品質の向上 による、国際水準並みの品質の達成である。「日産マーチ」のタイへの生産拠点の全面移管など良

い例である。第四に、ASEAN全体で自動車産業が発展し、また、域内関税の低下によりASEAN そのものが国際市場化し、かつASEAN全体レベルで輸出生産拠点化とすることが可能となって

きたASEANの変貌があげられる。

小括

タイ国の自動車生産は、タイ工業省の統計によれば、1961年の525台から始まり、9年 後の1970年には9,841台であった。それが50年後の2012年には2,453,71 7台で世界第10位の大自動車生産国となった。

タイの自動車産業の出発点は、ピブーンに代ったサリット政権による1962年新産業投資奨 励法改正施行から始まった。この時期は、「日タイ特別円問題」が時の池田首相の訪タイで一気に 解決したことが大きな契機となり、日系のトヨタ、日野、日産といった自動車メーカーが SKD、

CKDではあったが、相次いで進出した。そして、60年代は、政府の各種優遇税制の恩恵を受け て日系自動車メーカーは輸入代替産業として順調に発展した。

70年代に入り、輸入代替化政策も一歩進めて国産部品の使用が強制され、本格的な部品産業 の育成が開始され、日本から多くの部品企業のタイへの進出が始まった。

1980年初からの20年間は、タイ国自動車産業にとって、部品工業の育成による国産化率 のUPと、量産・量販に伴う社内体制の整備、将来の輸出産業化の為の品質の向上、を目指す期 間となり、今日のタイ自動車工業の基盤を作る期間であった。

特に、1985年のプラザ合意による円高対応策として、多くの系列の日系自動車部品企業が タイに「集中豪雨的に」進出したことが大きな貢献を果たした。そして、年平均10%を超える 高度成長の持続は、所得の増えた農村地域を中心として、自動車需要の増加をもたらし、自立に 必要な経済規模と採算性を生み出し、1980年代後半から、1997年に金融危機の頃まで、

タイの自動車産業は大きく発展した。

そして、各社増産体制を整えた1997年に金融危機を迎えた。

1997年7月2日にバーツの切り下げが発表され、これによって通貨・経済危機が生じた。

FCの営業停止処分が相次いで割賦販売市場も事実上停止し、自動車需要は一気に減退した。自動 車の国内販売は、1996年の59万台から1998年には15万台まで激減した。2000年 中葉迄約3年間の低迷期を迎えることになる。

2000年ごろになると、自動車市場も次第に回復し始め、同時に各メーカーはタイを輸出基 地化する動きが顕著になった。この後、基盤が完成していただけに、市場回復後の発展はめざま しく、生産台数も急速に拡大し始めた。

2002年に作られた、タイ自動車マスタープランにより、当時のタクシン首相による「アジ アのデトロイト」を目指す政策が奏功し、2007年輸出は69万台で初めて、国内市場を上回 り、生産台数は、130万台に達し、輸出基地化が進む結果となった。

2012年は、国内143万6千台、輸出102万2千台、生産も過去最高245万3千台を 記録した。

タイの自動車販売網、即ちディーラー網も、60年代に各自動車メーカーが「0」から作りあ

ドキュメント内 Microsoft Word - 吉田 千之助_博士学位論文.doc (ページ 36-45)