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自然主義文学と「私小説」の成立

1870年前後、フランスにゾラなどを中心とした自然主義文学が興った。自然主義文 学は当時の実験理性の潮流と合致し、すぐに世界的範囲の影響力をもった。

1870年は日本の明治3年にあたり、当時の国家と大衆の焦点は社会、政治分野の改 革――「維新」運動だった。それで、当時の日本文学界は一部のフランスの作家、作品を 紹介したが、フランスの自然主義文学には触れなかった。当時フランス文学名著の翻訳は ユーゴー、大デュマなど少数の作家の作品に限られており、翻訳の意図は常に、表面的な 政治目的だった。1888年になり、ある論者が一般的な紹介文献の中でゾラを持ち出し た。日本で、まずゾラ的な自然主義文学の方法を用いて創作を進めた作家は小杉天外と永 井荷風であった。小杉天外は後の創作活動に置いてそれほど大きな業績はない。永井荷風 は後の創作の中で、徐々に日本の唯美主義文学の代表作家に転じていった。

真に日本の自然主義文学の代表作家となるのは、後に出現する島崎藤村と田山花袋であ る。

一 フランス自然主義文学からの影響

ゾラは自然主義文学理論の最初の提唱者であり創作実践者である。日本の自然主義文学 の状況を紹介する前に、ゾラの理論の要点と創作の特徴を簡単にふり返り、基本的参考の 対象としたい。まず、ゾラは自分と現実主義文学との関連を否定しているが、かれの文芸 思想は旧態依然として伝統的現実主義文芸思想の基礎の上に成り立っていた。同時に、ゾ ラは自然科学の中のある理論成果を参考にし、独自の文学理論を打ち立てた。この理論の 第一の特徴は真実を崇拝し、実験理性を崇拝することである。

ゾラは言っている。「今日、小説家の最高の品格は真実感である。……真実感というのは ありのままに自然を感じとり、ありのままに自然を表現することである」(①柳鳴九主編『自 然主義』、中国社会科学出版社1988年版、501ページ。)それならゾラの真実感と伝 統的現実主義作家の現実感とはどのような違いがあったのだろう?異なるところは、ゾラ は事実の役割をより重視し、小説中の想像的要素を軽視したことにある。彼は、「想像」は もう小説家が最も重視する品格ではない、と言った。

言い換えれば、かれは小説の「虚構」を否定し、殆ど絶対の「写実」を崇拝したのだ。

ゾラの例証は、反駁を許さなかった。かれは、確かに時代の代弁者である。かれは言っ た。「大デュマとユージン・Sは想像を具えており、ビクトル・ユーゴーは『ノートルダム・

ド・パリ』の中で、とても面白い人物とストーリーを想像の中から描き出し、ジョルジュ・

サンドの『モープラ』は主人公の虚構の愛情で、同時代の人々を大いに感動させた。しか し、……人々はいつもかれらの素晴らしい観察力と分析力を話題にした。かれらの偉大さ

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は、かれらの時代を描いたことで、作り事を語ったからではない。これらの進歩はかれら がもたらしたものだ。彼らの作品から、“想像”は小説の中で、重要性をもたなくなった。

我々の時代の偉大な小説家をみてほしい。フローベール、ゴンクール兄弟、ドーデ、かれ らの才能はかれらが想像力を持っていたことではなく、かれらが一生懸命自然を表現した ことである。」(①柳鳴九主編『自然主義』、中国社会科学出版社1988年版、499ペー ジ。)

もちろん、ゾラは小説にまったく虚構は必要ないと主張したのではない。小説家は虚構 のストーリーとプロットを必要とするが、しかし非常に簡単なプロット、すぐに頭に浮か ぶストーリーである。つまり、「虚構」は作品の中で取るに足りないもののようだ。なぜな らば、作家の全面的努力は想像を真実の下に隠すことだからだ。ゾラは、当時の著名な小 説家の「全作品は、非常に詳細に準備されたメモに基づいて書かれた」(②柳鳴九主編『自 然主義』、中国社会科学出版社1988年版、500ページ)と実証している。このような 説明は、我々日本の「私小説」を探求する者にとって、大変重要だ。

ゾラの自然主義小説家の創作過程についての概括はとても興味深い。そして、フランス 自然主義文学の代表作家は、まさに日本の自然主義文学の最初の模範対象だったのだ。

自然主義文学の具体化の操作過程と方式の中から、この種の文学が日本の「私小説」文 学様式に与えた重大な影響を理解できるかもしれない。

ゾラはまた、当時の自然主義作家の創作における独特なありさまについて述べている。

「小説家は自分たちが分け入っていく領域について仔細に研究し、あらゆる根源を調べ、

必要とする大量の材料を手元に確保し、それでやっと創作開始を決定する。……作家の観 察と記録が、互いに牽引し合い、さらに人物の生活の連鎖的発展を付け加え、ストーリー が作られる。ストーリーの結末は自然で、不可避な結果だ。このように見ると、想像の占 める場所はなんと少ないことか。……小説の妙趣は目新しく奇抜なストーリーにあるので はない。反対に、ストーリーが平凡であればあるほど、より典型的である。真実の人物を 真実の環境の中で活動させ、読者に人間生活の断片を提供する。これが自然主義小説の全 てである。」(①柳鳴九主編『自然主義』、中国社会科学出版社1988年版、500ページ、

501ページ。)

ゾラはかれの論述の中にも「典型」という言葉を使っている。しかしゾラの意識の中の 典型は、おそらく現実主義文学の中の典型ではなく、いわゆる「典型化」の創作方法とも かなり隔たりがあるのだろう。ゾラの典型は自然の典型で、個々の体験の中で唯一無二と いう意味での典型だ。この意味からいえば、日本の自然主義文学はその真髄を得ていると いうべきである。

自然主義文学と現実主義文学も様々で微妙な継承関係をもっており、ロマン主義文学と も関係がないわけではない。ここで、ゾラがバルザックとスタンダールをどのように評価 していたかを考察してみたい。これにより、自然主義作家が何に関心をもっていたかが理 解できるだろう。かれはこのように言った。以前、人々が作家について語るとき、「かれは 想像力がある」と言ったが、逆に今は「かれは真実感がある」という。この褒め言葉は崇 高であり、より正しい。ゾラは、「観察」の才能は「創造」の才能よりより稀少だとみなし ていた。人々が理解しやすいように、ゾラはバルザックとスタンダールを例に挙げた。二 人とも文豪であるが、現在の読者は盲目的に忠実な信徒になる必要はない、ふたりの全て

の作品を判別せずにひれ伏す必要はない、とかれは言った。ゾラは、真に偉大で優れてい ると感じるのは、真実感のある文章に対してだけだと率直に述べた。『赤と黒』の愛情分析 には驚嘆させられる。この作品の真に優れたところは、小説の創作がまさにロマン主義文 学の最盛期にあたり、当時の作品中の男女の主人公が最も自由奔放な抒情的雰囲気の中で 愛し合い、ロマン主義的色彩に溢れている。そして『赤と黒』は一人の青年と女性が、普 通の人と同じように愛し合い、愚かしくまた真摯高邁に、現実の荒波にもてあそばれ浮き 沈みする姿を描いている。なんと優れた描写であろう、とゾラは感嘆している。

ゾラの文芸思想を簡単にふり返ってみることによって、フランスの自然主義文学の基本 的趨勢に対し、一定の理解を得ることができるであろう。自然主義小説は「観察」と「分 析」の小説だ、とゾラは言った。自然主義の美的基準は「真実」の二文字に帰結する。ゾ ラは19世紀のフランス自然主義文学の提唱者かつ代表作家であることに恥じず、全力で 自然主義文学の理論的、現実的根拠を探求するとともに、多くの作品を書いて自己の文学 主張を実証した。ゾラの小説の量は驚くほど多い。最も代表的なのは『居酒屋』『ナナ』な どの一系列の佳作を含む「家族史」の大作『ルーゴン・マッカール叢書』である。

「家族史」系列の小説はゾラ文学の創作中期に出された。かれの前期の文芸観は、基本 的には現実主義にぞくしている。中期以降、かれは新たに自然主義文学の理論体系を築い た。自らの受けたいくつかの影響について語るとき、ゾラは言った。「私は三つの影響を受 けた。ミュッセの影響、フローベールの影響、テーヌの影響だ。」このみっつの影響を分け れば、ロマン主義、現実主義、実証主義に帰属する。最終的には実証主義がゾラの自然主 義美学の理論支柱を構成している。

では、ゾラの小説創作は、かれの自然主義芸術観を実証、実現したのだろうか? 『ナ ナ』を通してざっと観察をしてみよう。『ナナ』を書き出す前に、ゾラは間違いなく時間を かけて素材と資料を集めた。『ナナ』のモチーフは特殊であり、攻撃を受けやすい上流社会 の醜聞を回避しなかった。ナナは、『居酒屋』の主人公夫婦の娘で、15才で家を出て街を うろつき、下級娼婦に身を落とした。小説は終始、さまざまな上流社会の好色の徒がナナ の美しさにひれ伏す様を描いている。ナナの最後は、惨めな死である。ゾラは真実のタッ チで、第二帝国の社会生活の風俗絵図を描き出している。人々は、この小説は鋭い暴露性 をもっており、成功した暴露小説の典型であると評した。なぜなら、ゾラはナナの浮沈盛 衰を通して、第二帝政期の信じがたい堕落した状況を表現し、娼婦社会を成り立たせてい る淫靡腐敗したブルジョア上流社会を暴露している。ゾラが素材を扱った筆法は自然主義 のものかもしれないが、かれは同時に極めて如実に典型的意味を持つ場面や人物形象を展 開し、作品に現実主義を批判する文学的特徴をもたせている。ゾラの文学は、熱い思いで 社会の現実の存在形態と発展に注目しているのである。それでなければかれは、あのよう に正確にぴたりと特異な題材や描写を選定するはずがない。

ゾラのもうひとつの「家族史」代表作は『ジェルミナール』で、フランスのパリコミュ ーンの後の社会主義労働者運動を題材にしている。この点では、わたしたちはフランスの 自然主義文学と日本の自然主義文学ないし「私小説」との間には、はっきりとした違いが ある、ということを理解するだろう。ゾラは、個人の運命に関心をもっただけでなく、題 材、人物の選定と表現を通して、常に普遍性をもった社会主義の現実問題に触れている。

例えば『ナナ』が触れているのは、まさに「カトリック国家の中産階級家庭の崩壊の問題

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