以下、ケアにおける患者の「気持ちいい」体験が成り立つ状況やその意味について、本 研究の現象学的アプローチの視座である、メルロポンティの思想を手掛かりとし考察を行 った。
〈 〉は、A・B・C氏の各事例のそれぞれから導き出された小テーマを表している。
【 】は、A・B・C氏の事例から導き出されたテーマを表している。
「 」は、インタビューデータを表している。
1.「気持ちいい」体験の生起のありよう 1)【ちょうどいい温かみを感じられる】
A氏は、インタビュー1日目のモーニングケア場面において、「なるべく」自分から「手 を伸ばす」という行為をして、温かいタオルを捉えていた。身体を自由に動かすことがで きないA氏であったが、「冷えっぽい」身体であるA氏は、温かさを求め、タオルに手を 伸ばしたのである。A氏の「温かいのが気持ちいい」は、この同時性、つまり看護師がタ オルを差し出すとそこにA氏の手が伸ばされている状態、言い換えると伸ばした手に、既 にタオルが差し出されるといった、〈患者の伸ばした手に既にタオルが差し出されている同 時性〉により、A氏にとってちょうどいい温かみを感じ、気持ちいいは生起していた。
この〈患者の伸ばした手に既にタオルが差し出されている同時性〉は、タオルを渡して くれる看護師が温かい状態ですぐにタオルを渡してくれるか否かでA氏の「気持ちいい」
の成り立ちが左右されるため、ケアにたずさわる看護師のケアの仕方が関わる事象でもあ った。
A氏はさらに、同日の体を拭く場面において、絞りたてのタオルが左右の肩と首に3枚 のタオルが重り合され、「3枚も(タオルを)着たらね」と言い「これ以上はない」感じで あったと言う。「これ以上はない」と言いつつも、次の語りで、A氏は、「欲をいうと」と 付け加え、「(首の一か所を触り)こうだと、ちょっとここが空くかなみたいなね」と語っ た後、「ここまで(タオルを)着たらね、もう何も言うことはないっていう。良かったんだ よ。気持ちよかった。」に着地した。これらのことから、〈重なり合ったタオルの温かさに 促される〉ことで、これ以上、言葉で表現しなくても良い程の「良かった」という感情と
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同時に「気持ちよかった」は生起していた。そして、同時に「気持ちいい」は、「良かった」
という感情と共に、人間の欲望とも関与する事象でもあった。
B氏は、インタビュー2日目の体を拭くケアの最中において、「ふわっとする」、「もや もやもやっと」した状態で、かつ「無意識に」転倒につながってしまうような身体状況で あった。つまり、自分自身で身体をコントロールできる状況にはなく曖昧性を含んだ不確 かな身体状況であった。そのような状況において、「冷房の入った部屋」であったならばと 仮定した言い方をして、「お湯をもう少し熱く」することで、「気持ちいい」状態になると 言う。つまり、B氏の取り巻く環境の状況において、〈ちょうどいい温かみを求める〉こと で「気持ちいい」が生起していた。また、インタビュー3日目のモーニングケアの〈温か いほうのが、人間の心を温かくする〉は、「冷たいよりも温かい方がね、拭いた感じがする の。」「だからかえって冷たいタオルじゃなくて、温かいほうのが、人間の心を温かくする。」
と言い、冷たいタオルと比較して、「温かい方」が拭けた感じがすることや、拭くだけでは なく人の心」までも温かくすると言う。このことから、「温かい」とは、B氏にとって、単 なる物理的な温熱作用を超えた「気持ちいい」体験であった。
風呂好きのC氏は、インタビュー2日目の体を拭くケアにおいて、看護助手と看護師と の息の合ったケアの仕方により、絞りたてのタオルがC氏の首元から腹部までを覆い尽く された瞬間、「ああ、気持ちいい。」との言葉が漏れ出た。C氏にとって、絞りたての温 かいタオルが次々に広げられる状況は、〈あったかかった。それが気持ちいい〉といった、
ちょうど、お風呂に入っている感覚を得られ、「気持ちいい」を生起させていた。C氏は、
次の日に、改めて、その「気持ちいい」状況について語った。それは、一旦は、温かいタ オルが当てられるが、その後、タオルの使い方によっては、身体が冷たく感じる状況を生 み出し、再度、その冷えてしまった身体に温かいタオルを当ててもらうことにより、「いい 感じ」になるといった、ケアの一連の流れの中での「気持ちがいい」状況が語られた。つ まり、タオルの扱い方によりC氏の「気持ちいい」の成り立ちが左右されるため、ケアに たずさわる看護師のケアの仕方が関わる事象でもあった。そして、絞ってそのまま〈置い ていかれたタオルはけっして気持ちいいもんじゃない〉と「気持ちいい」とは逆の状況を、
「気持ちいい」と同時に語ったのである。
以上より、身体を自由に動かすことが出来ないA氏や、自分自身で身体をコントロール できる状況にはなく曖昧性を含んだ不確かな身体状況にあるB氏、そしてお風呂好きでは
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あるが1人では入ることができないC氏、といった辛さや制約、不確かさを伴う身体状況 において、【ちょうどいい温かみを感じられる】ことで、「気持ちいい」が生起していた。
その【ちょうどいい温かみを感じられる】の生起を可能にしているのは、患者がちょう どいい温かみを感じられるような、看護師のケアの仕方や患者を取り巻く環境の状況であ った。
また、【ちょうどいい温かみを感じられる】は、「良かった」という感情や、人の心が温 かくなる感覚、欲望をも関与するものでもあった。
そして、【ちょうどいい温かみを感じられる】の語られかたに着目してみると、「これ以 上はない」と言いながらも「欲をいうと」が同時に語られることや、「冷房の入った部屋」
であったならばと仮定しながら、「お湯をもう少し熱く」してもいい、ということが同時に 語られること、「冷たい」よりも「温かい方が」と言って語られること、「気持ちいい」と 言いながらも、「気持ちいい」と逆な内容が同時に語られること、そして、身体が「冷えて くる」状況と「あったかい」タオルが当てられる状況を同時に語られると言った、いわば 対立する状況を同時に語りながら、その生起の仕方が語られていた。このことから、次の ようなことが言えるであろう。
【ちょうどいい温かみを感じられる】は、満足―欲望、冷―熱・温といった対立するそ れぞれの状況を含み、巻き込んだ内的構造から生起するものである、と。
このような二項対立について、鷲田(鷲田,2008,p251)は、次のように言う。
メルロ=ポンティの思考は、そうした解釈の二項的対立を抽象的な対立とみなし、そ れらを別の第三項のうちに回収・止揚するという論理的な「綜合」の方法はとらない。
やはりそうした対立の抽象性をきっかけとしながらも、かれの思考はつねに、対立する それぞれの解釈とそこから浮かび上がってくる現象の光景を丹念に対照しながら、そう した解釈の対立を呼び込んだ現象の内的構造のなかに、さらに深く分け入っていく。
つまり、【ちょうどいい温かみを感じられる】は、これ以上ない気持ちよさを感じつつ も、もっと気持ちよいを希求すると言った状況が含み巻き込まれつつ生起し、そして、温 かい気持ちよさを感じつつも、冷えた状況が含み巻き込まれつつ生起されるのである。
それは、3人の辛さや制約、不確かさを伴う身体状況が、表裏一体となり「きもちいい」
を真摯に求めることで生起していたとも言える。