第 3 章 研究 1: 日本語母語話者の有声性知覚に係る聴覚処理特性の検討
3.3 考察
課題と雑音成分の知覚課題を行ったところ, どの刺激条件においても有声性知覚と同 様にVOTの増加に伴う非線形的な知覚の変化が見られた。このことは, これらの聴覚 処理特性が有声性のカテゴリー知覚を生み出すために有用であることを示唆してい る。VOT境界については, 雑音成分と周期成分の同時性知覚が切り替わるVOT境界が 有声性の知覚が切り替わるVOT境界よりも長くなるのに比べて, 雑音成分の知覚の有 無が切り替わるVOT境界がどの刺激条件でも有声性知覚のVOT境界と非常に近い値 を取ることが分かった。この結果は, 日本語母語話者は, 逆向性マスキングに係る聴覚 処理の非線形特性を有声性知覚に用いており, 雑音成分が知覚されるか否かが有声音 と無声音を知覚する上での不変的な特徴になり得ることが示唆される。
英語母語話者を対象とした実験では, 2つの音イベントの同時性知覚に係る聴覚処 理特性が有声性知覚に利用され, 雑音成分と周期成分が同時に始まったと知覚される か否かが有声音と無声音の知覚を決定する不変的な特徴だとされているが(Pisoni, 1977; Simos et al., 1998 a, b; Steinschneider et al., 2004), 本研究の結果から日本語母語話 者はこの特徴を有声性知覚に用いていないと考えられる。また, Hay and Garcia-Sierra
(2005)の研究でも, 同時性知覚に係る聴覚処理特性がスペイン語母語話者の有声性 知覚には用いられていないことが示唆されている。本研究やHay and Garcia-Sierra の 研究結果を考慮すると, Kuhl and Miller(1978)やElangovan and Stuart(2008)で述べ られているように有声性知覚に利用される聴覚処理特性とそれによって生み出される 知覚の不連続点は言語によって異なるのであろう。ただし, 日本語母語話者を対象と した本研究で発見した逆向性マスキングに係る聴覚情報処理特性と有声性知覚の関係 性については他の言語圏の話者を対象とした研究では検討されていない。そのため, 英語母語話者やスペイン語話者も含め複数あるいは全ての言語圏の有声性カテゴリー 知覚を統一して説明できる可能性について今後検討を進めるべきであろう。スペイン 語母語話者のVOT境界が日本語母語話者と近い値になることを考慮すると, スペイン
語母語話者は日本語母語話者と同じように逆向性マスキングの聴覚処理特性を有声性 のカテゴリー知覚に利用している可能性が考えられる。
研究1では, 音声刺激を用いて逆向性マスキング課題や同時性知覚課題を行うこと で日本語母語話者の有声性知覚に利用される聴覚処理特性を直接的に検討した。その 結果, 英語母語話者を対象とした研究以外で初めて聴覚情報に基づく音声知覚処理の 役割を重要視する仮説(Diehl et al., 2007; Holt et al., 2004; Kuhl & Miller et al., 1978;
Stevens, 1989)を支持する結果が得られた。ただし, 通常非音声刺激を用いて行われる
逆向性マスキング課題や同時性知覚課題に音声刺激を用いたため, これらの課題の結 果に有声音に聴こえるか無声音に聴こえるかという音声としての知覚結果が影響を及 ぼした可能性も考えられる。そのため, 今後は有声音や無声音を模擬した非音声刺激 を作成して逆向性マスキング課題を行った場合にも同様の結果が得られるかどうかを 検討する実験を行う必要があろう。