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第二章では、美術の表現者の立場から、美術の表現活動が「探求」活動であることを考察 した。美術を専門的に学ぶ大学生や芸術家の美術の活動には、自己の表現を確立し発展させ ていく「探求」が存在している。自己の表現を確立し発展させる美術の「探求」は、感情や 感覚の発散とは異なり、客観的な「外的」素材と向き合い思考する科学的探求と、衝動性を 押し進める自己の「内的」素材と向き合う創造的探求によって進められ、さらに「内省」に よって科学的探求と創造的探求を織り交ぜながら自己の表現として確立し発展していく活 動である。しかし、絵を描いたり、物を作ったりする行為には、幼児が行うような衝動性の 赴くままの単純な行為から、前述したような芸術家の高度で複雑な行為まで、経験や知識の 量によってその複雑さが異なる様々なものがある。これは、作品の優劣や価値と必ずしもつ ながるものではない。ある程度経験を重ねた芸術家が、時に子どもが描いた作品に魅かれる。

それは技術的にも、描かれた内容的にもシンプルな行為だけに作者の衝動性や「内的」素材 が作品を通じて直接的に感じられるからである。芸術家においても、衝動性に身を任せ制作 を行う事もある。このような衝動性に身を任せたシンプルな美術の表現にも、その善さや価 値がある。このように、美術において「探求」は必ずしも行わなければならないものではな い。特に、身体的、知能的に発達段階である幼児や児童、美術活動そのものを体験的に楽し む目的の人には「探求」は絶対的に必要なものとは言えないだろう。しかし、ある時期にお いて美術を「探求」することができれば、美術が「わかる」「わからない」ものでもなく、

才能を決定するものでもなく、「探求」することに意味を見出し、美術をうまく人生に内包 しながら楽しむことができると考える。

では、「探求」することの意味はどこにあるのであろうか。美術の教育に「探求」を取り 入れることで、どのような変化があるのか、本章では「探求」を美術教育に取り入れること の可能性について考察をする。筆者に、美術教育の「探求」について考察する手がかりを与 えたのが、自らが玉川学園の中学部・高等部で経験した「自由研究」と、教育者として玉川 学園に戻った際に新たに行われていた「国際バカロレア」の授業である。「自由研究」と「国 際バカロレア」では、それぞれ異なる美術の「探求」が行われている。筆者は「自由研究」

と「国際バカロレア」で行われている美術の活動が、美術を専門的に学ぶ大学生や芸術家の 美術の活動と質や方法は違えども、自らの表現を確立し発展させていく「探求」という点に おいて、共通していると考える。

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本章では、「国際バカロレア」と「自由研究」の「探求」型学習115を手がかりに、自らの 表現を確立し発展させいく美術の「探求」を中等教育段階で経験することの意味を考察する。

115玉川学園 IB において「探究型学習」と表記されているが、本論文において inquiry を「探 求」と訳し考察を行ってきた。さらに、「探究」は「探求」に含まれる活動であると考える。両 者共に、子どもの自発的な活動が学習の主体となっている点において変わりはない。それゆ え、自由研究の「探求」型学習との比較において混乱を避ける為、IB における「探究型学習」

も「探求」型学習と表記し考察を行っていく。

65 第一節 中等教育段階における美術

子どもの発達段階に応じた美術教育の必要性はこれまで数多くの論者が述べている。子 ども達の美術作品による心理的分析を行ったローウェンフェルドやリード、認知的分析を 行ったガードナーなどが挙げることができる。特に、幼児や児童の美術に関する研究は多く 行われ、一般的にも幼児・児童期における美術活動の必要性や価値は知られている。しかし、

子どもから成人へと成長する青年期の美術については、ローウェンフェルドやリードなど によって述べられているものの、実際には、日本の中等教育における美術教育は削減されて いく傾向にあることから、現代においても重要視されているとは言えない。ローウェンフェ ルドは、「青年期美術については、わが国ばかりでなく、全世界の中学校、高等学校におけ る混乱ぶりを見てもわかるように、まだ児童期のような明確な考え方の段階には到達して いないのであって、今日、世界共通の課題と考えられている。116」と述べ、中等教育段階に おける美術教育の本質と教育計画における位置づけの共通理解がなされていないことを指 摘している。また、リードも「職業教育の観点を除けば、あらゆる形式の美的教育は、教育 が実際の人間の準備へと近づくにつれて、削られていく状況にあります。美術は、私たちの 制度の高度な部門においては、高等普通教育に必要な一部とは、考えられていないのです。

117」と述べ、子ども達の発達段階が進むにつれて、社会に適応する為の専門的な技術が求め られる学校教育において、職業教育の観点以外から美術教育の価値が認められない当時の 英国の学校教育制度の問題を指摘している。

日本の学校教育では、中学校での美術は必修教科であり、第一学年の総時間数は45時間、

第二・三学年は35時間と定められている。さらに高等学校では、普通教育に関する教科と しては「芸術」が設けられており、必履修科目については、「音楽Ⅰ」、「美術Ⅰ」、「工芸Ⅰ」、

「書道Ⅰ」の4科目から1科目が選択必修となっている118。日本においてもリードの言うよ うに、発達段階が進むにつれて、美術は削られている状況にあり、高等学校で美術を選択し ない限り、中学校の美術教育を最後とする者も多いことがわかる。子ども達の多くは、中等 教育でうけた美術の経験や知識、さらには美術の概念や印象を抱えながら成人していくこ

116 ローウェンフェルド 前掲書 p.347

117 ハーバート・リード著 宮脇理・岩崎清・直江俊雄訳 『芸術による教育』フィルムアート 社 2001 p.248

118 中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会 芸術専門部会(第一回)議事録・配布 資料参照

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ととなる。成人後の美術や芸術に対する考え方に大きな影響を与える中等教育の美術教育 は、重要であることがわかる。

このように、成人後の美術や芸術に対する考え方に大きな影響を与える中等教育の美術 教育で、美術をいかに経験するかは大きな問題である。また、中等教育段階の子ども達は、

第二次性徴つまり思春期を迎え、肉体的にも精神的にも、大人に向けて大きく変化し成長す る時期である。子ども達の視線は自己から社会に向けられ始め、アイデンティティの形成が 行われていく。中等教育段階の子ども達の美術における特徴をたどりながら、この時期に美 術活動による「探求」を行う意味を考察する。

第一項 発達段階と表現活動

美術活動が可能となる一歳前後の子どもが見せる「なぐりがき」は、いかにも衝動的な運 動感覚と身体感覚の表出である。腕の動きと線の関係を知覚する運動である。「なぐりがき」

から始まった表現は後に命題的表現(小さい丸や短い線といった指示表出)へと移行し、図式 的表現(物の構造や関係性、場面空間の認識)、写実的表現、そして最終的な段階として芸術 的表現に到達するとされる119。 ローウェンフェルドの『美術による人間形成』は写実的表 現が芽生えるのがギャングエイジと呼ばれる9歳から 11 歳まで、疑似的写実的段階は 11 歳から13歳までとしている。しかし、金子一夫は絵を描く行為は、自然発生的なものでは なく一つの文化であることから、必ずしも人々が同じ発達をたどるわけでも、同じ速度で成 長するものでもないとし、絵画表現は積み上げていくうちに変化し洗練されるもので、個人 の対象認識の構造の変化で表現様式も変わるとしている。

他者の存在や社会についての認識をもち、客観的に自我を見つめるようになるのが、青 年期である。一般的に青年期になると、子どもは内的な自己の問題と他者に対する外的な 問題とを整理し考察することで、自我と社会性を構築するようになる。青年期前期(中等教 育段階)における美術の教育的意義について考察を行っている長島聡子は、「青年期と類似 の意味で使われる思春期という区分は、生殖機能の発達など生理・生理的要因からみたも ので、男女の性を判別する第二次性徴が現れる11、2歳から17、8歳までの段階の子どもい う。」としつつも、青年期も同じく生理的成熟をはじまりとするが、終わりの時期に関し ては、「就職や結婚による社会的位置の変化やアイデンティティの確立といった視点から

119 金子一夫 前掲書 p.94~100 金子一夫による発達段階における表現の分類を引用し、細か い分類は筆者がまとめた。

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