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鷹誌

鑑.

       ゆ︑       堀戸

   き︒孝巴    軽︑︑竃

      奈﹁

作と段丘の僅かな湧水に頼って水田の耕作を行い︑

中に畑作を営んでいたものと思われる︒

図188 本郷・寺町・神崎付近の略図

併せて原野の

27   横 坂

矢原の五輪塔群

世 羅 西

長田の横坂矢原地区は山中地頭より分立した横坂地頭の居たとこ

ろと推定される︒﹁高野山文書﹂︵元徳二年十月三日付︑備後国大田庄雑掌一分地頭和与状︶に載せる

名﹁熊丸﹂また﹁智門﹂の名が現在も﹁熊丸﹂︑﹁地守﹂という

在している︒また岡崎家︵屋号土居︶の裏山には山城遺構の

残った竜王山城や天神社等があり︑地頭の居所にふさわしいところ

ある︒

 この土居屋敷の前方︑川向うを﹁矢原﹂と呼び︑その一角の半島

状の台地に︑多数の積石状の高まりがある︒その上に花嵩岩製五輪

約五基と石灰岩製五輪塔数基が立っている︒まだ地下にも若干埋

まっていると思われる︒

花尚岩製の一〜二基は火輪の高さが低く︑風空輪の様式から︑鎌

倉〜南北朝期と推定され︑石灰岩製のものは戦国期の造立と思われ

る︒地頭の墓石としては︑花尚岩製のものを考える︒数は少ない

が︑墓地の景観は溝熊の長寿椿の五輪塔群と似ており︑また横坂地

区に他に五輪塔群の発見されていないことから︑一応横坂地頭の墓

と想定したい︒

第1章 太田荘の石造遺物

     竜王城       ↓

燃  意鰍  ぐ ば ﹁仕←

,遜骸 影織遮繊、

丞   4

鑛懸嚢難竃

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   1嚢鐡

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灘鷹灘

図189横坂地区の景観

図190横坂矢原の五輪塔群

㈲五輪塔

28   定 光 地 墓 地

経 塚 塔

津口  津口の平野チエ氏宅︵屋号定光地︶より東三〇〇メートルの位置

ある定光地谷の東山すそに︑幅六・三メートル︑奥行七・ニメー

トル︑高さ二・四五メートルの長方形の石囲いがあり︑その中央部

さ七〇セソチ程の石積みがなされ︑その上に本塔が建ってい

る︒

図191定光地(平野氏)の経塚塔

図192 同(塔身部    銘拓影)

  全 =一五セソチの花崩岩製で︑五輪塔の水輪部が方形になって り︑一見した形式は京都高山寺の如法経塔︵﹃重要文化財14・建造物皿﹄恥一五八︶に似

る︒地輪は高さ二〇・五セソチ︑幅六〇・五セソチで高さが低

い︒水輪は長方形で高さ四二・五セソチ︑幅は上下端五〇セソチで

内部を直方体にくり抜いている︒輪郭は幅五〜六セソチで︑更に一

・八セソチ幅の縁どりがある︒奥壁に阿弥陀如来と思われる坐像を

刻出している︒

輪は高さ二九セソチ︑軒幅五五セソチ︑軒中央の厚さ一四セソ

チ︑下端の反りは少ないが軒上部の反りは隅で強く反っている︒風

輪は高さ一四セソチ︑空輪は高さ二六セソチで先端がかなり突出し

り︑各輪の四面には種子が陰刻されている︒

  水 輪

身︶左の輪郭に﹁享禄二年十一月十日﹂の刻銘が見ら

る︒石室前面の両端に小さな柄穴があり︑元は木製の観音開きの

あったと思われる︒尚︑平野氏は近世には割庄屋を務めてい

た︒

29   文 裁 寺 墓 地 石 灰 岩 製

五輪

甲山町大字赤屋 塔

 赤

文 裁寺墓地にある石灰岩製の小型の五輪塔で︑

五 七 チ︑左塔は五七・五セソチある︒

第1章 太田荘の石造遺物

 右の塔は地輪の高さ一四セソチ︑幅一九セソチ︑水輪は高さ一七

チ︑最大径二一・五セソチのつぼ形のもので上下端に柄はな

い︒火輪は高さ一〇・五セソチ︑軒幅一七セソチ︑風輪は高さ七セ

チ︑径一ニセソチ︑空輪は高さ一〇セソチである︒上部に径四.

状のものがある︒

 左

輪の高さ一一・五セソチ︑幅一八セソチと低く︑水輪

さ二〇セソチ︑径一九セソチ︑火輪は高さ九セソチ︑

軒幅一七・五セソチ︑風輪は高さ七セソチ︑径=一センチ︑空輪は

高さ一〇セソチ︑径九・五セソチである︒尚︑各輪に梵字はなく︑

図193文裁寺墓地の石灰岩製五輪塔

室町末期のものと思われる︒

30   今 高 野山金剛寺墓地の五輪塔

甲山町大字甲山

 今

野山護摩堂の裏手に金剛寺僧侶墓碑がある︒本塔はその背後

あり︑高さ九一セソチの花嵩岩製で︑空風輪を欠失している︒

さ約三〇センチで中央に複弁の反花︑隅にも大きく反花

を刻出している︒上端の幅三ニセソチある︒

        ︵四ヵ︶ 輪は高さ二四セソチ︑幅二六・五セソチで︑次の銘文がある︒

寛永口年

⑤五輪塔

図195 同(地輪拓影)

                十 三        司為法印宥恵

            月六日敬白  

輪は高さ二ニセソチ︑径二七セソチで下ぶくれの形をしてい

る︒火輪は高さ一五セソチ︑軒幅二六セソチ︑軒中央の厚さ六・五

ある︒上端の幅は一ニセソチで︑上部に柄穴がある︒なお︑

輪の正面に梵字が陰刻されている︒

第1章太田荘の石造遺物

内  一石五輪塔

 一石で各輪を刻出した一石五輪塔は︑荘内では室町時代の後期前

らと推定される︒古式のものは地輪の背が低く方形に近い

(馳2賀茂善法寺塔︶︒水輪は横にひしゃげた形で︑火輪の軒の下端

るだけで他の部分は水平である︒

 空風輪は径がほぼ同大であるが空輪部がやや高い︒種子のあるも

も見られるが小さく浅く陰刻してある︒

 時代の経過に伴って各輪の刻出が浅くなり︑火輪の軒の側端部が

高くなる傾向がある︒地輪は長く伸びて︑この面に法名・没年月日

5 郡内の主要な一石五輪塔一覧表

刻される場合がある︵M3川尻万年寺跡塔︶︒地輪の高いも

部が整形されていないため︑直接土中に建てられたものと思

る︒

 一石五輪塔の終末は江戸中期頃と思われる︒この期のものには地

輪の下端に柄があり︑台石の上に置かれたものであることがわかる

M

24 井 折 三 上 家 墓

地塔・M11宇津戸旧延安家墓地塔︶︒江戸中期頃

ら一石五輪塔に代って板碑型の墓石が出現するようになり︑一石

姿を消していく︒尚︑江戸初期頃と思われる一石五輪塔の

面には︑石仏が刻出されているものがある︵M8小世良農免道路

脇塔外︶︒

M

名      称

所   在   地

さ︵地上高︶  ︵セソチ︶

      考

1

印塔の両脇にある︒火輪部で二つに分かれる︒

2 脇塔

外一塔︒

3 寺跡塔甲山町大字川尻

口口口口禅定門︒因閲商二丑六月四日河尻住人林弥二画圃□□外十六基 4 院墓地塔

石仏を刻出︒下部に刻銘の跡あり︒

5 藤家脇塔

甲山町大字赤屋

〇センチ︶

6 山塔甲山町大字赤屋

利明家山林中︒

7 内塔

東神崎

三・五

利繁夫家前︒※M6と同形式︑他に五一セソチのもの︒

8 脇塔甲山町大字小世良

正面に石仏を刻出︒他に一基あり︒

(6)一石五輪塔

M

名      称所   在   地 高さ︵地上高︶  ︵セソチ︶

      考

9

甲山町大字甲山

六・五

正面に二体の石仏を並立させている︒

10

箱の行旨家墓地塔甲山町大字宇津戸

正面に石仏︵立像︶を刻出︒

11 箱の延安家墓地塔甲山町大字宇津戸

五六・五

他に一基︵五六センチ︶あり︒下部に柄がある︒

12

甲山町大字宇津戸

他に一基︵五六・五センチ︶あり︒

13

甲山町大字伊尾

基︒他に宝俵印塔五基︒五輪塔あり︒

14

甲山町大字伊尾

基︒

15

字山中福田

九・五

石五輪塔残欠︒

16

甲山町大字宇津戸

寺の前身円寿寺の僧﹁竜谷﹂の墓か︒

17

時森谷辻堂塔甲山町大字川尻

石五輪塔一基︵残欠︶︒

18

甲山町大字川尻

石五輪塔六基︒

19

甲山町大字井折

常清禅定門︑寛文三天︑五月廿二日︒

20 家裏仏法寺谷塔甲山町大字西上原

基︒

21 倉の塔

西神崎

一基︒室町末期︒矢倉八三一番地︒

22

甲山町大字西上原

基︒他に石仏四体あり︒

西光寺跡の塔甲山町大字50迫

一基︒他に五輪塔︑石仏等あり︒

地の一石五輪塔

文三天の銘有り︒

道屋の墓碑甲山町大字甲山

享口年十月十八日逆修⁝⁝の銘有り︒

26

川尻久恵の板東家墓地甲山町大字川尻

〇四

⁝⁝大元廿六代坂東重左衛門⁝⁝の銘有り︒

27

寺町木船家前一石五輪塔

一基︒積み石組の上に有り︒高さ二五センチの石仏浮刻あり︒

28 藤ン迫の塔

二基︒五輪塔も数基あり︒

29

山下︵屋号吉清︶家墓地の塔

30

世羅町大字京光

小型︒石灰岩製五輪塔の中に一基混在︒

31

〇・五外

二基︒付近に五輪塔多数あり︒

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