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結=は

ドキュメント内 真宗研究8号全 (ページ 70-98)

助日

扶 座ス

白 蓮

@ 

と記してあり︑二管如意輸の身相は白色で︑白蓮華に結蜘扶座するというのである︒この説にしたがうと︑親驚聖

人の夢想に現われた救世菩薩︑すなわち如意輸の形相は︑まさに儀軌にかなったものであると︑いわなければなら

なし

以上の推測が正しければ︑当時の親驚聖人において大きな問題となっていたのは︑やはり生命の苦悩||色欲の

なや

みで

あり

そうした有情の現実とその救済の問題において︑

如意

輪︵

救世

い菩

薩︶

の本

誓が

親驚聖人の心を強

く把

えて

いて

その結果が六角夢想の啓示となって現われた︑と考えてよいのではなかろうか︒そしてここでもう

一つ問題にしたいのは六角堂参龍との関係である

いうまでもなく六角堂参龍の年時は建仁元三三O一︶年でありこの年に親驚聖人は叡山を下り一六角堂に

百日参龍して後世を祈り︑聖徳太子の示現にあずかつて︑士口水に法然上人を訪ねて︑その門に入ったのである︒そ

して﹃親驚伝絵﹄によれば︑これより二年後の建仁三年に六角夢想があったことになるが︑﹃親驚伝絵﹄の六角夢

想の年時については疑いがもたれ︑正しい年時を何時に設定するかが問題となっている︒そして現在では︑これに

ついて大別して二つの説が行われており一つは六角夢想は建仁元年の六角堂参龍と同一事実であるという説であ

り︑他の一つは六角夢想と六角堂参寵とは別の事件であり︑六角夢想は士口水入室以後のできごとであるとする説で

ある︒この問題は親驚聖人の内証の過程と相即するものであり︑微妙な解釈をめぐる論考となって︑γ﹂仏υ

A T

﹂占l

品 ︑

I44

lL

ずれとも決し難い現状である︒

ところで今ここで六角夢想が建仁元年の六角堂参龍と同一事実であり︑その動機は主に色欲の悩みであった︑と

@ いう説にしたがうならば︑前掲の如意輪の文をめぐって︑あるいは次のような解釈を試みることも許されるであろ

うか︒すなわち﹃恵信尼文書﹂に

やまをいでL︑六かくだうに百日こもらせ給て︑ごせをいのらせ給けるに︑九十五日のあか月︑しゃうとくたい

しの

もん

をむ

すび

て︑

じげんにあづからせ給て候ければ︑やがてそのあか月いでさせ給て︑ごせのたすからんず

@ ほうねん上人に︑あいまいらせて︑

たづ

ねま

いら

せて

るえんに︑あいまいらせんと︑

毅驚

聖人

の六

角夢

想の

備に

つい

r

親鷺

聖人

の六

角夢

想の

偏に

つい

とあ

る中

で︑

﹁聖徳太子の文を結びて︑示現にあづからせ給て﹂

の﹁

聖徳

太子

の文

﹂ というのが如意輪の文であ

@ 

﹁一不一坊にあづからせ給て﹂の示現の内容が六角夢想の四句偏文ではなかったかと思うのである

Qつまり六角堂

ν

参龍の九十五日の暁に︑親驚聖人は聖徳太子の文︑すなわち如怠輪のつ発一一邪見心﹁淫欲蟻盛可レ堕ニ落於世﹁如意輪

我成

一一

王玉

1

為一一其人親妻妾一共生レ愛﹂以下の文をむすんで︑本尊如意輸に祈願し︑その結果︑夢想に如意輪

世窓

口薩

l

聖徳太子︶が現われて

﹁行

者宿

報設

女犯

﹂ の四句の偏を長けたと推測するのであるが

いかがであろう

fp, 

このように考えると︑親驚聖人の宗教信仰の展開過程の上に︑如意輸は重要な意味をもっ︑

といわなければなら

: ︑ ︒

J

h v

しかし六角堂参龍と六角夢想のいずれの場合にしても︑

六角堂本尊は聖徳太子︑あるいは救世菩薩として

現わ

され

てお

り︑

また﹃皇太子聖徳奉讃﹄には︑六角堂について六首の和讃が収め

@ 

られているが︑ここでも六角堂の本尊は全て救世菩薩として現わされ︑如意輸の名は用いられていない︒六角堂の

それは如意輪としてではない︒

和讃が﹃六角堂縁起﹄等に基づいて作られていることは明瞭であるが︑

﹁六角堂縁起﹄は本尊如意輪観音の縁起と 霊験を強調するものであり︑時代の六角堂に対する崇信も︑すべてその霊験に基づくものであった

cにもかかわら

ず︑親驚聖人の場合は如意輸の名を用いないで︑すべて救世菩薩または聖徳太子として現わされているのは何故で

あろうかQ

このことは当時において︑如意輸と救世菩薩と聖徳太子とは︑同一視されていたという理由だけでは理

解しがたいのであり

それは親驚聖人の太子観の展開を︑

親驚聖人の宗教思想の展開過程の上に発展的に把えつ っ︑検討しなければならないであろう︒

① 註

﹃親

驚聖

人全

集﹂

和讃

篇二

0ページ

③ ③ ②   建仁三年は突亥であり︑立干西は建仁一万年である︒西本願寺所蔵の﹃善信聖人絵﹂は﹁建仁三年注入亥﹂とする︒

﹁親驚聖人全集﹂言行篇2

・六

l

七ページ

﹃親驚聖人全集﹄言行篇2

・ 二 O

一ペ ージ

﹁大日本仏教全書﹄一一七巻所収︑平安時代末期には現行の縁起文が成立していたと考えられる︒

① ① ⑦ ①  ① 

﹃同

﹄一 二入

・八

八ペ ージ

﹃同

﹄四 一・ コ一 五九 ペー ジ

﹁故実叢書﹄所収﹁拾芥捗﹄中

しかし一般には︑六角堂の本尊は如意論として語られ︑これを救世観音︑聖徳太子と称する例は上掲のほかにはない︒

比叡山延暦寺開創記念事務局発行﹁校訂増補天台座主記﹄一七

0

ペー ジ

﹃親 驚聖 人全 集

L言行篇2

・一 七六 ペー ジ

﹁大日本仏教全集﹄三八・八四ページ

覚禅は康治二年に生れ︑安一冗二年から建保七年までの問︑観音寺︑六条坊門富小路︑綾小路︑高野山東別所︑祇園︑西明 寺︑勧修寺浄土院等に居住して︑﹃覚禅妙﹄を選述した︒

﹃大正新修大蔵経﹄図像部四・四入0

ページ︑﹃大日本仏教全書﹄四七・一入一ページ︑但し﹃仏教全書﹄では︑﹁又云﹂

の下に異本は﹁若﹂字があるとしている︒

原文﹁玉玉女﹂の﹁王L

の意味が不明である︒密教では如意宝珠を﹁成生玉﹂と解釈するから︑

﹁生しの誤写であるかも知れない︒

﹁本尊変玉玉女事﹂の前に﹁止雨風事﹂として﹁別本軌一去︑若欲雨風止︑取局如木︑

々﹂ とあ る︒

⑬ ⑫ ⑪ ⑩  

⑬ 

⑬ 

﹁成王玉女﹂の﹁王しは

⑬ 

︵中略︶長一肘加持百八返焼却止云

⑬ 

﹁大 正新 修大 蔵経

﹂一

一0

・ 三 O二ページ︑なお﹃阿裟縛抄﹄九・如意論には︑

ま引 用し てい る︒

﹁大正新修大蔵経﹂図像部一0

・八

0ページ取意六

﹃同

﹄二

0

・ 三 O二ページ

﹃同

﹄ご

0

・一

九四 ペー ジ

﹁宝思惟軌云﹂として︑この部分をそのま

⑧ ⑬ ⑬  

親驚聖人の六角夢想の備について

六五

親驚聖人の六角夢想の備について

六六

⑧ ⑧  

﹃同

﹄二

0

・一 九七 ペー ジ

﹃同﹄図像部三・二八ページ︑なお﹃阿裟縛抄﹄九・如意輸には同じく︑

して いる

赤松俊秀氏著﹃親驚﹄では︑建仁元年の六角堂参籍は六角夢想と同一事実であることを種々の角度から論考し︑六角堂に

参寵して聖徳太子から与えられた偏が凹句偏であり︑﹁当時親驚の悩みは性欲を中心とするものでありL︑﹁苦悩のあげ

く︑叡山を下って六角堂にこもって祈念せざるか︶えなかった︒しとしておられる︒

﹁親 驚聖 人全 集﹄

細川行信氏﹁聖徳自主のめぐみ﹂︵﹃親驚教学﹄I︶では︑﹁聖徳太子の文を結びて︑示現にあづからせて給て侯ければ﹂

の文について︑﹁聖人は聖徳太子の文を結び︑太子の示現を蒙られたという事実が知られる﹂とし︑聖人が太子の文を結

んで祈願された文と︑その祈願に感応して一万現にあずかられた文とに分別して考える必要がある︑としておられる︒

親驚聖人の著述を通じてみても︑如意輸の語はみあたらない︒ただ﹁観無量寿経集註﹄に︑﹃観経﹄の﹁阿弥陀仏︑神通

如意Lの文を釈するに︑﹁如意﹂の語釈がしてあり︑︵親驚聖人全集・註釈篇二・二二八ページ︶これは﹃教行信一証﹄信 巻に︑﹁光明寺観経義云言如意者﹂以下の﹁如意﹂の語釈と同一であるοいずれにしても︑それらは如意の語釈にとどま

り如意輸について記すものではない︒

Oこの論文は近く刊行予定の﹁大谷史学﹂一号に掲載する拙稿﹁六角堂考﹂の一部在詳述し︑いい及はなかった点を加築し 記

たものである︒したがって両者の内容が重複する点のあることをご容赦ください︒ ﹁商二管弦口薩白色荘厳︑結跡朕坐白蓮華﹂と記

⑫ 

⑧ ⑧  

⑧ 

論註他利利他の深義に就いて

小 比 賀 保

宗祖は教行信証の一説巻屠に﹁宗師顕一二不大悲往還廻向一患敷弘二宣他利利他深義己という︒この一段は曇情の釈功 を嘆ぜられて︑証巻の結文とするのであるから

﹁他利利他深義﹂は論註最後の栗本釈下の他利利他釈より出る言 葉と見ねばならぬ︒このことは古来の先輩が既に指摘する通りである︒その論註の他利利他釈を窺うに就いては︑

先学の既に研究しつくす所であるが︑甚だ異説が多い︒吾人の僅少な資料によっても︑

ただ

の二

一二

では

ない

︒ カ〉し も比較検討するときどの説にも難がある︒勿論いずれも立義者系統相続者が一丸となって︑

一往来難を会通して居

るが︑吾人より見るとき︑全く疑難氷解とはいい難い感がする

c

今その一々について論及することは紙数制限のた

め不可能であるがその例を示せば

凶説は他利と利他とは一法の異称で︑共に自利に対する言葉にて︑仏の衆生利益行であるという︒この説に対し て一体の異名ならば生仏共に他利とも利他ともいわねばならぬ︒然れば仏より言わば利他︑衆生より言わば他利と

論註他利利他の深義に就いて

ドキュメント内 真宗研究8号全 (ページ 70-98)

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