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結論 怪物とは何か

怪物とは何か。この問いに対する私の答えは、怒り、孤独、自己、生殖科学、

機械、人間である。しかしこれだけではない。小野は『フランケンシュタイン・

コンプレックス』において、情報ネットワークが第三のプロメテウスの火であ るとして、私たちの生活に恩恵と恐怖を与えていることを指摘している(215)。

ボルディックは国家(現代社会)こそが「不完全な部分を寄せ集めた怪物的な 集合体」(62)だと述べている。さらに、近くを見渡せば、私たちの住む場は 上へ上へと伸びていることに気づく。町は高層ビルの塊で成り立っているのだ。

以前に建設基準無視の問題で私たちの生活を脅かしていたことを考えるとまさ に、私たちの住む場さえ怪物なのである。このように考えていくと、生活空間 に存在するものすべてが怪物に見えてはこないだろうか。私たちはこの怪物を 日々生み出し、それらに囲まれて生きているという点で、現代のヴィクター・

フランケンシュタインなのである。

さて、物語のヴィクターはどうなったかを思い出してほしい。彼は人類の進 歩という名目で怪物を造りだし、その責任を放棄した。怪物は当初は穏やかで 人間の愛情を得るために努力を惜しまない存在であったが、度重なる暴力に耐 えかね殺人鬼となった。物語の結末は、両者の死である。しかし、現代のヴィ クターである私たちは、怪物と心中するなんてことがあってはならない。怪物 と共に生きる力が求められる。小野は、『人間になるための芸術と技術 ヒュー マニティーズからのアプローチ』で、人文学者の使命は、あらゆる種類の不公 平や格差が存在している多文化社会において、適切な共存モデルを示すことだ と述べている(53)。それならば私も、現代のヴィクター(私たち)と現代の怪 物との理想の共存モデルのあり方を探りたいと思う。

ヒントは、物語のヴィクターと怪物の失敗から得られる。ヴィクターの失敗 とは、結果を顧みずに科学を乱用して怪物を創造してしまったこと、そしてそ れに対する責任を放棄したことである。この失敗は現代のヴィクターである私 たちにとって重要な教訓となるはずだ。進歩や欲望のためと、生殖科学や産

業・コンピュータ技術等を駆使してとんでもない怪物を生みだす危険性が十分 にある。現代社会における「進歩」の意味─何のための進歩なのか─も考える 必要があるだろう。また、生活のために良かれと考えて作った怪物に疑問を持 たないでいると、それがいざ暴れた時に収拾がつかなくなってしまうこともあ るだろう。原発のように大きな問題が起こってからでは遅いのだ。だからこ そ、本論文で何度も指摘している点、つまり怪物は身の回りに存在しているこ とをもっと自覚すべきである。例えば、地下に穴を掘り、地上に 20 階 30 階と コンクリートの塊を積み上げていく様子を不自然に思わなくなった社会が私は 恐い。だから私は高層ビルを怪物と呼ぶ。こうした「何か怪しい」という感覚 を持ち続けることこそ大切なのだと私は思う。なぜなら体外受精の事例に見ら れるように、「不自然さ」に敏感でいなければ、すべてが「自然」なものへと 置き換えられてしまうからである。これが怪物の暴走を許してしまう結果につ ながる。加えて、ボルディックの次の指摘もしっかりと胸にとどめておきたい。

「怪物とは、地獄から完成した姿で飛び出して来るものではなく、人間の活動 が生み出した歪んだ産物であり、破壊的な社会の圧力の下で育てられ、栽培さ れ、造り上げられるのだ。」(187)恐れるべきなのは、怪物ではない。怪物を 育てる私たち自身の欲望や無関心の方である。

次に怪物の失敗を考えてみよう。彼の失敗は、怒りを抑えられず暴力に訴え た点である。ルセルクルは皮肉にも非常に興味深い質問を投げかけている。「ひ とを殺す以外に、モンスターには何ができるというのか。」(160)小野の指摘

─「G・H・ミードは『生存する環境をコントロールすることができる』とい うのを人間の特徴にあげていた」(『人間』215)─によれば、怪物は環境を変 えるために暴力という手段しか持っていなかったのだ。しかし、私たちには力 だけではなくあらゆる手段が与えられているはずだ。怒りや、野望、内側に潜 む卑しい自己に簡単に支配権を譲ってはならない。

メアリー・シェリーの夢の中で生まれた怪物は、文字の上を伝って私たちの 生活空間にまで現れるようになった。特に昨今の状況─モンスターを人間の 形容詞として使う現象(2012 年1月より放送されたドラマ『聖なる怪物たち』

もまさに欲が人を怪物にするというテーマである)、『怪物くん』の映画化や『妖 怪人間ベム』のドラマ化など─を考えると、世は怪物ブームであると言える。

こうした傾向は非常に興味深い。私たちは怪物という存在を通して、人間を再 発見できるからである。例えば私たちは、病気になって初めて健康のありがた みを知る。それと同じように、怪物と出会って初めて人間とは何かを、人間の

素晴らしさを実感できるのである。こうした点を踏まえ、私は怪物とは何かと いうテーマを掘り下げてきた。すると面白いことに、私たちは様々な怪物と生 きていることを知った。何よりも人間(自分自身)が怪物であることがわかっ た。本論文で行ってきたように、こういった怪物の姿を明らかにし、きちんと 向き合うことで、共に生きる方法が見えてくるはずである。私たちは、現代の ヴィクター・フランケンシュタインとして、それぞれが抱える怪物と生きてい かなければならない。

参考文献

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ボルディック,クリス.『フランケンシュタインの影の下に』谷内田浩正訳  国書刊行会,1996.

ブロンフェン,エリザベス.「書き換えられた家族の歴史」スティーヴン・バン編:

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バン,スティーヴン編.『怪物の黙示録「フランケンシュタイン」を読む』遠 藤徹訳 青弓社,1997.

フライド,マイケル.「印象派の怪物」スティーヴン・バン編:124-50.

グラント,マイケル.「ジェームズ・ホエールの『フランケンシュタイン』」ス ティーヴン・バン編:151-80.

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ルセルクル,J=J.『現代思想で読むフランケンシュタイン』今村仁司・澤里岳 史訳 講談社,1997.

小野俊太郎.『フランケンシュタイン・コンプレックス 人間はいつ怪物にな るのか』青草書房,2010.

─.『人間になるための芸術と技術 ヒューマニティーズからのアプローチ』

松柏社,2009.

大野和基.「なぜ私は代理出産に反対するか」シンポジウム「生命の資源化の 現在」『死生学研究』第 15 号 東京大学大学院人文社会系研究科 2011:

280-88.

オロレンショー,ロバート.「怪物の物語」スティーヴン・バン編:206-33.

シェファー,ジャン=ルイ.「血とパン」スティーヴン・バン編:234-54.

シェリー,メアリー.『フランケンシュタイン』森下弓子訳 創元社,2011.

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