コロイド粒子を内包したベシクルを物理学的に解析するために、変形が制限され た剛体球殻をベシクルとしてその内部に反発する粒子を含んだモデルと、変形が許 される流動膜(動的三角格子)をベシクルとしてその内部に同様の粒子を含んだモデ ルをそれぞれ用いた。そして、メトロポリス法を用いたシミュレーションを行い、平 衡状態に含まれる形状や内部構造をサンプリングした。このとき、粒子の数、粒子 間の反発の範囲の条件を変えてシミュレーションを実行した。動径方向に内部を分 割し、それぞれの分画で粒子の密度を解析した。流動膜ベシクルの変形を曲率と面 積の変化に分けて、それぞれの揺らぎから実効的曲げ弾性係数と実効的表面張力を 解析した。流動膜ベシクル内外の浸透圧差を、ベシクルの体積を減少させたとき得 られる形状を調べた。
反発的な粒子は、そのエネルギーを減少させるために、ベシクルの膜に近い位置 に配置される。しかし、粒子数が多くなると、膜付近に配置しきれなくなるため、既 存の膜付近の粒子層の内側にもう一つの粒子層を形成する。この多層構造は粒子の 斥力が短距離であるときに生じやすく、ベシクルの膜に近い領域から順に層が粒子 の直径と等しい間隔で形成される。長距離斥力をもつ粒子の場合は、球殻内部での み2層目を形成したが、これは基本的に不安定な構造である。ベシクル内部の粒子 が少数であるなら、その粒子間の斥力が長距離であるか短距離であるかにほとんど 依存せず、粒子が多いほど、実効的曲げ弾性係数と実効的表面張力が共に増加する。
長距離斥力を持つ粒子の場合、実効的曲げ弾性係数を増加させるように、短距離斥 力をもつ粒子の場合は実効的表面張力を増加させるように膜を硬化させる。これは 内部の粒子の構造に依存している。粒子の斥力が長距離であり、粒子数が大きい条 件でベシクルはダンベル形をとり、それ以外の条件では球形や楕円体形の形を生じ ることは、これらの斥力の範囲による効果の違いが引き起こしたものである。
熱ゆらぎを考慮する場合、至適面積差を固定しても様々な形状のベシクルが現れ る条件が存在する。現れる形状のうちどれがどの程度安定であるか議論するために 自由エネルギー地形を算出する必要がある。しかし、メトロポリス法は多峰性をも つ出現確率分布に従ったサンプリングがあまり得意でないため、レプリカ交換法を 用いて効率よく必要なサンプルを集めた方が良い。本研究では解析条件を至適面積 差が球と等しい条件に固定していたが、このパラメータを系統的に設定して調べる 場合に対しても有用であると考えられる。
ADEモデルベシクルの全エネルギーは、二乗平均曲率を面積分した値と、面積差、
面積、体積の4つの量のみからほぼ決まる。そのため、調べたい自由エネルギー地 形はこれら4つの軸を用いて表すことができる。内部に粒子を封入した際も同様に、
粒子間の相互作用に関係する量を追加することで表すことができる。この地形を調 べることで、どのような形状が安定して現れるかという情報に加えて、それぞれの
出現頻度も知ることができるため、複数の準安定の間の遷移がどのような状態を介 して進行しやすいのかも調べることができると期待している。
そして、サンプリング手法に関連した課題とは別に、内部粒子のモデルの改善も 考えている。モデルに粒子を含める時、距離に依存した対ポテンシャルではなく、粒 子の占有体積領域を利用したポテンシャルを定義することで、粒子の変形を巨視的 に取り入れたモデルを構築することができ、その分布の解析も可能になる。粒子を 元に作成したボロノイ図を用いてそれぞれの粒子の占有領域を表すことを検討して いる。
ベシクルの変形をより詳細に調べるためには、分子動力学法に基づいたシミュレー ションが必要であると考える。しかし、大きなベシクルを脂質分子をいくつかの粒 子で表した粗視化モデルを用いてシミュレーションをするのは困難であるので、曲 率に依存したフリップ・フロップの頻度をその粗視化モデルで推定したのち、その 結果を曲面のモデルに局所的な自発曲率として取り入れることで、モデルをより実 際のベシクルに近づけることができると考えている。
謝辞
本博士論文は、東京薬科大学生命物理科学研究室において行った研究をまとめた ものです。本研究を遂行するにあたり、ご指導、ご鞭撻して頂いた方々に深く感謝 致します。
論文執筆や学会発表の内容などについて総合的に本研究室の高須昌子先生、森河 良太先生、宮川毅先生にご指導いただきました。高須先生には研究の機会を与えて 頂いた上、日々の研究活動でお世話になりました。森河先生は、膜の弾性論を基礎 から教えて頂いただけでなく、プログラム作成に慣れるまでの重要な時期に多くの 技術的なアドバイスを頂きました。また、バクテリアや流体のシミュレーションの 話も視野を広げることに繋がっていると思います。宮川先生には、膜の研究につい てのご指導を頂きましたが、それ以上に普段の蛋白質の分子動力学のお話は示唆に 富んでおり勉強になりました。例えば現在行なっている膜の分子動力学の計算を円 滑に始められました。
本研究を進めるにあたりご助言を頂きました、東京慈恵会医科大学の植田毅先生、
宇都宮大学の夏目ゆうの先生、夏目雄平先生に感謝しております。植田毅先生は、本 テーマの構想を頂き、共同研究者としてご協力頂いた上、学会での発表内容などに ついてご指導して頂きました。博士論文のテーマの発端は夏目ゆうの先生のご研究 であり、本研究について共同研究者としてご助言を頂きました。夏目雄平先生には、
貴重なご意見を頂きました。
学部の特別演習と卒業研究において、旧細胞機能学研究室の山岸明彦先生、玉腰 雅忠先生、横堀伸一先生、赤沼哲史先生、そして先輩方には研究の基礎を教えて頂 きました。
副指導教官として生物情報科学研究室の小島正樹先生、生命分析化学研究室の内 田達也先生にご指導して頂きました。分子神経科学研究室の森本高子先生には学位 審査をお引き受けして頂いた上、ご指導して頂きました。
永井國太郎記念大学院学生奨学金の助成を受けてシンガポールにて学会発表を行 いました。
生命物理学研究室の方々、及び在籍されていた方々には研究や日常で大変お世話 になりました。山田寛尚さん、森咲季子さん、野口瑶さん、深澤由佳さん、小川静佳 さん、小澤愛さん、三井淳也さん、石岡岳紘さんには激励を頂きました。長い間共 に研究に取り組んで頂いた和出沙弥香さんに特別に感謝しております。
最後に、これまで育ててくれた家族に感謝致します。
A 付録
A.1 現象論的描像
2つの脂質分子間に生じるポテンシャルを表す関数は、それらの距離だけでなく、
方向や炭化水素鎖の形などに依存するものだろう。それを巨視的なモデルに導入す る際には、平均場近似することでその複雑さを取り除く場合が多い。距離の関数と して分子間対ポテンシャルを近似する方法のひとつに、ある距離(たとえば重心間距 離)で2つの分子のポテンシャルをそのペアの出現確率で重みづけることで得られ る期待値を連続的に繋ぐ方法がある。分子平均した実効的占有領域を得たいときは、
すべての取り得る状態を重み付けして重ね近似すれば良い。例えば、脂質分子の重 心をもとにボロノイ図を作成し5(図A.1(a)) それに含まれるボロノイ細胞の輪郭をす べて重ね合わせると(図A.1(b))、脂質分子の実効的占有領域は円柱に近似すること ができると分かる。これは現象論的描像の一例である。この領域を保つような弾性 ポテンシャルエネルギーを分子間距離を用いて表すと図A.1(c)のような形になるだ ろう。
図 A.1: 脂質分子の配置と占有領域の重ね合わせの模式図。(a) 分子動力学法を用い て得られた脂質分子の重心の位置(文献[84]のスナップショットをもとに作成)、(b) 重心位置を元に作成されたボロノイ細胞(占有領域)の重ね合わせ。(b) 占有領域を平 均した形をもとにしたエネルギー関数の形の模式図。
5直接観察することは困難であるためシミュレーションの結果を利用した。
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