恐れることはない認知症
退院の 2 日前に長女からケアマネジャーに相談の連絡 が入る。
3. 終末期ケアにおいてケアマネジャーにもとめられること
1 )どのような最期を迎えたいのかという、ご本人・ご家族の想 いを理解し、尊重する。
2 )予測される病状の変化や急変時の対応について主治医か ら説明を受け、理解しておく。
3 )不安や分からないこと、希望・要望などを、ご本人・ご家族に 率直に口に出して頂けるような関係性を築く。
4 )不安の解消や、希望・要望の実現のための具体的な方法を 考え、適切なタイミングで提案する。
5 )ケアにあたる全員が常に情報を共有できる様、連絡役を担 うと共に、連帯 感をもって目標達成を目指せる様な関係性・
雰囲気作りを行う。
医師
栄 養 士
ヘルパー
看護師 歯科医師
ケアマネ ジャー
リハビ リ 職員 訪問入浴
福祉用具
「笑顔と歌で」
中原区 塙 依子
今、私はこの場所で、このような機会を頂き、私の小さな経験が少しでも皆様 のお心にふれ、また共有することができたら、大変うれしく、幸せのことと感 謝しつつお話をさせて頂きます。
「行く川の流れはたえずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶ泡 沫はかつ消え、かつ結びて、久しくとどまることなし‥‥」これは方丈記の序 文の一部なのですが、私は中学生の頃からこの文章にひかれ、万人に訪れるで あろう人生の無常、喜びと悲しみ、しかしそれを乗り越えられて幸せをつかむ のが人生だ、等漠然と考えていました。
そんな中、風邪ひとつ引いたことのない主人に病が発生したのです。歩行が 遅くなり、得意だった数に対しての反応が鈍くなっていったのです。私はそれ を年齢のせいと軽く思っていました。
病名は、パーキンソン症候群、脳出血後遺症でした。病だと知った時の悲し み、自分の意志ではなくポロポロと涙が流れ、途方に暮れる毎日でした。娘た ちが、パソコンで病を調べてくれましたが、解決策もなく心を痛めるばかりの 日々でした。そんな私を主人は、静かにやさしくそして悲しげに見ていました。
「本当に静かな目」で。
こんなことをしてはいられない、主人と私の大切な人生悔いのないように生 きたい、明るく歩んで行こうと、忘れていた笑顔を取り戻すことにしました。
私は、笑顔を作ってみました。何と、心が軽くなりました。テレビを見て過ご す生活から外へ、車いすを使って散歩することにしました。最初は車いすで外 にでることに抵抗がありました。病気は恥ずかしいことではない。ありのまま の自分たちでいようと意を決しました。多摩川の土手がすぐ近くですので、晴 れた日は、毎日のように出かけました。心地よい解放感、広々とした緑と空、
そのようなところで、歌いました。
この広い野原いっぱい咲く花を 一つ残らずあなたにあげる 赤いリボンの花束にして
この歌は大好きな歌でしたので、よく歌いました。私は歌が好きで、歌を歌 うと体調がよくなり、主人も心を回復させているようで幸せそうに聞いてくれ ていました。音楽は生活に潤いを与えてくれ、雨の日は主人の好きなドヴォル
ザークのチェロ協奏曲をよく聴きました。哀愁を帯びたこの曲は、心を透明に してくれました。土手に降り立ち、一歩一歩大地を踏み、杖と私の手を助けに、
歩行練習をしたり、打ちっぱなしのゴルフの練習風景を見たり、桜吹雪の中お にぎりを食べたり、野の草花に力づけられたり、小さな幸せでしたが、至福の 時間でした。
外に出かけると、他人様から声をかけられことが毎日のようにありました。
ある時、公園で一休みしているとき、高齢の女性が「ごゆっくり」と一声か けてくださいました。何ともやさしい「ごゆっくり」という言葉にこころが暖 まりました。この地域はこのような温かい街であることを知りました。多摩川 駅の近くにあるお寿司屋さんと出会い、お隣のレストランで牛すじシチュウを 食べたことなど日々の生活に変化があるように心がけました。
多摩川の近くには、主人の大好きなせせらぎ公園というところがあり、四季折々 の木々や花が自然の形で生きづいているところは、心安らぐ場所でした。平凡 な日々が少しでも豊かになればと願いました。
このような静かな日々を過ごしていたのですが、病状が悪化してまいりまし た。ケアマネジャーさんの紹介で最期の1年、「かわさき訪問看護ステーション」
の皆様と出会いました。素晴らしい出会いでした。どんなに力強く、頼りにし 助けられたことか。彼女たちは、雨の中、風の中、どんな時でも、それこそ笑 顔で訪問看護をしてくださいました。
・熱が出たけれど、どうしたらよいのでしょう
・吐いてしまったの
・便通が悪いの
おろおろして、ステーションに電話するとどんな時でも、落ち着いた適切なご 指示をしてくださいました。的確な指導があり、指示通りにすると熱がさがっ たりします。多い時には
3
回も電話をしてしまいました。お声を聞いただけで安心し、こころの平穏を保ち、主人の看護をすることが できました。「健やかに生き、自分らしく逝く」のこの本に掲載させていただき ました。そのころの私の気持ちを歌ったものです。
「木陰求め皆で走り笑顔する 介護の日々の楽しからずや」
これは、猛暑の日近くの神社に涼を求めて看護師さんたちと過ごした日々の ことです。