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紡ぐ〜大垣第一女子高等学校の記憶〜

ドキュメント内 IAMAS 2008 (ページ 49-52)

Spins it ̶Memory of Ogaki Daiichi girls' high school̶

47 井上さおり INOUE Saori

観客は何を期待してIAMAS 2008を見に来るのだろう? 新しいメディア・テクノロジーを用いた芸術作 品を見に?メディア技術の社会的な応用方法や新しい発想に興味があって? 或いは学生の研究内容 を知りたくて? 

たぶん芸術系の関心で来る人にとっては作品を、工学系の人は研究内容の方を重視するのかもしれない。

ただ、作品を見に来た人から「どれが作品なの?」と問われると、そのあたりが頗る曖昧で返答に困る。

IAMAS 2008 がアカデミーの卒業制作展と大学院の修了研究発表会の合同展示のかたちをとっているの

は周知のことだが、大学院の展示に限ってみれば、その修了研究発表会という名称が示しているように、こ の展覧会は工学系であれ芸術系であれ研究発表というのが建前であり、だとすれば作品を通して自分の 研究内容を語るというのが筋ではあるのだろう。展示会場に配置された何人かの説明員の解説を聞いて も、また作品につけられたタイトルの多くも、基本的にその研究内容を暗示している。そう考えると、この展覧 会は自立した芸術作品を展示するというよりも、研究内容を作品展示の形で示すといったデモンストレーショ ン展示の要素が強いことになる。しかし研究発表の展示であるならば、その研究内容を観客に分かりやす く示すパネルが思ったより少ない。むしろそれらを必要としない自立した作品展示として提示したいという思 いも見られるのだ。そのあたりは制作者本人にとっても曖昧なのではないだろうか? そんな疑問も浮かん でくる。洗練されたデザイン配置とインフォメーション、そこには明確に「IAMASらしさ」といった展示の特徴 がでていることは確かである。しかし…これでいいのだろうかと、あえて問いかけてみたくなるのだ。

研究と作品展示、これはそんなに簡単な問題ではないのかもしれない。確かに工学系の研究展示であるな らば、展示される制作物は、研究の流れの中に位置づけられ、明確なある特定の目的を持つことになる。し かしそうではなく、それが芸術系の作品展示である場合、研究内容がその作品の背景や基盤技術に大きく 関与したとしても、作品自体が持つ文化的、技術的、社会的、個人的等々の多方向的な志向性、あえて言 えばその「多型倒錯的」な特性は、その研究内容から逸脱する部分を必ず持つだろう。またそれを持たな い作品は、端的に言えば面白くない。逆に言えば、作品の「多型倒錯性」によって様々な観客がそれを受 容することができるということでもある。作品自体が観客に発するメッセージは、作者の語る作品コンセプトか ら常にずれを含むであろうし、当然研究論文で表現される研究内容とも重なりこそすれ、それに包摂される ものではない。研究から見れば作品はその一部であるのだが、作品から見れば研究は作品を支える一つ の要素となる。そんなスタンスが作者には要請されるのかもしれない。例えテクノロジーに興味のない一般 の観客が見に来たとしても、「難しいことをやっていますねえ」で終わらせたくはないのだから。

安藤泰彦

Studio 4 review

ドキュメント内 IAMAS 2008 (ページ 49-52)