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ドキュメント内 [資料紹介] 佐倉連隊関係資料 (ページ 112-118)

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秦五+七聯隊

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附圖第五

腕 番

要 翻 |

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宮地正人

[佐倉連隊関係資料]

二・二六事件戦死者二等兵田代雅章修養抜書ノート

                                 

  ︵昭和=年一〜二月︶

       

死して惜まれる人となれ

而して長︑長じて而して死す︑禽獣かくの如く︑草木かくの如く︑

間亦かくの如し︑されば人として禽獣︑草木と異ならんと欲せば生れ ある人とならんことを要す︑予は更に前途有為の諸子に向て︑死て

挙国の悼惜を受くる人たらんことを望む︑人生れて弧々の声を発するよ

り︑長じて一箇の成人となり︑自営自活して世に立つに至るまで︑他よ

り受くる所の恩徳一ならず︑これを近くして︑まつ父母の鴻恩あり︑我

等の生るるや自営の道を知らず︑自活の道を知らず︑ただ泣くことを知

り笑ふことを知るのみ︑此の間昼夜を問はず寒暑を論ぜず︑心身の疲労

を忘れ︑千辛万苦を以て我等を保育し以て我が生長を遂げしむるものは︑

我等が父母にあらずや︑之に次ぐに師長の恩あり︑我等が僅に黒白を

弁ずる頃より︑長じて社会に出つるに至るまで︑我に誰ふるに事理を以

し︑我を説くに道徳を以てし︑必要なる学術上の知識を授け︑身体保 全 法を講ぜしめ︑我等をして将来世間に独立するの基礎を成さしむる

ものは我師長にあらずや︑更に至尊及び国家の恩あり︑至尊は仁慈なる

大御心を以て臣民を愛撫し︑宏大なる聖徳を以て国家を統治し給ひ︑国

家各種の機関は生民の安寧を維持してその福祉を増進し︑兇悪を正し不

逞を罰し︑以て我が父母師長をして︑我等に対する慈愛薫陶の務を完う せしめ︑又我等をして危難を憂へずして︑安全なる発育を遂げるを得し

む︑然らずんば我等は乱離塗炭の苦に陥らん︑我等の安全なる発育を遂

げて一箇の成人となるは︑実に此等数者の恩あるによる︑然らば則ち我

等が成人の後に於て︑此等数者に酬ゆるは人間当然の義務にあらずや︑

然 れども︑人間の生涯は実に区々たり︑その修養の時期に当りて︑瀬惰

遊蕩の間に︑貴重なる光陰を送り︑体躯徒らに長じて︑当に自営自活︑

わが生育の恩に報ゆべき時に至るも︑無為無能︑その父母の恩に報

ゆること能はず︑その師長の恩に酬ゆること能はざる者あり︑況や国家

を成す所以に報ゆることをや︑朝に起きて而して食ひ︑夕に食て而

して眠る︑かくの如くにして老いかくの如くにして死す︑是所謂酔生夢

死する者にして︑実に国家の藪賊︑人間の最下なるものなり︑又その無

能かくまではなはだしきに至らず︑何ら一種の事に従ひ︑国家に対して

多少の稗益をなし︑以て自活の道を求め︑僅に父母を養ひ︑自ら衣食し

て一生を送る者は︑之を前の酔生夢死する者に比すれば︑勝ること万々

なりと難も︑かくの如きは僅かに自から受くる所の恩に酬ゆるに過ぎず

して︑その一生の経営事業を永く後世に徳し︑其の流風遺韻の遠く子孫

を動かすに足るものなし︑かくの如きは我等の理想とすべき所にあらず︑

我等は人間天賦の能力を善養し利用し︑その畢生の事業は以て我等か父 母

長国家社会の負ふ所の鴻恩に酬い得て︑更に余裕の緯々たるものあ

り︑後世子孫をして永くその余沢を受けしめ︑国家は我等を得て﹈段の

をなしたることを長へに追憶せしめんことを期すべし︑我等が前途

有為の少壮諸子に待つ所のものは実に是に外ならず︑

それ生きて一郷のために功ある者は死て一郷のために惜まれ︑一郡のた

に尽せる者は一郡の為に哀しまる︑若しそれ其の事業︑国家全体の進 歩を助成し︑その忠誠よく閾国民に認められるるものに至りては︑其の

事業の何たるを問はず︑その人の在否は国家の進運に関すること甚だ大

なるものあり︑是を以て其人一たび逝くや︑国を挙げて之を惜まざるは

なし︑鳴呼天下の広き逝く者は日夜にこれあり︑而てその死の天下に知

らるる者果て幾人かある︑少壮の諸子よ︑諸子の前途は遼遠なり︑遼遠

なりと錐も︑一生の覚悟は即ち今日より定め置かざるべからず︑知らず︑

諸 子は死て人に顧みられざる人とならんとするか︑一郷一郡の為に惜ま

るる人とならんとするか︑抑々亦挙国の悼惜を受くる士とならんと欲す

国立歴史民俗博物館研究報告

 第131集2006年3月

るか︑人は一代名は末代︑

め︑人は死ては死を留む 骨は埋むとも名は埋めず︑豹は死して皮を留

        本能寺 麻と乱るる戦国の人とし言へば︑誰もかも馬を飼ひ兵を練り糧を収めて

剣を磨す︑頃は天正十年夏五月︑徳川家康封ぜられ︑安土城下に入りし

ば︑織田右大臣信長は︑いと鄭重に迎へんと︑直に日向守光秀に饗応

役を命ぜらる︑御受けいたせし光秀は乱れたる世に心得し都の手振り

見せばやと︑さしも目出たく勤めしを︑小人輩の言により︑善美過分の

評を受け︑疑心暗鬼は信長の胸にやどせし時も時︑羽柴秀吉中国より援

けの兵を請ひしかば︑厳命忽ち光秀の首のうへにぞかかりける︑光秀ひ

そかに思ふやう︑人もあらんにこの我に︑羽柴が命に従へとは︑あな情

なの我君やと︑歯噛をなして恨みしは︑君に仕ふる人臣の︑よもあるま

じきことなれど︑また信長を見るときは︑右大将とも仰がるる身に︑疎

挙動いと多く︑或時は蘭丸をして光秀の首に鉄扇を加へさせ︑また

ある時は︑好まぬ酒をことさらに︑我意を通して勧めしめ︑志賀の都の

領地さへ︑三年のうちには事もなく奪ひ取られむ説を聞く︑今又産を傾

けて新に来りし家康に︑心づくしのもてなしの琵琶湖の水の泡と消え︑

さへし焔むらむらともゆる思ひの光秀が拳を握り立ち上り︑動く睡の

間より由々敷大事ほの見へしを︑露ほど知らぬ信長は諸将を安土に止め

き︑親ら近臣百余人︑率き従へて京都なる本能寺にぞ入りにける︑時

こそ来れと光秀は︑田鶴も遊ばぬ亀山に︑従子光春等を召しよせて︑積

る怨みのかずかずを数ふるうちに光秀が眼は血汐ほとばしり︑逆上髪は

をつく︑勢を見てとりし光春どもが百千度︑諌むる言葉も聞かばこそ︑

謀 叛に加盟させ︑暴戻無道の拭逆を企てしこそ浅ましけれ︑かくし

士卒を打ち揃へ︑中国勢を援はんと偽はり向ふ大江山︑心の駒の鳥羽

暗路をいそぐばかりにて︑さしも忠義の光秀が追ひ追ひ年も老坂の 如何なる道に迷ひけん︑無念至極の胸のうち︑乱て濁る桂川︑渡らん駒

足なみは東さしてぞ進みける

本能寺溝深幾尺︑我成大事在今夕︑交綜在手併奏食︑四槍梅雨天如墨︑

老坂西去備中道︑揚鞭東指天猶早︑我敵正在本能寺︑敵在備中汝能備

に始めて軍兵は二心漸く悟りしが︑是も我君是非もなし︑捨つる命は

ぞと︑時しも六月二日の朝まだき︑露の身軽き軍兵が本能寺を取囲

み︑関をつくつてぞ攻め入りける︑この物音に信長は︑寝覚の耳を葺立

ば︑紛ふ方なき人馬の声︑館間近く聞ゆるに︑枕を蹴て立ち上り︑疾

く見届けよとありければ︑森蘭丸かしこまり︑表の方に走り出て︑見越

松に片手をかけ︑右手をかざして見てあれば︑雲か霞か白旗に染めた

る桔梗の紋どころ︑見るより蘭丸引きかへし︑光秀謀叛と答ふるに︑赫

と怒りし信長は︑者共覚悟と呼はりて︑弓矢おつとり立向ひ︑寄せ来る

敵を物ともせず︑またたくひまに数十騎を矢継ぎ早に射て落し︑勢ひ鋭

く防ぎしも︑ただ一筋と信長が頼む弓弦ふつと切れ︑得たりと突き入る

豪敵を︑すかさず弓もて打て伏せ︑兎角するうち信長も左手の腕に痛手

を負ひ︑蘭丸代つて拒ぐうち︑宿直のものもことごとく︑命を的に戦へ

ど︑衆寡敵せず信長は︑最早これ迄とや思ひけむ︑自から館に火を放ち︑

なかに飛入りて︑刃に伏してぞ果てにける︑鳴呼豪遇の信長が空を

も蔽はん大鵬の図南の翼中空に︑燕雀のために悩まされ︑終世の望み絶

えたるは︑獅子身中の虫に倒れたるそしりを受けて人皆なの口にのこる

悼たましき︑続て蘭丸を始めとし︑坊丸・力丸の小姓ども︑まだ若木

桜花︑嵐の山の朝風に︑いとも床しき香をとめて︑散るやちらちらあ

とさきに︑百有余人もろ共に︑哀れ本能寺の朝の煙りと消えにけり

   

研き得たる心ゆるすな増鏡

       

はぬちりのかかる世の中

らつら古今を按ずるに︑人の君たる王侯の心すべきは徳にこそ︑心す

べきは徳にこそ

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