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宮地正人
[佐倉連隊関係資料]
八
二・二六事件戦死者二等兵田代雅章修養抜書ノート
︵昭和=年一〜二月︶
死して惜まれる人となれ
生 れ て而して長︑長じて而して死す︑禽獣かくの如く︑草木かくの如く︑
人間亦かくの如し︑されば人として禽獣︑草木と異ならんと欲せば生れ が いある人とならんことを要す︑予は更に前途有為の諸子に向て︑死て
挙国の悼惜を受くる人たらんことを望む︑人生れて弧々の声を発するよ
り︑長じて一箇の成人となり︑自営自活して世に立つに至るまで︑他よ
り受くる所の恩徳一ならず︑これを近くして︑まつ父母の鴻恩あり︑我
等の生るるや自営の道を知らず︑自活の道を知らず︑ただ泣くことを知
り笑ふことを知るのみ︑此の間昼夜を問はず寒暑を論ぜず︑心身の疲労
を忘れ︑千辛万苦を以て我等を保育し以て我が生長を遂げしむるものは︑
登
我等が父母にあらずや︑之に次ぐに師長の恩あり︑我等が僅に黒白を
弁ずる頃より︑長じて社会に出つるに至るまで︑我に誰ふるに事理を以
てし︑我を説くに道徳を以てし︑必要なる学術上の知識を授け︑身体保 全 の法を講ぜしめ︑我等をして将来世間に独立するの基礎を成さしむる
ものは我師長にあらずや︑更に至尊及び国家の恩あり︑至尊は仁慈なる
大御心を以て臣民を愛撫し︑宏大なる聖徳を以て国家を統治し給ひ︑国
家各種の機関は生民の安寧を維持してその福祉を増進し︑兇悪を正し不
逞を罰し︑以て我が父母師長をして︑我等に対する慈愛薫陶の務を完う せしめ︑又我等をして危難を憂へずして︑安全なる発育を遂げるを得し
む︑然らずんば我等は乱離塗炭の苦に陥らん︑我等の安全なる発育を遂
げて一箇の成人となるは︑実に此等数者の恩あるによる︑然らば則ち我
等が成人の後に於て︑此等数者に酬ゆるは人間当然の義務にあらずや︑
然 れども︑人間の生涯は実に区々たり︑その修養の時期に当りて︑瀬惰
遊蕩の間に︑貴重なる光陰を送り︑体躯徒らに長じて︑当に自営自活︑
以 てわが生育の恩に報ゆべき時に至るも︑無為無能︑その父母の恩に報
ゆること能はず︑その師長の恩に酬ゆること能はざる者あり︑況や国家
が 生を成す所以に報ゆることをや︑朝に起きて而して食ひ︑夕に食て而
して眠る︑かくの如くにして老いかくの如くにして死す︑是所謂酔生夢
死する者にして︑実に国家の藪賊︑人間の最下なるものなり︑又その無
能かくまではなはだしきに至らず︑何ら一種の事に従ひ︑国家に対して
多少の稗益をなし︑以て自活の道を求め︑僅に父母を養ひ︑自ら衣食し
て一生を送る者は︑之を前の酔生夢死する者に比すれば︑勝ること万々
なりと難も︑かくの如きは僅かに自から受くる所の恩に酬ゆるに過ぎず
して︑その一生の経営事業を永く後世に徳し︑其の流風遺韻の遠く子孫
を動かすに足るものなし︑かくの如きは我等の理想とすべき所にあらず︑
我等は人間天賦の能力を善養し利用し︑その畢生の事業は以て我等か父 母 師
長国家社会の負ふ所の鴻恩に酬い得て︑更に余裕の緯々たるものあ
り︑後世子孫をして永くその余沢を受けしめ︑国家は我等を得て﹈段の
進 歩をなしたることを長へに追憶せしめんことを期すべし︑我等が前途
有為の少壮諸子に待つ所のものは実に是に外ならず︑
それ生きて一郷のために功ある者は死て一郷のために惜まれ︑一郡のた
めに尽せる者は一郡の為に哀しまる︑若しそれ其の事業︑国家全体の進 歩を助成し︑その忠誠よく閾国民に認められるるものに至りては︑其の
事業の何たるを問はず︑その人の在否は国家の進運に関すること甚だ大
なるものあり︑是を以て其人一たび逝くや︑国を挙げて之を惜まざるは
なし︑鳴呼天下の広き逝く者は日夜にこれあり︑而てその死の天下に知
らるる者果て幾人かある︑少壮の諸子よ︑諸子の前途は遼遠なり︑遼遠
なりと錐も︑一生の覚悟は即ち今日より定め置かざるべからず︑知らず︑
諸 子は死て人に顧みられざる人とならんとするか︑一郷一郡の為に惜ま
るる人とならんとするか︑抑々亦挙国の悼惜を受くる士とならんと欲す
国立歴史民俗博物館研究報告
第131集2006年3月
るか︑人は一代名は末代︑
め︑人は死ては死を留む 骨は埋むとも名は埋めず︑豹は死して皮を留
本能寺 麻と乱るる戦国の人とし言へば︑誰もかも馬を飼ひ兵を練り糧を収めて
剣を磨す︑頃は天正十年夏五月︑徳川家康封ぜられ︑安土城下に入りし
かば︑織田右大臣信長は︑いと鄭重に迎へんと︑直に日向守光秀に饗応
の
役を命ぜらる︑御受けいたせし光秀は乱れたる世に心得し都の手振り
見せばやと︑さしも目出たく勤めしを︑小人輩の言により︑善美過分の
評を受け︑疑心暗鬼は信長の胸にやどせし時も時︑羽柴秀吉中国より援
けの兵を請ひしかば︑厳命忽ち光秀の首のうへにぞかかりける︑光秀ひ
そかに思ふやう︑人もあらんにこの我に︑羽柴が命に従へとは︑あな情
なの我君やと︑歯噛をなして恨みしは︑君に仕ふる人臣の︑よもあるま
じきことなれど︑また信長を見るときは︑右大将とも仰がるる身に︑疎
暴 の
挙動いと多く︑或時は蘭丸をして光秀の首に鉄扇を加へさせ︑また
ある時は︑好まぬ酒をことさらに︑我意を通して勧めしめ︑志賀の都の
領地さへ︑三年のうちには事もなく奪ひ取られむ説を聞く︑今又産を傾
けて新に来りし家康に︑心づくしのもてなしの琵琶湖の水の泡と消え︑
おさへし焔むらむらともゆる思ひの光秀が拳を握り立ち上り︑動く睡の
間より由々敷大事ほの見へしを︑露ほど知らぬ信長は諸将を安土に止め
置き︑親ら近臣百余人︑率き従へて京都なる本能寺にぞ入りにける︑時
こそ来れと光秀は︑田鶴も遊ばぬ亀山に︑従子光春等を召しよせて︑積
る怨みのかずかずを数ふるうちに光秀が眼は血汐ほとばしり︑逆上髪は
冠をつく︑勢を見てとりし光春どもが百千度︑諌むる言葉も聞かばこそ︑
推 て 謀 叛に加盟させ︑暴戻無道の拭逆を企てしこそ浅ましけれ︑かくし
て 士卒を打ち揃へ︑中国勢を援はんと偽はり向ふ大江山︑心の駒の鳥羽 玉
の暗路をいそぐばかりにて︑さしも忠義の光秀が追ひ追ひ年も老坂の 如何なる道に迷ひけん︑無念至極の胸のうち︑乱て濁る桂川︑渡らん駒
の
足なみは東さしてぞ進みける
本能寺溝深幾尺︑我成大事在今夕︑交綜在手併奏食︑四槍梅雨天如墨︑
老坂西去備中道︑揚鞭東指天猶早︑我敵正在本能寺︑敵在備中汝能備
弦に始めて軍兵は二心漸く悟りしが︑是も我君是非もなし︑捨つる命は
→ つぞと︑時しも六月二日の朝まだき︑露の身軽き軍兵が本能寺を取囲
み︑関をつくつてぞ攻め入りける︑この物音に信長は︑寝覚の耳を葺立
れば︑紛ふ方なき人馬の声︑館間近く聞ゆるに︑枕を蹴て立ち上り︑疾
く見届けよとありければ︑森蘭丸かしこまり︑表の方に走り出て︑見越
の
松に片手をかけ︑右手をかざして見てあれば︑雲か霞か白旗に染めた
る桔梗の紋どころ︑見るより蘭丸引きかへし︑光秀謀叛と答ふるに︑赫
と怒りし信長は︑者共覚悟と呼はりて︑弓矢おつとり立向ひ︑寄せ来る
敵を物ともせず︑またたくひまに数十騎を矢継ぎ早に射て落し︑勢ひ鋭
く防ぎしも︑ただ一筋と信長が頼む弓弦ふつと切れ︑得たりと突き入る
豪敵を︑すかさず弓もて打て伏せ︑兎角するうち信長も左手の腕に痛手
を負ひ︑蘭丸代つて拒ぐうち︑宿直のものもことごとく︑命を的に戦へ
ど︑衆寡敵せず信長は︑最早これ迄とや思ひけむ︑自から館に火を放ち︑
煙 のなかに飛入りて︑刃に伏してぞ果てにける︑鳴呼豪遇の信長が空を
も蔽はん大鵬の図南の翼中空に︑燕雀のために悩まされ︑終世の望み絶
えたるは︑獅子身中の虫に倒れたるそしりを受けて人皆なの口にのこる
ぞ悼たましき︑続て蘭丸を始めとし︑坊丸・力丸の小姓ども︑まだ若木
の桜花︑嵐の山の朝風に︑いとも床しき香をとめて︑散るやちらちらあ
とさきに︑百有余人もろ共に︑哀れ本能寺の朝の煙りと消えにけり
研き得たる心ゆるすな増鏡
思はぬちりのかかる世の中
つらつら古今を按ずるに︑人の君たる王侯の心すべきは徳にこそ︑心す
べきは徳にこそ