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精神障害者をとりまく社会構造

第4章 精神障害者にとっての「生」の場の構築

1. 精神障害者をとりまく社会構造

本論第2章、また第3章を通して浮かび上がってきた精神障害者をとりまく社会構 造の実態像は、図8のように表すことができる。ここで述べる精神障害者は、精神の 病を有する当事者として、家族・医療・福祉は、当事者と身近な関係にあり、サポー トするアクターとして書き表す。そして地域社会は、家族・医療・福祉の場とは区別 されるものとして扱う。ここでは、精神病を理由とした治療やリハビリを行う施設の

「外」として、同時に、当事者が自分の意思を持って生活することができる日常生活 の場を表すものとして書き表す。

8 精神障害者をとりまく社会構造(筆者作成)

精神障害者

家族・医療・福祉

地域社会

75 (1) 家族・医療・福祉というフィルター

精神障害者と地域社会との間には家族、医療、福祉といった、言わばフィルターが 存在し、多くの場合、それを介することで精神障害者は地域社会とのアクセスを得る こととなる。当事者は病気の発症により、一番身近で日常生活全般のサポートを行う 家族の存在、治療を施すことで病気を治すことに努める医療の存在、そして、病気が 障害として残り続けることに対して、それといかに付き合いながら生きていけばよい かのサポートをする福祉の存在と向き合うこととなる。当事者は、多くの場合は、地 域社会に復帰するにあたり、これらのサポートを受けながらリハビリをする。そして 病気が完全治癒しない以上、これらのフィルターは、精神病の発症時から一貫して当 事者を「包摂」するものとして存在し続けるのであり、また同時に当事者が一貫して 必要とし続けるものでもある。

これらのフィルターの意味合いは、時代を経て変化してきた。1900年に制定された 精神病者監護法、1950年に制定された精神衛生法は、それぞれ精神病者を家族に、そ して医療に押し付け、隔離収容をすることでこのフィルター内に閉じこめてしまうこ と、すなわち、地域社会との接点を断つという意味合いで用いられていた。しかし1990 年代以降になると、精神障害者の人権擁護と社会復帰を目指すための法律が次々と整 備され、それと同時に精神障害者の生活の場を病院から地域社会に移す方針へと変わ る。こうした状況下において、家族・医療・福祉のフィルターは、地域社会に復帰す る精神障害者をサポートするものへと変容していった。

(2) 家族・医療・福祉のフィルターに留まること

今日ではこのフィルターの意味合いが変化を見てきたが、実際に精神障害者が地域 社会にアクセスすることには困難が付きまとう。症状の改善が見られない場合には、

このフィルター内で保護されるべきであるが、当事者の症状が快方に向かい、地域社 会に関わる意思があってもその困難は存在する。地域社会にアクセスする精神障害者 がいる一方で、その意思に反して、この領域に留まってしまう精神障害者もまたいる。

本論第3章における語りにおいて、その実態として以下の点が見られる。

1) 家族のフィルターに留まること

まず 1点目としては、「家族の対応」によるものである。友人と飲みに行くことを咎

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めたり、また家族が何かと当事者の行動に制限をかけてしまったりするなど、そうし た家族の対応が図らずも当事者の意思を阻み、地域社会との関わりを持とうとする行 動を阻害してしまうことがある。家族の病気への無知、またそれとは正反対に過保護 であったりするケースは、当事者にとって自分の意思を上手く通すことのやりにくさ を生む。家族との関係性において、本人の主体性が尊重されることこそが精神病を抱 える当事者にとって生きやすい環境を作り出すということを、うつ病の当事者である Dさんは述べる。

「私の母親は、『言いたいことがあってもタイミングが悪ければ言わない』、『小言 を言わない』、『心配しても過剰な関わりをしない』などの対応をしてくれました。

絶妙な距離感を保ってくれたおかげで、私は自由に生活できました」(当事者:D さん)。

当事者にとって一番身近な存在である家族が、家族としての主観だけで対応するこ とは好ましくない。精神科医でもある岡田は、「しばしば家族のほうは、本人のために よかれと思ってやっているという自覚しかもたず、それが本人にストレスとなってい ることはあまり意識されていない。本人のためにという強すぎる気持ちもかえって害 になる」[岡田 2010:226]と述べる。当事者の主体性が存在しない限り、真にサポート することには繋がっていかない。またそうした家族の対応が、脆弱な神経を持ちなが らも地域社会にアクセスしていこうとする当事者の気概を奪ってしまうことになるか もしれない。家族という当事者にとって「包摂」の機能を果たす役割が、ときとして 当事者に「排除」を突き付けてしまうこともあるのである。

2) 医療・福祉のフィルターに留まること

2点目は、当事者の状態がよくなり、地域社会に出ることのできる可能性があるに も関わらず、受け入れる側の基盤がないためにそれができず、医療のフィルターに留 まらざるを得ないことである。家族から受け入れの拒否があること、また福祉の設備 が足りていないことにより、いつまでも病院の施設から出ることができず、社会的入 院という状態に陥るケースも多い。福祉のフィルターについても同様である。福祉は その性質上、病院での入院生活と、一人暮らしや、家族との生活をすることの間に位

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置付けられるものであり、自活できるほどの生活力、また自信のない当事者が、生活 の訓練施設として用いるものである。その特徴から、福祉に関わりながらも、徐々に 地域社会にアクセスしていくように努める点で、当事者は、地域社会と福祉双方に片 足ずつ入れた状態である。しかしながら、いずれ退所していくことを目的とする福祉 の施設においても、例えばグループホームに入所して以来、受け取り先の家族がない ために福祉のフィルターに留まり続けざるをえない人などは存在する。地域活動支援 センターに勤務するVさんは、病院、福祉施設で生活する患者を見てきた経験から、

次のように述べる。

「病院や施設では、患者は大分サポートされた生活をしています。ただ、『ここに いていいよ』ということをいつまで続けるのかという問題がありますね。社会に 出ていけないために、かつて持ち合わせていた葛藤も、ここで過ごすうちに失わ れていくこともあるんです」(地域活動支援センター:Vさん)。

病院で過ごすことが、患者に治療を施し、保護するという目的としての「包摂」を 表すのと同時に、それが地域社会に出ていくことができないことを意味する時、当事 者にとって「排除」を突き付けることになる。また、その排除を前にして葛藤を抱か なくなるということは、地域社会に出るという考えを当事者自身が「排除」している ということでもある。ときとして当事者は、社会からの「排除」を受け入れ、自らの 中にその「排除」を結晶させる。

3) 小括

当事者の症状が快方に向かい、当事者が自分の意思で行動できるようになるとき、

これまで抑制されていた意思や、それに伴う行動力が大きくなることで、図8に見る 一番内側の精神障害者の円は大きくなり、相対的に家族・医療・福祉のフィルター部 分は小さくなる。そしてそのサポートを限りなく少なくした状態で、当事者は地域社 会にアクセスしていくように動き出す。その時に、家族・医療・福祉のフィルターと いう「包摂」空間が、当事者にとって「排除」として表れてしまうのではなく、「包摂」

であり続けることが理想であろう。精神病を発症したために立ち現われる、その家族・

医療・福祉のフィルターという「包摂」空間は、当事者にとって病気を抱え続ける限

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り消えるものではない。しかし、当事者はその「包摂」空間が変化しないことを前提 としてはいない。当事者は症状の経過によって、図8に見る精神障害者の円を大きく することもあれば小さくすることもある。その時に、「包摂」空間が、当事者の状況に 合わせて自在に形を変え、当事者の意思と折り合いをつけることができるように変化 することができれば、当事者の意思やそれに伴う行動に係る「排除」という概念はそ こから徐々に減少していくことだろう。

しかしながら、ここで述べられている家族・医療・福祉のフィルターは、当事者、

組織、制度、地域社会といった複雑な要素が絡み合うことによって作り上げられたも のであり、心掛け一つでそのフィルターの形を自在に動かせるという訳ではない。こ のフィルターを自在に動かし、「排除」空間を減少させていくこと、そして「包摂」空 間を作り上げていくには、社会の基盤に問題を特定し、改善させていかなければなら ないのである。その点については、本章第2節および第3節で述べる。