ng.51『平城宮報告Ⅳ』遺構変遷図
第 Ⅱ期の細 分
新に検出 し た遺構
第Ⅲ章 遺
跡
は重複 しないが第 Ⅱ期 にいれた。改定案の第I期は2小期 に細分 で き る。第
I‑1期
は中軸線 を は さんで東方 に建物SB317,西
方 にSB170があ り,後
方 を東西溝SD141が画す る。第I期一 2では,後
方 を画す る東西溝SD126A・Bが
北方 に しりぞ き,中
軸線を は さんで東西 にそれ ぞ れ3棟,東
方SB200・ SB205・SB212,西
方SB185A・ SB177A・SB194Aの
建物を配す る。第 Ⅲ 期 の 遺 構
第
H期
はSC8098を廃 し,こ
の地域 に築地 で囲んだ官衡を形成す る時期であ る。 主 と して報 告 Ⅳ第 Ⅱ‑2期
の遺構が中心 とな る。す なわち,中軸線を は さんで,東 西 にそれぞれ築地を め ぐらし
,建
物 を配す るのだが,こ
こでは東 区,西
区 とよぶ ことに しよ う。第 正期 も2小期 にわか れ る。第 Ⅱ‑1期
の東 区ではSB201を中心 に して7棟の建物(SB206・ SB209・ SB213・ SB299・SB
370・SB347)がな らび
,南
側 に2穴の井戸 (SE31lA・ SE272A)を お く。西 区では,ほば同規模 の 建物8棟 (SB8116。 SBl12 o SB131・ SB145・SB186B o SB177B・ SB194B o SB143)を 南側 と北側 によ せ て配置 し,そ の中間東寄 りに丼戸SE168Aを
お く。第 Ⅱ‑2期
は建物配置を部分的 に改変す る とともに築地 内を木塀で2分す る。東 区の東側 では第 Ⅱ‑1期
の建物を廃 し,あ
らた に3棟の 建物SB364。 SB341・ SB293をお く。東 区の西側では建物 に変更がな く, 3条
の塀SA332・SA
204・ SA412を くわえ る。西 区の東側では南 の2棟SBl13・ SB166をたてかえ るが,西区の西側 で は建物 のたてかえがない。
築地 内を画す る2条の南北塀SA304。 SA121は
,報
告 Ⅳでは第 Ⅲ期 につ く られ た ことに して お り,殿
舎地域 の状況 か らす ると,区 画 内を木塀 で細分す る傾 向 は第 Ⅲ期 において顕著 であ り, 第 Ⅲ期 の可能性 もつ よい。 しか し,今
回第 Ⅲ期 においたSBl16がSA121・ SA120と重複す ること
,東
区の東側 にたてかえ るSB364が小 区画 の中央建物 とみ られ ることか ら,第
Ⅱ期 に合 め る ことに した。 この際,西
区の西側では井戸 を欠 くことにな り,こ
の区画 が利用 されなか った可 能性 もあ る。 また,東
区の西側 にあ る3条の塀 は第 Ⅱ‑1期
にさか のば って もよい。第 Ⅱ期の 遺構 には今 回の調査で検 出 した ものがあ り,つ
ぎにその主 な ものをかかげ る。SA109 (PLAN 34・
35, PL.92o94o95, ng.49) 6ABO―LcP地
区6ABO― L地
区以西では,粘
土質 の地 山の うえ に約70cmの
第I期整地 (灰白色粘上・ 赤褐礫混 り粘土)が
あ る。第 Ⅱ期のSA109は
この整地上 に灰黄色粘土・ 責 灰色粘上 を盛 って築地基壇 と し,南
北 に側溝を掘込む。第 Ⅲ期 には再度整地土 (黄褐色粘土など)を
盛 りあげ,築
地 の改修 を 行 な って い る。南北側溝幅が一定 しないので,基
壇幅を きめえないが,第
Ⅱ・ Ⅲ期 とも幅4m
内外であ った もの とお もわれ る。寄柱や門の親柱の痕跡 がな く
,集
地幅 も不明であ る。第 Ⅱ期 築地基 壇上 の下部か ら軒平 瓦6282‑B,6284が
出土 した。L地
区の上層観察用 の試掘坑では,第I期の灰 白色粘上 の深 さと同位置で
,軒
丸瓦6732A,6691A,6721を
採集 した。 この ことに つ いては,試
掘坑の東 に第 Ⅱ期以 降の土 壊が重複 して い るもの と解釈 した。SBl16,SB8116 (PLAN 34,PL 92・ 93) 6ABO―L地
区SBl16はF平城宮報告 Ⅱ』で 5間 ×2間の東西棟建物 として報告 したもの だが
,今
回南廂を もつ 5間 (1337m)× 3間 (3.61m)の 東西棟建物であるこ とがわかった。柱間寸法は桁行2.67m(9尺
),梁間は身舎で2,97m(lo尺),廂で
2.67m(9尺 )で
ある。柱の掘形は方30cm,深
さ30cmで,径40cmの柱9を
2遺
ag.52 SA109土層閣千而
0 1 2 3,
第I期整 地 上 (1.暗灰 色粘 土
,2灰
白色粘 土,3赤
禍 色礫 混 り粘 土,4黄
色粘 土), 第 Ⅱ期 整 地 上(5灰黄 色粘 土
,6☆
灰 色粘 ■), 第 Ⅲ期 整 地 上 (7.黄 禍 色粘 土, 8,灰色礫 上, 9.木炭 層, 10大禍 色土,11灰
茶 褐 色礫 土,12茶
禍 色礫 上)痕 跡 がの こる ものがあ る。なお
,廂
の西端柱 の穴 は検 出で きなか った。癖 :1琴 を そ :諄 静 鶴 才 :強 捻 挫 13:争 酔亜コ
径
40cmの
柱痕跡 がの こる。SK8079, SK8080 (PLAN 34・ 35., PL 89,90) 6ABO―
E地 区E地
区には不整形 の大小土妖 が多 く存在 す る。時期を決めがたい もの も少 な くない。SK8079採
土 族 とSK8080は第 Ⅱ‑1期
当初 の遺構 で あ る。SK8079は
長楕 円形 (17.5m×48m,深
さ60cm内 外)の上 漿。土 壊 内の 堆積土 は数層 に区別 で き
,
その最上層 に第 ■期 の築地SA8100に と もな う雨 落溝SD267,暗
渠SD8077が重複 して い る。SK8080も同様 の上 躾 (24×5m,深
さ50cm内 外)で
あ る。 これ らの土 壊 は,第
Ⅱ期第1次大極 殿地域 の北面築地回廓を造成 した ときの採土妖 とかん が え られ,築
地 回廊SC6670と築地SA8100の
建 設 が同時でな く,後
者 が若千遅れ ることを しめしてい る。
SA81CXD, SD267, SD8094, SD8095, SB8101A・
B, SB8102
(PLAN 33・34,PL.88〜
91) 6ABO―
E地 区SA8100は
SA109の東延長線上 にあ り,大
膳 職地域 の東 区の南 辺 を画す る築地 。築地本体 は の こって いないが,寄
柱痕跡,門 ,南
北 の雨 落溝 によって その存在 を知 ることがで きる。寄柱 痕 跡 は桁行6m(20尺 ),梁
間1.2m(4尺 )を
原 則 とす る。 柱 の掘形 は方50cm内外,深
さ10cm
内外 であ る。ただ し
,門
の付近で は桁行 を縮 めてい る。SB8101A・ Bは
,SA8100の
東部 に 位 置す る1間門であ る。SB8101Aは
柱間寸法が3m(lo
尺
),親
柱 の柱掘形 は方60cmで ,
その内寄 りにそれぞれ寄柱痕跡を ともな う。SB8101Bは
柱 間寸法 が同 じ く3mで ,親
柱 の位 置を50cm西
へず らしてたてかえ る。 柱 の掘形 は方 60cm。SB8101Aと
同様,
寄柱痕跡 を ともな う。SB8101A・
Bの東西 それぞれ桁行1間目の寄柱痕跡 も建替えがみ られ る。SB8102は SB8101A・ Bの西
15mに
位 置す る1間の門で,柱
間寸法 は3m(lo尺 )で
あ る。親 柱 掘形 は径1.3mの円形 を呈す る。SD267は SA8100の北
3mに
あ る素掘 りの 東西溝 (幅lm)で
ぁ る。 東 に流れ東面 築地SA350 95
東区南面の 築地
東区西面の 築地
第Ⅲ章 遺
跡
を暗渠でぬ け
,東
の築地外 に排水 したよ うであ る。SD8094・ SD8095は
,そ
れぞれSA8100の南2m,2.9mを
へ だてた位 置にあ る東西溝。 前者 は幅35cm,後
者 は幅65cmで
あ る。SD8094は基壇 地覆石 据付痕跡であ り, SD8095は 南雨落溝 に想定 で き る。SA8100の東西両端 はあき らかでない。 しか し
,西
端 は後述 す る東西 暗渠SD8077の検 出によ って,築
地SA233と直交 し,東
はSA350とま じわ り, 大 膳職地域 の東 区を形成 してた ことがわ か る。SA233A・ B, SD8077 (PLAN 34, PL.90。
91)『 平城宮報告Ⅳ』で第Ⅲ期の南北木塀 とし て きたものであるが,東西暗渠SD8077や部分 的に築地の雨落溝が残存す ることか ら
,木
塀 の前身 として築地SA233Aが
存在 したことが6ABO―El也区
N▲二鳳凩
ドキュメント内
1 遺跡の形成
(ページ 65-68)