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第 H‑1)切

ドキュメント内 1  遺跡の形成 (ページ 65-68)

ng.51『平城宮報告Ⅳ』遺構変遷図

第 Ⅱ期の細 分

新に検出 し た遺構

第Ⅲ章 遺

 

は重複 しないが第 Ⅱ期 にいれた。改定案の第I期は2小期 に細分 で き る。第

I‑1期

は中軸線 を は さんで東方 に建物

SB317,西

方 にSB170があ り

,後

方 を東西溝SD141が画す る。第I期一 2では

,後

方 を画す る東西溝SD126A・

Bが

北方 に しりぞ き

,中

軸線を は さんで東西 にそれ ぞ れ3棟

,東

方SB200・ SB205・

SB212,西

方SB185A・ SB177A・

SB194Aの

建物を配す る。

 

第 Ⅲ 期 の 遺 構

H期

はSC8098を廃 し

,こ

の地域 に築地 で囲んだ官衡を形成す る時期であ る。 主 と して報 告 Ⅳ第 Ⅱ

‑2期

の遺構が中心 とな る。す なわち,中軸線を は さんで,東 西 にそれぞれ築地を め ぐ

らし

,建

物 を配す るのだが

,こ

こでは東 区

,西

区 とよぶ ことに しよ う。第 正期 も2小期 にわか れ る。第 Ⅱ

‑1期

の東 区ではSB201を中心 に して7棟の建物(SB206・ SB209・ SB213・ SB299・

SB

370・SB347)がな らび

,南

側 に2穴の井戸 (SE31lA・ SE272A)を お く。西 区では,ほば同規模 の 建物8棟 (SB8116。 SBl12 o SB131・ SB145・SB186B o SB177B・ SB194B o SB143)を 南側 と北側 によ せ て配置 し,そ の中間東寄 りに丼戸

SE168Aを

お く。第 Ⅱ

‑2期

は建物配置を部分的 に改変す る とともに築地 内を木塀で2分す る。東 区の東側 では第 Ⅱ

‑1期

の建物を廃 し

,あ

らた に3棟の 建物SB364。 SB341・ SB293をお く。東 区の西側では建物 に変更がな く

, 3条

の塀SA332・

SA

204・ SA412を くわえ る。西 区の東側では南 の2棟SBl13・ SB166をたてかえ るが,西区の西側 で は建物 のたてかえがない。

築地 内を画す る2条の南北塀SA304。 SA121は

,報

告 Ⅳでは第 Ⅲ期 につ く られ た ことに して お り

,殿

舎地域 の状況 か らす ると,区 画 内を木塀 で細分す る傾 向 は第 Ⅲ期 において顕著 であ り, 第 Ⅲ期 の可能性 もつ よい。 しか し

,今

回第 Ⅲ期 においたSBl16がSA121・ SA120と重複す るこ

,東

区の東側 にたてかえ るSB364が小 区画 の中央建物 とみ られ ることか ら

,第

Ⅱ期 に合 め る ことに した。 この際

,西

区の西側では井戸 を欠 くことにな り

,こ

の区画 が利用 されなか った可 能性 もあ る。 また

,東

区の西側 にあ る3条の塀 は第 Ⅱ

‑1期

にさか のば って もよい。第 Ⅱ期の 遺構 には今 回の調査で検 出 した ものがあ り

,つ

ぎにその主 な ものをかかげ る。

SA109   (PLAN 34・

35, PL.92o94o95, ng.49)  6ABO―

LcP地

6ABO― L地

区以西では

,粘

土質 の地 山の うえ に約

70cmの

第I期整地 (灰白色粘上・ 赤褐礫混 り粘土

)が

あ る。第 Ⅱ期の

SA109は

この整地上 に灰黄色粘土・ 責 灰色粘上 を盛 って築地基壇 と し

,南

北 に側溝を掘込む。第 Ⅲ期 には再度整地土 (黄褐色粘土など

)を

盛 りあげ

,築

地 の改修 を 行 な って い る。南北側溝幅が一定 しないので

,基

壇幅を きめえないが

,第

Ⅱ・ Ⅲ期 とも幅

4m

内外であ った もの とお もわれ る。寄柱や門の親柱の痕跡 がな く

,集

地幅 も不明であ る。第 Ⅱ期 築地基 壇上 の下部か ら軒平 瓦

6282‑B,6284が

出土 した。

L地

区の上層観察用 の試掘坑では,

第I期の灰 白色粘上 の深 さと同位置で

,軒

丸瓦

6732A,6691A,6721を

採集 した。 この ことに つ いては

,試

掘坑の東 に第 Ⅱ期以 降の土 壊が重複 して い るもの と解釈 した。

SBl16,SB8116  (PLAN 34,PL 92・ 93)  6ABO―L地

SBl16はF平城宮報告 Ⅱ』で 5間 ×2間の東西棟建物 として報告 したもの だが

,今

回南廂を もつ 5間 (1337m)× 3間 (3.61m)の 東西棟建物であるこ とがわかった。柱間寸法は桁行

2.67m(9尺

),梁間は身舎で2,97m(lo尺),

廂で

2.67m(9尺 )で

ある。柱の掘形は方

30cm,深

さ30cmで,径40cmの

9を

2遺

ag.52 SA109土層閣千

0       1       2      3,

I期整 地 上 (1.暗灰 色粘 土

,2灰

白色粘 土

,3赤

禍 色礫 混 り粘 土

,4黄

色粘 土), 第 Ⅱ期 整 地 上(5灰黄 色粘 土

,6☆

灰 色粘 ■), 第 Ⅲ期 整 地 上 (7.黄 禍 色粘 土, 8,灰色礫 上, 9.木炭 層, 10大禍 色土

,11灰

茶 褐 色礫

,12茶

禍 色礫 上)

痕 跡 がの こる ものがあ る。なお

,廂

の西端柱 の穴 は検 出で きなか った。

:1琴 を そ :諄 静 鶴 才 :強 捻 挫 13:争 酔亜コ

40cmの

柱痕跡 がの こる。

SK8079, SK8080   (PLAN 34・ 35., PL 89,90)  6ABO―

E地 区

E地

区には不整形 の大小土妖 が多 く存在 す る。時期を決めがたい もの も少 な くない。

SK8079採

土 族 とSK8080は第 Ⅱ

‑1期

当初 の遺構 で あ る。

 SK8079は

長楕 円形 (17.5m×

48m,深

さ60cm内 外)

の上 漿。土 壊 内の 堆積土 は数層 に区別 で き

その最上層 に第 ■期 の築地SA8100に と もな う雨 落溝

SD267,暗

SD8077が重複 して い る。SK8080も同様 の上 躾 (24×

5m,深

さ50cm内 外

)で

あ る。 これ らの土 壊 は

,第

Ⅱ期第1次大極 殿地域 の北面築地回廓を造成 した ときの採土妖 とかん が え られ

,築

地 回廊SC6670と築地

SA8100の

建 設 が同時でな く

,後

者 が若千遅れ ることを しめ

してい る。

SA81CXD, SD267, SD8094, SD8095, SB8101A・

B, SB8102

(PLAN 33・34,PL.88〜

91) 6ABO―

E地 区

SA8100は

SA109の東延長線上 にあ り

,大

膳 職地域 の東 区の南 辺 を画す る築地 。築地本体 は の こって いないが

,寄

柱痕跡

,門 ,南

北 の雨 落溝 によって その存在 を知 ることがで きる。寄柱 痕 跡 は桁行

6m(20尺 ),梁

1.2m(4尺 )を

原 則 とす る。 柱 の掘形 は方50cm内

,深

10cm

内外 であ る。ただ し

,門

の付近で は桁行 を縮 めてい る。

SB8101A・ Bは

,SA8100の

東部 に 位 置す る1間門であ る。

SB8101Aは

柱間寸法が

3m(lo

),親

柱 の柱掘形 は方

60cmで , 

その内寄 りにそれぞれ寄柱痕跡を ともな う。

SB8101Bは

柱 間寸法 が同 じ く

3mで ,親

柱 の位 置を

50cm西

へず らしてたてかえ る。 柱 の掘形 は方 60cm。

SB8101Aと

同様

寄柱痕跡 を ともな う。

 SB8101A・

Bの東西 それぞれ桁行1間目の寄柱痕跡 も建替えがみ られ る。

SB8102は SB8101A・ Bの西

15mに

位 置す る1間の門で

,柱

間寸法 は

3m(lo尺 )で

あ る。親 柱 掘形 は径1.3mの円形 を呈す る。

SD267は SA8100の北

3mに

あ る素掘 りの 東西溝 (幅

lm)で

ぁ る。 東 に流れ東面 築地

SA350 95

東区南面の 築地

東区西面の 築地

第Ⅲ章 遺

 

を暗渠でぬ け

,東

の築地外 に排水 したよ うであ る。

SD8094・ SD8095は

,そ

れぞれSA8100の

2m,2.9mを

へ だてた位 置にあ る東西溝。 前者 は幅

35cm,後

者 は幅

65cmで

あ る。SD8094は基壇 地覆石 据付痕跡であ り, SD8095は 南雨落溝 に想定 で き る。

SA8100の東西両端 はあき らかでない。 しか し

,西

端 は後述 す る東西 暗渠SD8077の検 出によ って

,築

地SA233と直交 し

,東

SA350とま じわ り, 大 膳職地域 の東 区を形成 してた ことがわ か る。

SA233A・ B, SD8077  (PLAN 34, PL.90。

91)

『 平城宮報告Ⅳ』で第Ⅲ期の南北木塀 とし て きたものであるが,東西暗渠SD8077や部分 的に築地の雨落溝が残存す ることか ら

,木

塀 の前身 として築地

SA233Aが

存在 したことが

6ABO―El也

ドキュメント内 1  遺跡の形成 (ページ 65-68)

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