• 検索結果がありません。

第3章 :ソヴィエト意識論

第 3 節 :第 22 回党大会でのフルシチョフ報告と新しい党綱領の意義

ソ連における意識論は前章で見てきた様に

1950

年代半ばから展開されてきたが、それは

1961

10

月に開催された第

22

回党大会でのフルシチョフ第一書記報告、及び、この大会で 採択された党綱領に少なからず反映されている。

この党大会で、「ヒューマニズム」イデオロギーが核心的教義としてマルクス=レーニン主 義に新しく盛り込まれたことは、フルシチョフの演説や新綱領の文面から明瞭である。序論で 述べた様に、この「ヒューマニズム」イデオロギーを形成する理論系列の構成単位の一つが、

意識論である。この節では、先ず、フルシチョフ演説と党綱領における「意識」の比重を検証 し、次に、この新しい公式路線をソヴィエト哲学界のイデオローグ達はどの様に解釈したのか を分析することによって、ソヴィエト意識論史におけるこれら二つの意義を考察する。

(1)第

22

回党大会でのフルシチョフ報告と新しい党綱領の内容

フルシチョフ第一書記の報告の中で「意識」という字句が出てくる箇所を探してみれば、そ れらは共産主義社会における「新しい人間」の育成と不可分であり、共産主義的道徳、及び、

各個人の個性の開花と緊密な関係にあることが分かる。社会の各構成員に共産主義社会の建設 者としての自覚を持たせることが「米国に追いつき、追い越す」うえで不可欠であることを、

彼は演説の中で強調している。例えば、「経済は、社会関係と人々の意識との変化の基礎であ るが、社会関係の発展、人間の共産主義的思想、文化水準、積極性の向上は逆に経済的進歩に 必要な条件となる94」という箇所は、上部構造に属する意識が土台である経済に変化をもたら す独立変数であることを認めており、彼がいかに国民の意識の変革を重視していたかを物語っ ている。前節で述べた様な、『唯物論と経験批判論』でのレーニンの定式に則った意識の静的・

受動的理解からは、国民に積極性を求める様な発想は生じ得ない。従って、日常生活の中で意 識が実践を介して社会的存在に影響を与えるという、『哲学ノート』でのレーニンの見解、及 び、

1950

年テーゼに即していると解すべきである。意識と生活とが相互に規定し合うという、

1950

年代以降展開された新たな意識理解に基づいてこそ、上述した様な発言が生じ得る。

また、共産主義社会を「自由な自覚ある勤労者95」によって構成される社会と定義付けるこ とは、人間の自由な意識的行動と道徳的責任との関連付けなくしては有り得ない。ここで述べ

- 55 -

られている「自由」とは、絶対的自由ではなくて、まさにルビンシュテイン的解釈に基づく自 由、すなわち、プレハーノフが『歴史における個人の役割』で述べた、「自由とは意識された 必然」であるという命題を下敷きにした、客観的必然性の枠内での自由であることを前提とし ている。と同時に、「人間の自由な意識的行動はその生活の諸情況によって条件付けられてい る96」が故に、フルシチョフ報告ではソヴィエト国民の福祉向上と最高の生活水準の保障、市 民権の保護を図ることが党の課題として掲げられている。また、「人間の自由は、自分の行動 の路線を自ら決定し、この路線と両立し得ない凡ゆる解決を斥ける、という可能性の内にある」、 逆を言えば、「人間に自分の行動の路線を自ら決定する権能が無いならば、この路線が人間の 外で決定されるものであるならば、人間は自分の為すことに責任を負うことができない97」が 故に、フルシチョフは、全ての市民に社会の業務の処理への参加を呼びかける。それは、1)

各勤労者のより良い物質的・文化的生活条件の創出、2)人民代表制の形態とソヴィエト選挙 制度の民主主義的諸原則との改善、3)共産主義建設の重大問題やソヴィエト国家の法案を全 国民で討議するという経験の普及、4)権力機関と行政機関の活動に対する国民の監督の形態 の最大限の拡大と、この監督効果の増幅、5)指導機関の構成員の系統的更新、国家機関と社 会団体における指導的働き手の選挙制度と責任制の原則の一層徹底した実施、加えて、この原 則の国家機関、社会団体、及び、文化機関の全ての指導的働き手への波及98、という社会主義 的民主主義の展開によって実現化される、と謳われた。こうした指導者による意見表明は、こ の党大会の頃には、党指導部の間で、国民の社会的意識の現状からの立ち遅れの問題が認識さ れていたことを裏書しており、こうした現状を改善する為にフルシチョフは全国民に共産主義 社会建設への意識的・積極的参加を訴えるとともに、その為に必要な諸条件・環境を党側が準 備することを約束したのであった99

新しく採択された党綱領を紐解けば、共産主義的意識に関するまとまった記述が散見される ことに気が付く。その中でも中核を成すのは、人々の意識と行動の中に存続している資本主義 の旧弊の克服という課題である。「社会主義体制の勝利の後も、社会の前進運動を妨害する資 本主義の残滓が人々の意識と行動の中に存続している100」という一文は、社会主義革命から 約半世紀を経ても社会主義体制という社会的存在と人々の社会的意識との乖離が黙視できな い程になっていることを暗示しており、指導部の危機感がこの文面に滲み出ている。この困難 な課題を克服する為に党はこの綱領の中で主に以下の四つの手段を提起する。1)社会の成員 の自覚を高める為のイデオロギー活動101;2)集団主義、勤勉、ヒューマニズムの精神へ人々 の意識を変革させる為に社会の構成員を国家的・社会的事業の運営に日常的に参画させること

102;3)共産主義的生活を意識的に送ることができるようになる為の共産主義的精神に基づ く教育103;4)共産主義的な社会生活の基本的なルールを強化し、向上を図るうえで指導的 な役割を果たす自覚的で自律的な市民の奨励104。以上を総括すれば、教育の現場や職場、日々 の生活の中でのプロパガンダをより一層重視するとともに、国家・社会の全組織に亘って実質 的な民主主義を浸透・定着させることによって、すなわち、社会的存在自体を真に民主化させ ることによって、国民の社会的意識と道徳的責任感の育成、勤労意欲や主体性の増進を図ろう とするものである。この四項目とフルシチョフが掲げた五項目とを併せ考えれば、こうした新 しい路線への転換は、現体制が国民の欲求と関心に真に結びついた社会制度へと自己変革を遂 げなければ、国民の社会的意識は変わらないことに指導部が遅ればせながら気付いたことの表 れであり、世論がもたらす影響を重視する文面にそれが垣間見える105。しかし、後にフルシ

- 56 -

チョフが失脚させられると、こうした民主化路線は新指導部によって葬り去られてしまい、国 民の意識も変わらぬまま

1980

年代後半を迎えることとなるが、それはこの論文の検証の対象 外である。

(2)巻頭論文で示されたソヴィエト哲学界の課題

22

回党大会の翌月の

11

月に『哲学の諸問題』誌に「ソ連邦共産党第

22

回党大会とソヴ ィエト哲学の課題」と題した巻頭論文が掲載された。この中では哲学界・社会学界をプロパガ ンダ活動へ総動員するに当たって、哲学者や社会学者が解決すべき主要な諸課題が列挙されて いるが、その中でも、社会的存在からの社会的意識の立ち遅れの克服は最重要課題の一つと位 置付けられている。曰く、「哲学及び他の社会諸科学の使命は、単に社会的存在の変化に基づ いて起こる社会的意識の現象の変化を確認するだけでなく、存在からの意識の立ち遅れを取り 戻し、ソヴィエト人の内面世界の進歩的変化を促し、労働と公共財産、集団に対する共産主義 的態度を彼等の中に育成し、ソヴィエト社会の各市民の意識と行動の内に共産主義的道徳規範 を発達させる、その為の可能性と手段を打ち出すことである106」。ここで注目すべきことは、

これまでになく社会生活における主観的要因や社会の成員の能動性に注意を払っていること である。すなわち、スピルキンが指摘した、意識における個人の、情緒、評価、意志的鼓舞と いった主観的要因や、事物の像の内的な性格が着目され、人間に主体性を持たせることが重要 視されるようになったのである。

またこの論文によれば、この意識育成という任務を遂行するうえで理論的基礎付けが必要で あり、哲学者・社会学者に課せられた主要な課題として次の三つが挙げられている。1)意識 の本質を人間とその環境との相互作用の、社会的=歴史的に決定付けられた様式と見る、全面 的な、且つ、根拠の有る規定を仕上げること;2)意識の形成と発展の基本的諸段階を、歴史 的、個体発生学的な面から明らかにして、個人の能力を発達させるに最適の好条件を成す、時 間的な面での外的及び内的性格付けの規定をすること;3)目先の個人的要求によって直接制 約されない、行為の動機の発生を分析すること107。これらの諸課題を概観すると、この中に これまでの意識論が集約されていることが見て取れる。先ず、「意識の本質を人間とその環境 との相互作用の、社会的=歴史的に決定付けられた様式と見る」ことは、意識と生活が相互に 規定しあうというルビンシュテインの見解や、意識化は人間と世界との相互作用の道程で生じ るものであるというスピルキンの主張を反映しており、従来のマルクス=レーニン主義的定式 からの決別を意味している。次に、意識に段階性があることは先ずトゥガリノフによって指摘 されたが、「歴史的、個体発生学的な面から明らかに」するという課題に関する最初の詳細な 研究はスピルキンによって為されており、この巻頭論文はその後の更なる研究を要求している。

最後に、行為の動機については、ルビンシュテインやスピルキンによって研究されてきた、倫 理学的見地からの意識論をベースにした課題提示である。

以上見てきた様に、

1961

年の第

22

回党大会でのフルシチョフ報告、新しく採択された党綱 領、及び、これらに基づいて書かれた巻頭論文のいずれもが、1950年代半ば以降のソヴィエ ト意識論の、謂わば、一里塚であるとともに、今後の議論の方向を指し示す道先案内の役割を 果たしている。こうして、その公式路線は、『哲学ノート』でのレーニンへの回帰であると同 時に、スターリンが末期に打ち出した「社会的存在に対する社会的意識の反作用」テーゼであ り、これらを基礎としたマルクス主義の修正・補足の路線となることが確定されたのである。