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第3章 :ソヴィエト意識論

第 1 節 :1950 年代における意識論の基礎付け

1989

年の哲学教科書と殆ど内容的に変わらない

1958

年の哲学教科書『マルクス主義哲学の 基礎』で展開されている意識論は、そもそもどの様な思想的動向の中で、主にどの世代によっ て形成されたのであろうか。本節では、フルシチョフ期の哲学者達は、どの様な思想的新動向 の環境の中で各自の意識に関する思考を形成していったのか、何故意識を重視したのか、どの 方向に議論を導いていったのかを、世代論の観点から世代間の知的継承関係を明らかにしなが ら、検証する。

(1) 第 20

回共産党大会(1956)までのソヴィエト意識論

1955

4

月はレーニン生誕

85

周年を契機に「レーニンへの回帰」ムードが高まる中で、哲 学界では彼の『唯物論と経験批判論』及び『哲学ノート』への関心が高まった7。レーニンは 前者の中で、ボグダーノフによるマルクスの『経済学批判』序文(「人間の意識が各人の存在 を規定するのではなく、逆に各人の社会的存在こそが各々の意識を規定する」)の理解に対し て批判した文脈の中で、社会的存在と社会的意識とを同一視すべきでないと述べ、社会的意識 は社会的存在の反映であり、社会的存在は社会的意識から独立していると主張した。加えて彼 は、「史的唯物論は、社会的存在を人類の社会的意識から独立したものと認める。意識は、ど んな場合でも、存在の反映、せいぜい近似的に正しい(適切な、理想的に正確な)その反映に 過ぎない8」と、意識と存在との関係を史的唯物論の観点から定式化した。レーニンはその後

『哲学ノート』の中のヘーゲルの『論理学』の摘要に「人間の意識は客観的世界を反映す るだけではなく、それを創造しもする9」と書き込み、以前の自身の反映論を修正し、存 在に対する意識の能動的な機能を認めた。

スターリンは、晩年の

1950

年に「マルクス主義と言語学の諸問題」と題した論文の中で、

道徳等の社会的意識を含む上部構造一般が土台にもたらす能動的な機能についての見解を出 した10。その年の

11

月に公刊された哲学教科書『史的唯物論』(コンスタンティノフ監修)で は、土台と上部構造の関係に関する記述の中で、「社会の上部構造は社会の土台の結果であり 反映であるが、ひとたび発生すると、自ら能動的な力となり、これを生み出した経済的土台に 反作用を及ぼす11」という見解が導き出され、その土台と上部構造との新しい関係付けが存在 と意識との関係に適用され、「社会的存在に対する社会的意識の反作用」というテーゼが提示 された12。この「社会的存在に対する社会的意識の反作用」というテーゼは

1956

年のスター リン個人崇拝批判後も哲学界で公式見解として継承され続け、それを理論的根拠として意識の 主体性の重要性がフルシチョフ期に議論されることとなった。

- 45 -

レーニンは、著書『何をなすべきか』で、資本主義社会における雇主との闘争の中での労働 運動の意識性と自然発生性との関係について叙述した箇所で、有名な階級意識外部注入論13を 展開した。この見解に則り、社会的意識を社会的存在から立ち遅れているプロレタリアートに 注入するのが共産党の役割と看做されていた14。従って、1936 年にソ連で制定された、通称

「スターリン憲法」第

126

15で、同国における共産党の指導的役割が法的に規定された。

『哲学の諸問題』誌で初めて意識に関する論述は、読者からの、社会発展における意識性と 自然発生性との相互関係が社会主義のもとではどの様に変わるか、等といった質問に対する回 答という形で、

1956

年第

1

号に掲載された。この質問に回答したのは、前年の『コムニスト』

誌(№3)に民衆の役割論に関する論文が掲載されたグリゴリー・グレーゼルマンである。彼 は読者に対する回答の中で、レーニンのこの意識注入論を回避して、エンゲルスの『自然弁証 法』の序論から、社会発展における意識性と自然発生性の本質を次の様に解釈した。すなわち、

意識性は、人々が前もって立てた目的に照応して、計画的に実現することであり、自然発生性 は、これとは逆に、「人々の活動の結果が、彼等が立てた目的に照応しない時に起こる。」この 後で、グレーゼルマンは、人々の「社会の発展においては、意識性を個人的意識の観点ではな く、社会的意識の観点から見なければならない」こと、「歴史においては意識性にもまた自然 発生性にも、様々の程度がある」こと等を指摘する。彼はこの意識性に関する論文の中でも人 民の創造性やイニシアティヴを重要視し、官僚主義的な中央集権化をソヴィエト社会から廃絶 する必要性を訴えることを忘れない。彼は、まだ資本主義の旧弊から解放されていない社会主 義「社会の発展における自然発生性から意識性への移行」にとって、前衛党としての共産党の 指導のみならず、「大衆の意識的活動、創造的イニシアティヴ」が必要不可欠であることを繰 り返し主張するのである16

(2) 第 20

回共産党大会後

1950

年代後半の哲学界での意識論の基礎付け

20

回党大会以前にもこうした大衆の役割論の観点から意識に関する議論はあったが、党 大会後に、倫理学と同様、意識論もまた意識のカテゴリーに関する議論からその端緒が開かれ た。この党大会が開かれた

1956

年に、旧世代に属するヴァシリー・トゥガリノフ17は諸々の 概念の範疇について論述した自著の中で、意識と思考とは全質料の性質(

свойство

)である、

と意識を定義付けている18。意識の属性(

атрибутивность

)を認めることはその超越を否定 して、内在を認めることを意味している。レーニンは、『哲学ノート』の「ヘーゲルの著書『論 理学』の摘要」の中で、人間の意識を自然に対して外的なものであると看做しているが、トゥ ガリノフのこの存在論的主張はレーニンの見解への不同意を意味している。

『哲学の諸問題』誌に初めて意識、就中、社会的意識に関する論考が登壇したのが、ヴラデ ィスラフ・ケルレ19とマトヴェイ・コヴァリゾン20の二人による共著「史的唯物論のカテゴリ ー」と題する論文であった。この中間的世代の二人は、1950年代後半以降、意識論に関する 著作を共著の形で定期的に発表し続けていくこととなる21

上述の論文の中で二人は、社会的存在と社会的意識との関係性を史的唯物論から導き出す為 に、先ず、歴史過程の特殊性を反映しているか否かに弁証法的唯物論のカテゴリーと史的唯物 論のカテゴリーとの間に差異を見出した上で、史的唯物論によって意識等のカテゴリーを具体 化し、社会的存在と社会的意識との関係を解明する為に、それらが本来属する所の弁証法的唯 物論のカテゴリーを社会生活に押し広げることを提唱する22。次に、彼等は、社会的意識とイ

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デオロギーとを同一視する見解に対して反論すると共に、社会的意識はイデオロギーを含むと いうこの両者間の包含関係を主張し、前者の内容はある一定の階級の利害を表現するイデーを 超越したものであると述べる23。こうして予め予防線を張ってから、この執筆者達は、当時流 布していた史的唯物論=社会学という見地から、社会的存在と社会的意識というカテゴリーの 関係の社会学的解明に着手し、社会的存在がどの様にして社会的意識を生み出し、これを規定 するかを示すことを、その後のソヴィエト学界における一般社会学の課題として提示したので ある24

この論文と同じ号に旧世代の教育学者兼倫理学者のアレクサンドル・シシュキンによる「共 産主義道徳の理論の幾つかの問題」という題の論文が掲載されている。この中で彼は道徳を芸 術・科学等といった社会的意識の諸形態の一つと捉え、その他のあらゆる形態と同じ様に、道 徳は人間の社会的存在を反映していると述べている25。先ず初めにこう規定することによって、

彼は「特別な科学」である倫理学の対象として道徳を研究する正当性と必要性を説く。また、

彼は意識と良心との関係について次の様に述べる。「良心は、人間が、他の人々や社会(階級)

に対して自分の行動についての道徳的責任を意識すること、他の人々や自分の民族(階級)や 人類に対して責任を意識することである26」。彼による意識と良心との関係付けは倫理学の分 野においてその後の道徳意識の研究の基礎付けとなっただけでなく、ソヴィエト哲学者メラ ブ・ママルダシュヴィリ27にも引き継がれた28

その次の第

5

号には、ソヴィエト科学アカデミー経済学・哲学・法学部会の総会で、中間的 世代のミハイル・イオフチュク(1908 – 1990)による社会思想史の研究プランに関する報告 が掲載された。プレハーノフがロシアにおけるマルクス主義思想において果たした役割に関す る研究と著作の出版の必要性を力説したこの報告の中で、彼もまた、凡ゆる社会意識形態の発 展の合法則性に関する問題に関する研究の不在とその必要性を訴えた29

1958

年の年頭には旧世代のヴァシリー・トゥガリノフ30による、グレーゼルマンが指摘した 意識の発展の段階性を具体化する論文が『哲学の諸問題』誌に掲載された。彼は、レーニンが

『「人民の友」とは何か』の中で社会における人々の意識の二つの水準、二つの段階をはっき り区別したと、先ず自分の見解の正当性を強調してから、勤労者の階級的意識をその本性によ って、社会的・政治的に意識ある人々と、政治に無関心であったり、意識が低い人々との二段 階に区別する必要性を訴える31

1959

年にはケルレとコヴァリゾンのコンビは社会的意識の諸形態に関する著書『社会的意 識の諸形態』を出版した32。(この書籍は日本では入手できないので、代わりにここでは

1963

年に出版された小冊子版『社会的意識とその諸形態』の内容を検証する。)この書はマルクス が『経済学批判』の序言で言及した社会的意識の諸形態に関してある程度詳述した点において 意識論に寄与した。

この二人はイデオロギーの諸形態として政治的見解、法意識、及び、道徳的意識を挙げ、ま た、非客観的知識であり倒錯した意識として、宗教をイデオロギー形態の一つに数える。反対 に、客観的知識として彼等が挙げるのが、政治的、道徳的、美的、哲学的見解である33

この著者達は、社会が共産主義へ移行するとともに、社会的意識の内容のみならずその形態 にも質的変化が生じることに注意を喚起し34、社会的意識の諸形態を論ずることの重要性を訴 える。社会的意識は人々の社会的存在の所産であり、反映であるというマルクス=レーニン主 義的公式見解を念頭に置いて、彼等は先ず反映の形態について論じ、「科学と哲学は論理的観