プロレタリアートに対するブルジョ ワジーの態度
原文:http://bit.ly/1KelK2X
ブルジョワジーの話をするにあたっては、いわゆる貴族も含める。というのもこれが特 権階級なのは、ブルジョワジーとの対比においてのみであり、プロレタリアートとの対比 においてはそうではないからだ。プロレタリアはどちらにも財産所有者——つまりはブ ルジョワを見て取る。財産の特権の前には、他の特権はすべて消え去る。唯一のちがいと いうのは、ブルジョワは製造業プロレタリアと、ある意味では鉱業プロレタリアと、そし て農民として農業労働者たちと活発な関係を保っているが、いわゆる貴族は農業労働者と しか接触しないということだ。
ぼくはイングランドのブルジョワジーほど道徳的に深く頽廃し、利己性により手の施し ようがないほど道を踏み外し、内面が腐敗しきって、進歩が不可能な階級を見たことがな い。そしてぼくがここで念頭においているのは、特にブルジョワジー一般、特に自由党の 穀物法廃止支持のブルジョワジーだ。この階級にとって、お金のためでなければ、自分自 身もふくめ何一つとしてこの世に存在しないのだ。急速な利得以外には何ら喜びを知ら ず、黄金を失う以外には何の苦痛も知らない。この強欲と利得に対する貪欲の存在を前に しては、どんな人間的感情だろうと意見だろうと汚されずにはいられない。確かに、こう したイングランドのブルジョワたちはよき夫で家族想いの男たちである、各種の個人的な 美徳もいろいろ持っているし、通常のやりとりにおいては、他のブルジョワすべてと同じ ように、まっとうで尊敬すべき人間に見える。商売においてすら、ドイツ人を相手にする よりも交渉しやすい。かれらはドイツのごまかしだらけの商人たちのように、やたらに値 切ろうとしたりはしない。だがそれが事態をどれだけ助けるというのか? 最終的にはか れらを規定しているのは、自分の利益、特に金銭的な李得だけなのだ。ぼくは一度、こう したブルジョワとマンチェスターに出かけて、建物のひどい不健全な建築方法、労働者地 区のひどい状況について語り、これほどひどい作りの都市はみたことがないと主張した。
その人は最後まで静かに耳を傾け、そしてぼくたちが別れる角までやってくるとこう言っ た。「そうは言いながらもここでは大金が作られておりますからな。ではごきげんよう」。 自分たちの労働者が飢えようが、自分さえお金儲けができるならまったくイングランドの ブルジョワジーは無関心なのだ。人生のあらゆる状況はお金で計測され、お金をもたらさ ないものはナンセンスで、非実用的で、理想主義的なたわごとだ。このため、政治経済学、
つまり富の科学は、こうした取引するユダヤ人どもの大好きなお勉強となる。かれらの一 人残らず政治経済学者だ。製造業者がその工員に対して持つ関係にはまったく人間的な部 分がない。純粋に経済的だ。製造業者は資本であり、工員が労働。 そして工員がこの抽 象化に無理矢理でもおさまらないなら、自分が労働ではなく人間であり、労働力という属 性は他にも持つものの一つでしかないと固執するなら、もしその工員が自分は市場で「労 働」という賞品として売買されるのを認める必要などないのだという考えを頭の中に抱こ うものなら、ブルジョワの理由づけは停止してしまう。ブルジョワは自分が工員に対して 売買以外の関係を持つなどということが理解できない。ブルジョワが工員たちに見るのは 人間ではなく作業員(ハンド)であり、だから労働者に面と向かってハンド呼ばわりする。
ブルジョワは、カーライルが言うように、「人間同士の唯一のつながりは現金支払い」な のだと固執する。ブルジョワとその妻との関係ですら、百のうち九十九は単なる「現金支 払い」だ。お金が人間の価値を決める。「こいつは千ポンドもの価値がある」などという。
お金を持っている者が「ましな種類の人間」であり「影響力があり」、その人物のやるこ とこそが社会的なサークルの中で意味を持つのだ。金銭目当ての精神はその言語全てに浸 透し、あらゆる人間関係がビジネス用語であらわされ、経済カテゴリーで語られる。イン グランドのブルジョワは人生のすべてを需要供給の公式にしたがって判断する。したがっ てあらゆる面で自由競争であり、そのためにレッセフェール、レッセアレのレジームが政 府にも、医療にも、教育にも見られ、イギリス国教会がますます崩壊するにつれて、宗教 でもそうなるだろう。自由競争は一切の制約がなく、何ら国の監督もなく、国というのは すべてそれに対する重荷でしかない。それが最高の完成を見るのは、まったく等地されな いアナーキー的な社会であり、そこでは各人が自分の心ゆくまで他人を収奪する。しかし ブルジョワジーは政府なしではやっていけず、手放しがたいプロレタリアを押さえつける のに政府が必要なので、政府の力をプロレタリアに向けて、なるべくそこから遠ざかろう とするのだ。
しかしながら、「洗練された」イングランド人が公然と自分の利己性を自慢すると想っ てはいけない。それどころか、これ以上はないほど不快な偽善の下にそれを隠すのだ。な んですと? 豊かなイングランド人が貧困者のことを忘れ去っているですと? イングラ ンド人は他のどんな国も誇れないほどの慈善組織を創設したというのに、これはご挨拶で すな! まるでプロレタリアからまずはその生き血そのものを吸い取ってしまい、その後 に自己満足じみたパリサイ人めいた慈善をかれらに押しつけることで、なにか恩恵でも施 してやったかのような言いぐさだ。収奪された被害者たちには、かれらに所属するものの 百分の一しか返していないというのに、人間性の偉大なる支援者として世界の前に名乗り を挙げようとは! その慈善とは、受け取る者よりも与える者を一層貶めるものだ。すで に過酷な目に遭っている者をさらに深く埃の中にたたき込む慈善。貶められ、毛嫌いされ た者たちが社会からつまはじきにされる慈善。その者に最後に残るもの、つまりその人物 の男らしさの主張そのものをまっ先に明け渡す慈善、こちらの慈悲をもったいなくも賜る 前に、向こうがお慈悲を乞うようにさせる慈善、施しという形で提供され、尊厳劣化の烙 印を額に圧す慈善。だがイングランドのブルジョワ自身のことばを聴いてみよう。 『マ ンチェスターガーディアン』紙の投書欄で以下の手紙を読んでからまだ1年たっていな い。この手紙は何のコメントもなしに、まったく当然かつもっともな発言として刊行され ていた。
「編集部御中――しばらく前から、私たちの大通りは大量の乞食に覆い尽くされ ており、この者たちは通行人の哀れみを引こうと、最も恥知らずで苛立たしいやり 方をします。自分たちのボロボロの服や病気、嫌悪を催す傷や奇形などをひけらか すのです。私は、貧困税を支払うだけでなく慈善機関に大量の寄付を行った人物 は、こうした忌まわしい不適切な迷惑から逃れる権利を得たものと考えておりま す。そして都市に平穏に出入りする程度の保護を与えてくれるのでなければ、どう して地方警察の維持のためにあれほどの高い負担をさせられるのでしょうか? こ の手紙が広く購読されている貴紙の紙面に刊行されれば、当局はこの忌まわしい連 中を排除するよう促されるやもしれません。
——忠実なる僕
「ある淑女」」 ご覧の通りだ! イングランドのブルジョワジーは利己性から慈善をするのだ。何かを 純粋に与えるなどということは決してなく、贈り物は商売上の話だと考え、貧乏人と取引 をしてこう言うのだ。「これだけの金額を愛他的な機関に費やすなら、それ以上は面倒を かけられない権利を買ったことになり、したがっておまえたちは薄暗い家の中にとどまっ て、その悲惨をあらわにすることで私の繊細な神経を苛立たせたりしないという誓いをか わしたことになるのだ。昔と同じように絶望はするが、その絶望はこちらの目に入らない ところでやりなさい。これは病院に二十ポンド寄付したことで購入したものなんだから ね!」まったく悪名高いものだ、このキリスト教ブルジョワジーの慈善というものは!
そう書いているのが「ある淑女」だ。こんな署名をするのは何とも賢明だ、というのも彼 女は自分を女性と呼ぶ勇気を失っているからだ! でも「淑女」がこんな様子なら、「紳 士」はどんなものなのだろう? これはたった一つの事例でしかないという人もいるだろ うが、ちがう。いま挙げた手紙が述べているのはイングランドのブルジョワの大半が持っ ている気性を表現しているのだ。さもなければ編集者はそれを受けいれなかっただろう し、何らかの返答がこれに対して行われたはずだ。でもその後の号で返答がないかと探 し続けたもの見つからなかった。そしてこの慈善がどれほど有効かといえば、キャノン・
パーキンソンその人が、貧者はブルジョワジーよりもはるかに多くのものを、同じ貧困者 たちから与えられていると述べている。そして自分でも腹を空かせるというのがどういう ことかを知っている正直者のプロレタリアが提供するそうした救済金は、自分自身のわず かな食事を分け与えたことになるので本当の意味での犠牲であり、しかも喜びを含んだ犠 牲であり、こうした支援は豪勢なブルジョワたちが気軽に投げて寄越す施しとはまったく ちがう響きを持っているのだ。
また他の面でも、ブルジョワジーは偽善的な果てしない慈善を唱えはするが、それは自 分の利益にとって必要な場合だけなのだ。これは、その政治と政治経済にとっての場合と 同様だ。それは五年近くも作用しつづけており、ブルジョワジーが穀物法廃止に奮闘する のはひたすら自分の利益のためでしかないということを労働者たちに証明するに至ってい る。だが事態は要するにこういうことだ。穀物法はパンの価格を他国よりも高く保つの で、賃金を引き上げる。だがこうした高賃金は、 パンやひいては賃金がもっと安い国に 対して製造業者たちの競争を困難にするのだ。穀物法が廃止されれば、パンの価格は下が り、賃金は次第に他のヨーロッパ諸国の水準に近づく。これは賃金が決まる原理に関する さっきの説明からだれにでもはっきりわかるはずだ。製造業者はもっとうまく競争できる