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松下

!子 の﹁ お父 さん

︑お 母さ んの 思い 出﹂

︵一 九九 五︶ と﹁ 小品 集﹂

︵二

〇一 二︶ は︑ 明確 な対 象を 持っ てい る︒ この 具体 的な 対象 への 思い や思 索を 時間 をか けて 巡ら すこ とに よっ て︑ これ らの 作品 は昇 華さ れて いっ た︒ した がっ て︑ 二つ の作 品を 深く 理解 する ため には

︑具 体的 な対 象す なわ ち松 原武 夫と 松原 栄に 関す る考 察が 不可 欠と なる

︒ 幸い

︑松 原武 夫と 松原 栄に よっ て生 前記 され たい くつ かの 作品 が残 って いる

︒彼 らに つい て記 した もの もあ る︒ 次の 通り であ る︒

近代化する日本を生きた人間像

−351−

松原 武夫

﹁自 然科 学教 育と 科学 史﹂

︵﹃ 滋賀 大学 研究 論集

第二 部 自然 科学

﹄第 二号

︑一 九五 三年

︑八 七− 九五 頁︶

﹁自 然科 学の 成立 と経 験論

﹂︵

﹃滋 賀大 学学 芸学 部紀 要 自然 科学

﹄第 三号

︑一 九五 四年

︑七 七− 八二 頁︶

﹁‘Hypothesesnonfingo’

に就 て︵ 創刊 十周 年記 念号

︶﹂

︵﹃ 滋賀 大学 学芸 学部 紀要

自然 科学

﹄第 十号

︑一 九六

〇 年︑ 一三 一− 一三 九頁

﹃金 扇﹄

︵一 九七 九年

︑松 原栄 との 共著

﹃翌 桧

﹄︵ 一九 八四 年︶

﹁大 津教 会史 の諸 断面

﹂︵

﹃大 津教 会史

﹄一 九六 九年

︑一 七二−

一七 五頁

﹁私 の信 仰の 歩み

﹂︵ 大津 教会

﹃私 の信 仰の 歩み

﹄第 一巻

︑一 九八 五年

﹁子 々孫 々に 平和 を

﹂︵

﹃大 津ロ ータ リー クラ ブ年 報﹄ 一九 八七 年度

︑﹃ 追想

﹄一 九九 六年

︑六 五− 八五 頁︶ 松原 栄

﹃金 扇﹄

︵一 九七 九年

︑松 原竹 生と の共 著︶

﹁句 集﹂

︵﹃ 翌桧

﹄一 九八 四年

︑一 四九−

一九 七頁

﹁共 済会 のこ と﹂

︵﹃ 大津 教会 史﹄ 一九 六九 年︑ 一四 二− 一四 五頁

﹁私 の信 仰の 歩み

﹂︵ 大津 教会

﹃私 の信 仰の 歩み

﹄第

大津教会『私の信仰の歩み』第一巻 1985年9月

−352−

二巻

︑一 九八 六年

︑二 十− 二六 頁︶ 松原 武夫

・松 原栄 につ いて 記し た作 品

﹁第 二部

父母 の思 い出

﹂︵

﹃追 想﹄ 一九 九六 年︑ 八 九− 二〇 三頁

﹁第 三部

寄せ られ た言 葉﹂

︵﹃ 追想

﹄一 九六 九年

︑二

〇七−

二七 九頁

︶ 松原

武夫 と松 原栄 の作 品で

︑最 も多 く残 され てい るの は俳 句で ある

︒俳 句は

︑折 々の 彼ら の心 の動 きを 知る に は有 益で ある が︑ 人間 像を 全体 的に 探る 作業 には 適し てい ない

︒松 原武 夫に は︑ いく つか 彼の 思想 に触 れる 作品 も ある

︒し かし

︑こ れら も彼 の全 体像 を示 すに は至 って いな い︒ そこ で︑ 彼ら の全 体像 に迫 り得 る試 みと して 考え ら れる のが 伝記 であ る︒ ただ し残 され た資 料か ら彼 等の 伝記 を再 構成 する ため には

︑近 代日 本史 にお ける 位置 づけ や 地域 社会 との 関わ りな ど︑ いく つか 不十 分な 側面 もあ る︒ そこ で︑ 必要 な点 を補 いつ つ彼 らの 人間 像に 迫る ため

︑第 二章 では

︑﹁ 松原 武夫

・松 原栄 小伝

﹂に 取り 組む

大津教会『私の信仰の歩み』第二巻 1986年9月

近代化する日本を生きた人間像

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第一 自我 の形

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