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はじ めに

課題

松原 武夫

・栄 遺族 一同 によ る﹃ 追想

﹄は

︑着 想か ら二 年半 ほど の年 月を かけ て出 版さ れた

︒一 九九 一︵ 平成 三︶ 年八 月十 七日 に栄 が召 天し

︑翌 一九 九二

︵平 成四

︶年 七月 十一 日に

﹁母 の後 を追 うか のよ うに 父が 亡く なり

︑そ の 後始 末の ため 兄弟 姉妹 六人 が滋 賀里 の家 に集 まっ た一 九九 二年 の暮 れ︑ 両親 追悼 の気 持ち を活 字に して 残そ うと い うこ とで 皆の 意見 が一 致﹂ した

︒そ れか ら一 年半 ほど 後の 一九 九四

︵平 成六

︶年 五月 には

︑﹁ 全員 の原 稿が そろ う めど がた ち︑ 追悼 文集 の構 成案 が﹂ でき る︒ さら に︑

﹁父 母の 俳句 を⁝

⁝調 べ︑ 写真 や絵 画を 選ぶ など の作 業を ほ

近代化する日本を生きた人間像

−389−

ぼ終 えた のは 一九 九四 年暮 れの こと

﹂で あっ た︒ この よう な経 緯 を経 て︑ 一九 九五

︵平 成七

︶年 六月 三十 日に 松原 武夫

・栄 遺族 一 同﹃ 追想

﹄は 刊行 され た︒ 作成 にあ たっ て︑ 松下

!子 は﹁ 表紙 の 布地 や俳 画の 選定 とレ イア ウト

﹂を 中心 にな って 担当 し︑

﹁お 父 さん

︑お 母さ んの 思い 出﹂

︵﹃ 追想

﹄一 三三−

一四 七頁

︶を 寄稿 し てい る

︒ それ から 年月 を重 ね︑ 二〇 一二

︵平 成二 四︶ 年に は︑ 松原 武夫 召天 二十 年・ 栄召 天二 十一 年の 年を 迎え た︒ そこ で︑ 関係 者は 二

〇一 二年 七月 三日

︵火

︶に

︑大 津教 会霊 安塔 前で

﹁松 原武 夫召 天二 十年

・栄 召天 二十 一年 記念 会﹂ を挙 行し た︒ ま た︑

﹁父 母召 天二 十年

︑二 十一 年の 記念 会に 合わ せ子 供六 人が 各々 に過 去に 書き 記し たも の︵ 主に 戦争 体験 記︶ を まと めよ うと

﹂相 談し た︒ そこ で︑ 松下

!子 が﹁ 今回 の企 画の 主旨 に添 うも の﹂ とし てま とめ たの が︑ 短歌 と随 想 から 構成 され た﹁ 小品 集﹂ であ る︒ およ そ二 十年 の年 月を 隔て て書 かれ た﹁ 小品 集﹂ には

︑両 親の 召天 から 間も ない 時に まと めら れた

﹁お 父さ ん︑ お母 さん の思 い出

﹂と は︑ 際立 った 違い が感 じら れる

︒こ の違 いは どこ から 来た のか

︒そ れは 二十 年と いう 歳月 の 経過 にお いて

︑松 下! 子の 感性 と霊 性を 介し て両 親の 思い 出が 昇華 され

︑そ れが 彼女 の自 然観 や人 間観 の中 に融 解 され たた めだ と考 えら れる

︒ま た︑ 彼女 の感 性や 霊性 は︑ 長い 日本 人の 心の 歴史 にお いて 育ま れて きた ので

︑松 下 一人 のも ので はな く︑ 広く 日本 人一 般に 共有 され てい る資 質だ と思 われ る︒ した がっ て︑ 松原 武夫 と松 原栄 の生

松原武夫・栄遺族一同

『追想』(1995年)

−390−

を︑

﹁近 代日 本を 生き た人 間像

﹂の 一事 例と して 取り 上げ るこ とが でき る︒ とこ ろで

︑こ こに もう 一つ の問 題が 生 じる

︒確 かに

︑近 代と いう 時代 を生 きた 二人 のイ メー ジは 抽象 化を 通し て︑

﹁近 代日 本を 生き た人 間像

﹂の モデ ル とな る︒ とこ ろで その 際︑ 彼等 の個 体性 すな わち 彼等 の人 格は 抽象 的な 人間 像の 中に 吸収 され て︑ 全く 喪失 され て しま うの か︒ それ とも

︑そ こに おい ても なお 彼ら が意 志的 主体 とし て生 きた 真実 は確 保さ れる のか

︒確 保さ れる と した ら︑ それ はど のよ うな 形で 保た れる のか とい う問 題で ある

﹁小 品集

﹂を

︑い くつ かの 側面 から

﹁お 父さ ん︑ お母 さん の思 い出

﹂と 比較 して

︑そ れが 持つ 特色 を明 らか にす る作 業を 通し て︑ これ らの 課題 に取 り組 んで いき たい

第一

松下

!

﹁小 品集

﹂の 特色

︵一

︶﹁ お父 さん

︑お 母さ んの 思い 出﹂ にお ける 武夫 と栄 短歌 と随 筆か ら構 成さ れて いる 松下

!子

﹁小 品集

﹂は

︑扱 って いる 題材 と表 現法 にお いて 特色 を持 って いる

︒本 稿は

﹁第 一章

松下

!子

﹃小 品集

﹄解 題﹂ で︑ すで に個 々の 作品 の分 析を 試み た︒ けれ ども

︑﹁ 小品 集﹂ その もの の分 析か らは

︑そ こに 内在 する 特色 を必 ずし も浮 き彫 りに はで きて いな い︒ その ため

︑何 らか の手 法が

︑﹁ 小品 集﹂ の特 色を 際立 たせ るた めに 必要 とな る︒ そこ で︑ 同じ 著者 によ る﹁ お父 さん

︑お 母さ んの 思い 出﹂

︵以 下︑

﹁思 い出

﹂と 略記 する

︶を 取り 上げ て検 討し

︑さ らに

﹁小 品集

﹂と の比 較を 通し て︑ その 特色 を明 らか にし たい

︒ まず

︑﹁ 思い 出﹂ の内 容を 段落 によ る構 成か ら分 析す る︒ 次の 通り であ る︒

近代化する日本を生きた人間像

−391−

第一 段落

父の 思い 出︵ 六〇 行︶ 第二 段落

母の 思い 出︵ 五七 行︶ 第三 段落

両親 との 思い 出︵ 一九 行︶ 第四 段落

夫婦 の姿

︵六 行︶ 第五 段落

結び の言 葉︵ 二行

︶ この

よう に見 ると

︑行 数か らも

﹁思 い出

﹂の 主要 な内 容は

︑﹁ 第一 段落

父の 思い 出﹂ と﹁ 第二 段落

母の 思い 出﹂ にあ るこ とが 分か る︒ 松江 旅行 や須 賀谷 旅行 を取 り上 げて いる 第三 段落 や︑ クリ スチ ャン 夫婦 の姿 を記 した 第 四段 落は

︑主 要部 分に 対す る補 足的 な機 能を 果た して いる

︒ そこ で︑ 第一 段落 と第 二段 落の 内容 を︑ さら に詳 細に 検討 する

︒そ れぞ れの 構成 は次 の通 りで ある

﹁第 一段 落 父の 思い 出﹂ の構 成 一 父の 最期

︵七 行︶ 二

﹃金 扇﹄ を読 む会 での 父︵ 五行

︶ 三 散歩 する 父︵ 九行

︶ 四 滋賀 女子 短期 大学 にお ける 父︵ 十行

︶ 五 苦楽 を共 にす る父

︵七 行︶

−392−

六 平和 を求 め活 動す る父

︵十 行︶ 七 お母 さん に先 立た れた 父

︵十 二行

﹁第 二段 落 母の 思い 出﹂ の構 成 一 母の 最期

︵十 二行

︶ 二 配慮 する 母︵ 十一 行︶ 三 洋服 を縫 って くれ た母

︵七 行︶ 四 本当 にご 苦労 さま でし た︒

︵七 行︶ 五 母の 老後 と趣 味︵ 六行

︶ 六 母の 味︵ 六行

︶ 七 見事 な生 き方

︵八 行︶

﹁第 一段 落 父の 思い 出﹂ と﹁ 第二 段落

母の 思い 出﹂ は︑ ほぼ 同じ 構造 を示 して いる

︒第 一段 落は

︑﹁ 一 父 の最 期﹂ で始 め︑

﹁七

お母 さん に先 立た れた 父﹂ にお いて 死に 向か う父 を描 写し て結 んで いる

︒同 様に 第二 段落 も︑

﹁一

母の 最期

﹂で 始め

︑死 に向 かう 母を 描い た﹁ 七 見事 な生 き方

﹂で 結ん でい る︒ 要す るに

︑﹁ 第一 段 落 父の 思い 出﹂ も﹁ 第二 段落

母の 思い 出﹂ も︑ 初め と終 わり には 父と 母の 最期 を置 いて いる

︒こ れは おそ らく

︑ 松下

!子 の心 の有 りよ うを 投影 して いる

︒﹁ お父 さん

︑お 母さ んの 想い 出﹂ を執 筆し た時

︑彼 女の 心に は繰 り返 し

近代化する日本を生きた人間像

−393−

父と 母の 最期 が思 い起 こさ れて いた

︒彼 等の 最期 を強 烈に 思い 出し なが ら︑ それ でも 何と か彼 女は 原稿 の執 筆に 向 かっ たの であ る︒ した がっ て︑ 読者 は武 夫と 栄の 最期 から 強い 印象 を受 ける

︒次 に︑ 初め と終 わり の間 に囲 まれ た 部分 の内 容で ある

︒そ こで は︑ 父と 母の 生き 方を よく 現わ す具 体的 な出 来事 が記 され てい る︒ 父親 であ る武 夫の 場 合︑

﹁四

滋賀 女子 短期 大学 にお ける 父﹂

︑﹁ 五 苦楽 を共 にし た父

﹂︑

﹁六

平和 を求 め活 動す る父

﹂な ど︑ 社会 に おけ る父 の意 志的 な生 き方 を思 い出 して いる

︒母 親の 栄の 場合

︑﹁ 二 配慮 する 母﹂

︑﹁ 三 洋服 を縫 って くれ た母

﹂︑

﹁四

本当 にご 苦労 さま でし た﹂

︑﹁ 六 母の 味﹂ など

︑家 族の ため に大 変な 苦労 をし なが ら︑ 松下 もそ の大 変さ に 共感 しつ つ︑ 母は 見事 な生 き方 をし たと して いる

︵二

︶﹁ お父 さん

︑お 母さ んの 思い 出﹂ と﹁ 小品 集﹂ 松下

!子

﹁小 品集

﹂の 特色 を浮 き彫 りに する ため に︑ 三点 にお いて

﹁思 い出

﹂と の比 較検 討を 行い たい

︒構 成・ 内容

・表 現方 法の 三点 であ る︒ まず 構成 の比 較で ある

︒こ の作 業に つい ては

︑﹁ 思い 出﹂ の全 文と

﹁小 品集

﹂前 半の 短歌 の部 を主 に比 較す る︒

﹁表 一﹂ より

︑﹁ 思い 出﹂ の冒 頭に ある

﹁第 一段 落 父の 思い 出﹂ は明 らか に︑

﹁小 品集

﹂の 初め に置 かれ てい る﹁ 父の 背﹂ と対 応し てい る︒ 同様 に︑

﹁思 い出

﹂の

﹁第 二段 落 母の 思い 出﹂ は︑

﹁小 品集

﹂の

﹁母 のま なざ し﹂ に対 応す る︒ さら に﹁ 第五 段落

結び の言 葉﹂ と対 応す る部 分と して

︑﹁ 父母 召天 二十 年二 十一 年記 念会 に寄 せて

﹂を 挙げ るこ とが でき る︒ この よう な分 析結 果か ら︑

﹁思 い出

﹂と

﹁小 品集

﹂前 半の 短歌 の部 は︑ きわ めて 類似 した 構成 を 採っ てい るこ とが 分か る︒ そう だと する と︑

﹁小 品集

﹂の 後半 にあ る随 筆に つい ては

︑ど のよ うに 考え れば 良い の

−394−

か︒ 随筆 は量 的に は大 きい が︑ 内容 的に は﹁ 父の 背﹂

︑﹁ 母の まな ざし

﹂と

﹁父 母召 天二 十年 二十 一年 記念 会に 寄せ て﹂ の間 に置 かれ た部 分に 対応 して いて

︑そ れが 拡大 して

︑﹁ 小品 集﹂ の後 半部 分を 占め たと 解釈 でき る︒ この よ うに 考え ると

︑﹁ 小品 集﹂ は二 十年 程前 に書 かれ た﹁ 思い 出﹂ と︑ 構造 的に は類 似し てい ると 結論 づけ られ る︒ 次に

︑内 容に 関す る比 較で ある

︒こ の検 討で 全文 を取 り上 げる こと はで きな いの で︑

﹁思 い出

﹂か らは

﹁第 一段 落 父の 思い 出﹂ を︑

﹁小 品集

﹂か らは

﹁父 の背

﹂を 取り 上げ て比 較す る

︒﹁ 第一 段落

父の 思い 出﹂ の﹁ 一 父の 最期

﹂と

﹁七

お母 さん に先 立た れた 父﹂ に対 応す るの は︑

﹁父 の背

﹂の 第三 句と 第四 句で ある

︒こ れら にお いて

︑ 前者 が父 の最 期の 様子 をあ りあ りと 描き 出し てい るの に対 して

︑後 者は 大文 字の 送り 火や 星の 瞬き と重 ねて

︑在 り し日 の父 の姿 を心 に描 いて いる

︒﹁ 二

﹃金 扇﹄ を読 む会 での 父﹂ と﹁ 三 散歩 する 父﹂ に対 応す るの は︑ 第一 句 と第 二句 であ る︒ 前者 が︑ 読む 会や 散歩 する 武夫 の様 子を 生き 生き と描 いて いる のに 対し て︑ 後者 は萩 の花 との 類 比や 大津 祭に おけ るか らく り人 形の 舞を 用い て︑ 父を 思い 出し てい る︒

﹁四

滋賀 女子 短期 大学 にお ける 父﹂ と 表一

﹁お 父さ ん︑ お母 さん の思 い出

﹂と

﹁小 品集

﹂短 歌の 部の 構成

﹁お 父さ ん︑ お母 さん の思 い出

﹂の 構成

﹁小 品集

﹂の 構成 第一 段落

父の 思い 出

短歌

﹁父 の背

﹂ 第二 段落

母の 思い 出

﹁母 のま なざ し﹂ 第三 段落

両親 との 思い 出

﹁湖 の季

﹂ 第四 段落

夫婦 の姿

﹁過 ぎし 日 今﹂ 第五 段落

結び の言 葉

﹁父 母召 天二 十年 二十 一年 記念 会に 寄せ て﹂ 随筆

︵六 編︶

近代化する日本を生きた人間像

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